てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

日馬富士暴行事件の解説③ 白鵬憎し!白鵬が悪い!という異様な言説 <後編>

 

   というわけで続きの後編です。見直して気づきましたけど、やっぱ断片的に書いているからシリーズ全体としてのまとまりがいまいちですね。いつかまたまとめ直そうかな。横綱の品格で書いた文章とか他のパートで書いたものと被ってるんですよね。それでまとめ直したほうが文書のつながりや読みやすさの上でいいかな~と迷ってます。パート②とパート③の前編をあわせたほうが読みやすそうですし…。ぐぬぬ

 

要約・お品書き
本文は以下の三部構造になってます。①日馬富士の暴行は八百長・「注射」を拒否した故のモンゴル互助会の制裁ではない。そう考えられる4つの理由。②白鵬が黒幕である、白鵬を裁けという常軌を逸した愚論・珍論への警鐘③その他「横綱の品格」などを持ち出して白鵬を批判することへの妥当性について
(一部)
日馬富士貴ノ岩の暴行は感情の暴走。モンゴル互助会による星の回し合いを拒否したからではない。
○制裁は巧妙に行われるもの。まして日馬富士という横綱・高位の地位にある者が手を下すわけがない 
○制裁なら参加人数が少なすぎるし、他の先輩ガチンコ力士は何故制裁を受けていないのか?
○空気が読めない貴ノ岩
(二部)
白鵬が首謀した、白鵬が黒幕だという妄説・珍説。
○「共謀」という論理が大手を振ってまかり通る社会の劣化。教育の崩壊
(三部)
白鵬日馬富士を止めるのはリスクが有る 
横綱の品格を以って横綱を語るものはそもそもわかっていない。殴られない所から一方的に他者を殴るクズ
横綱審議委員会にそもそも品格・資格がない。
横綱の品格は永久に不変なものではない。角界の今と同じく現代にふさわしいヴィジョンをまず考えるべき
○優等生白鵬は何故素行が悪くなったか?どれだけ忠誠を尽くしても見返りがないから

本分、後編は三部の白鵬批判です。興味を持たれた方は前編をご覧になってください。
  
白鵬が暴れる日馬富士を止めるべきだった説は妥当ではない
 白鵬日馬富士を止めるべきだったという意見もありました。これは一概にそうとも言いきれない要素があます。もっと巧く止めるべきだったというのならそのとおりですが、白鵬がすぐに止めるべきだったとは言えない事態でした。*1
 前回書いたとおり、日馬富士貴ノ岩の無礼な態度にスイッチが入ってしまった、アドレナリンが大量分泌されて超興奮状態にある。のぼせ上がった状態。そんな状態の彼を止めようとしたら、「うるさい、バカ!邪魔するな!」と反撃される可能性がある。そうなったら、前代未聞の現役横綱同士の私闘ということになってしまう。そうなれば今回の事件の比でない一大スキャンダルになったでしょう。その最悪の可能性を考えれば、日馬富士の興奮が収まるまでしばらく発散させてピークが過ぎて、少し落ち着いた時に止めに入るというのが正解。白鵬が数発~十発叩いたあと、止めに入る。暫く様子見して息が切れたあと、一息ついたあと、彼を外に連れ出したというのなら、それはそれで正しい判断だったといえるでしょう。
 本当なら白鵬は「横綱が手を出してはダメだ」と止めるべきで、それを「うるさい!」とでも振り払って聞き入れなかったなら、貴ノ岩との間に入って手を出さずに攻撃を代わりに食らうべきでした。そして「貴ノ岩!いいから外せ、逃げろ!」とその場から退出させる。そうして場を収める。本来ならこれが取るべきベストな行動だったでしょう。
 しかし、可愛い後輩ならともかく、どうでもいい生意気なバカ野郎ですから、様子見をしてからという手段を取ったということでしょうね。単純にご飯食べたあとで、しかも酒が入っていて、そういうコンディションじゃなかっただけかもしれませんが。
 前回述べたように、格闘家である以上こういった酒席のトラブルはあり得る出来事ですから、もうちょっと上手い対処法を制度として考えておくべきでしょう。貴乃花親方が一般人を巻き込んでいたらどうしたんだと言ってましたが、まず謝るべきはその大暴れしたお店のオーナーに対してでしょう。ちゃんと謝りに行かないといけませんよね。迷惑をかけた第三者にきっちり詫びを入れに行くことのほうが重要だと思うのですけどね。そのような話は全く聞きませんね。

 白鵬憎しのあまり、おかしなことを言う輩があまりにも多いため、こんな当たり前のことをわざわざ解説しました。とにかくあらゆる責任を白鵬に取らせようという、無理矢理な論理が目につきます。横綱はなんでもこなせるスーパーマンだという前提であらゆることが出来るはずだというロジックがありますね、丸山真男だったか、山本七平だったか忘れましたか、「無限責任」をもった存在であるかのように扱いすぎだと思います。

横綱の品格を持ち出して白鵬を批判するおかしさ
 とにかくなんでもかんでも白鵬の言動について注文をつける物が多すぎます。ですので白鵬への非難についてコメントをします。千秋楽での万歳三唱について。この行動が横綱の品格上好ましくないという意見が見られました。
 茂木健一郎氏が、過去にこのような時に横綱の品格を持ち出す人間が私は苦手だとコメントしていましたが、そもそも「横綱の品格」とはなんなのでしょうか?横綱とは~というもので、だからこそ横綱は~という言動をとらなくてはならない。これが横綱の品格である―という納得できるロジック・主張を聞いたことがありません。

■万歳三唱は素晴らしいファンサービス
 伝統美だから勝ち負けで感情を表してはならないという意見がありました。勝ち負けについて感情を発露するのは礼節に欠ける行為であり、見苦しいことだから慎むべきだというのは良いでしょう。この点については同意見です。がしかし、優勝インタビューで、万歳をすることは勝ち誇ることであり、許されないということは違う。だったら優勝インタビューなどそもそもする必要がない。相撲には神事の側面・要素があると同時に、格闘技・興行という要素がある。優勝インタビューという場面では興行という要素を重視してファンサービスをすることはむしろ好ましいことです。
 マツコ・デラックス氏が、あの場面で、不祥事について何もコメントせずに済ますより、お客さんが喜んでくれるように万歳したのは良かったと思うとおっしゃってましたが、まさにそのとおりですね。万歳が正解か大正解か、他にもっとベスト手段があったのでは?という話はさておき、見に来てくれたお客さんに対するコメントとして、配慮・サービスとしてふさわしかった。何の問題もない、むしろきっちり横綱の務めを果たしたと言うべきでしょう。

