てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

【コードギアス解説・考察】 新作映画『復活のルルーシュ the Re;surrection』についての事前予想というか雑感

 こんなちょいネタ書くために久しぶりにブログを更新しましたが、まあ、そんな大した話でもないんですが、気になったので書いておきます。コードギアスは本当にハマったアニメなので、劇場版商法で足を運ぶことがない人間ですが、制作会社の思惑にハマってホイホイ観に行こうと思ったので、事前に観る前にどう思っているかということを書いておきたいと思いました。

 というか追記した時に、書きましたが、総集編だと思って観に行かなかったんですよね皇道とか。シャーリーが生きているとか本当最近知って、最後の3作目だけでも観に行こうかと考えたら、もう近場で公開しているとこがなかったので諦めたくらいです。で、公開終わってから、3作チェックしたので気づいたこと、気になることを書いておこうかと。ギアスブロガーとして書かねばならぬ、何事も。ギアサーの姫として、姫サーのホモとして(意味不明)。

 映画とか、もう何年も観ていないんですよね。5~6年前かな?観に行ったの。観に行くきっかけがないと本当観に行かないですね、映画って。どうしても観たい作品なんてまずないですからね。しかし、コードギアスが新作映画をやるとなったらそりゃあ行くしかないでしょと。

 

■ 新作映画では「繰り返し」構造が否定される

 で、前回からの続きですが、ここで書いたように、 『コードギアス』という作品は、「繰り返し」構造になっている。「繰り返し」ているという事実を指摘したわけですが、総集編3部作映画ではなぜかシャーリーが生きている。これについてどう考えるべきなのか?シャーリー生存ルートということなのか、それこそシュタインズゲートの違う世界線という概念から、世界が修正されたみたいに考えるべきなのか?

 まず、我々にとって言えることは、新作映画はこの「繰り返し」構造を否定したものになるということですね。コードギアスが巧いのは、今回の新作映画・劇場版を劇場版商法だ!と否定できないことです。というのも、コードギアスという作品が、「繰り返し」構造で2期50話で完結した。もしもう1期、続編を作るとしたら、R3でもV3でも、OOでもSEEDでも∀でも、シリーズ名はなんでもいいですが、作るとしたら、25話で同じようになぞらえて作らないといけない。もう一度「繰り返し」構造に当てはめて作らないといけない。それがどれだけ難しいかは言うまでもないでしょう。そして何より、もうその「繰り返し」が理解されてしまった以上、興醒めというかコードギアスの売りである作品のヒキと次回の急展開・驚愕の展開というものが無くなってしまう。人気・魅力が半減とはいかずとも、かなり損なわれてしまうことになるのは間違いないでしょう。

 だからこの「繰り返し」構造を否定するのは当然すぎるほど当然すぎる結果ですね。

 「時空の管理局」が時間をさかのぼって過去を変えた、死者を生き返らせることも自由にできるとかなんとかかんとかありますが、そういう話を置いといても、シャーリーが生き返った結果から、間違いなくこの「繰り返し」構造は明確に否定されることになりますね。

 総集編がカットの雨あられで「えーここカットしちゃうの~」ということがあったかと思いますけど、尺の都合という他に「繰り返し」を意識させる部分のカットという意味合いも大きかったのでしょうね。1期と2期の出だしがそっくりな展開であるのは、誰が見ても一目瞭然。その2期の出だしをまるまるカットしたというのはそういうことなんでしょう。多分、繰り返し展開で残されていたのは最後のシーン。ユフィの虐殺とゼロ・レクイエムくらいでないかと思います。流石にここをカットすると話自体がわからなくなるので、カットして「繰り返し」構造を否定するというのは不可能でしょうからね。あとは、ロボットアニメにふさわしく見栄えする戦闘シーンを極力残すようにしたというところでしょうか。

