てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

「軍事国家」から「宗教国家」への転換という歴史の流れと、登場即世界を支配し世界を作り変えたイスラム

 ※6年前に書いたものを読み直して、面白いなと思い大幅に加筆修正しました。もったいないので、新しく枠を取って掲載することにしました。誰かこの話共感してくれる人いるかしら?


■「軍事国家」から「宗教国家」 そして遊牧国家の登場    
 歴史の転換点として、東西でローマ帝国の崩壊・中国の晋(西晋)の崩壊=定住文明・定住王朝が崩壊し、遊牧系がそこに流れ込んできて新国家を打ち立てるという流れがあった。この時点では後の征服王朝やモンゴル系、モンゴル帝国のウルスとは違って遊牧を基本原理とする遊牧王朝ではないのだけども、遊牧国家の誕生・登場とでも言う世界的ムーブメントがあった。*1*2

 東西で遊牧国家が登場するひとつ・ふたつ前の事象として、「宗教国家」*3という現象がある。ローマにしろ、中国にしろ「帝国」・単純な軍事開発型モデル・領土拡大モデルが成立しなくなって、国家モデル*4を根本的に転換しなくてはならなくなる。定住王朝・文明が軍事的発達を遂げて、諸都市国家を統合し「帝国」を作る。そして開発&支配可能な領域まで外征・領土を広げきる。征服可能な都市がなくなるまで拡大しきると、従来の国家モデルの解体と再編・モデルチェンジが必要となる。拡大から帝国の維持という時代に変わる。拡大よりも帝国内の安定化が目的になる。

 それが「宗教国家」というモデルチェンジであり、それぞれキリスト教化・儒教化という道を辿ったわけだ*5。国家の不安定要因となる、社会的弱者の救済。その社会福祉を効率的に実行するために宗教の教理を取り入れる。キリスト教儒教も最終的に国教の地位を獲得できたのはその要素があったから。外の拡大よりも内の安定に目を向けた時、


■「宗教国家」は「軍事国家」が築いた帝国を補強する    
 「宗教国家」というのは制限された国家内・領土内を管理・制御するためにあるわけだ。例えば、今の日本のように成長が望めない縮小する社会。限られた経済のパイを上手く配分して、成長よりも維持することを目的とした国家モデル・社会といおうか。拡大期・興国期が終わって、停滞・縮小する社会では、豊かな地域が貧しい地域を切り捨てたくなる。不採算部門を切り捨てようという欲求・衝動が起こる。また内部の格差の拡大による社会不安の増大という現象も発生する。そのような国家分裂や社会不安を抑えるために、宗教の力を使う。社会の安定性を保つ国家理念として、社会を維持するために宗教の力を支柱とするモデルに転換するという流れがある。
 前近代社会では「合理的」な宗教の力に頼るのは、ごく自然なこと。広大な帝国を力で維持しきれなくなると、国力が帝国の問題に追いつかなくなると、つまり「軍事国家」としての限界が来てしまうと、その足りない国力を宗教の力で補うようになる。「宗教国家」へと転換するようになる。軍事力(実力)ではない、支配の正当性、国家の正当性、今の秩序が正しいものだという裏付け・理論が必要になる。今ある社会秩序が正しいものだという理念・イデオロギーが必要とされる。


ローマ帝国後漢・魏、そしてマウリヤ朝の「宗教国家」化  
 そういう「宗教国家」というモデルチェンジは、世界中でいくつも見出すことが可能であるように思える。インドでもアショーカの仏教政策など間違いなくそういう性質・要素が含まれたものであっただろう。そもそもインドの統治階級が聖職者・バラモンであるというのは、宗教的な要素が社会を安定させる。維持する上で非常に役立つというところから生まれ伝統となったように思えるし。
 アショーカ王が仏教に帰依して、仏教的な統治を行ったと言われるが、仏教徒・仏教サイドのPRという要素が強いようだ。その他のインド諸宗教も同様に取り扱ったと考えるべきであろう。法・ダルマも仏教のそれと言うより、統治のための「法・ダルマ」を作るためのベースとして選んだと言ったところだろう。南アジア、西アジア方面への仏教伝播に加え、ヘレニズム諸国や東南アジア、中央アジアに伝道師を派遣したのも仏教の優秀性というよりも、インド文化・文明の優位性の主張なのかもしれない。文・知識での優位性に注目したゆえのインド(北インド)>その他という図式を成立させたかったということかもしれない。
 ただ、インド文化・文明の一つとは言っても、仏教は従来の伝統宗教から都市国家の問題を受けてその解決をテーマにして生まれたところがあるので、同じような都市国家には非常にウケた・ニーズがあったはず。そういう点で諸国家・文明圏にインドの優位性を示す上で重要な宗教とみなされていた可能性は十分にある。
 ※インドの歴史を見るに、主体性というものが非常に薄いことがわかる。受け身で、中央アジア遊牧民や、ペルシアやアレキサンドロスのギリシャ系やイスラム勢力や、ことごとく余所者の支配・侵略を受けているのに、祖国復興運動のようなものがない。無論、いくつかはあるのだろうけど、中国の華夷秩序のような反応を起こすのが当然。普通の反応だと我々は感じるもの。遊牧勢力・イスラム勢力という二大潮流、軍事的支配にあっても何も感じない&動じないというのがインド史を解する上でのポイントのひとつなのだろう(そしてイギリス支配において初めて「インド」というWe feelingを覚えたことも)。


■日本に「宗教国家」の段階はあったのか?      
 となると、では日本ではどうだったのか?という話になってくる。日本の仏教化は「宗教国家」だったのか?仏教導入で日本は「軍事国家」から「宗教国家」に転換したと言えようか?個人的に当時の日本だと征服可能な所がなくなったという背景・要素はあまりないように思える。そういう要素よりも仏教導入による諸氏族の統合。民族統合のための新ロジックという感じに映る。
 考えられるとするのならば、鎌倉幕府室町幕府にそのような要素があるかもしれないというところか。延々と武士が軍事力を主体に戦っているので、考えにくいのだが。上層の支配者・統治者は、その原理・ロジックを導入したがっていたという可能性は十分にある。そしてその取り組み・先行研究を徳川家・家康らが参考にして、徳川幕府を完成させた。その思想をうまく現実化させたということなども考えられそうではある。


徳川幕府は「宗教国家」か?         
 徳川幕府という「軍事国家」の登場と完成を見るに、「宗教国家」への転換を図る必要性があったのは論をまたないわけだ。その「宗教」として尊王思想・儒教朱子学などがあったと見做すことが出来る。しかし、江戸時代の面白いところは、「宗教国家」と転換していくはずなのに、明確な中心宗教・その国家における中心となる宗教がなかったこと。むしろ仏教などの宗教勢力排除という目的があって、思想的統一性はなかったこと。武士道や国学という価値観を持つ士と、人生を楽しむこと・文化に目を向ける庶民というように、国家における特定の宗教的統一性よりも、役割・役分の全うが重視されるという方向性だった*6。この辺りが古代・中世の事情・背景と近世・近代のそれの違いによるものだろう。それとも日本という国家における特異性と言えるところがあるのか、色々面白そうなところではある。
 ※おそらく、日本の場合は、海で囲まれた海洋国家・島嶼国家・島国であるので、大陸にありがちな遊牧の驚異という課題がなかった。安保上の問題がない故にこういう徳川幕府体制=非「宗教国家」ということになったのだと思える。次に社会の安定のため、平和のためという要因。社会が安定するには権威・権力など階層が多種多様に分裂している方が良い。こういう環境であれば「宗教国家」として宗教的な一体性を以って国内を統制しようとするよりも、むしろバラバラのママにしておいたほうが良い。外敵のために「日本」という強固な一体性を保つ必要がないのだから、下手に統合して「日本」にとって良いこと、ベストな選択とは!―のような思想性を生まないほうが社会は安定する。不安定要因・要素とはなっても安定要素になりえないのは間違いない。であるならば、インドのカースト社会のように、それぞれが勝手な理屈で役割を全うしていてくれればそれで良い(差別や敵対感情による階級・階層・民族対立のようなものがあっては問題だろうが)。


■「宗教国家」を経験しなかったアラブ・西アジア
 では、中東・オリエントにおいてはどうなのか?広大な西アジアを宗教的統一性で一つにまとめると言ったら、万人がイスラムを想像する。ではイスラムは「宗教国家」と言えるのか?軍事的な限界が来て、宗教の力に頼ることで国家内における一体性を保つ、社会を維持しようとするという定義から検討すると、オリエントで観察されうるのはのは、まずエジプト。ではシリアは?メソポタミアは?ペルシアのアケメネス朝・ハーカマニシュはそういう要素があったと言うことが可能なのか?なんとも言えない。イスラムの前例にそれが存在していたのか、エジプト以外には知識が浅くてなんとも言いようがない。これも要検証。


■実は「宗教国家」ではないイスラム        
 国家・社会全体の下り坂に、「軍事国家」である帝国から危機に対処するために「宗教国家」という転換が起こるという話をしてきたが、イスラムにおいてはそういう現象が観察されない。「宗教国家」の宗教として、キリスト教儒教と真逆と言ってもいいほどの様相を示している。
 イスラムというのは歴史的にも非常に珍しい登場即世界的成功を収めたという宗教だったこと。この事実に注目しすぎてもしすぎることはないと言えよう。*7


