てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

清水富美加の出家騒動、芸能界の労働問題に幸福の科学が労働問題に乗り出せば…という話

※見直したら、書きたいこと入れ忘れていたので翌日に加筆・修正しました。
 昨日の話で書き忘れていたことがあって追記していて、更新が遅れました。前回は自民党のおかしさを指摘するだけで終わってしまったのでね。それと全く同じことは「リベラルサヨク」サイドにも当てはまることを書いておかないと片手落ちでしたね。

 まあ、そんな話はおいといて、今回は清水富美加氏が芸能界引退を宣言し、幸福の科学に出家した話です。かなり古いネタになってしまいましたけどね。芸能界ネタ枠を作ってこういう話が来たのも何の因果なんでしょうか。最近昔に書いた記事をまとめ直しましたが*1、芸能界の麻薬汚染という話と、意外と関係ある気がしますね。

 関東連合が女性タレントを送り込んで、それを売りに「社長さん、今話題の女の子を紹介しますよ」と影響力を広げていくようなことがありました。芸能界でコネを持つ、影響力を持つのに麻薬というのは都合がいい。女・クスリ・裏カジノなどでターゲットをたらしこんでいく。わかりやすい画ですね。

 クスリといえば清原事件の時に触れましたけど*2、高卒プロ野球選手、特に上京して周辺に人間関係が存在しなければ、その心の隙間をタニマチが埋めることになる。腐敗する・堕落する危険性が高いわけですね。スポーツであれ芸能関係であれ、才能あるスターとコネを持つのはこの上ないステータスですから色んな怪しい人が近寄ってくるのは当然。清原ほどのスターではなくても、タレントの卵・スターの卵であれば、有象無象の怪しい輩が寄ってくるという図式は間違いなくあるでしょう。

 幸福の科学がそうだったと言いたいわけではなくて(むしろ逆)、彼女も芸能界という世界の中で一生懸命やってきて、すり減って疲れ切ってしまった。そういう辛い・大変な環境で芸能活動をしている間に、彼女を支える家族なり、友人なり、同僚なり、良好な人間関係が周囲に存在していない限り、彼女のようになるわけですね。突然限界だと言い出してドロップ・アウトしてしまうことは別に珍しい話ではないように思えます(周囲にとって突然急変したようにみえるだけで、本人はずっと悩んでいたんでしょうけどね)。むしろもっと多くの人が芸能界でやって行けずに、限界だと言い出して辞めていると思います。そういう人達が事務所と「契約がおかしい、こんな待遇は契約違反だ」と訴訟に発展しトラブルになるケースが少ない方に違和感を覚えます。

 幸福の科学が洗脳した云々という見方を抱いている人が多いようですが、個人的には洗脳云々よりも、限界が来て辞めると言い出した女の子の最後の心の拠り所が宗教だっただけのような気がします(もちろん幸福の科学が主体となって、彼女の心の隙間に上手く潜り込んで騙して操っているというストーリーの可能性もあるんでしょうけどね)。いずれにせよ、若いスター候補というのは才能という点ではともかく人間として経験が浅く精神が不安定なもの。清原のケースを例に出すまでもなく、そういう子供から大人の世界に入っていくのに、適切な関係性・環境が本当に与えられているのかという点はもっと掘り下げられるべき視点だと思います。まだ未熟なスター候補生を危険な誘惑から守る。そして危険な事務所の使い捨て、悪待遇から守るということが話し合われなければならないと思いますね。

■芸能事務所の性接待疑惑について
 彼女のことを全然知らなくて、漫画家の西原理恵子氏そっくりだなぁくらいの感想しかなかったのですが、彼女のマンガで元旦那が芸能プロダクションの社長から綺麗どころを集められた接待を受けたと。そこで女の子を好きにしていいと言われたとか。ところが旦那はもう女性に興味がなくなっていて、その申し出を断った所、嫁西原そっくりの若い娘を連れてきて、こういうのが好みなんだろうと勧められたという話が過去に描かれていたとか。ひょっとしてこのそっくりな若い娘こそが清水富美加なのでは?とツイッターで指摘されていましたが、もしそうだとしたら事務所の異常さの証明になりますよね。これが本当に彼女なのかどうか是非明らかにしていただきたいところですが、ハッキリしないものなのでしょうか?

 飲ませ食わせ抱かせという事がある業界だとは言われますが、それが問題ないのは個人が勝手にやるから。個人が自分の欲望のために実力競争ではなく、賄賂なり枕営業するなり好きにやればよろしい(もちろんそれが発覚すれば犯罪ですし、発覚せずとも噂だけで本人の信用は失墜してダメージを受けることは間違いないわけですが。要するにそういうのは所詮個人の責任の範疇にすぎないわけですね)。しかしそういうことを組織としての企業、芸能事務所がやるということは業界として絶対に許してはおけない話。一事務所の不祥事どころの話ではないでしょう、これが本当なら。そういう疑惑を追求せずにほっとけるテレビ・新聞の芸能担当者の神経を疑いますね。

 特に、日頃韓国が嫌いで熱心に韓国叩きに勤しんでいる人達には、「性接待云々で大騒動になった韓国のようだ、韓国のような後進国のような醜いことをするな!」と躍起になって叩いていただきたいところです。