 白鵬前人未到の40回優勝という偉業を成し遂げた。史上初の偉業にふさわしい晴れがましいことをするという論理。その場にいたお客さんも歴史的瞬間に立ち会えたということで喜んでいたはずですからね。そして、不祥事があって、双方とももう一度土俵に上がることを許してもらいたい。水に流して再出発させてあげて欲しいということをお願いした。不祥事で揺れるなか、お客さんたちに日馬富士貴ノ岩、そして他の力士や角界全体をこれまで通り変わらず支えて欲しいという要請・お願い。そのために万歳をお願いするという論理はおかしなことでも何でもない。この件で白鵬を叩く人というのは、因縁、難癖つけ以外の何物でもないでしょう。

横綱の品格を問える品格を持ったものだけが白鵬に石を投げよ
 誰が、何を発言したか―という文脈の問題という要素もあるかもしれませんが、白鵬があの場面で万歳三唱することくらいで品格云々論じるのは異常だといえるでしょう。そもそも横綱の品格を言う人間は、品格を持った立派な人物なのでしょうか?横綱審議委員会というものがありますが、横綱に品格を問えるほどの品格通or品格を持った人物達なのでしょうか?
 そしてそもそもなんですが、横綱審議委員会が無理やり横綱に選びだした稀勢の里は、今場所もまた休場しました。稀勢の里を基準をクリアしているか言えないかの微妙なラインで横綱に昇格させてしまえば、次の場所で無理をしてしまう可能性がある。現に怪我を押しての出場&優勝で横綱に選んでよかったと思ったその直後、連続休場。結局アヤがつく昇進をさせてしまったことでこのような事態を招いてしまった。こういうことを予想できなかった横綱審議委員会に品格があるといえるのでしょうか?品格はともかく横綱審議委員会としてのふさわしい見識=委員としての資格がある人物は一人もないといえるでしょうね。

■品格を持った横綱は過去の遺物、そもそも現代の価値観にそぐわない
 大横綱双葉山でさえ、璽光尊事件という新興宗教にハマって警官相手に大立ち回りをした過去を持つ。常陸山梅ヶ谷といった時代であれば、横綱の品格を持った立派な人物、品格を持った横綱がいたかもしれませんが、少なくとも現代では、横綱の品格を十全に兼ね備えた力士を見たことがある人間などいないでしょう*2

 品格をもった横綱などとうの昔にいなくなっている。というか前近代的な時代にモデルとされた横綱、及びその品格というのは、どう考えても現代的な価値観にそぐわない。そういう過去の理想像を現代に当てはめるのは無理がある。

横綱に品格を求めるくせに、自分の行いを改めない卑怯さ
 また、横綱の品格を持ち出す時、一番嫌悪感を抱くのは、横綱という角界の顔・力士のリーダーと呼べるものに対し、「組織の言いなりになれ」「おれの求める理想像を体現しろ」という傲慢な主張を平気ですることです。組織の不利益・都合の悪いことを全部一身に引き受けよ。ただし、おれは何もしない。横綱の品格を主張する輩というのはそういうことを主張しているという自覚があまりにもなさすぎる*3

 過去記事で言及したことがありましたが、かつて、武田鉄矢氏が大鵬の事例を持ち出して、行事が差し違えて大鵬の連勝記録をストップさせてしまった時、「そもそも横綱というのは互角の攻防などしてはいけない、ギリギリの勝利などあってはならないのだ」と大鵬が述べたという美談を持ち出して白鵬の態度を批判してことがありました。しかし、それは大鵬の偉大さに甘えることであって、大鵬の器量を褒めることはいいにせよ、我々がそれに甘えっぱなしではいけない。二度とそういうことを起こさないように我々は態度を改めなくてはいけない。
 横綱の品格という論理を持ち出す際、横綱の偉大な精神性を求めるのであれば、我々はそれに応じて偉大な横綱に対する同等の礼節を取らなくてはならない、行動をしなければならない。にもかかわらず、横綱にのみその度量の大きさや、過失の責任を押し付けて自分のことは知らんぷりするという卑怯な手合があまりにも多すぎる。
 であるからこそ、個人的に横綱の品格という論理を持ち出す人間は、卑怯な輩と認定して一顧だにせず無視します。現代の横綱白鵬が仮に品格のかけらもない卑怯で邪悪な横綱だとするのならば、それは横綱の品格を守るために、横綱を育ててこなかった現代人の精神性の低さの現れなのです。そういう論理を認識しないで横綱の品格を持ち出す輩こそ卑怯極まりない醜い存在だと個人的に考えます。

白鵬はなぜ好ましくない相撲を取るようになったのか?モンゴル国籍のまま一代年寄になれないから
 さて、こういうことを論じていると、これまでの論理もあって、白鵬支持であり、貴乃花否定派と捉える方も多いでしょう。まあその要素を否定はしないのですが、それだと片手落ちに思われるので、最近の白鵬の汚い相撲についてもコメントしたいと思います。

 最近*4白鵬の取り組み、変化・猫騙しに、挙句の果てにはエルボーと、横綱としての魅力のかけらもない醜さが目立っているといえるでしょう。今場所では立会不成立をPRするという有様ですからね*5
*6

 一体なぜこんなことになってしまったのか?それは白鵬一代年寄を協会サイドが認めないからですね。先代理事長の北の湖も、次期理事長候補の貴乃花白鵬日本国籍なき一代年寄を認めようとしなかった。故に白鵬は協会に従わなくなったのですね。これまで何度も語ってきましたが、白鵬朝青龍と違って、品行方正なタイプだった。郷に入りては郷に従えというか、元々出自・毛並みが良いので問題を起こすタイプではなかった、優等生タイプだったのでしょうね。だからこそ上の言うことにハイハイ従っていた。しかしどこまでもルールやマナーを守っていても、偉大な記録を打ち立てても、特例が認められないわけですね。他の外国人力士親方を見ていても、日本人力士と平等であるとは言い難い。日本人力士と外国人力士では見えない壁がある。じゃあ、もう自分の好きなことを好き放題やろうとなるのも当然でしょうね。白鵬にとって何のインセンティブもないわけですから、かくあるべきルール・マナーに従う必要性を感じないのも当然でしょう。マナーが悪ければ、白鵬の首に鈴をつけて飼いならす意味で懐柔策が取られる可能性が僅かでもあるのならば、尚更ですね。そもそも将来協会に残る可能性がない海外籍力士にとって、日本のルールを守ろうというインセンティブが働くはずがないんです。メリットや特典がないのに義務だけ課してもそれが守られないのはやむなきことでしょう。
 そもそも白鵬が礼節を守らなくなったというよりも、朝青龍のように横綱を品格という棍棒でとにかくぶん殴りたぐる傾向があった。妖怪品格ジジババ共が、モンゴル人を見下して品格棍棒を振り回す傾向があった。朝青龍という避雷針が消えた結果、今度は白鵬に対しても品格棍棒が振り下ろされることになっただけかもしれません。別枠で後述するように「物言う横綱白鵬にたいしては注目が集まりやすいものですが、精神性・根源に「たかが一力士が」「伝統という文明をわきまえない野蛮なモンゴル人」がというものがあるのもそうなのですけどね。