■「宗教軍事国家」サーサーン朝        
 イスラムの前に存在していた帝国・前身はサーサーン朝=ゾロアスター(マズダ教)。実はこれも宗教と深く結びついた国家・王朝でありながら、「宗教国家」ではない。なぜかと言えば帝国の一体性・安定を望んだという性質・背景がありながらも、帝国内の貧民救済のニーズを満たそうとするロジックが弱いから*8。名付ける必要があるかどうかわからないが、名付けるならば「宗教軍事国家」とでも言おうか*9。軍事的台頭と宗教的台頭・布教が一体化している。帝国内の安定のため、貧民救済のための宗教というよりも、「軍事国家」のロジックを後押しするための宗教で、依然変わらず「軍事国家」が主眼であったと思えるから。このように名付けた。*10
 無論、言うまでもなくサーサーン朝初期においては宗教的自由性があって、「宗教軍事国家」となるのはしばらくあとになるのだが。「軍事国家」としての隆盛と宗教的布教が結びついていく。この現象はイスラムのそれと同じ。サーサーン朝&ゾロアスター教イスラムが初発から宗教的成功を収めた国家・宗教という性質を考える上で非常に参考になるモデルケースと言えよう。
 この「宗教軍事国家」とも言うべき、サーサーン朝はローマ登場以後、世界が西と東に二分された状況で、オリエント世界の防波堤のような存在・対抗馬とも言うべき存在として成立したと考えられる。世界が二大文明圏に分割され、シリア・エジプトという伝統的に東・オリエントに属してきた要衝が西に組み込まれてしまったのだから、その奪還を悲願として登場したものだと考えられる。しかし、イスラム登場までその悲願を達成することは出来なかった。「軍事国家」としても、その後「宗教軍事国家」となっても、その悲願が叶うことはなかった。

■「宗教軍事国家」としても「宗教国家」としてもニーズを満たせなかったサーサーン朝・ゾロアスター教
 「軍事国家」として拡大可能な豊かな地を対抗文化・文明圏に「奪われ続けた」まま。失地奪還という帝国の使命を達成できないというところから、正当性に迫られて「宗教国家」の必要性が生まれ、取り入れざるを得なかったということも考えられそうではある。そしてローマ帝国東ローマ帝国と戦う上で、都市文明圏同士の衝突がキリスト教VSゾロアスター教(マズダ教)になるという図式が成立した。異教・異教徒排除という宗教戦争の要素が出て来た*11。これはキリスト教化したローマの対抗上、カウンターパートとしてゾロアスター教が必要とされたのだろう。信者・信徒の後押しがあるのとないのとでは、戦争と統治効率がまるで異なってくるがゆえに、宗教を取り入れざるを得なくなったと考えられる。
 そういう必要に迫られたという意味で、ある程度は「宗教国家」の意味合いがあった。初期においてはアケメネス朝・ハーカマニシュの再興という意味合いがあって、パルティアを解体・吸収。ペルシア人による世界帝国の再興ということで、その「宗教国家」の意味合いは乏しかったと思えるが、時が経つに連れ「宗教国家」の性質が必要とされ始めたはず。
 おそらくその「宗教国家」に必要な宗教としての要素が乏しかった。貧民救済の要素がかなり薄かった。国家再生のための宗教改革が教義上出来なかったが故に滅んだ。ゾロアスター教がそういう社会の要請に適応できなかったとはよく言われることで、ゾロアスター教もサーサーン朝もそのために消えていったと考えられる。東の悲願であったシリア・エジプトの奪還(&それ以上)を果たし、一神教による貧民救済という社会のニーズを満たしたという二つの点で、イスラムがオリエントに与えた影響は計り知れないだろう。その二点を達成した=奇蹟を起こしたが故に、イスラム世界宗教になったとも見ることができよう。

イスラムは当初から世界的に拡大する意識があった(結果論?)
 イスラム世界宗教として貧民救済の役割を担う。社会福祉の需要を満たすわけだが、イスラムの場合、社会がイスラム化することで「宗教国家」となってめでたしめでたしにならなかった。その地域・一定の領土内で限られた支配をして満足・満足ということにならなかった。イスラム誕生の初期においてそういう価値観念は欠片も見られない*12
 初めから世界中に展開する意志・意図がムハンマドの時点であったかはおいといて、その教理はもう完全に外に拡大する事を前提にしていたように思える。ジハードの概念といい、商業・交易の肯定といい、支配領域・イスラムの家は広ければ広いほど良いという発想があったように思える。*13
 そもそもだが、イスラームムハンマドが興した新興(信仰ではなく)軍事国家と捉えた場合、軍事的な新興超大国は、内部を統一したあと外征をするもの。余剰軍事力を外に向けるというのは歴史の鉄則。なので、否応なく拡大せざるを得ないもの。故に意図云々関係なく必然と言われれば必然的な拡大・拡張。


イスラムは他の世界宗教と明らかに異なる「挫折知らずの成功した宗教」
 キリスト教も仏教も、世界宗教として、貧民救済の役割・国家や社会安定の機能を担うのはだいぶ時間が経ってから。しかし、イスラムは違う。登場・誕生後即、正式な国家宗教というか正教とされて、国家非公認・弾圧を受けなかったという非常に珍しい経緯・経歴を持つ。この点、キリスト教・仏教という世界宗教と明らかに異なる。
 開祖が辺境のアラブからいきなり登場した宗教的天才かつ軍事的天才というのも類例を見ないもの。敢えて親しい人物モデルを挙げるとしたら、ナポレオンくらいか?宗教として登場→正式な国家宗教として採用されるまで儒教キリスト教も物凄い長い時間がかかった。仏教は不遇の時が長いというわけではなかったが、結局誕生の地インドでは姿を消した。国家統治上、物凄い有益なものであると「発見」され、定着・国教になるまで長い時間がかかった。マニ教も一時国家公認となり隆盛を誇ったが、弾圧され衰退した(このマニの先例をムハンマドは良い教訓として参考にしたはずである)。
 ところがムハンマドイスラムの場合は登場即正教であり、弾圧や雌伏の歴史・背景がない。ムハンマドが初期に信徒を獲得するのに苦労する過程があるくらい。イスラムを理解する際にポイントとなるのは、歴史的背景に弾圧や不遇・苦難の歴史を持たないということではなかろうか*14。優れた宗教・正しい教えであるがゆえに登場してあっという間に世界に広がり、世界を変えた。イスラムで世界の中心を染め上げた。実際、イスラム登場以後は、遊牧民の時代*15、遊牧の波が世界を動かす決定的な要素だったが、イスラム登場以後は「イスラム化」という現象で世界が染め上げられることになる。暫くは、イスラムの拡大と遊牧の移動が世界史の二大潮流となるのだった。
 ※おまけで、ついでにその潮流が終わった時期の話。その潮流が終わる・変化するのは、中国の台頭と火器の登場以降。機械によって人間個人の武力・能力が大量生産機器・兵器に対抗できなくなってから。また新大陸などもあって、オリエントが必ずしも世界の中心にならなくなる。というか世界の中心が西欧・大西洋へとシフトする。イスラム遊牧民の時代から、西欧・科学の時代に至る。そうなると、世界の中心であったオリエントは今や完全な一地方・辺境に過ぎなくなってしまう。この世界構造の変化を理解することがポイント。


イスラムは都市宗教ではない。砂漠と部族の宗教
 また、ポイントとして、世界宗教であるのに、その登場が定住文明・定住文化・帝国を背景にしたものではないこと。この点キリスト教や仏教・儒教*16と大きく異なる。部族を基本とする文化・社会から登場してきた宗教であるということも重要なポイントであるように思える。ムハンマドは都市での生活・行商などで都市文化に親しんでいただろうが、やはり宗教としてのイスラムの思想のベースは部族にあるように思える。遊牧や部族を前提とした宗教であること、中東が世界の中心から辺境へとその中心の地位からずり落ちたことが現在のイスラム世界・価値観を理解する上でのポイントではなかろうか。