■勝ち残った芸能人の違和感あるコメントと伊集院・松本の正論
 前にネットニュースで見かけましたが、この件について坂上忍氏が「最初が辛いのは当たり前、月給5万円なんて珍しい話じゃない」という話をしていたり、和田アキ子氏も「私も月給5万円だった」という話をしていたかと思います。無論当時の5万円と今の5万円じゃ価値が違うという話があるのですが、そういう話はまた置いといて、事務所側の主張に賛同する彼らテレビコメンテーターの姿勢には疑問を覚えます。

 この件について伊集院光氏が「こういうことが起こった時、コメントを出せる立場にある人というのは競争に勝ってきた人達。競争に勝ってきた人達がそういう発言をすることには違和感がある」という発言をしていましたが、まさにそのとおりでしょうね。超弱肉強食の世界で、1%下手したら0.01%くらいの人達がそういうことを言っても説得力の欠片もないと思います。もちろんハイリスクハイリターンの危険な世界、そういう世界に飛び込んできた時点でそうなるに決まっている。そんなこともわからずにこの世界に入ってきたのか?という主張もあるのでしょうけどね。その論理とは別に今の不当な待遇・劣悪な待遇問題があるわけで。

 また、松本人志氏は「なんで労働組合を作らないの?僕達は常に吉本に待遇がおかしいと言ってきた。常に喧嘩してきた。若手にそういう相談をよくされるけど、なんで会社に言わないの?労働組合作って交渉するべきだ」という話をしていました。正常な労働環境・業界づくりのための努力をすべきという視点は一定の理があると思います。

■駆け出しの若手に労組を作る暇があるのか?中立的な第三者機関、監督・審査機関が必要なのでは?
 若手特に実力がない、よほど自分たちの実力に自信があるものでもなければ、労組を作って会社の人間に嫌われないまでも、嫌な印象をあたえることはしづらいでしょうね。俳優でもダンスでもミュージシャンでもなんでも良いですけど、そういう人達が労組を作って事務所と交渉をするということがそもそも本当に出来るのか?という気もします。業界の人に聞いてみたいところですね。出来ても芸事のレッスンに、給料がない現状ではバイトで食付がないといけない。とすると遊ぶ暇すら殆ど無い上に、その中で労組作って交渉をしないといけなくなるわけですからねぇ。

 で、そもそもなんですけど、そういう芸能関係の人が本業の仕事以外に労組で会社と交渉をするというのが有意義なのかという疑問もあるわけです。1%しか生き残れない競争社会において、殆どの人間は途中でドロップ・アウトする。そういう人達が労組作ってる場合なのか?労組で安定した環境ができたら、芸事やってる場合じゃなくなったなんてことになりそうですしね。

 こういう労働問題には弁護士が間に入って、その問題を引き受ける。第三者の機関が、オタクの事務所は違反しているとか、是正しなさいと言えるような法律を作ったほうが良い気がします。まあ、そもそも事務所を通さずに弁護士と直接契約して、弁護士が代理人となってテレビやら営業の手配をするだけで十分。事務所というシステム・中間に強い立場の会社が存在する必然性はないように思えます。

■芸能事務所はタレントの育成にかかる費用を公開して、事務所制度の正当性を示せ
 その事務所が、育てるまでにいっぱい費用がかかっている。レッスン代だとか車代だとか色々な出費があるのだと主張していました。子供に大金を渡すのはいかがなものかみたいな頓珍漢な主張をしているところを見ると、かなり怪しい会社のような気がしました。本人がどういうことを思っているのか、そんな雑費よりも他のことにお金を使いたい。レッスンよりもお金と時間が欲しいという当たり前の人間の意志を無視して話を一方的に勧めている印象ですね。

 「大金をかけて育てたタレントが、これから投資を回収しようという段階で独立という話になれば、採算が取れない。だからそういうタレントは干す」―という論理をよく聞くわけですが、そもそも本当にそんな大金を投資しているのか?総額いくら投資して、他に芽の出なかった有望タレント候補にかかった費用はいくらなのか?そして、その初期投資に見合った金額は大体どのくらいの額で、いくら払えば独立したいというタレントを独立させるべきなのか?

 そういう具体的な事例をきっちり数字で見てみたいですよね。どこかの事務所が実際に有望なAという歌手を輩出して、それにかかった金額など具体的な事例を出してもらわないと事務所が正しいのか、タレントがわがままを言っているのかどちらが正しいのかジャッジが出来ない。

 個人的には事務所制度というものは不要であり、どうもおかしなことをやっているという気がするので、こう思うのですが、育てたタレントが独立されたらやっていけないなんていう構造の芸能界において、そもそも事務所というビジネスモデルは成立しないはずなんです。たくさんタレントを送り出して、その中の一人でも大当たりすれば、その一人だけで十分やっていける。スターを育ててその上がりを食うなんていうビジネスモデルは本来歪で成立し得ないはずです(もちろん現在大物一人が脚光を浴びて、時代を牽引するなんていう構造に見えないので、一人の大当たりで事務所が食っていけるというのはものの例えに過ぎませんが)。

 独立されたらやっていけないから独立を許さずに縛り続ける。鵜飼の鵜のように使われ続けるというのは、どう考えてもおかしなものに映る。それこそジャニーズ事務所SMAPが独立できずに結局解散に追い込まれたというのは誰もが違和感を覚える話でしょう。売れて5年・10年程度ならばともかく、20年近く経ってそれでも独立が許されないというのは法的にも問題があるのではないか?と思えるのですが…。