日本国籍よりも横綱にふさわしい資格を証明するテスト制度を採用せよ
 日本国籍というよりも、神事・伝統芸能としての横綱を求めるというのならば、それこそ宗教としての神道の理解度や行事の作法を完璧にこなせるかという点だったり、伝統の歴史などの知識をちゃんと知っているかどうか、そういう点こそテストされるべきだと思うのですけどね。横綱審議委員会についてもそう、親方・理事についてもそう。その資格があるかどうかテスト・免許制度を導入すればいい。そういう厳格な審査をパスしたものだけが白鵬横綱を批判すべきでしょう。まあ、そんな当たり前の話が通じる組織ではないので今更ですけどね。

 日本相撲協会(特に執行部)としては自分たちの方針に従わない貴乃花親方・理事、つまり貴乃花問題に引き続いて、横綱白鵬問題という二つの難問を抱えることになったといえるでしょうね。さあ、相撲協会は困った、大変だ。ということで次回に続きたいと思います。貴乃花改革はありえない、あったとしても必ず失敗するという話をしたかったのですが、白鵬の話で終わってしまいました…。あまりにも難癖をつける異様な意見が多すぎですね…。(ちょろっと先の話を書いておくと、相撲協会としては貴乃花白鵬、どちらを御しやすいかといわれるとまだ白鵬のほうが御しやすいわけですね。話・駆け引きが通じますから。しかし貴乃花親方はそうではない。こちらの常識が通じず・意思疎通が出来ない、会話が成立しない。そういう点では白鵬のほうが優位にあるかもしれません)

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*1:※追記、これについては協会への誓約書というものがあって、暴行死ない&暴行の場面にあった場合止める義務というものが各力士たちにあったようです。横綱に特別な責任があるという面があり、その点では白鵬鶴竜には暴行を止める義務が確かに存在していますね。それはそれとしてまた別の要素・一面があるということで以下の文章を読んでいただければ幸いです

*2:大鵬はそうだったかな?と気になって、あとで検索かけたら柏戸とともに拳銃を所有していたという事件もありましたね。品格なんてあやふやなもので、完全無欠な横綱なんてまずいないということです。そしてポイントなのはその拳銃所持くらいで特に世間は騒ぎ立てることもしなかったということ。何かあったらひたすら糾弾しようというのは自己批判の変種にしか見えません。ロシアや中国式自己批判文化がいつの間にか定着してしまったのでしょうか…

*3:これで連想するのはドラえもんですね。横綱をなんでも願いを叶えてくれるドラえもんか何かと勘違いしていると思います。ドラえもんの最終回とされた話で、未来に帰るドラえもんのために「僕が勝たなきゃ、ドラえもんが…ドラえもんが安心して帰れないんだ!」と身を挺して戦ったといういい話がありましたが、果たして品格を主張する輩にのび太のように行動した人が一人でもいるのでしょうか?

*4:とするとスパン的に不適切か?直近の相撲、全て横綱足り得ない取り組みになっているわけでもなく、かなり前の時期に相応しくない立ち会いもあったりするので

*5:まあそれはそれとして、依然として相撲の巧さ・強さは際立っているのですけどね。せっかくなので今場所の取り組みをチェックしてきましたが、張り差しなどどうかな?と思うものや、足をかけるなど、個人的に「?」と思うところはあれど、やはり他の力士と比較して飛び抜けた内容のある取り組みだったことは間違いないでしょう。唯一怪しかったのは、逸ノ城との取り組みくらいでしょうか。かちあげのような腕の遣い方をするということは、立ち会いの圧力などが弱まっているということなのかもしれませんね。

*6:張り差し・かちあげは美しくないだとか、横綱の品格に反するといった何か勘違いしたことを言っているお馬鹿さんがいたので追記しておきますが、そもそもなんですけど、なんで張り差し・かちあげが美しくないとされるかと言えば、奇策というか正攻法ではないんですよ、張り差しやかちあげという立ち合いは。
 若乃花が「張り差し・かちあげは脇が空くからそこをつけばいいから、却ってやりやすい」というコメントを出していたように、強い方がああいう手に出てくれるということはありがたいんですよ、実力のない下位の力士にとっては。むしろ勝率が上がるラッキーな話。そういう下手な立ち合いをやっている白鵬に勝てない今の力士の立ち合いの下手くそさを同時に指摘すべきでしょう。横綱相撲という言葉があるように、横綱・強い力士というのは立ち合いで相手を受けるんですね。圧倒的な実力差があるから、相手を見て立って受け止めるような形になっても不利にならない。それどころかそれが却って有利に作用するという技術を持っているわけですね。双葉山の「後の先」何かがまさにそれですね。
 まあ、じゃあなんで、白鵬も後の先やらないの?という話になるんですけど、「品格なんかクソくらえ!なんでお前らなんかの言うことなんか聞かなきゃならないんだ!」と敢えて反発している説と、後の先に必要な「柔綿体」が出来ていないこと。強い力士というのは体を布団のように柔らかく使える。ぶつかった瞬間、柔らかい布団に跳ね返されるような感覚になるんですね、大鵬関と立ち合いでぶつかった力士はそういうコメントを出していました。それが今の白鵬には出来なくなっている説。
 おそらく前者も多少はあるんでしょうけど、後者が理由でしょうね。立ち合いでぶつかることは体に物凄い負担がかかりますから、それを最小限に抑えたい故に=少しでも長く現役を続けるために、「美しくない相撲」に拘っているのでしょう。白鵬に美しくないから張り差し・かちあげやめろというのなら、「お前の体のことなんか知らない。どうでもいい。力士としていつ壊れてもいいから真正面からぶつかれ」と言っている畜生と同じだということを少しは自覚していただきたいですね。