イスラムは「宗教国家」を経験しなかった?
 気になるのはやはりこれまで語ってきたとおり、領土拡張の限界・軍事国家モデルの限界、「帝国」としての限界が来たときに、何がその通常の「宗教国家」化の役割を果たしたのかというところ。まあ、イスラム教理内から、スーフィズムなどそういうものが「発見」されてそのニーズを満たしたのであろうが。そもそも王朝の栄枯盛衰が激しいので、「宗教国家」化という現象もあまり起こらないのかもしれない。国家転換を起こして秩序を保とうとする以前に、停滞したそばから別の隣接する「軍事国家」に滅ぼされたり、遊牧民に滅ぼされるということも考えられる。現地の秩序はそのままで上の支配者だけが入れ替わるというスタイルがエジプト・シリアからインドに至るまで根付いているので、上と下の社会階層が完全に分離して成立するので、そもそも「宗教国家」が必要なかったということもあり得るかもしれない。諸処の階級・階層で勝手に自律的に貧民救済・社会福祉をやってもらえばそれで十分だったということなのかも。帝国的な統一市場を作らなければ、格差拡大の問題も起こらない。インドなどは初めから文書・文字・言語その先の民族の統一ということをはじめから放棄した結果都営うことが出来るということか。
 国家には適切な規模・領域という話があって、領土・国土が狭すぎてもいけないが、広すぎてもまたいけない。国内での通商などの適切な交流ができなかったり、国家内での一体性が保ちづらいなどという問題が起こってくるとはよく言われること。東西南北で気候や地質が違いすぎれば、国民性もまた保ちづらくなるもの。同質性より異質性が目立ってしまえば、「中華」のような統一的価値観で一つになろうという力学も働きにくくなるだろうし。そもそも「天下統一」という価値観自体がない。「天下統一」という価値観は、東洋というか東アジアの「歴史」特有の価値観と言えるだろう。「正統」なきところに、「天下統一」なしということができよう。「イラン」だとか「メソポタミア」だとかそういう枠組みがあって然るべきで、滅んだらその枠組を何が何でも再興・復活させなくてはならないという価値観自体がないとみなすべきだろう*17


■「宗教国家」の必要条件―競合する優位にある「帝国」がないこと
 また、オスマン帝国のように「宗教軍事国家」となるというパターンなどを辿るのだろう(オスマンは宗教要素をかなりコントロールしていたので、ローマ帝国やサーサーン朝の説明に用いた「宗教軍事国家」という概念をママ適用しようとするのは無理があるかもしれないので、これはまた要検討)。「宗教国家」というのは、隣接する競合国家・「帝国」が存在しない時、あるいは存在していても比較的劣位のそれが存在している時にのみ、成立するものと考えるほうが良いかもしれない。内部の安定・維持を図ることで長期的存続が可能という条件を満たすケースはさほど多くないということか。唐・宋など遊牧の問題に煩わされても、その侵入の対処を考えれば十分「帝国」を維持できるというのもその典型的な例と言えよう。遊牧部族・遊牧国家や征服王朝の攻勢には、徹底して防衛線の維持を図る。それが一番コスト的に良いからこそそうなるし、国家の崩壊に至ることもなければそれで十分だからそういう対処となると。
 そういう点では東ローマ帝国ビザンツ帝国のゆるやかな衰退・消滅というのは「宗教国家」の要素が多分にありそうなので検証したい所。
 中国にしろ、ローマ(西欧)にしろ世界の中心から外れたところに存在した。辺境に存在した。そういう辺境に存在したことが、後の歴史にもたらした影響は非常に大きいと考えられる。中国は「歴史」という概念・文化を発達させ、「正統」という価値観念を作り出したし、西欧は中心に進出できないために、新大陸や世界の周辺に進出しようと必死に海洋ルートを切り開いていった。そういうところからも辺境に存在した「宗教国家」という概念が役立ちそうな感がある。


■他の世界宗教とは異なる「支配宗教」イスラム
 世界宗教という用語とは別の概念として「支配宗教」という新概念を与えても良いかもしれない。イスラムは世界を支配した第一の宗教だったと見なせるので。明らかに世界の中心として他文明・地域・異教を支配に置くことを前提とした宗教で、イスラム以前・以後でその後の歴史が全く変わる、異なった世界が登場したので特別な用語を与えても良いように思える。宗教・社会的に世界構造を見た場合。対照的にキリスト教儒教社会・国家では、異宗教社会・集団を支配下に置いても、問題なく運営していける。うまくやれるというの要素・発想はあまりないので(まあ、中国の場合は儒教というより国家体制・支配者サイドの問題なのだろうけど)。その点、他の世界宗教民族宗教・国家宗教とは異なる(民族宗教や国家宗教が何を指すのかあやふやだが、その他の宗教と思ってもらえれば良い)。

 プロテスタント(=新教)化しても、そういう異教・異社会統治を円滑に進める教理・機能はない。だからキリスト教はああいう非道、非人道的行為を世界中に行ったわけで*18。現代からは考えにくいが寛容な「支配宗教」イスラムから、学べることは数多いように思えるし、率先して研究すべき対象・テーマではないかと思える。
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詳説世界史研究

*1:勿論、それ以前に遊牧国家が皆無だったという意味ではない。それと突厥や唐でも遊牧的なことをしている記述は多々見られるので、従来の遊牧的な文化・価値観は野蛮なものとみなしてさっさと定住文化に鞍替えした。習俗を優れた中華式に切り替えたとすることは出来ないのだけれど

*2:定住とか遊牧とか、「」必要な用語なんだけど、「」忘れていた…。もうめんどくさいからいいや(笑)。後この当時ネグリとハートの『帝国』の影響で<帝国>と表記しているけど、これも適切じゃないな。面倒くさいから直さないけど(笑)。

*3:という用語・観念を作って、勝手にそう呼んでいる

*4:軍事拡張国家(モデル)とでも言おうか

*5:後漢においてはまず「儒教国家」「儒教モデル国家」としてスタートし、その崩壊で魏において「道教国家」「道教モデル国家」となったという流れなのだろう。別に仏教でも道教でもどちらでも良かったのだろう。「宗教国家」としての需要を満たして、帝国の安定化という目的さえ達成できたのならば、国家モデルとして成立しさえするのならば。だから北魏や唐で道教モデル・仏教モデルがその都度登場して国教が入れ替わるわけで。で、最終的に唐末・宋で儒教復権・再生が起こって、三教という流れになるわけで

*6:―と今のところは暫定的に、漠然と捉えている。要検討・検証

*7:今風に言うのならば、俺TUEEEE系主人公・ラノベ主人公的なこれまでの努力型主人公ストーリーと真逆の展開を辿ったそれと言えようか

*8:マズダグ教などが禁欲・平等を訴えたようにこの時代のゾロアスター教は貧民救済に乏しい、貴族の既得権保護の性質が強いと思っている。故に貧民救済のロジックが弱くて「宗教国家」とは見なせないと考えている。中国でも、儒教の貧民救済が完璧でなく、道教や仏教が隆盛してきた。このように、ゾロアスター教内にも貧民救済の要素がゼロではないだろうし、イスラムがより優れていてニーズにマッチした・上回っただけで、ゾロアスター教が「宗教国家」として機能していたという可能性もありうる。貧民救済の性質を見いだせれば「宗教国家」と考えるべきかもしれない。この変もポイントなので要検証

*9:宗教的軍事国家、宗教従属型軍事国家とか?ワンフレーズで上手いこと説明できる用語があると良いな、ちょっとピンとこないかな

*10:「宗教軍事国家」という概念を用いると、ローマ帝国とそのキリスト教化も「軍事国家」→「宗教国家」というステップではなく、西はともかく東、ローマ帝国の東部では、サーサーン朝との対抗の必要性上、同じく単なる「宗教国家」ではなく、「宗教軍事国家」であったという説明も可能になり、ローマ東西分裂後の違いなどを上手く説明することも可能になるかもしれない。「軍事国家」のための宗教なのか、それとも国家内部の一体性・安定のための宗教なのか。その違いが後世に与えた影響など上手く説明できそう。勿論、「軍事国家」・「宗教国家」・「宗教軍事国家」は理念型であって、一義的に決まるものではない。その都度その都度、「宗教国家」の性質が強く反映されたり、「宗教軍事国家」の性質が強く反映されたりするだろう。

*11:長い宗教対立・宗教戦争が歪んだ・無用の緊張を長年引き起こし続けた。宗教対立でどちらかの宗教に引き裂かれるなんて、もううんざりだ。いい加減誰かなんとかしてくれという欲求が文明の衝突する最前線で起こるのは必定。そこを宗教対立に寛容なイスラムが埋めた。寛容なイスラムがシリア・エジプトを制したのは当然過ぎる結果と見做すことも可能か。しょうとする最前線でウマイヤ朝が登場して、イスラム勢力の中心となるのも同じ流れと見るべきか。

*12:ちゃんと調べたらあるかもしれない。小イスラム主義みたいなものがあってもおかしくはない。この点自信がない

*13:まあ、イスラムのことをよく知らないがために、所詮後から見た「結果」だと言われてしまえばそれまでの話。本来、そういう意図もなかったのに、歴史的にたまたま拡張することになっただけで、偶然の要素を無視して結果から結論を導き出している「結果論」にすぎない危険性もあるので、ちょっと最終的な価値判断は留保したい。

*14:その点シーア派は教義にアリ―の苦難・受難があるので多少異なると言えるのだろうが

*15:トルコ・モンゴルという波があるが、フンをその中に入れるか、カウントするかどうかは微妙な所

*16:※勿論、儒教世界宗教ではないが、一応

*17:勿論言うまでもなく全く存在しないというわけではない。復活させて再建させるに至るまでの強力な思想に育ちにくいということ。これは中東のみならず、ギリシアなどにも当てはまることだろう。ひょっとしたら「ローマ帝国」にもあてはまるかもしれない。