 それこそ、事務所が自分たちが一度でも手掛けたタレントの卵たちを一生面倒見ている。その上がりを配分して業界で生き残れなかった敗者・弱者を助けているという救済システムとして機能しているのならば話は別ですけどね。どうも自分たち会社が美味しい思いをするためだけに旧態依然の安月給・低賃金長時間労働を平気で強いているだけのように思えます。清水に対する話の中で、どうもなだめすかして自分たちの都合のいいように都合のいいように丸め込んでいるという印象がありましたしね。世の中にはそういう自分の都合だけ考えて、なんとか相手に言うことを聞かせようとゴリ押しする人がいますからね。まあ初めから己の見方に先入観がある、バイアスがかかっているからそういう風に思えるのだと言われればそれまでなのですが。

■自分たちは好き勝手に他者を叩くのに、自分たちの不祥事には黙り込む日本の報道界
 テレビでコメンテーターが事務所の肩を持つ発言を繰り返していたという話を聞いて思いましたが、テレビが報道で不祥事が起きた時叩く決まりきったフレーズとして、相撲なんかがそうだったと思いますが、「世間一般とはかけ離れた価値観」「今の世の中とは合わなくなっている」「狭い世界の中で完結しているからおかしいということに気づかない」などと徒弟制度の歪んだところを指摘することがあります。

 しかし芸能界の今回の事件というのはまさに今までテレビが叩いてきた不祥事の構造とまんま同じ。この事態で事務所・芸能界の歪んだ構造を指摘しないということはありえない。せめてどちらの言い分も聞く、お互いの妥協点を探す立場を取るべきなのに、事務所におかしなところがなかったのか探らないというのは異常にしか思えない。

 芸能界という業界は、芸事・徒弟制の世界で地方の営業などの関係もあってヤクザと関係が深かった。それが時代がたつにつれて、暴力団という犯罪に関わる組織の排除が行われていったというのは至極当然の話ですね。しかし、業界の端緒において暴力団と関係が深かったというのが、構造的な問題をもたらしているのではないか?という気がします。暴力団ならば、組織の一形態の傘下としてまだ面倒を見たんでしょうけどね。徒弟制の徒弟として悪い待遇でも排除はしなかったのではないでしょうか?まあ時代の流れでどうなるかわかりようがありませんが(そういえばヤクザの世界でもシノギがきつくなってリストラ云々言われていましたっけ。そうすると彼らも下の者を守りきれるとみなすべきではないですかね)。

■芸能界の承認欲求につけこんだ「やりがい詐欺」を許すな
 いずれにせよ今の世の中の流れとは隔絶されている。芸能界で働く人間の待遇が改善されていない点では変わらないのでしょうけどね。ブラック企業云々の問題を見ると、むしろ現代的といえるかもしれませんが。「タレントになれれば、承認欲求が満たされる。だから一度でも活躍できて日の目を見れれば、きらめいたステージでスポットライトを浴びれれば満足だろう」という事務所側・芸能界の仕事を差配する側に歪んだ特権意識がある。そういうおかしな空気が全体に蔓延しているというのは間違いないところでしょう。

 一言で要約すればこれは単なる「やりがい詐欺」にすぎませんからね。ちょっとでもほっとくと、正当な報酬・対価をタレントに支払わずに自分の懐にしまい込もうというメンタリティがあるように思えます。彼らにはよりよい業界・空気を作っていくという意識が欠けているように思えますね。まあどこの業界でもそうと言われればそうかもしれませんが。

■日本の報道は空爆、それに抵抗するネットテロリズム
 報道の問題として、彼らは何時でも好きな時に問題・不祥事について審判として裁くことをしていたわけですよね。ところが今回のような芸能問題では、身内のテレビ局の問題としても追求しなくてはならない。痛い腹を探られるような事態になるととたんに無口になる。そういう姿勢が卑怯だとネットで叩かれる。「マスゴミ」だとか果てには「反日メディア」何ていう言葉で罵倒されるわけですね。

 こういう図式を見ると報道は好き勝手に空爆をするアメリカに映りますね。自分たちが傷つかない所から何時でも好きな時に空爆をして相手を一方的に叩く。しかしこういう大義なき、理なき空爆は反発を生む・反米感情を育てる。そして適切な反米感情の発露ではなく、主にテロリズムとして対抗が行われ、イスラム過激派のテロが行われる。

 米の空爆=日本の報道、イスラム過激派のテロ=ネットでの過激な報道叩きというか罵倒(ヤフコメなんかそういうとりあえず報道機関を罵倒する人達がいますね)―そういう図式が成立するのではないかとふと気づきました。

■芸能界進出は幸福の科学の戦略か?
 報道=空爆&対抗としてのネットテロリズムという話はともかく、そこまで大した主張をしたわけではないので、こっから書きたかった本題。いつものように本題に入るまで無駄に話が長過ぎますが(´-ω-`)。


 長井秀和が「創価学会に入ったらいかが?まあ池田大作先生も生きてるんだが死んでるんだか分かりませんが」的な事を言っていて、非常に面白いなと感心しました。変に宗教関係がタブー化されてオープンに語られない現代では注目すべき発言ですね。信者からそういうことがおおっぴらに語られることが、いい傾向のように思えます。

 創価創価大学のような組織化・多元化に成功しているわけですが、幸福の科学の方は大学を作ろうとして失敗して認可が降りませんでした。そして今は芸能関係、独自で映画やら何やら造ることに力を入れていると言われています。そういう流れの中で幸福の科学も今後芸能問題に目をつけて、苦しんでいる俳優などの相談に乗りながら勧誘していく。芸能関係に食い込んでいく戦略があるのではないか?信者に出来ればベストだが、出来なくともオリジナル作品に出演してもらえば言い訳で、労働問題をきっかけに芸能関係に食い込んでいくのでは?そういう戦略があるのだとしたら面白いと思いました。