日馬富士暴行事件の解説③ 白鵬憎し!白鵬が悪い!という異様な言説 <前編>

前回の日馬富士暴行事件の解説② 「暴力は良くない」ーで思考停止する愚かさ ーの続きになります。少し、いやかなりまとまりとして読みづらい・理解しづらいと感じたので、色々弄って再構成。大幅にまとめ直しました。例によって長くなったので分割しました。せっかく時系列を順番にするためにパート⑥を挙げ直したのに何の意味もなくなりましたね(^ ^;)

 

要約・お品書き
本文は以下の三部構造になってます。
 ①日馬富士の暴行は八百長・「注射」を拒否した故のモンゴル互助会の制裁ではない。そう考えられる4つの理由。
 ②白鵬が黒幕である、白鵬を裁けという常軌を逸した愚論・珍論への警鐘
 ③その他「横綱の品格」などを持ち出して白鵬を批判することへの妥当性について
(一部)
日馬富士貴ノ岩の暴行は感情の暴走。モンゴル互助会による星の回し合いを拒否したからではない。
○制裁は巧妙に行われるもの。まして日馬富士という横綱・高位の地位にある者が手を下すわけがない 
○制裁なら参加人数が少なすぎるし、他の先輩ガチンコ力士は何故制裁を受けていないのか?
○空気が読めない貴ノ岩
(二部)
白鵬が首謀した、白鵬が黒幕だという妄説・珍説。
○「共謀」という論理が大手を振ってまかり通る社会の劣化。教育の崩壊
(三部)
白鵬日馬富士を止めるのはリスクが有る 
横綱の品格を以って横綱を語るものはそもそもわかっていない。殴られない所から一方的に他者を殴るクズ
横綱審議委員会にそもそも品格・資格がない。
横綱の品格は永久に不変なものではない。角界の今と同じく現代にふさわしいヴィジョンをまず考えるべき
○優等生白鵬は何故素行が悪くなったか?どれだけ忠誠を尽くしても見返りがないから


 貴乃花改革はなぜ失敗するか?そんな話をしてみたいと思います。前回の拙分析は、そもそもモンゴル互助会による星の貸し借り、「注射」に踏み込んでいない。問題の背景にある、貴ノ岩白鵬日馬富士鶴竜らモンゴル力士の星の貸し借り・回しあいの誘いを無視したことを論じていない。故に片手落ちである―と感じた方も少なくはないでしょう。ではなぜ、そのロジックを入れなかったのか?八百長・「注射」は暴行の直接の動機ではないからですね。今回の事件に「星の貸し借り」云々はそもそもあまり関係がない。

■今回の日馬富士の暴行は「注射」は副次的な理由
 え?モンゴル互助会の誘いを断ったことが事件の引き金ではないの?と思った方も多いと思います。しかしそれは誤りです。今回の事件はその論理が背景にあったとしても、根本的には関係ありません。というのは、もしモンゴル互助会の誘いを断ったことが真因であるのならば、貴ノ岩潰しはもっと巧妙に行われるはずです。以下、日馬富士暴行事件が計画的なものではない理由を論じます。主な理由は4つあります。

■一、暴力を伴う制裁を人目のつく場所でやるはずがない。
 説明するのも馬鹿臭くて嫌になりますが、そもそも最初から、モンゴル互助会に参加しない貴ノ岩を吊るし上げる・制裁を加えるという目的ならば、もっとうまくやるに決まっているでしょう。人目のつかない所で、目撃者がいない所でやる。第三者がいる場・飲み会の席でやらない。どうして二次会・酒が入っている場所で実行するのでしょうか?相撲には「注射」に従わない力士を、巡業・稽古にかこつけて潰すという話があります。巡業や合同稽古の場所でも、本場所でもいいし、もっと汚い手段・闇討ちのようにやってもいいはず。潰す・脅迫目的ならばもっと巧くやるに決まっているでしょう。

■二、鳥取城北高等学校石浦氏とのコネ作りの場所・親睦会で制裁を加えるはずがない
 こちらの記事(※参照―根拠のないモンゴルバッシング、ベテラン記者も組織的八百長を否定|LITERA/リテラ)にあるように、鳥取城北高校の元監督が来ている。鳥取城北高校は強豪高校であり、モンゴル・日本問わず角界に人材を輩出している。そういう相撲界の一人士と日馬富士を引き合わせる場所だった。日馬富士の目的はコネ作りだった。そういう大事な席で制裁を計画的に加えたと考えるのは無理があります。彼は白鵬内弟子石浦(四股名はそのまま姓の石浦を使っています)の父であり有名な人。そういうアマチュアの著名な人がいる所で陰謀・制裁なんかあるはずがない。普通は、この石浦やその父石浦氏が同席していたことで「ああ、な~んだ。やっぱりただの酔っ払いの暴走か」となるところ、そうではなくそれどころか、「石浦関!そしてその親父の石浦も共謀していた!!真実を話せ!」何ていうトンデモナイことを言う手合いもいてもうどうしようもないですね…。

■三、派閥として制裁なら参加者が少なすぎる。何より派閥のナンバー2・3に位置する日馬富士が直接手を下すはずがない
 そして何より、現役横綱である日馬富士が「潰し役」「処刑執行人」に任命される訳がない。モンゴル人力士の若手やこれ以上はもう上り目がないというロートル、元力士など既に角界を去った者などにやらせるに決まっている。汚れ仕事は、組織の序列の下位の者がやる。またはそれ専門の担当者・ヨゴレ仕事担当を決めておいて実行させるでしょう。ナンバー2、3の座に列する彼がなぜ直々に手を下すと思うのでしょうか…?