*18:まあ、これはキリスト教というよりも、ヨーロッパ人・文化の問題なんでしょうけどね。キリスト教でも、その当該社会が異人種・異文明・異宗教を内部にはらんでもうまくやることは十分可能でしょう。結局支配者階層と社会の構成集団がどういう叡智を持って、うまく折り合いをつけるか。そのノウハウ・システム次第でしょうしね

スポーツ界の不祥事・パワハラについて

 まあ、書くほどのことでもない話なのですが、気になった記事を見かけたので、書きたくなりました。そのきっかけがこちら→日大の相撲・アメフト部、“用心棒”経験経て学内で地位高めた│NEWSポストセブン―とあるように、日大では相撲部・アメフト部が重要な地位を占めている。それは学生運動時代の流れ、学生VS大学という図式があった時代に、運動部が大学の兵隊として大学を守る活動をしていた。それによって大学行政や警察に食い込んでいったという背景があると。
 というか20億円の使途不明金という時点で学生運動と言うよりも、完全な経営の問題ですね。なんでこんな馬鹿なことをやるトップをおいといたのか…。まあ戦後復興期から大学運営に携わっていたようで、現代の大学事情とは異なるいろんな背景があったんでしょうけどね。前から学生運動の問題があって、この問題はきっかけにすぎず、結局いずれはぶつかったと見做すべきですかな。
 んで、運動部系は職の面倒を見てもらう見返りに大学に協力するという流れがあったわけですね。特に学生運動の鎮圧に協力した学生が警察に入っていって、2017大卒の警察官では日大卒が最も多いと(過去ン十年、現在どの大学出身者がン千人なのか見ないとちょっとデータとして弱い気がしますが…)。また、危機管理学部で警察OBを天下りさせており、日大と警察は太いパイプがあるという話。
 理事長の田中氏にしても、元学生横綱で今でも相撲界に強い影響力・パイプがあるんですよね。学士力士では、日大出身者が一番多いですし。この不祥事で田中理事長から、日大系力士にも負の影響が及ぶのではないかと角界関係者がヒヤッとしたなんていう記事も見ましたしね。唯一の大卒横綱輪島に始まり、舞の海高見盛琴光喜などが有名ですかね。今だと石浦や遠藤ですか。学士力士が今後角界を変えていく存在になるとしたら(学士様が言ってることはわからねぇやと中卒・高卒力士が殆どの世界で倦厭されているという話があるのでそう簡単に行かない可能性のほうが高いのでしょうが)、その中心大学日大がパワハラでボロボロという要素は後々関わってくるかもしれませんね。まあそんなことはさておき、パワハラの話を。
 
 ⬛アマチュアスポーツでは時に卑怯な反則が起こりうる
 日大タックルをきっかけに続々でてきたスポーツ界の不祥事についても一言二言コメントを。日大タックルという明らかな反則行為、勝利のために相手選手に怪我を負わせる。傷害行為を厭わない監督・コーチの指示については、今更あーだこーだ言う必要はないと思います。やるほうが論外なのは言わずもがな、やられる方は最悪そういうクズが背後からのタックルのような論外の反則に出てくることを前提に防止策を取っておかなくてはならない。
 関西学院が問題というわけではありませんが、リーグ戦で日大と対戦する諸大学は彼らがどうも汚い・怪しいチームだということは、陰に陽に知っていたはず。であるならば調査を進めておいて、それこそスパイ活動・諜報で相手の反則指示などを掴んで、告発するくらいのことをしないといけない。ボクシングの記事で世界戦においては、そういう汚い世界である以上、反則を前提として戦え・相手がルールを破る前提でそれをさせないような契約条件を盛り込めと書きましたが、スポーツの指導者は常識として相手の反則・反フェアプレーを前提にしておかないといけないということですね。
 行き過ぎた勝利至上主義云々という話がありましたが、指導者にとっては結果が全て。それで自身の成績=給与・待遇に関わってくるのですから、反則をいとわない者が出てくるのはむしろ当然でしょう。プロスポーツ・五輪から遠いマイナースポーツであればあるほど、他に目的がないのですから尚更その傾向は強まるでしょう。世間に注目されることもなく、大学の名誉だったり、そのスポーツ内での狭い世界でのシェア・自身の名声を高めること以外他にすべきことがないのですからね。
 
⬛むしろこれまで報道のメスがはいってこなかったことが異常
 逆に言うと、そういう腐った業界が放置されてきたということですね。それだけ大学・アマチュアスポーツという領域において、メディアが興味・関心をいだいてこなかったということですね。
 今、不祥事が頻発しているのは、何のことはない。腐った世界が放置されていただけです。で、不祥事が起こって、話のネタとして面白いから食いついて飯のタネとして利用しているだけですね。メディアにとって「画」というのは非常に大きい。SNSでいくらでも拡散できる時代に、動画撮影をしてくれる個人がたくさんいる(ハンドボールやバスケの留学生の事件もありましたしね)。ショッキングな映像が撮れるのですから、あとはそれを利用して報道すれば良いのですから、楽なことこの上ないですね。
 ※一応ですが、まっとうなジャーナリストの名誉のために書いておくと、そういう危険な行為・パワハラなどについて地道に取材をしていた心ある人も少なからずいたはずです。それを取り上げてこなかった。飯のタネにならないからスルーされてきたという要素もあるわけで、そういった不祥事報道を積極的にすくい上げて是正する対応がなければそうなるのも当然ですね。報道のせいだけにすることは当然出来ません。
 
⬛問題外の危険な反則に断固とした処置を
 日大タックルの事件で疑問に思ったのは、審判が背後からのプレートは関係ないというタックルで怒ってフラッグかなんかを叩きつけたという話。ありえない反則ならば、その異常性は一度でわかるのですから、即退場と没収試合が筋でしょう。田中賢介の走塁のところでも書きましたけど、ああいう事例については審判が危険な行為だと認定して、即座に判断を下せばいいだけなんですよね。そういう非常事態における判断・個人の意志を示せないレフリーが多いですね。中立な影役なので、強力な意志・試合を左右する決定的なジャッジを下せないというのはわかりますが、怪我をするレベルの危険なプレーについては強固なジャッジを下すべきという前提をスポーツ界前提で共有しないとこういうことはまた起こると言えましょう。
 結論として、危険な指導者が存在するチームと戦う相手チームは反則をマークして、審判に速やかに通告すること。審判もまたそのような危険行為があった場合、反則負け・没収試合という措置をとること。危険行為追放のために徹底したマークを怠るなということですね。
 
 ⬛パワハラ対策に取り込まない限り問題は再発する
 危険行為はそれでいいとして、もう一つの問題パワハラはどうするかという話に移ります。日大のチアリーディングや日体大の駅伝など大学内・特定の組織内で問題が完結してしまう場合どうするか?本人や第三者が告発しない限り中々明らかにならない。また不問にされやすい、もみ消されやすいという現実があります。今回、渦中の日大であったことが、チアリーディングの告発に非常に有利に働いた。そしてパワハラ・いじめ案件で声を上げれば勝てるんだという既成事実が誕生したことで続々と声が上がった、我も我もとなって告発が続いたんでしょうね。大学でも社会人チームでも第三者の目が触れやすい環境を作るとか、問題が起こらないか定期的に別系統の監査・チェックが入るようにしないといけないでしょうね。
 そもそも上意下達で風通しが悪い組織が殆どでしょう。旧時代のシゴキ前提で育った選手がそのまま監督となって、暴君のように振る舞うケースは後をたたないわけで。そういう古い慣習が嫌で、能率的・合理的練習や組織運営をしたいという人がトップに選ばれない限り、まず組織が変わることはない。監督=指揮官とコーチと選手が、それぞれどういう役割でどういうことをすべきなのか、事前に明確にされている組織の方がレアでしょうからね。暴力だけでなくパワハラという問題に対して徹底的に取り組む。そのための研修・指導者、第三者を介入させるなど、今のうちにウチの大学では決してスポーツで不祥事を起こさないと一から取り組まなければ、今後も続発するでしょうね。そしてそういうちゃんとした大学は殆ど無いでしょう。
 
 いじめやパワハラというのはまあそういう常識な対応で十分なわけですが(それすらも満足にできていないからこういう事が起こっているわけですが)、問題は指導に含まれる暴力。話題になった体操界の宮川選手への暴力行為ですね。コーチの速水氏の映像が出るまでは、被害にあった本人がパワハラではないと否定していたことから、気に入らないコーチ潰しの謀略・策略なのではないかと思っていました。しかし実際に映像が出てくると、言い逃れのない行為。完全にアウトだとわかりました。体操界は塚原夫妻が正常な範囲を超えて権力を行使しているという問題以外に指導に暴力を用いるという悪しき慣習が未だに強く残っているということ。まあ、体操に限った話ではないのでしょうが。
 レスリングの栄氏が実績を以って組織に君臨し好き放題やることが出来たのも、そう珍しい話ではないでしょう。スポーツ界の組織では、偉大な実績を持つものがカリスマとなって君臨しやすい。スポーツ庁辺りが担当となって、組織運営を毎年チェックして人事や予算について適宜問いただしておくほうが良いでしょうね。まあ、そうするとスポーツ庁の力が強くなって、そっちの組織が腐敗していくのでしょうが。
 何度も書きますけど、対策してゼロとは言わなくても不祥事が発生する確率をぐっと減らすことは出来ます。アタリマエのことが当たり前に行われる組織を作って運営すればいいだけですから。まあ、そういうアタリマエのことを理解した人がスポーツ界に(下手したら日本の社会殆ど)いるとは思えないので場当たり的な対処・厳罰をしただけで終わると思いますが。
 