■芸能問題は弁護士が多い民進党大阪維新にとっても党勢挽回のチャンス
 また既に書きましたけど、弁護士が代理人になるだけで、契約を事前にきっちり詰めておくだけで本来十分な話なわけですね。弁護士といえば民進党やおおさか維新の党に弁護士がいるわけです。まあ自民にもいるんでしょうけど。そういう弁護士をテコに芸能人の労働問題の相談に乗って、かかりつけの弁護士になる。そのコネ・ルートから芸能人を取り込む。北村弁護士なんかボクサー亀田の弁護士をやっていましたが、あんな感じですね。ああいう感じでコネを作って顔を聞くようにしていくことはメリットが大きい。

 また、言うまでもなくタレントには政治家転身でわかりやすい集票能力がある。一定の需要がありますからね。党勢を考えても、民進党やおおさか維新の党がそういう行動に出てもおかしくないなと思いました。というか戦略として絶対にやらないと駄目でしょうね。

幸福の科学の右派取り込み戦略
 幸福の科学は政党化・政界進出を目指しましたが、一向に軌道に乗らない。創価ほど信者=票数があるわけでもないので当然ですが、彼らの主義主張は自民党と相性がいい。「親米右派」なのか「反米右派」なのかよく分かりませんが、安保などに強い関心を持っているのは事実。

 昔、ネトウヨ的な勢力を取り込むのは自爆行為だと思っていたが、無党派が眠る傾向にある日本においては、彼らを取り込んでもマイナスにならない。ネトウヨ的な思想・過激な排外主義的な勢力を味方につけるのは自民・安倍政権にとって正解だった―という話をしたことがありました。

 少子化の流れもあり、幸福の科学が今後爆発的に信者を獲得できるとは考えにくい。そのために少しでも組織を強くするため、生き残りのためにどんな勢力でも取り込む必要がある。ネトウヨ的(と言って良いのかどうかいまいちですが、伝わりやすいのでこうしておきます)な主義主張を唱えることで、そういう人達に興味を持ってもらう・取り込む。そういう戦略がかなり前からあったのでしょうね。陰謀論みたいなおかしな発想・思想をする人とネトウヨ的な思想は論理の一貫性のなさ、リテラシーの欠如という点では似ている。そういう人達は「隠された真実!」みたいなものにホイホイ食いつくので、幸福の科学としては良いターゲットになったのではないでしょうか?国防・安保に熱心に関心を持つ人と宗教は世界大戦前に法華経が力を持ったように結びつきやすいでしょうからね。

 大川隆法に宗教家としての実力がある―かどうかは知りえませんが、実はそういう政治的な計算・信徒開拓戦略に長けているのではないか?ということが気になったので書いておきました。ただそういう過激な思想をする層を取り込むということはリスクが大きいですよね。下手したら「幸福の科学の過激派がテロ!」なんてこともありえるのですからね。そういうリスクはどれくらい計算しているのでしょうか?

■右派を取り込むより、労働者を取り込むほうが理にかなっている
 ナチスは外国への怒りを糧に国民の排外主義の受け皿となりました。そしてもう一本の柱として労働問題があったわけです。国家社会主義ドイツ労働者党と言うくらいなので言わずもがなですね。まさか社会主義を唱えはしないでしょうが、労働(者)党の顔を幸福の科学が持つだけで話が変わってくるわけですね。

 幸福の科学が労働問題に力を入れた場合、頼りになるのは民進党でも共産党でもない、幸福の科学に話を持っていけば職場の問題を解決してくれる。労働環境が改善される=暮らしが楽になるとなれば勢力は大きく伸びると思います。幸福の科学に話を持っていけば、職場のブラックな問題にメスが入ったなんてことになれば、己だったら信者にはならずとも、しばらくはずっと幸福の科学の政治家にお礼の意味で票を入れると思います。ちょうど、公明党でそんな話を聞いたことがありますからね。公明党に陳情に行ったらすごく丁寧に熱心に話を聞いてくれた。だから公明党に票を入れたことがあるという話を聞いたことがあります。政党として成功をするにはそういう公明党の戦略を丸パクリすべきでしょうね。もうやっているかもしれませんが。

幸福の科学の生き残り戦略としての政治進出・政党化
 まあ、要するに生き残りのためには信者を増やすか、信者以外の支持者を増やすしかないわけで、政党化・政治への進出がわかりやすい生き残り戦略・戦術なわけですよね。こういう話をしたのも、池田大作氏が年齢からいってもそろそろ死ぬんじゃないかという話があって、そんな年齢ではなくとも幸福の科学対岸の火事ではないわけですね。いずれカリスマ大川隆法氏が死ねば組織としての転換点が来るので、そのときに備えておかないといけない。特に幸福の科学は「霊言」という教祖のオリジナルの能力に依存している性質が強いですからね。教祖死後に今から備えておかないといけない。