 新作カットとしてディートハルトを殴ってボコボコにしたと思われるカットがありましたが、報道屋・政治に介入して歪曲しようとするものに対する批判のメッセージが追加されていましたが、そういえば、実はコードギアスは報道の問題とバットエンドという視点があるという話をしていなかったなぁと思い出しました。書いてる時間は勿論ないので、新作映画を見たあとにでも書きましょうかね。*1

 また、最後にルルーシュが死ぬシーンで、過去の思い出・回想がフラッシュバックしていくシーンが、現実から過去へとさかのぼっていくのではなく、逆になっていた。総集編映画では、過去から現在へと順になっていくように変わっていました。また、過去に帰って一からやり直すというメッセージが否定されたことからも、明らかだと思われます。新しい展開、新しい物語、新章突入!ということが想定されますね。

 

①シャーリーの生存*2

②繰り返し・なぞらえたパターンが殆どカット

③フラッシュバックが過去にさかのぼるのではなく、時系列順に展開

 

 ー以上の3点を考えると、新作映画では「繰り返し」は起こらず、新編ストーリー・新章展開になる可能性が強いと思われます*3。マリアンヌという最強のラスボスがより強くなって復活してくるパターンが有るのでは?と思ったんですが、PVなんかを見ても、どうも普通におニューの敵キャラ・勢力登場&バトルで終わりそうですね。マリアンヌ対決も観てみたいんですけどね、ジェレミアが戦うかどうか迷いそうですし。

 余計な話ですけど、ジェレミアはマリアンヌがCの世界で滅ぼされたのを知らないままだったのかなと思ってましたけど、最後のゼロ・レクイエムでルルーシュの望みをただ優先して聞き入れたのではなく、マリアンヌの悪事を聞いて、ゼロ・レクイエムのプランに賛同したんでしょうね。純血派で身分・出世のことしか考えていなかったヴィレッタが最終的に愛によって信念・主張を変えたように、ジェレミアもルルーシュの想いに触れて、純血派という思想も皇帝・皇族への忠義という思いも、ルルーシュという個人に対する忠誠へと昇華していったと考えるべきでしょうね。

 アーニャとのラストバトルも、過去のマリアンヌとの決別を意味する戦いなのでしょう。キャンセラーで記憶を取り戻したアーニャが恩義に感じて、ジェレミアのみかん畑・農業を手伝うという絵だと思ってましたが、ジェレミアの贖罪でもあるのでしょうね。マリアンヌによって人生をぐちゃぐちゃにされたアーニャ、マリアンヌという人間に忠義を捧げていたジェレミアにとって、間接的に自分が彼女を傷つけたも同じ。その彼女を支えてあげようという人間、柑橘類の鑑ですね。まあ、そんなことを考えると、そこまで悩みもしないんでしょうけどね。

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■個人的に気になるポイント・見所

 で、新作映画で気になるポイントとしては、シャーリーの生存でルルーシュの想いは一体どうなるのか?シャーリーとの純愛物語となって、C.Cは放置なのか?

 stage15「喝采のマオ」で「シャーリー、お父さんのことはすまなかった。もし生まれ変わることが出来たら…君に…」(多分、「一生をかけて償いをしたい」とでも言うようなセリフが続くのでしょう)とか、そういう事を言っていたので、この伏線を回収する。

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 またturn13「過去からの刺客」でシャーリーが「ルルを守りたい。取り戻してあげたいの、ルルの幸せを。妹のナナちゃんも一緒に」と言ったこと。シャーリーがルルーシュを守り、妹のナナリーと平和に暮らせるような努力をしてハッピーエンドにたどり着くという展開になるのか。そしてルルーシュがシャーリーの死に際して、「死ぬな!」というギアスをかけた。

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この願いがギアスという能力を通じて、シャーリー復活に繋がったのかという点が気になるポイントですかね。

 そして最終回turn25 「Re;」で、ナナリーが「目を開けてくだい、お兄様」と言ったこと(願い)が、ルルーシュの復活となって繋がるのか、「私はお兄様だけでよかったのに、お兄様のいない明日なんてそんなの…」(この後に続く言葉は、「一体何の意味があるんですか?/何の意味もないじゃないですか」でしょう)という言葉通り、ルルーシュの復活で兄と幸せに暮らすというナナリーの願いが果たされるのか?