⬛山根ロスで五輪惨敗では意味がない、汚い世界に適応すべし
 で、最後に特筆しておきたいのは、アマチュアボクシングの話。山根会長が追放されることで、この事件は話を追えましたが、最初に思ったことが、これで大丈夫なのか?ということ。ボクシング*1という世界は、何度も書いたように汚い世界であること。公平性はどこへやら、謎判定が日常茶飯事で起こるわけです。プロでさえ、定期的にこの試合の判定はおかしくなかったか?という騒動が年に数回はある(下手したら10回?)。アマチュアボクシングは言わずもがな。オリンピックで明らかに勝っていた選手が判定負けするという事例は枚挙にいとまがない。
 そんな世界において山根氏が「俺のおかげでメダルが取れた」というのは一定の説得力があるわけです。ある種ヤクザもの、マフィアのような存在の彼は、表だけでなく裏の事情も知り尽くしていて世界中のボクシング関係者に顔が利く・太いパイプを持っていた可能性がある。事実アマの国際的な関係者とコネを築いていたわけですね。清水が判定負けしたのに抗議で覆ったという異例の事態も山根会長のコネのおかげという性質があってもおかしくないわけです。
 村田の決勝戦で山根会長の甥だか誰かをセコンドに無理やりつけたのも、周囲に「不当判定をしたらわかるよな?」という圧力。もっと進んで言えば「どっちに判定を下せばいいかわかるよな?」というメッセージだったと言えるわけです。村田の実力でメダルが取れたのは言うまでもありませんが、そういう用意周到な配慮がプラスに働いたのは疑いようのない事実なわけです。そもそも村田自体が件の「奈良判定」によって優遇されたカテゴリーにあった奈良県民だったわけですしね(言うまでもなく村田の実力に奈良判定は大して影響ないでしょうが)。
 「奈良判定」そして「日大判定」なる言葉でわかるように、山根会長の恣意的な裁量でこの選手を育てる、そしてその煽りを食って排除されるという不正常・不健全な事態が続いてしまったのは確かで、それ自体大問題で追放されるのは当然すぎる結果でしょう。しかし、山根パージ(追放)で、ボクシングにとって必要不可欠な世界的な影響力というものについてはどうするのか?という別の問題が出てくるわけです。ダークな独裁者山根がいなくなりました、でも世界的な影響力がなくなったので、判定でぼろぼろ負けるようになりましたでは困るわけです。改革で山根追放をやるならばその点もきっちりやってもらわないと困る。そういう当たり前のことを指摘している人はいるのでしょうか?
 そんなことを思っていたら、やはりこういう話が出てきましたね。山根ロスのボクシング連盟、新会長が逮捕歴を告白の仰天負けるはずのない選手がおかしな判定で負けてしまったとのこと。これについてはどうするつもりなのか?ちょっと考えてもらわないといけません。他のスポーツだとそこまで重要ではなくてもボクシングという汚い世界においては重要なことですからね。
 ボクシング界の不正がなくなる見通しがあるのならばともかく、そうでなければ五輪で不当な判定にあって惨敗するのは目に見えている。判定で涙をのまないように対策をすべし。第二・第三のクリーンで問題のない山根を作るか、五輪直前にだけ山根を復活させるか考えなければならないでしょうね。プロアマの雪解け、ボクシング団体の一括化に、健全なボクシング業界のために色々示唆するところの大きい事件でしたね。
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【コードギアス解説・考察】 ルルーシュ生死の謎の続き、コードとかギアスについての推測・考察

 

 ―で書いた中でちょっと邪魔かな?冗長になるかなと思ったところを分割してこちらに載せることにしました。新作映画の発表、『コードギアス 復活のルルーシュ』というタイトルで新作・映画で続編をやるということなので書いてなかった解説を今頃書くことにしました。過去に書いていたギアスの記事を見直していたら、とっくの昔に書いたと思っていた最後の解説・ギアスの話を書いてなかったんですね(大爆笑)。ということで今、ギアスの解説を新しく書いてます。ギアス関係を見直して、画像ないと寂しいので画像入れたいな~と思って画像をちょいちょい打ち込んでたら文量がちょっと多く見える。バランス悪いかなということで分割。最後のギアスの話は、早ければ一週間、まあどんなに遅くても一ヶ月以内には書き終えるでしょう、多分(^ ^;)。*1
 ということで以下、分割した補論的な話です。まあ多分、この記事は伸びることはないでしょうけどね。ギアスばっか検索で人来ますからね~。ブログアクセスの三分の一くらいギアス記事なんじゃないかな?(笑)。
 出だしはつながりがわからなくなっても困るので重複して始めています。⬛CCとの契約~からが続きですね。一応パッと見でわかるように色を変えておきました。

 

目次

 

⬛エンディングには3つのルート・可能性がある

 さて、コードギアス最終回、ラストの考察から。まあ、他のところでも幾つか解説見かけたんで、ここはさらっと流しますが、最終回ルルーシュはどうなったのかという話。可能性を考えると

ルルーシュ死亡/CC不老不死
 <CCがCode保持者のまま>
ルルーシュ生存/CC普通の人(不老不死ではなくなる)
 <CCのCodeをルルーシュが継承、ルルーシュがCode保持者>
ルルーシュ生存/CC生存(ともに不老不死)
 <両者がCode保持者、ルルーシュはCCのCodeではなく、シャルルのCodeを引き継いだ>

 ―という三つの可能性が考えられるわけです。んで大方③のパターンで解説されています。そして多分それで間違いないでしょう*2。素直に作品の最後まで見ていると、①「ルルーシュ死亡ルート」のように思えます。ただ、個人的には③「ルルーシュ生存ルート」のように思えます。そしてコードギアスファンの中に、この③の「ルルーシュ生存ルート」に強い拒否反応を抱く人がいるようです。

ルルーシュ生存でも物語の完成度は下がらない。CCを見てわかるように不死とは罰なのである

 ①だと、ルルが自分の命をかけて世界を救ったということで上手く話がまとまる。そういう作りになっている。なのに③でルルーシュが生きているという展開になると、その自己犠牲・「献身」性がなくなってしまって、物語の意義・意味合いが薄くなる。ヒーローが自己を犠牲にしてまで世界を救うというところがカッコいい。また自らの罪の償い・贖罪に加えて、「撃って良いのは撃たれる覚悟のあるやつだけだ!」というルルーシュの覚悟、精神性の気高さ、矜持があり、それが最後の最後で完璧な形で果たされたからカッコいいのに、それが台無しになってしまうと。「何だ生きてんのかよ!」となってしまって感動が薄れてしまう。自己犠牲で最後上手く完結する話なのに台無しになってしまうよ―というような感じのコメントを見ました。
 しかしちゃんとそれに対するレスがありまして、『いやルルが生きているとしても、ルルは「不老不死」になってしまう。CCがその「死ねない」という呪いから逃れようと行動していたように、「不老不死」というのは実は罰なのだ』という感じのレスがあり、見事にその意義・解説がなされていました。まさにその通りでしょう。永遠に生きるという「不死の罰の道」をルルは選んだのですね。意図的な選択の結果かどうかは不明ですが、不死という罪を歩むことになったことは、CCの苦しみを考えると、その辛さ・罪の重さは言うまでもないことであるので、ルルーシュが死んだとしても作品の完成度が低くなることはなく、真に上手いラスト・オチだと言うことが出来るでしょう。*3

⬛「ルルーシュ生存ルート」、VVコードを継承したと考える根拠

 ①「ルルーシュ死亡ルート」でなくても話の整合性、ラストの感動のフィナーレに水を差す物ではない。しかしそれでも②、③どちらなのか?まだ謎は残るんですね。結構③の解説が多かったんですけど、②の可能性ももちろんあるわけです。しかし個人的にはまあ、③だろうという根拠があります。②ではなく③になる可能性、つまりCCのコードではなく、シャルルのVVのコードを継承したという根拠の解説は見たことなかったんでその解説をちょっくらしてみたいと思います(まあ、そんなにググってないのでドコかに解説が書いてあるかもしれませんが。あ、あとついでにここから面倒くさいのでCodeでなくて、コードってカタカナ表記にしてます)。