 同心円状の構造だとしたら教祖(及び家族?)中心に信者たちの小さなサークルがあって、それを覆う中間のサークルが非信者の政党・政治としての幸福の科学の応援者としての党員がいる。3つ目のサークルは良い例えが思いつきませんが(^ ^;)。国民に愛されるということで国民とかにしておきましょうか(適当)。まあそういうふうに非信者を含めた勢力で生き残りを図るしかないわけですね。信者と凖信者、出家と在家の関係みたいなもんですね。そういえば前回神道が全国的にネットワークがあるという話をしましたけど、神道的な教義に擦り寄って、神道ネットワークに組み込まれるという変化も考えられますね。神道系の宗教組織に転換して生き残りを図ると面白い。まあ実際の教義内容を知らないので教義的にNGだったらどうしようもありませんが。いずれにしても何らかの策を取らない限り組織としての幸福の科学の生き残りはありえないので、何らかの戦略は取るのでしょうけどね。

 愛国保守的な主張をして、ネトウヨ的な人の受け皿になりうるのか?自民・維新または地方政党などよりも幸福の科学の主張の方が好きだから幸福の科学に一票入れようとなるか?それは少し考えにくい。いるとしてもかなり少数でしょう。

 それよりも労働問題に力を入れる方がいい。どちらが日本国内で需要があるか、階層として層が厚いか言うまでもないですからね。そういうことに乗り出すと、幸福の科学は面白いことになるのでしょうが、かの政党内部でそういう声が上がっているのかどうか?知る由もないですが、そういう戦略に切り替えるとしたら面白いですね。まああるとしても、そういう国防重視的な姿勢を捨てずにそのまま併存されるのでしょうけどね。そんな幸福の科学の今後につながってくるので、単なる芸能人の引退にとどまらない可能性があるよという話でした。
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日本政治の「親米・反共右派」VS「親共左派」という歪な構造、なぜ「反米右派」が台頭しないのか?

 需要があるのか?と言われそうな去年のCS・プロ野球の話を無駄に時間かけて延々書いてようやく終わりましたので、本家のブログを再開したいと思います。書くネタは一応いくらかあってたまっているので連投したいと思います。まず一番短そうで、簡単に書けるものから。「親米右派」≒「反共右派」。「反米右派」や「親共左派」≠「反米左派」という話です。

 たまたま昔の雑誌、SAPIOを目にする機会がありまして、チラ見していて面白い記事があって、そこからインスパイアされるものがあったので、書きたいと思いました。この号ですね。↓

SAPIO(サピオ) 2016年 11 月号 [雑誌]/小学館

楽天リンク

 元ネタは小川寛大氏の『徹底比較 GHQに叩き潰されたトラウマが神社本庁の「反米右派」思想を生んだ』です。

 神道政治連盟については、公明党以外の全大臣一九人が参加している。遺族会が衰退し、神道政治連盟の方が今は影響力が大きい。山谷えり子氏は参院選の比例で一九人中七位で当選し、医師連盟・農政連の推薦候補を上回った。その集票能力を見せつけた。今自民党内では「昔遺族会、今新政連』という声があるほど。TPP五品目を守るとか、診療報酬引き下げ反対と言った政策協定・対価を払う必要もなく、非常に頼りになる存在になっている。

 ―という、なかなか面白そうな話が武冨薫氏の『恐るべき政治力 「神道政治連盟」にあらずんば大臣にあらずの時代』で書かれています。また『組織とカネ 全国7万9000の神社から10億円の収入 神社本庁「組織と集金システム」の秘密』なんていう記事があって、神社組織のポテンシャルを考えると、色々面白そうな展開を見せることも可能で興味深い所。まあ、深く掘り下げてみない限りなんとも言えないことですが。

 で、本題の小川氏による神道政治連盟の話に入ります。右派・保守という面で、日本会議と性格が似ている。しかし、神社本庁GHQに戦後徹底的に潰された過去があり、共産主義の脅威からお目こぼしを受けた他の財閥・政官・軍隊組織とは異なる。故に彼らは「反米右派」という性格を持ち、「時代に即した憲法改正を進める」というスローガンの自民党とは違い。大日本帝国憲法という理想に帰るという立場を取っている。

 自民党や読売などの戦後保守は基本的に「親米右派」。日本会議の前進の一つである「日本を守る会」も共産主義による信教の自由の侵害の危機感から生まれたもので反共的意味合いのある団体である。

 つまり戦後右派、保守本流というのは本質的に「反共・親米右派」といえるわけですね。昨今、保守勢力の中でも反米を唱える「反米右派」も出てきた。そういう中で、戦後七〇年一貫して反米だった神社界はどういう影響力を持っていくのかと、小川氏は問いかけて文を終えています。

 小川氏の主張に違和感はなく、まあそのとおりでしょうと思うくらいで付け加えることはないのですが、今回指摘しておきたいのは日本の政治界の・政治思想界の歪な構造についてです。

 今の自民党というのは清和会の流れにある、親米勢力。日本が「属国」であることに違和感を持たない。属国体制・構造を維持することによって、恩恵を受ける既得権益保持者達が中心となっている政党です。

 その国の体制がきちんとしたものか、民意の支持を受けているのか、フェアなものなのかということを問わない。民主主義であるかどうか知ったこっちゃない。米の世界戦略を支えてくれる体制なら、米にとって都合のいい環境を維持できるなら、独裁政権だろうが腐敗政権だろうが構わない。中東や中南米の米同盟圏にある国家の典型的な構造を取っていますね。ある意味米の傀儡政権とみなされてもやむを得ないところがあるでしょう。

 占領期から「独立」した戦後保守というのは、「反共」を旗印に、親米路線を進んでいくわけで、これには功罪あれど、基本的には正しかった。共産主義の脅威の前に他に選択できる道はなかったといえるでしょうから。と言うかそもそも選択の余地自体なかったと言うべきか。