 実際、今角界にモンゴル人力士がどれくらいいるのか?*1
横綱 日馬富士(はるまふじ)
西横綱 白鵬(はくほう)
西横綱 鶴竜(かくりゅう)
東関脇 照ノ富士(てるのふじ)
東前頭筆頭 玉鷲(たまわし)
西前頭四枚目 逸ノ城(いちのじょう)
西前頭五枚目 荒鷲(あらわし)
東前頭六枚目 千代翔馬(ちよしょうま)
東前頭八枚目 貴ノ岩(たかのいわ)
十両二枚目 旭秀鵬(きょくしゅうほう)
西十両四枚目 東龍(あずまりゅう)
十両八枚目 青狼(せいろう)
東幕下三枚目 大翔鵬(だいしょうほう)
東幕下四枚目 水戸龍(みとりゅう)
西幕下五枚目 鏡桜(かがみおう)
東幕下二十三枚目 朝日龍(あさひりゅう)
西幕下二十六枚目 豪頂山(ごうちょうざん)
東幕下三十六枚目 魁(さきがけ)
東幕下三十八枚目 旭蒼天(きょくそうてん)
西幕下四十九枚目 霧馬山(きりばやま)
西三段目二十一枚目 翔天狼(しょうてんろう)
東三段目五十五枚目 佐田ノ輝(さだのひかり)
 ここにいるだけで22人(日馬富士が辞めて21人です)。これだけモンゴル系がいることを見れば、日馬富士が直接手を下す必然性がどこにもないことがわかりますね。貴ノ岩より下位の者たちを結束させてリンチを食らわせ、下位の者にすら逆らえないようにする・派閥の最下層に落とすという処置だって取れたでしょう。モンゴル派閥内での制裁であるならば、横綱が直に殴るだけというのは制裁になっていない。下準備として他のモンゴル人力士をもっと大勢呼び集めて、その内部でお前の序列は派閥内で最低レベルと見せしめるはず。見せしめ・知らしめる要素が乏しい事を見ても、派閥の掟破りに対する制裁という性質は非常に低いです。

■四、モンゴル互助会が「注射」団体ならば、荒鷲玉鷲の存在はどうなる?
 以前、少し触れましたが、モンゴル互助会というのは星の回し合いを至上命題・最大の目的とした団体ではありません。貴ノ岩以前から玉鷲荒鷲というモンゴル人力士がガチンコで白鵬横綱勢とぶつかっていたことを考えれば一目瞭然です。まあ、荒鷲玉鷲という力士がいることも知らない人たちが「モンゴル互助会・モンゴル人が組織的に八百長をやっている!」なんて言っているのでしょうけどね。派閥のボス白鵬に従わない不届き者はモンゴル互助会で制裁を加えられる―だとしたら、この二人はどうして制裁を加えられなかったのでしょうか?貴ノ岩の他の若手として逸ノ城千代翔馬なんかもガチンコ性質が強いでしょう。その彼らはどうなるのでしょう?

 以上、4つの視点からモンゴル互助会の八百長・「注射」ルールに逆らったからこそ、星の回し合いを拒否したからこそ、貴ノ岩日馬富士に制裁を加えられたというロジックは成立しないのです。
 八百長が今回の事件の動機ではないという当たり前のことを指摘した次は、貴ノ岩にとってのモンゴル派閥はどんなものかという話と、貴ノ岩の対応の失敗の話をしたいと思います。

貴ノ岩にとってもモンゴル派閥のトップとのコネは重要。
 むしろ、鳥取城北OBというつながりで照ノ富士逸ノ城以外の派閥も持てる。モンゴル派閥のトップ3との同席の場を持てるということはモンゴル派閥内での序列が着実にランクアップしたという意味で、彼にとってもプラスな出来事のはずです。八百長や星の貸し借りを断る・断らないにせよ、彼の序列は着実に上がる。良いことになりこそすれ、悪いことになるはずがない。そもそも前からモンゴル会に顔を出していたと言うので、貴ノ岩はこの会への出席についてそれほど否定的だったわけではないでしょう。
 親方の貴乃花から、モンゴル会に入るなよと言われていても、所属している・いないの中間、微妙な位置をキープしようとしていたのは間違いないでしょう。どうあがいても彼はモンゴル人であり、日本人の何処かのグループ・派閥に所属することは出来ないのですから。「注射」をするにせよしないにせよ、モンゴル派閥にべったりにならないにせよ、良い付き合いをしたいと考えていたはずです。
 モンゴル互助会と言っても、最終的に皆が得をするように千秋楽数日前に調整をするレベルで、1から100まで「注射」をするわけではない。「注射システム」の維持を至上命題とした組織ではないので、白鵬を破る実力を示した貴ノ岩についても、それはそれとしてそこそこうまい付き合いをすることは可能だったはずです。そういう状況・場所で貴ノ岩を吊るし上げるつもりだったとは考えにくい。今回の説教のように、いろんなルールやマナーを教え込もうという意図はあっても、制裁を加えるまで事前に考えていたとは考えにくい段階。
 ポイントになるのは、新しい実力者として貴ノ岩が登場してきたにも関わらず、「ガチンコ力士」としてモンゴル互助会の「注射」を否定してモンゴル会で浮いた存在であったのにも関わらず、政治・立ち回りがドヘタクソだったということです。

■空気の読めない貴ノ岩
 星の貸し借りを否定してあまり良く思われないという前提があるのならば、彼はその自分の立場のまずさを理解してなるべく付き合いを避けたり、それでも3横綱から「かわいいやつだ、こやつめ、ははは!」と言われるような付き合いをしなければならない。先輩に好かれるような人心操作術に長けていなければならない。
 ところが真逆のコミュニケーション障害というか、空気の読めないタイプ。この場がどういう場で、自分がどういうポジションで、どういう立ち居振る舞いが求められているのか?その上でどう振る舞ったら良いのかなど、そういう微妙な心理やアヤということがわからないタイプ。だからこそ今回のような事件になってしまった。
 「ガチンコ」を貫きたい、しかしそうすると「注射」系力士との反発を招く、モンゴル以外にも他の先輩力士と無用の対立を招いてしまう。ならば「ガチンコ」を貫くために、いかにして先輩に好かれるか?ということを考えて普通は行動をするもの。普段から、尊敬しているとか、あの技術が素晴らしくてなんとか真似しようとしているけど出来ないとか、社会奉仕活動が素晴らしくて、自分も真似を始めたとか、まだまだ足元にも及ばない―などなど、なんでも良いですが、とにかく相手を尊敬しているということを示さないといけない。そういう配慮が彼にはなかった。だからこそこういう事件に発展してしまったわけですね。まあ、郭嘉孫策はいずれ暗殺されますよと予想するようなものですかね。配慮が足りない尊大なタイプがこうなるのは必然ですからね。
 「これからは俺たちの時代だ!」―なんて言葉を白鵬の関係者がいる所で酔っ払って叫び出す。そういう言葉が、白鵬らの耳に入ったらどうなるか考えられない。また今回「だからモンゴル人はダメなんだ。こういうことは自分たちの代で終わりにする」と言ったとか。これは裏が取れていないので、あれなんですが、これが本当だとしたら本当にアホ。まず、注射のことは関係なく、自分の態度の問題、礼儀作法の問題が指摘されている&殴られているのに、自分が星の貸し借りを断ったから、殴られていると主張したわけですからね。とことん他人の怒りを招くタイプの人間と言えるでしょう。