⬛CCとの契約を守るなら②か③かのどちらかになる

 CCの願いというのは「死ぬこと」でした。ルルーシュは「撃っていいのは、撃たれる覚悟のある奴だけだ」と行動をし続けた結果、自分の言ってきたことに責任をもって、その言葉を守って死んだわけです。ルルとCCは契約を結んでおり、ルルはCCとの契約を果たすと言いました。その約束を守らずにルルが「やっぱ世界守るために、俺死ぬから、約束は守れないわ~、CCごめん、メンゴメンゴ(ゝω・)テヘペロ」と言うでしょうか?CCとの契約を果たすための行動をとったと見るのが自然です。
 ルルは契約を守るためにCCからコードを引き継ぐという話をしたはずです。CCは自分のような呪われた運命を味あわせたくないと拒否したかもしれません。もし、納得してもVV→シャルルのコードを引き継いだルルが更にコードを引き継げない事で、その時気付いたかもしれません。まあ実際に確かめたかどうか、それはわからないですからなんとも言えませんけどね(コードの統合という話がラグナレクの接続のところでありますが、ラグナレクの接続抜きでコードを統合できるのか疑問の余地があるので)。
 シャルルがCCのコードを奪ってコードを一つに統一しようとしたことがあるので、ラグナレクの接続の前段階でなくてもコードを一つにできるかもしれません。だが、このときルルはギアス能力者でしかなく、シャルルのようにコード保持者*4でないので、きっとそれは出来ないと考えていいでしょう。
 CCが拒否して確かめられなかったか、それとももしかしたらシャルルのコードを継承した可能性があると事前に知っていたのか、わかりませんが、いずれにせよこの時点でルルがCCのコードを継承出来なかったと考えられます。もしかしたらシャルルのコードを継承したとスザクもCCも薄々感づいていたとしても、あんまり気にしなかったというか確信を持てなかったから確かめなかったかもしれませんね。大事なのは「未来」とそれを作るまでの過程としての「今」でしたから、そこら辺の検証などは曖昧な感じだったのかも知れないですね*5
 これもコードの原則とかルールがいまいちハッキリしていないので絶対的な確証をもって言える話ではないのですけどね(※小説読んで、そこら辺の設定がハッキリわかったらまた書き直します)。まあ、物語のテーマ上、そしてこれまでのCCとルルの関係性を考えて、③の結末にならないとおかしいんですね。作中の考察というよりも、作者のテーマという観点からこう読み取ることが出来るという話になります。

⬛コードとギアスについておさらい

 そもそも、コードとギアスの関係があやふやなんですよねぇ、そこら辺解説しっかりしておいてくれれば、こんなあやふやな説明にならずに済んだのに…。知り得る限りの説明をすると、コードというものを持つ人間は不老不死(①)でCの世界’(おそらくCollective unconscious:集合無意識のCで、集合無意識の世界)とアクセス出来る(②)。故に他者への精神接触も可能です。そして才能のある人間にギアスという能力を与えることが出来る(③)。
 コード保持者からギアスという能力(①)を与えられたギアス能力者は、ギアスという能力を使い続けるとその力は強くなる。強くなりすぎると、本人でもコントロールが効かなくなる(②)。主に目を介在して能力を使うわけだが、強くなると片目だけでなく、両目にギアスの「ひ」のマークが現れるようになる(③)。その状態になるとギアス能力者はコード保持者からコードを奪うor継承するということが可能になる(④)。そしてコード保持者となるとギアス能力を失うが、不老不死となる(⑤)。

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Cの世界で右目も開いて、両目とも「ひ」マーク持ちになりました(③)。これで④のコード継承が可能な状態になるわけですね。

 まとめると次のようになります

<コード保持者>
 ①、不老不死
 ②、Cの世界・集合無意識にアクセスできる
 ③、才能あるものにギアス能力を与える
<ギアス能力者>
 ①、集合無意識に働きかけ自他に影響を及ぼすギアス能力を使える
 ②、ギアス能力は強くなると制御不能になる・暴走する
 ③、強くなると両目にギアスマーク・「ひ」の字が常時現れる
 ④、③の状態になるとコード保持者からコードを奪う・引き継げる
 ⑤、コード保持者になるとギアス能力を失い不老不死となる

 コード保持者からギアス能力者がコードを継承した事例がCCとシスターの例と、シャルルがVVから「奪った」という事例の2つの例しかないので、類推になりますが、コードを失ったものは不老不死ではなくなり、死ぬようです。その2つの事例から考えるとCCが生きている事を考えて、ルルがCCからコードを奪った可能性はグッと下がるでしょう。
 ただし、シスターが死にたいと願っていたことや、VVが瀕死の重症だったことを考えると、シスターが不老不死でなくなっただけで、即自ら死を選んだ・自殺した可能性があります。またVVも回復能力が働かずにコードを奪われて、瀕死の状態でありそのまま回復できずに死んでしまったという可能性も考えられないわけではないので、CCが単にコードを失って不老不死ではなくなっただけという②の可能性もゼロではないでしょう。②の「ルルーシュ生存&CC脱コードルート」もやはり一応考えられます。
 

⬛補論:ギアス能力の特性について

 (※ここは一応の補足解説なので、簡単に読み飛ばして下さい。)ああそうだ、ついでに一応解説しておくとギアスって最初見たときにいつもの能力者モノ、「能力者バトル」漫画が昨今の潮流の一つになっているように、この作品でも色んな能力・異能力者が重要な要素として関係するものだと思って見ていました。が、しかし、この作品においてはギアス能力というのは集合無意識にアクセスして能力を発揮する、集合無意識を通じて相手の意識に干渉を及ぼすということになっているので、通常の能力モノ系とはちょっと違うんですよね。あんまりそれを指摘しているものがないのかな?と思ったのでその話をしておきたいと思います。作品に登場した能力を並べると
 ●ルルーシュ、一度だけ相手に言うことを聞かせる*6
 ●マオ、特定範囲内の人間の心を読む
 ●シャルル、相手の記憶を書き換える
 ●ロロ、特定範囲内の人間の時間の流れを止める
 ●ジェレミア、ギアス能力を解除する
 ●教団の子供、特定範囲内の相手の動きを操る(おそらく)
 ●CC、愛される(おそらく特定範囲内の人間に好意をもたせるor虜にする)
 ●マリアンヌ、死後に生者の心に取り付く(ちょっと表現難しい)
 ●ビスマルク、特定範囲内の人間の未来を予測する
 ―となっていて、すべて集合無意識を通じて相手の精神・心に影響を与える、干渉するものなんですね。だから「私のギアスは火を操る程度の能力!」とか「僕のギアスは物を重くする程度の能力!」みたいな人は出てこなかったんですね。だから能力バトルモノとはちょっと一線を画すわけです。自由に色んな能力を都合に応じて展開させられない。あくまで集合無意識を通じて相手の精神に影響を及ぼすという範囲内でしか能力は発揮・発現されないんですね、実は。

⬛集合無意識下でのルルVSパパ・ママの経緯についての考察

 んでまあ、ルルがCの世界で集合無意識に「願い」のギアスをかけます。以前ギアスがあるとしても、なんで一人の力で巨大な集合無意識に影響を及ぼせるんだよ、無理ありすぎじゃね?そもそも集合無意識からギアスという力を引き出してその集合無意識にアクセスしているんだから無効化されるんじゃないの?的なことを書きました*7が、最終話でのラストのスザクとの会話でスザクが言ってましたね。
 「僕たちはCの世界で人々が明日を望んでいることを知った」って、つまり集合無意識も、人々も明日を望んでいるという思いが元々あったから、ラグナレクの接続・アーカーシャーの剣という「神殺し」の装置の無効化が出来たわけですね。ルルのギアスはきっかけで、それによってより強力な力を発動・現実化させたと見なすべきなんでしょう。
 それはそれで謎が解けたので良いとして、シャルルの話。ママアンヌは精神体ですから、彼女がギアスを受けた集合無意識に飲み込まれるのはわかるのですが、シャルルがコード保持者で不老不死なのにCの世界に飲み込まれるってのはどうなんでしょうか?そもそも「時の歩みを止めないでくれ!」というのがルルの願いだったはずなのに、どうして「あなた犬の散歩いくならスーパーで卵と牛乳とハム切れてるから買ってきて」みたいなお使い感覚でついでにホイホイ二人を飲み込んじゃうのでしょうか?ラグナレクの接続・アーカーシャーの剣という「神殺し」の装置を破壊することでルルの願いを叶えるだけでいいような?神殺しの罰といえるんでしょうけども。
 今思いつきましたが、Cの世界に干渉すること事態がまあNG、大逆も大逆、不遜極まりない行為ですよね。Cの世界にアクセスするような輩がいる限りこのようなことは起こる。だからスーパーひとし君人形のように、ファファッファファッファーワぁぁぁンと没シュートしちゃたということなんでしょうか。

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神の領域に足を踏み入れた天罰というような意味合いなんでしょうか。ママアンヌも「CCもこの計画に賛同していたのにどうして!?」と言っていましたし、改心したCCは見逃されて、Cの世界にあまり来てなかったルルとスザクの二人はもちろんおkだったということになるのでしょうかね*8
 ルルは集合無意識に「時の歩みを止めないでくれ」というギアス、願いをかけることで膨大なエネルギーを使い、ルルの両目が開く状態、両方共「ひ」になってコードを継承することが可能な状態になりました。いささか「時の歩みを止めないために」というギアスの拡大解釈の気もしますが、シャルルはCの世界に閉じ込められる、飲み込まれることになります。