 戦後直後はともかく、冷戦後にはその「反共」という大義名分がなくなっている。「反共」故の「親米」という大義名分が消失して、「反米」の声が大きくなるのは至極当然なわけですね。日米戦争・戦争後の歪な構造などの歴史を見ても戦後体制批判、「反米」の声が起こるのは避けられないでしょう。

 しかし、こういう流れの中にありながら現実的に「反米」「反米保守」が大きな力を握っているか?と言われると政治思想ではともかく、政治界ではピンとこないというのが現状でしょう。民進党の有力議員、自民党の有力派閥などが「反米」を声高に主張しているかと言われると、ピンと来ない。

 「反米右派」勢力が伸びてこずに、未だに安倍晋三の主張を見れば言うまでもなく「親米右派」が政治の中心であり続けている。そしてその安倍晋三の主張というのは以前書いたように、「反共右派」なわけですな。

 「アンチリベラルサヨク*1という話を以前したわけですけど、自分たちの思想を論理的に構成して、そのスタンスの違いから相手の非合理性を説く。自派の論理のほうがより妥当であることを主張するわけでなく、相手の思想のおかしいところだけを指摘し、揶揄・攻撃する傾向が昨今見られるわけです。穏健な単なるツッコミレベルから、過激な過剰反応まで幅広いので、そういう指摘をする人をちょっとおかしいのではないか?いかがなものかと一概にまとめて釘を刺すわけにはいかない難しい所があるのですが。そういう人達が勢力を持っているのは「親共勢力」が過去に歪な思想・主張を繰り返してきたからであるという話も以前したと思います。

 親共勢力また彼らの共産主義思想・政治・外交論などなどが間違っていたわけで、それを否定するのはかまわないと思います。しかしいつまでそれをやっているのか?彼らが間違っていたことなんかもうわかりきっていることだし、そういう勢力・思想を未だに支持する人なんて殆どいない。そんなものを相手にする力・時間があるのか?何故そんな無駄なことにエネルギーを割くのかまるで理解できない。

 その「アンチリベラルサヨク」=「アリサヨ」の話は一旦置いといて、「親米右派」のロジックのおかしさについて触れたいと思います。

 現今の国際関係から考えると、日本は「反米」という基本・論理を無視できない。中国や北朝鮮という眼前の脅威を無視できないから「反米」を引っ込めざるを得ないと考える人もいるでしょうが、それは正しくない。日米同盟を最重視・堅持しながらも、「反米」を主張して、米に強い態度で挑む・反省を求める姿勢を取ることは十分可能である。米の言いなりになって、米の世界戦略を忠実に行使しなければ、日本の安全保障は全うされないわけではない。日本なくして米の世界戦略は成り立たないのだから、もっと対等の関係を要求することは十分可能である。

 「親米右派」は米に対して対等な要求をしない、現今の体制、「属国」であることを良しとする。米との外交交渉での衝突を根本的に避けている。こういう姿勢・政治勢力は個人的に大嫌いなので、彼らを支持することはありませんし、何度も否定的に言及してきました。

 そして今回言及したいのは、彼らは「アリサヨ」、左派・「親共左派」の否定(時に罵倒)を軸として、仮想敵を叩くことで自己の「親米右派」という勢力の伸張にしているという図式があること。本当の批判、正確な現状認識に対して論戦をして、より良い結論を導き出していくのではなく、そういう「愚かな敵」もっと言うと「悪」を創り出して、「悪」を叩くことで自分たちを「正義」として演出するという論理があるようにおもわれます。

 日本会議云々が一時期話題になりましたが、個人的に全く興味がありませんでした。そんな勢力に政治を変える・動かす力があるはずがないですしね。件の森友学園のように、歪んだ思想を歪な形で発露させて壮大な自爆をするのがオチでしょう。

 で、その日本会議が反共思想の流れをくむことから、その日本会議を警戒するのは誰かと言われれば、当然旧「親共左派」の人々であるとみなすのが自然でしょう。

 要するに日本会議がどうしたこうしたという一連の政治思想の話は、「反共右派」と「親共左派」という時代錯誤の冷戦時代の異物の発想を引きずったものたちの対決であるといえます。一体何時の時代に生きているのだと突っ込まざるをえない、驚き呆れる話です。

 現今政治情勢・国際秩序などを考えると、「反米右派」や「反米左派」という思想が軸にならなければいけない。その彼らの登場によって、カウンターパートの新「親米右派」だったり「親米左派」*2が生まれて、より政治勢力が切磋琢磨して、民主主義・議会政治を発展させていくべき。

 ―であるべきなのにも関わらず、冷戦が終わって日米対立の時代があって、米一極構造の時代があり、その時代にも変化が見えつつある時代の流れにおいても、未だに冷戦時代の「親共」「反共」という古臭い構造を引きずった思想を持つ人間が政治の中枢を占めている。90年代で冷戦直後ならともかく、もう10年代も後半に差し掛かって20年代に突入しようかという時代にこの有様。いかに政界に人材がいないか、優秀な若手が参入していないかを象徴する出来事でしょうね。

 「いや自民党には優秀な中堅・若手が綺羅星の如く控えている。「反共右派」・「親米右派」という清和会系統の太子党らがのさばっているだけで、彼らが失脚すれば自民党はきちんと生まれ変わるのだ!黙って見てろこのこわっぱが!」