 ここまで一部の話でした。では、本題の白鵬への異様な批判・白鵬叩きについて書いていきたいと思います。一部のモンゴル互助会による八百長という陰謀論の否定に引き続いて、二部では白鵬が主犯・黒幕という話に触れたいと思います。まあ、八百長をしているという前提の元に白鵬黒幕説というのがあると思われますので、結論は言わずもがなですけどね。

■呆れ返る妄説―主犯白鵬
 流石に馬鹿すぎて、呆れ返ってしまったのですが、夕刊フジのこのような記事がありました→主犯は白鵬、日馬富士暴行は忖度 貴ノ岩への説教がすべての発端だった 貴乃花親方との遺恨もヒートアップ。この記事によると、白鵬の説教が原因で、白鵬の心情を忖度した日馬富士が暴行をしたと。だから主犯は白鵬なのだとか。おお…もう…。なんというか論理性のかけらもないというか、笑っちゃうくらいバカなロジックです。
 今後、説教というか人と話をしている時に、同席している人が暴力を振るったら、それは話を始めた人間がやらせたことで、その人間にも暴行の責任があるという無茶苦茶な論理がいつ登場してきても不思議ではないですね。週刊文春によると目配せをして日馬富士貴ノ岩を殴らせたようです。目配せってなんですか?日馬富士の方向をチラッと見ただけで暴行を指示したことになるんですかね?そんなことで暴行指示の証拠になるのなら、我が国は冤罪だらけですよ。そんな説明、書く側のさじ加減ひとつでしょうに。
 白鵬が日馬富士暴行事件の主犯だった…「驕った横綱」、貴乃花親方追放を主導という蛮行―これなんかには、カラオケのリモコンで日馬富士が殴ったところ、白鵬が「モノで殴るのはやめろ」と止めに入ったことを、「これはモノを使わなければ殴ってもよい、オレのために鉄拳制裁を続けろ、ということだ」と主張しています。自分に都合のいいように都合のいいように文書を読み取ると、現代文のテストで点をもらえないと習わなかったのでしょうか?この人は*2。また石原慎太郎氏も同様の意見だとか…。まあ、あれな人なんで、どうでもいいですかね…。
 こういう手合はごく少数にすぎず、こんなバカな意見に賛同する人は殆どいないと思ってツイッターを見たら、かなりの人が「そうだ!白鵬がやらせたんだ!謝罪しる!処罰しる!」という意見が多数…。これ本当どうなってしまったのでしょうか…。こんなにリテラシーのない人で溢れかえってしまったのでしょうか、我が国は…。

 そんなふうに呆れ返っていた所、さらなる続報でトンデモナイ話が上がってきました。
 日馬富士暴行 他人事「白鵬」にも迫っていた捜査のメス (デイリー新潮)―この記事によると「スワット判例」なるものを用いて、白鵬を共謀共同正犯に問うというシナリオが練られたとか。 いわく、実行犯と「共同」して犯罪に及んでいなくても、「共謀」したことをもって実行犯と同等の刑罰を科す法概念のことで、2003年の最高裁判決を事例にあげています。この事例が、暴力団組長のスワット(ボディーガード)が拳銃を所持していたのは、組長の命令がなくとも、黙示的な意思の連絡があったとして、組長に共謀共同正犯が認めた事例…。
 暴力団のような組織・反社会勢力に用いられたロジックを一般人・社会に持ち込もうという論理がもう…ですね。記事では、この捜査関係者が、白鵬日馬富士の間にもこれが成立するなんていうことを主張したと。スマホを見るなんて失礼だ!と怒ったら、 「白鵬日馬富士には『主従関係』があったと見なすこともできる」んだそうです。何を言っているんだお前は…。
 もちろん真実はわかりません、一部の人が主張するように、本当に白鵬日馬富士にやらせたという可能性がないわけではないでしょう。しかし法治国家の大原則は疑わしきは罰せずのはず、明確な証拠・それを裏付ける有力なロジックもなしに、「白鵬が悪い」「白鵬がやらせたに決まっている」「白鵬を罪に問えるならなんでもいい」と論理を飛躍させて自分の好まない勢力・人間を恣意的に排除しようとする主張を平気でする人間がいる以上、このような主張を看過できないでしょう。反モンゴル=排外主義が育っているということでしょうか…?「白鵬が主犯で、モンゴル互助会の八百長が原因では?」くらいでそういう可能性があると、自分の意見を確定の一歩手前の段階で保留しておくというのなら、何の問題もないですが、意見を確定させて「Aが主犯だ!Aが悪い!」なんて突っ走ってしまう意見が多いのを見ると恐ろしさを感じさせますね。
 共謀罪が何故恐ろしいかと言えば、捜査する警察にフリーハンドを与えることになる。そのロジックの行き着く先は全体主義国家、思想統制社会。疑わしきは罰せずだったり、内面・良心の自由といった基本的な常識を知らないで論じる人間が多いことに脅威を感じますね。民主主義の死というのはその前提・礎である教育の死があるということですが、本当現代教育はどうなっているのでしょうか…。まあ昔から酷いままで、上層・上流の階級を除けば一度たりともまともだったことがないと言われればそのとおりですが…。
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*1:相撲協会サイトより、モンゴル出身力士一欄

*2:山田修、ビジネス評論家・経営コンサルタントだそうです。好事家なら伝統のために横綱いなくなったって!平気だい!みたいなことを書いていらっしゃいますが、相撲ファンなのに好角家という言葉も知らないのでしょうか…?