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 (※追記、集合無意識で全人類が繋がる=意識・想いの共有で嘘がなくなる。嘘・偽りのない世界になる。しかしそれは悲劇が生まれなくなると同時に何の変化も生まなくなる。何の変化もない同じ毎日の積み重ねになる=時の歩みを止めることになる。まあ大体そういうロジックなわけですね。ラグナレクの接続・アーカーシャーの剣というのはその時の歩みを止める道具・システムだったから崩壊消失するのは当然。んで、シャルルもママアンヌも既に先行して、全人類の誰よりも早く集合無意識とそのシステムで結びついていた。システムの一部となっていたということかもしれないですね。なので「時の歩みを止める」装置の一環だった二人は消滅したということかもしれません)

⬛Cの世界が人間はともかくコードを呑み込めるとは考えにくい

 この時シャルルが不老不死のママ飲み込まれたのかどうかがポイント。ルルーシュがコードを引き継いだかどうかのポイントになると思われます。たとえば、ジョジョのカーズのような状態にして、永遠に苦しむという罰を与えることが集合無意識に可能だったのか?精神面だけ飲み込んでしまう罰という形でCの世界を出たら、シャルルの身体・肉体自体は存在する。だが肉体自体は不老不死でも、何の意思も持たない植物人間状態、意識のない人形のような状態になっていた。不老不死のシャルルを倒すには精神面で倒すしかないので、Cの世界で呑み込んで行動不能にしたというパターンも考えられます。Cの世界で、精神世界上で繋がっているだけなので、心・意識を集合意識が呑み込んだだけで生きていることは生きているパターン。殺せないのでCの世界に封印した説というのも考えられるんですね。(「不老不死シャルル、VVコード封印」説とでもしておきましょうか)
 このパターンだと①と②の「ルルーシュ死亡ルート」と「ルルーシュ生存&CCの脱コードルート」のいずれかになります。まあ、それならば、シャルルの廃人状態が描写されるはずですし、皇帝ルルーシュの所で、ルルーシュが「皇帝は私が殺した」と言っているシーンで捕虜にしてある植物状態のシャルルを殺す映像を後から撮って皇帝弑逆シーンを流すはずなのでやはり考えにくいパターンなんですね(まあ尺足りないからという言い訳されればそれまでなんですが)。
 また、もう一つこのパターンが考えにくい理由として、「不老不死シャルル封印説・VVコード封印説」が考えにくい理由として、シャルルを単に精神的に殺す。Cの世界に吸収して封印するということ自体はありえても、コード・VVのコード自体を封印することが可能なのか?という疑問があるからですね。Cの世界に干渉して「時の歩みを止めないでくれ」という命令を下したルルーシュがいて、そのルルーシュにコードを引き継がせないということがありうるのか?CCがコードの統合で2つのコードを同時に継承しているならまだ可能性はありえても、Cの世界がコードを吸収することが出来るのならば、もっと昔からコードを抹消しようとしたCCのような人間が実行したでしょうからね。コードを有史以来かどうか知りませんが、ずっと引き継いできた集団・人間がいて、そんなことで消せるものか?
 ラグナレクの接続でコードが消えてなくなるという設定があるのですが、それはCの世界と全世界の人間の心を集合無意識を通じてつなげた場合の話。それが失敗した今、2つのコードが1つだけでも消滅するとは考えにくいと思うのですね。
 (※追記2―不老不死という呪いがかけられたコードというものを持っているコード保持者は「死にたい」と願って延々それに縛られる。その呪いを精神的死という形で逃れられるのか?植物状態だったり、精神ダメージで自我を崩壊させて抜け殻となった誰かの肉体に「封印」出来てしまうだろうか?そんな疑問がありましたが、CCが記憶をなくしてピュアCCになった時がありましたよね?あれを見る限りやはり一時的に意識を飛ばしてCの世界に引きこもるようなことは可能でも、自我の消失や消滅は考えにくいでしょうね。そういう事を考えてもやはりルルーシュが「達成人」になったかどうかはおいといてシャルルからコードを奪ったと考えるのが自然に思えますね)

⬛Cの世界はシャルルのコードを奪いルルーシュに与えた。もしくは覚醒したルルーシュが奪うという形でVVコードを引き継いだ

 確証がないのでハッキリと断言はできませんが、表題・↑タイトルのように推測しています。そして、ルルがコードを引き継ぐ条件は整ったので、集合無意識は不老不死のシャルルを殺すために強制的にコードを剥奪したと考えるのが自然だと思えます。コードを持っているシャルルがいる限り、同じことがまた起こる可能性があるわけですから、封じ込めorコードを剥奪する。そして時の歩み、明日を望むという集合無意識の、人々の願いと一致する意志を持つルルーシュにコードを託したのだと解釈すべきでしょう(まあ、単純にルルーシュがコードを奪ったということでも良いんでしょうけど、こっちのほうがより良い話になるのでこの説を押したいと思います)。
 それがもし正解だったとしたら、シャルルのてのひらにコード「ひ」の字を飲み込んだ段階でなくしておいて欲しかったですね。そうしたら「あれ?シャルルの手のひらからコードのしるしが消えてる!」となって簡単に確信できましたからね。最後に手のひらが映るシーンではまだコードの刻印が残っているんですよね…。なのでちょっとまだ断言しきれない、確実な根拠に乏しいところがあります。

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 それとも最後に「消え失せろ」という叫び、親殺しの意志を明確に見せたそのときに明確にコード保持者を殺すという意思表示となって、コードを「奪う」ということになったのでしょうか?そうでなければ、集合無意識がスターを取ったマリオ状態でなんでもありで、コード保持者であろうと何であろうと飲み込んでくれたという設定なのでしょうか?飲み込まれつつあるシャルルがなんであんな幽霊みたいな謎の動きができるのかもよくわからん話ですしねぇ。散々ネタとしていじられていましたね、この画↓。

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( ※追記3―飛ぶ皇帝おじさんで思い出したのでついでに余計な話。f:id:drkinokoru:20180901202216p:plain

そういえば、この右手に見えるコードがルルの首に触れたことを以ってコードが直接移ったという説も見た覚えがあります。コードを統合しようという時に、右手のコードをかざしてCCのコードを奪う統合なのか?それとも協力プレイ?かわかりませんが、右手にあったんですね。前からコードは右手にあったと思うので、あえて今回の統合のために右手に移した云々があればまた面白いのでしょうけどね。まあそのことが無関係とは言わなくても、コードの継承というのは集合無意識に願いをかけた時点でなされるべくしてなされるものだったと考えるほうが良い気がします。)
 (※追記4―ナナリーの笑顔の意味、お前たちが欲しているのは「他人に優しくなれる世界」という優しい世界ではなく、「自分達に優しい世界」を欲しているだけだ。自分の子供の生死を気にもかけずに見捨てたのがその証拠だとしてシャルルとマリアンヌの世界・優しい世界をルルーシュが否定する。

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で、この賢しき愚か者めがぁああ!と突撃してきたシャルルは「このままだと嘘と偽りの世界・善意と悪意が一枚のカードの裏表で入り混じったシュナイゼルの世界だぞぉう!」―と、今のような世界=悲劇がずっと続くことになる。永遠に苦しみ続ける人間・犠牲者が生まれるんだぞぉうとルルーシュに怒りをぶちまけます。しかしそれを「だとしても、お前の世界は俺が否定する。消え失せろ!」

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ルルーシュが意志を明らかにした。それによって、ルルーシュは親殺しと同時に時の歩みを止めない選択をした。時を進み続ける選択をしたルルーシュに集合無意識がコードを委ねたと見做すべきでしょう。ルルーシュが集合無意識に「明日が欲しい」「時の歩みを止めないでくれ!」と願いをギアスを通じてかけた。そして集合無意識が「よっしゃ!わかったで!そのかわり後のことは任せた!」とみんなの未来をシャルルのコード毎任せたということでしょうね。コードを負のもの・呪いとみなすならば、コードを引き受けてもらうということになるでしょうが、コードが希望の存在となる展開もありえるのでそこらへんは待て次作!ですね―と言っても、そこらへん特になんにも触れられない可能性もありますが(笑)。)
 (※追記5―こんな短期間で更に追記するのってどうなの?って感じですが、思いついてしまったのでしょうがない。単なる気になるポイントなんですけどね、左から右という話で右目に「ひ」ギアスマークが発現する・両目開眼は全員おんなじパターン・最初は左目だけだと思ったのですが、実は初期状態・片目ギアス状態が右目というパターンもある。どこかのサイトでギアスの子供の話を見てそれ自体どうでもいい話だったんですが、画を見た時、あれ?子供のギアス右目じゃんと引っかかったんですよね。

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 んでまあ、気になったんで、他のギアス使いの片目はどうなってるか調べてみました。ロロが右目だったので、ということはVVコードは右目オンリー。CCコードは左目というパターンになっているのかな?と調べたらどうもそうでもないんですね。じゃあ、子供とか、ある一定段階まで成長していない場合は右目?それとも嚮団の改造を受けた場合は先天的・ナチュラルな存在ではないので右目になるとかがあるのかな?と気になったんですね。