 ―と自民党の反主流派のお偉いさんにでも説教されるような状況にあるのならば、良いのですけどね…。とりあえずは今の自民党政治が政党内の主流派交代で事実上の政権交代が起こるのを願うばかりですね…。

 ※追記、忘れていましたが、現在の「反共親米右派」が反共のロジックを捨てて一からあるべき保守政党・保守政治を目指さなければならないのと同時に、「親共左派」らもその姿勢を見直さなければならないわけですね。与党のまずい点を指摘するだけで、野党サイドのそれを指摘するのを失念していました。

 現在の野党、共産党を除いて、「親共」である政治勢力・政党は殆どないと言っていいでしょう。がしかし、旧社会党などその影響で、民主党・現民進党にそういう親共的な思想はある程度残存しているわけですね。以前、民主党労働党を目指せという話を書いて、旧社会党路線に先祖返りするのか、それとも労働党の方向へ進化するのか、そういう論理があるという話を何処かで書いた覚えがありますが、現在民進党は「民主党」から更に「進んだ」政党になっていないといけない。民主党の悪い性質、「親共」的なものと脱却・決別していないといけなわけですね。

 それは単純に共産主義を指すのではなく、戦後言論空間で非現実的な主張を繰り広げた空想的平和主義など非論理的・非現実的な思考形態を指します。そういうものからの脱却が果たして出来ているのか?

 個人的に鳩山由紀夫を評価していたわけですが、かれは頭が良くとも政治家としては無能だった。目指すべき方向性はあっていても、非現実的で、それを実現させる手段に欠けていた。理想を掲げる・ビジョンを描いたことは素晴らしいと思いますが、それを実現できないなら意味はない。かのような非現実的な思考をすること、正論・理想を説いてそれで改革に失敗して、支持者の失望を招くような事態を二度と招いてはいけない。政策・理念・理想の実現化には、かのような抽象的・空想的傾向から明確に決別する必要性がある。

 現在北朝鮮の脅威が叫ばれている中、殆どの国民は安全保障について危機感を覚えるわけですね。よくよく考えれば、現在の脅威の度合い・レベルはそれほど深刻なものであるとはいえない。しかしそんなこと殆どの人はわからない。大丈夫なのか?という恐怖をまず抱く。そういう時に民進党が政権を取ったら、安全保障で大丈夫なのか?民進党の新首相が国を守れるのかという不安がある人が一定数いる。そういう人々に果たして現在の反安倍攻勢で国会に向かう態度でいいのか?反安倍姿勢を崩すなというのではなく、安全保障について自民党の甘さを指摘し、民進党なら自民党のずさんな管理ではなく、もっとうまくコントロールできる。より安全に透明性を高めて国を守れるという点をアピールしないといけない。そういう中で安保通の長島が離党ということを見ると、一体何をやっているのかと思わざるをえないわけです。どうするんですかね、一体。長島さんが小池新党に参加して政界再編にでもつながればいいですが…うーん。

*1:沖縄の事件に見る「アンチリベラルサヨク」という思想

*2:親米左派と言わるとちょっとピンとこないのですが、政治勢力・思想上ぶつかりあった結果生まれ得ないわけでもないので一応書いておきました

小室直樹・山本七平共著 『日本教の社会学』の推薦文

 前回*1でようやくTポイントの話をし終えました。ああ、そうか更新しても最新日時で公開していないのから、読者の人でも知られていない可能性があるのか。穴埋めで書いてたし、内容もまあそんな大したことではないので、まあいいか。個人的に気になってしまってTポイントを入り口にして思いついたくだらないことを延々書いただけですし。追記しまくったので、もはや最初に書いたオリジナルの原型をとどめていないかもしれません。あの話がなかなか面白いなと思っていただいた方はもう一度読んでいただけると幸いです。そんな奇特な人いるのかな?(^ ^;)

 で、この前書きたいなと言っていた話を書こうと思っていましたが、先にこんな話を消化したいと思います。レビューを書いたらTポイントが50ポイントもらえるというキャンペーンやっていたので、復刊ドットコムでレビューを書いたんですね。そしたら字数制限があって物凄い中途半端・消化不良なレビューになってしまったので、せっかくなので書いたものをこちらに載っけたいなと思いました。あとメモ帳に保存してあるのが邪魔なのでさっさと消したいのでこちらから先に手を付けたいとおもいます。

 小室直樹山本七平共著の『日本教社会学』です。

日本教の社会学/ビジネス社

楽天リンク

 再販されたことで気になっていたことと、この本を復刊ドットコムで自分でリクエストしたので、まあ読んどいてオススメですよ!とPRしないとせっかく再販なされたビジネス社さんに悪いかなと思ったので。復刊してほしい!とリクエストしたわけですから、ちょっとでもPRに協力したいなと思いましたので駄文を書いておきます。


 今から30年以上も前(1981年)に出版された本でありながら、その内容は未だに古びて廃れてしまうことがない。それは両著者の優れた視点・指摘もさることながら、日本の抱えた問題が30年以上も未解決のままであるということである。巷間では「失われた10年・20年」という用語が広まっている。この「失われた~年」というのは本質的には変化をすることができなかった「変われなかった~年」と言える。

 バブル期の日本において、既にこの「変われなかった」という性質は存在していた。バブル崩壊後に「失われた」のではなく、日本社会と言うのは元々近代社会・民主主義社会において重要な「変革」という因子が存在しなかったのである。失われたのではなく、元から病理や危機を日本社会は孕んでいた。ただ単純に未曾有の好景気・経済成長が存在していたために、内在的なリスクが発露しなかっただけなのである。