日馬富士暴行事件の解説⑥ 問題の本質はモンゴル互助会の八百長・「注射」ではなく、モンゴル人差別と親方=理事制<前編>

 ようやく今回で最終回になります。最終回かと思ったら全然終わりません…。かなり前に殆ど書き終わっていたのですが、次から次へ新情報とそれに伴う書きたいことが出て来て、編集が難しくなって放置してしまいました。どこにどの文を放り込むのが一番ベストで読みやすい形になるかわからなくなってしまい、困り果ててしまいました。あと別にこれは書かなくていいかな、消した方がいいかな?と迷いながらも、書いてしまったので、いつもどおり冗長・蛇足と言われながらも駄文を垂れ流すことにしました(笑)。
 あと一度PCが落ちて消えました…。はてなブログは自動で保存されるから再起動でも大丈夫だろうと高をくくっていたら…。再起動になったら、保存されていませんでした…(涙)。
 今回は⑥です。本当は⑤で貴乃花親方の話の続きを書くはずだったのですが、どれをどう書くのがいいのかわからなくなって、簡単にまとめられそうなこちらを書くことにしました。これが今シリーズの結論になるので。んでこちらで書けなかったこと、残った文章をまとめたほうが楽だと思えたので。
 これを書いたら、貴乃花親方の話を書いておしまいと思ったら、貴乃花親方で「!?」という情報がいくつかでてきてスタンスを変えて書き直さなくてはならなくなり、大幅な修正を強いられることになってしまい、「一からやり直しかよ…」とパニックになっていました。ちょくちょく書き続けていた細かい文章たちが貴乃花親方のせいで台無しになりましたので…。おのれ貴乃花!。そのために反貴乃花派になりつつあります(笑)。

■結論:要約まとめ
 前回と同じく長いので、先に結論を書いておきたいと思います。まず、本質はモンゴル互助会による星の回しあい・八百長ではなく、「モンゴル人差別」にこそあります。
 次に、そもそも協会の制度がギルド制*1を前提とした徒弟制であることです。その二つにこそ問題の本質があるのですね。

ギルド制・徒弟制
 この独特な制度・前近代的な制度に基づいて組織を形成しているが故に近代組織としてはありえないトラブルが続発し、責任追及・きちんとした処罰がなされない業界になっているのです。お仲間だけの閉鎖的な「ムラ社会」であるから、外部のヨソの人間を排除し、ヨソのルールを一顧だにしない。内部には独特の内輪の論理だけが適用され、厳しい規律が適用されないことになっている(その逆もまた然りで、そんな取り決めがあるの?そんなことにいちいち厳しいルールが有るの?と外の世界の人間が感じる独特な厳しい規律を持っています)。我々一般社会の論理や価値基準は外部であるがゆえに、外部の世間一般の法律や価値基準は無視されることになる。故にギルド制・徒弟制を解体しない以上、独特な「ムラ社会」のルールを崩すのは難しいでしょう。
 また、ギルド制・徒弟制ということは厳格な身分制度・秩序を採用するということですから、役職・職分という論理の作動を阻む要素があるのですね。公式の制度・システムが身分制度によって機能しない、歪められることになる。典型的なものが、過去の実績で理事・理事長が決まるというところですね。
 本来、優れた経営手腕を持つ人こそが、理事や理事長になるべき。であるのにもかかわらず、現役時代の最高位・実績が優先される。100%その論理が優先されるわけではありませんが、現役時代の成績が基準となって、暗黙の身分が形成され、相撲協会での役職の序列に反映されてポストが決まるようになっている。力士としての実力と、協会・組織運営の才覚は言うまでもなく別物です。しかしその当たり前の論理が目に見えない身分制度故に反映されなくなっているわけですね。

 まあ、そもそも経営の観点から言うと、外部の人間を連れてきて任せるほうが良いに決まっていますからね。角界のことは独特すぎる世界であるがゆえに、全く相撲のことを知らない外部の人間を登用することが難しいにしても、コーポレート・ガバナンス上そしてコンプライアンス遵守上、半数は外部から優秀な人間を連れてきて経営を任せる。外部の人間の意見を聞くはずですからね。
 そういう当たり前のことが出来てないのも、ギルド制が故ですね。現役時代に成績を残した者順に、角界・協会の特権を享受するようになっている。相撲案内所・お茶屋制なんかを見ても明らかですね。チケット販売・飲食サービスなどの売上は本来協会が一括管理してしかるべきもの。それが一旦第三者に流れるなんて意味がわからない。公益社団法人・免税特権を持つ以上、お茶屋制は廃止されてしかるべきものでしょう。しかしギルド制の社会ではそういう当たり前の主張もなされないわけですね。

■ギルド制・徒弟制の最大の問題は親方理事制
 この角界独特の身分制度・身分秩序の最大の問題は親方=理事制でしょう。力士で一定の成果を残したものが親方として協会に残る。そしてその親方衆の中でも特に現役時代数字を残したものが理事に選出される。現役時代に突出した成績を残したものが、引退後も組織の中枢に残って組織を動かしていくという制度は内輪の人間だけで組織を構成するギルド制・徒弟制である以上、必然的な帰結だと言えます。

■兼職が馴れ合い体質を形成し組織の機能不全をもたらしている
 親方が理事を兼職するというシステムこそ、組織としての機能不全をもたらしているのです。例えば、プロ野球NPBにおいて、各球団チームの代表が、理事を兼職していたらどうなるか?*2。何か不祥事が起こったときに、球団の責任追及・処罰が出来ないのは言うまでもないでしょう。兼職をしたら100%厳格な処分が出来ないというわけではありませんが、そういうなあなあ体質・馴れ合い業界を形成している基であり、それからの脱却が必須である以上、この制度を廃止しなくてはならないでしょう。

 この親方理事制を解消し、親方は親方で部屋運営・経営者としての職務をまっとうする。理事は理事で、角界の運営・経営に集中するという職務権限の分離をして、それぞれの責任と職務・本分を明確化しない限り、まっとうな組織として機能することはないと言えるでしょう。

■分業を進め、業務の効率化・透明性を高めるべし。また引退後の力士の受け皿を増やすためにも兼職を解消すべし
 プロ野球の例を出したのでついでに語りますが、球団にはオーナー・球団社長・球団代表・GMとそれぞれトップがいます(球団によっては球団代表・GMがいなかったり、さらにGM補佐やシニアディレクターという役職を設けている球団もあったりします)。チーム競技・競争であるという違いがありますが、それでもいくつも役職を設けて、職務に応じた役割分担・権限の細分化を図っているわけですね。相撲部屋も、相撲部屋代表・親方(指導者)・監査など職務を設けていく必要があるでしょう。部屋付き親方などもいますし、親方が理事になった場合は理事に専念するための代理人に任せる。親方代理なんていう制度の公式化もありえるでしょうね。あらゆる分業・専門化を進めていくべきでしょう。