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マオ・CC・マリアンヌ・ビスマルクは左。マオの場合は右目が見えなかったんで幼少時に既に両目ギアスという可能性もあることはあります。小説でルルーシュよりも優れた才能を持っていたといいますしね。性別・年齢・後天的な改造・授けるコード保持者の違いもないみたいですね、これ。言うまでもなくルルーシュとギアスキャンセラーのジェレミアは左なので。なんでこれ条件バラバラにしたんでしょうね。こんな適当にしたら間違えそうなものなんですが、現にルルーシュが右目ギアスになってましたしね。ロロのギアスにかかると目がロートこどもソフトみたいに真っ赤になるんですが、その指定で両目赤くするのとギアスを間違えたのかもですね。ギアス暴走を防ぐコンタクトがあるから右目だけ赤くならないとかも考えましたが、この時普通に二人は会話してるので、まあ単純なミスでしょうね。

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VVがロロに、君は出来損ないなんだよ!みたいなことを言っていたので、ギアス能力が弱い・未完成の場合、右目に発現ということなのかもしれないですね。ジェレミアの場合は実験がうまく行ったから&特殊なギアスキャンセラーという能力だから左目ということかもですね。
 で、そんなミスがあったんだ、へぇ~的なことはどうでもよくて、また追記しようと思ったのは、マリアンヌが私のギアスは「人の心をわたるギアス」という説明をしていたところに引っかかったからなんですね。「意識を表層にあげた時CCと心で話すことが出来る」という所。逆に言うと「意識を表層にあげさえしなければ」CCやRRであるルルと話をすることもない。つまり、もし生きていたとしても集合無意識にアクセスできるコード保持者にもバレないということですね。アニメだといきなり出てきて、集合無意識に呑み込まれた影の薄い母親なんですが、小説ではマリアンヌこそ主役というか黒幕・ラスボス的存在なんですね。閃光のマリアンヌどんだけすごいんだよというエピソードもありますし、三期じゃなくて新作映画でもしかしたらマリアンヌが出てくる可能性がありますね。マリアンヌのギアスが人の心をわたるギアスで、人に取り付くことが出来る。集合無意識に呑み込まれたと見せかけて、とっさにギアス能力でスザクに取り付いて生き延びたということが考えられるんですね。
 ルルーシュとCCとスザクの3人がいて、CCにはギアスが効かないのでダメ。コードギアス状態だったルルーシュは一応ギアスが効くのでワンチャンありで、やはりスザクが大本命ですね。実はあのマリアンヌが生きていてスザクに取り付いて「復活」を果たして、再度ルルーシュと対決!!だったら展開としては面白いんじゃないかなと思いました。まあ、あくまで可能性にすぎないので、新作映画の展開はそうなるに違いない!とは断言できないんですけど、この展開になったら面白そうですね。まあ、そうならないと思いますけど、的中したらまたドヤりたいと思います。
 ああ、そうそう1期のラストでCCが「残っているのは魔女としての記憶だけ。そもそも自分が人間だったのかすらもわかりはしない」という話から、コードを継承するとそれまでの記憶が消失するという設定がある可能性もあるんですよね~。新作映画の予想的な枠で語りたいな、これ。シャルルは「達成人」だったから記憶が消えなかった。しかしルルーシュはそうではないので、記憶が消えている可能性があるんですよね。新しく書いて文量の問題があったらそちらでもう一回書こうかな~。)
 まあとにかく不老不死のシャルルを葬るためにコードが剥奪される必要があるわけで、ルルーシュに継承されたと見るべきでしょう。コードが二種類存在していて、直接ギアスを与えた方じゃない人間でも継承されるのか?という疑問はありますが。細かい説明、設定が今のところこんな理解でとどまるので、こんなあやふやな解説になりましたがそこら辺はご勘弁ください。  
 以上、【コードギアス解説・考察】 ルルーシュ生死の謎、R2の意味、CCラストのセリフの意味 ―で書いた個人的なルルーシュ生存ルート、VVコードの継承。③パターンであると思う話で書いたコードやギアス云々の推測・考察でした。

 ※おまけ:ギアスを与えたほうじゃないギアス能力者でもコードを引き継ぐことが可能なのかという疑問があると昔書きましたが、多分、大丈夫でしょうね。というのはCODE-Rという用語が序盤のCCのファイルみたいなシーンと、あとオレンジ卿ことジェレミア・ゴットバルトの改造の方でCODE-Rというものが出てきていて、小説でR因子・C 因子というものが説明されていました。なのでギアス能力者に必要な才能というものはR因子というもので共通しているということでいいと思います。VVコードでも、CCコードでも、R因子のレベル・能力さえクリアすれば大丈夫ということだと思います。 
 ついでに、どうでもいい話をもう一つ。シャルルがスザクに思考エレベーター・玉座の奥の間に連れて行った時、「ラウンズでギアスのことを知るお前だけに教える」みたいなことを語っていたのですが、あれ?ナイトオブワンはギアス使えるじゃんという話。考えられるのは単にシャルルがビスマルクのギアスのことをスザクに隠したということ。次にVVからコードを継承したシャルルがギアスを与えたというパターンですね。コード保持者となって、ギアス能力を授けられるか試したくなって、ビスマルクにギアスを授けたというのが展開的には面白いのですが、多分左目を昔からずっと封印してそうですね。いきなり左目にヒモつけてきたら、ウチの上司どうしたんだろ…って話ですし、ナイトオブワンの実績はギアスありきの話っぽいので、VVやCC、多分VVから与えられていたんでしょうね。

※2018/08、記事分割&画像追加、追記4まで

*1:一ヶ月以内に書き終えると言ったな、あれは嘘だ。なんかNoteという有料サイトがあるらしくて、面白そうだなと有料記事にしてみたくなりました。なのでそのまま更新するか、それともそちらに公開するか迷い中…。そう言えば昔何故続きを書かなかったかと言えば、薄い本作って試しに売ってみたら何人くらい買ってくれるのかな?ってやろうとしたことがあるんですよね。結局やりませんでしたが。なので更新は気長にお待ち下さい。というか今後ブログ更新するのかも怪しいですが

*2:実は④としてルルーシュが生きていてCCのCodeも引き継いで2つのCodeを統合したという可能性もなくはないのですが、ちょっとストーリー上考えにくい。まずありえない選択なのでここでは排除しています。なぜ、考えにくい・ありえない選択なのかは次回のそのまた次の回の【コードギアス解説・考察】C.Cの願い=愛されることについてで語っていますのでそちらを参考にして下さい。

*3:ざ~んねんあなた騙されちゃったの!回からCCの不死の苦しみは説明されていたと思えるんですが、不死の苦しみという話がいまいち読み手側・受け取り手に理解されていないフシがある気がしますね。

*4:コード保持者になると不老不死になるが、ギアス能力を喪失する。最終回でラストを迎えるまでギアス使っているので、間違いなくその状態・コード保持者にはなっていない

*5:コード持ってるか確かめたいから、撃ち殺して復活するか試すなんてわけにも行きませんからね(笑)。何より、コード保持者になって復活出来て不老不死になったとしても、肝心要のギアス能力が失われてしまうので最後の戦いが終わるまで、ゼロレクイエムまでギアス能力を放棄することは考えづらいですからね

*6:繰り返し構造のところで色々書いているうちに思いついたので、ルルーシュのギアス能力についておまけ程度の話。ルルーシュは世界を自分の思うがままに創り変えたいという願いを持っていた。ただしそれは「力の支配」ではない。何でもかんでも暴力的に従える、ねじ伏せるようなことは望んではいなかった。いなかったが故に無制限に言うことを聞かせるという形ではなく、制限付きで「一度だけ」という条件がついた能力として発現したと考えることが出来ますね。何でもかんでも自分の言うことを聞くようなロボットにすることを望んではいなかった。人々の自由意志を尊重したいというルルーシュの信念・心理がそこにあったということなんでしょうね。意図してそういうふうな能力設定にしたのかどうか、わかりませんが、そういう意図があったとしたら凄いですよね。本当にどこまで考えて作り込んでるんだって話ですからね。で、そういう願いが心の奥底にあって制限・トリガーがかけられていたのに、最終的にはその制限があるが故に、「お前たちは私の道具となれ」と兵士を操り人形にしたような状況に陥ってしまった。自由に何度でも上書きできる、命令を変えられるのならば、そんな絶対服従を要求する必要はない。人々を奴隷人形のようにすることを避けられたわけですからね。まあ、キャンセラーあるので都合悪くなったら、解除してまたかけ直せばいいので、なんとも言えませんが。作中だとハッキリ描いてなかったので、ギアスキャンセル後書き換え可能かどうかイマイチ不明なんですけどね。そういうふうに考えると父シャルルの何度でも記憶を書き換えられるという能力はルルーシュのようなトリガーがなく、平気で自分の正義・理想を押し付けるという態度そのものを表していると言えますね

*7:前回の集合無意識云々の話は→【コードギアス解説・考察】 「集合無意識」と「仮面」<ペルソナ>の話 

*8:一応、ルルーシュが「消え失せろ!」と言っているので、それがCの世界への命令、二人を消せ!という意味合いにも読み取れるんですけど、それ以前に消失が始まってますからね