 この日本が抱える潜在的な危機がいつか爆発するということを見抜いていた小室は、日本社会の預言者として、警鐘を鳴らし続けてきた。その姿勢は一貫して変わらず、単著を初めて出したときからその主張を唱えていた。日本社会はこのままでは深刻な事態に陥る。内在的な危機が発露して大変なことになるということを小室は『危機の構造』(1976)で既に指摘していた。小室を一躍有名にしたのは『ソビエト帝国の崩壊』(1980)であり、ソ連の崩壊を経済体制・共産主義思想・アノミー・技術力・組織の機能不全性など様々な要因から論じ、それが現実化したことで小室直樹の学問・論理は文壇の注目をあつめることになった。

 前述通り小室は既に日本の危機を指摘していたわけだが、当時の時代の空気ではまだまだ十分には浸透していなかった。故に日本の国家や社会に警鐘を鳴らすために、民主主義国家として近代国家としてあるべきはずの常識がない日本社会の異質性・特異性、つまり前近代性を改めて論じることになる。そのパートナーとして「日本教」や「空気」で有名な山本七平氏が選ばれ、共著を出すことになった。

 小室は山本七平を、丸山真男同じく「浅学非才」(もちろん否定的なニュアンスで使われたものではない)でありながら、正当な学問を修めたわけでもないのにあれ程の発見・業績を残すことが出来た点を高く評価している。が、しかし個人的には山本七平には学術的な「方法論」が存在していないと思われる。小室は社会学的な構造機能分析を山本が行っているというが、山本には学問を行う上での方法論が欠けているゆえに、それぞれ論じる内容に一貫したロジックが見えにくいのである。

  「空気」の研究や、本人の体験に基づいた上での日本軍に関する分析、ユダヤ教と日本社会・「日本教」を比較分析したものなど、それぞれ素晴らしいものではある。しかし、では、それらの発見・結果を総合的に、体系的に学術の形としてまとめ上げることが出来たかと言われればかなり疑問が残る。

 学術的なアプローチ、いかなる手段・方法を持ってして問題を論ずるか、対象領域を研究し、重要な法則を発見するかという「方法論」が確立されていないがゆえに起こるものといえるだろう。故に山本の指摘、分析は断片的であり、優れたものとそうでないものの差が激しいと個人的には思う。

 ―と、以上のような山本批判をしながらも、それでもやはり山本の指摘には優れたものも数多くあるのは事実である。それをもって山本の主張に触れずに捨て去ってしまうのは惜しい。当時の時代を知る上で参考されるべきものであることに異論はない。


 出版以前の状況や個人的な山本への評価はさておいて、本題に戻って、日本社会はなぜ変わることが出来ないのか?それは民主主義社会ではないからである。日本人は民主主義というものをまるで理解していないと言っても過言ではない。民主主義とは何かと言われれば、皆決まって戦争や専制主義の真逆の概念である。自由と豊かさと平和がセットになった、なんとなくいいものが民主主義であるという浅薄な思想が本書で記されている。もちろん民主主義とはそんなものではない。現代でもこのような浅薄な理解で民主主義を捉えている人は珍しくはないだろう。それこそ日本社会の危機の源泉、社会の病理なのである。

 小室の学問とは、多岐に及ぶが一つだけエッセンスをあげよと言われれば、それは資本主義や民主主義とは何なのか?ということである。民主主義や資本主義が素晴らしい、素晴らしいからそれを守りましょうなどという事を言いたいわけではなく。そもそも現代のシステム・社会の基礎となっている民主主義や資本主義というものの論理を知らなければ、それを使いこなすことが出来ない。

 民主主義や資本主義というものに批判は昔からある。共産主義というものが力を持って世界に広まったのも、その批判が人々の心を捉えたからこそである。資本主義・民主主義に欠陥があるがゆえの現象であった。が、しかしその失敗を見てわかるように、現状の制度をより良いものに改革をするには、その民主主義や資本主義というシステムの本質を正確に抑えておかなければならないのである。今の制度の本質がどんなものなのか理解をしていなければ、制度を改革するのも、全く新しいシステムを創り出して行くことも出来ないのである。

 まず現代の社会の基本的なロジックを正確に抑えなくては、社会を変えることも良くすることも何も出来ないわけである。社会を政治を経済を良くしていこうと思うものはこの基本を何よりしっかりと抑えておかなくてはならないのである。

 小室の学問の真髄は問題発見能力もさることながら、優れた現状認識・現状分析にある。であるが故にその価値は未だに廃れてしまうことがない。継承するにせよ、批判するにせよ、その論理はどこにでも応用が効くものである。是非一読されたし。 対談本という性質上読みにくさもある。小室直樹の本は多数あり、読みやすいものは多いので他に読みやすいものから読むことが良いかもしれない。読みにくければ無理せず読みやすいものから手を付けることをオススメする。


 当時の日本は軍国主義などではなかった。軍国主義であれば国家のありとあらゆるものを総動員して戦争相手を研究していた。そして勝てないとわかれば戦争をするはずがない。何故軍国主義がそんな戦争をするのか?軍国主義だったのならば、戦争は避けられた・戦争をするはずがなかった。多くの日本人はそんなことも理解できない。―とまあ、そんな肝心の中身には触れずにおしまい。いずれ内容読んで追記するかもしれませんけどね。

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