 引退後角界に残るためには親方になるしかないという今の仕組みでは、殆どの力士は引退したらその後の人生の保障がなくなってしまう。一応厚生年金がありますが、それで人生・セカンドキャリアの保障は十分だと考える人はいないでしょう。退職金もトップクラス以外は殆どないのが現状。こういう不安定な現今制度では、角界に入ろうとする将来有望な人材を減らすことになります*3。そのためにも役職を細分化して、引退後協会に残れる元力士の総数を増やすという意味合いからも、兼職解消は避けられない改革となるでしょう。無論、それは抜本的な対策とはならず、協会として引退後のセカンドキャリアのために資格取得や企業への就職の世話など色々な対策をとるべきなのは言うまでもありません。
 引退後の力士の生活の保障というのはまた、「モンゴル人差別」のところで触れるので頭に入れておいてください。

■不祥事防止対策として部屋別ペナントレースもあり?
 NPBと比較を続けてみます。プロ野球はというか殆どの興行では、企業が母体となってチームを作り、試合を開催し収益を得るわけです。オーナー企業が部屋を開いて新規参入するということが相撲では不可能。企業イメージに関わるために不祥事に敏感なプロスポーツ・チームスポーツの興行とは根本的に異なるといえます。
 連帯責任的な発想は嫌いですが、一時的に不祥事対策として相撲は個人競技であるものの、不祥事が起こった場合は相撲部屋単位で処分・出場停止制度*4を導入しても良いかもしれません。これはボクシングで言うと、そのジム所属の選手の犯罪発覚で所属する世界チャンピオンクラスの選手が試合できないと言うようなものなので、不条理な連帯責任を取らせるものとなってしまうのであまり好ましくないシステムなのは確かですけどね。
 連帯責任の導入で不祥事防止の論理を持ち込むたに、チーム戦の論理を持ち込んでも良いかもしれません。年度単位のペナントレースのようなことをやっても面白いかもしれませんね。一年間、部屋単位で幕内力士の総勝ち星数競争をやって優勝部屋に賞金・タイトルを授与するとかもいいかもしれません。*5

■改革が出来る優秀な人物を実力で外部から理事・理事長に招聘し、抜本的な改革をすべし
 優秀な指導者を親方と仮定するならば、指導者として優秀な人間が必ずしも相撲協会の運営に優れた人間ではない。相撲協会の運営をする理事は、その手腕に優れた人物を能力・実力主義で選ぶべき。「ムラ社会」の解体が不可避である以上、一定期間は強制的に外部の人間であることを条件付けなければだめでしょうね。いずれにせよ、親方理事制という急所に手を付けない限り問題の本質は変わらないということだけは確かでしょう。親方理事制の廃止、そしてギルド制・徒弟制といったものを段階的に廃止していく。これをしない限り抜本的解決はありえないと見なすべきでしょう。


■今回の事件のもう一つのポイント「モンゴル人差別」
 協会の閉鎖的体質、ギルド制・徒弟制の問題。そして親方理事制の問題に触れました。そして次にもう一つの問題の本質である「モンゴル人差別」の話をしたいと思います。モンゴル互助会の八百長、「注射」・星の回し合いが事件の背景にあるなんていう主張をする人をしばしば見かけましたが、これは的を外した分析と見ていいでしょう。というか、その星の回し合いの背景にそもそも「モンゴル人差別」があるんですね。
 今の角界では、白鵬などモンゴル人力士が差別されている。果たしてこれは是か非か?人によって、意見が別れるところであるかと思いますが、そもそも今回の事件において、ここに触れない限り論ずるのは意味を成さないわけですね。「注射」のロジックに続いて、「モンゴル人差別」のロジック。これが問題の本質を理解しているかどうかのポイントになります。今後、相撲協会&その改革について及び暴行事件に語る人がいたときに、これに触れていない論者であればまず無視していいでしょう。モンゴル人が差別されているかいないか、どちらの立場を取るかさておき、これに触れていなければ問題をまるで理解していないと見て構いません。これまでの相撲界の歴史的背景・構造・流れを知らずに自分の持論・好き勝手なことを放言するだけの手合とみて間違いないでしょう。
 こんな大事なことなら一番先に書いておけよという話なんですが、編集が難しくて先延ばしの挙句ここで書くことになりました。一番大事なことはシリーズラストのオチとして書いて、見事に締めて終わりたかったので。その結果がいつまでたっても書き終わらない…。このザマです。長いので、モンゴル人差別で更に二枠にして分割することにしました。以後中編に続きます。うまいこと二つにまとめられればいいなぁ。

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*1:ギルド制にもいろいろな意味・文脈があると思うのですが、文中においては排他的というより閉鎖的な同業者組合という意味でこの言葉を用いています

*2:実際のNPBでは理事は非常勤であまり仕事をしていないようですが、話の例えとしてご理解ください

*3:他にも何らかの職に就くという選択肢もあるかもしれませんが、それで成功したという話をあまり聞いたことがないので、やはり引退後のセカンドキャリアの保障は十分ではないでしょう

*4:相撲の場合、なんて言うでしょう?場所来場or出入り禁止?どうでもいいですけど試合や出場禁止などなんか違和感ありますね。場所出場禁止って言葉なんか頭が頭痛みたいな重ね言葉感があって嫌ですね

*5:もう一つたとえとして、日本のプロスポーツで身近なサッカー・JFAを例に取り上げようとしましたが、どうもサッカーはよくわからないので断念しました。相撲協会というのはNPBJFAと違って、協会・全体としての統括機構と部屋≒チームの距離感が近い。親方理事制のために非常に近くなっているわけですね。その関係性を正すためにも、JFAJリーグのような関係性になるべき―ということを書こうと思いましたが、Jリーグを運営する機構は公益社団法人日本プロサッカーリーグのようですし、ちょっと違うのかな?と引き合いに出すの止めました。
 あと、こちらの理事もJリーグ傘下の企業の関係者が非常勤で入っているので、それもなあなあじゃないのか?と言われればそうなので。NPBも、コミッショナー天下りで採用して機能不全状態にある。巨人の裏金事件のときのようにビシっと制裁を下していませんし、ちょっと適切ではないんですよね…。あれ、なにこれ?日本にまともな運営をしているプロスポーツ興行団体って存在しないというオチ…?外部理事の高野氏が警察に電話入れて捜査妨害になるか云々問い合わせたという話がありましたが、天下りを受け入れることでスポーツ興行組織を守るという悪しき慣行はスポーツ興行団体に限ったことではありませんしね…。