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 また、stage3「偽りのクラスメイト」での折り鶴を千羽折ると願い事が叶うというくだりで、ルルーシュがナナリーに願い事を尋ねた時、ナナリーは「優しい世界でありますように」と言いました。

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ナナリーの願い事は「優しい世界」でした。「創らねば…。ナナリーだけでも幸せに過ごせる世界を…」とルルーシュは心の中でつぶやいたわけですが、救うべき・守るべき対象がどんどん拡大されて、最終的に対象が全人類・世界まで広がったわけですね。

 ルルーシュは「お前の目が見えるようになる頃には、きっとそうなっているよ」*4とナナリーの問いかけに返して、ナナリーと指切りをします。目が見えるようになったナナリーに、「優しい世界」を見せてあげるという約束を果たしたわけですね。

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 でも、「焦らなくても大丈夫だよ、俺はどこにも行かないから」「俺は嘘はつかないよ、お前にだけは」と言っているのに、姿を消してナナリーの前から消えていなくなってしまったし、ナナリーに嘘をつきまくったので、指切りの約束通り針を千本飲むかどうかですね、見どころは(笑)。

 

■よりハッピーエンドで皆救済される大団円エンドになるのか!?

 より視聴者に爽快感というか、ああよかったよかったという結末。ハッピーエンドにするのならば、C.Cとルルーシュのコードが失われる展開になりますよね。コード保持者である限り、C.Cとルルーシュが永遠に生き続けるということしかなくなる。シャーリーもナナリーもそういう辛い思いを見続けるという展開になるとは少し考えづらいような…?

 スザクも共に罰を背負ったことになったわけですが、新作映画でその罰がコード放棄で贖われ、スザクも偽りの英雄ゼロの仮面を被り続けるという罪や呪いから解き放たれるという、さらなるハッピーエンド展開になるのか?シャーリー生き返ったんだからユフィもなんとかなるんじゃないの?と思うのも当然なので、そういう展開があるのか?

 谷口監督が新作発表PVみたいので、ルルーシュが復活して登場することを明言してますので、シンクー(星刻)の「死ぬ死ぬ詐欺」みたいに、ルルーシュ「出る出る詐欺」みたいなことはやらないかと思います。映画一本できっちり完結するようなことを言ってましたので、無駄な引き伸ばし&引き伸ばしで、実は三部作でした~。ルルーシュ登場は次回!また見てギアス!はやらないと思います。まあ、仮に出る出るやっても完結まで観に行くと思いますけど。

 コードギアスというドル箱をそう簡単に手放せないから、また三部作で劇場版商法では?という声もありましたが、「時空の管理者」とか「青のギアス」とか、コードギアスという世界観・舞台で色々な謎や設定がまだ残っているので、舞台や世界観をそのままにして、アキトみたいな別のシリーズで続きをやるのでは?と考えています。

 なんとか公開前日ギリギリに書き終わることが出来た(笑)。公開日の2/9には観に行けないですが、その翌日には観に行きたいですねぇ~。

 

※追記:事前予想ですら、書き忘れていたことがあった(^ ^;)。当たり前すぎることかと思って書かなかったという要素も多少はありますが、まあ一応。ちゃんとネタバレにならないように配慮して書いていますのでご安心を。

 「ルルーシュの復活」で間違いなくルルーシュが出て来る。が、最初に(早いうちから)何のもったいぶりもなく、ババーンと出してしまって、「日本人よ!私は帰ってきた!」的に、ルルーシュがでた~~とやって、あのルルーシュが事件を解決していく。カッコいいルルーシュを描くのか。それとも、みんなで頑張ってルルーシュの復活を手がけて最後の最後でようやく、ルルーシュが復活のパターンなのか。復活させたルルーシュを取り囲んで、皆して喜ぶ。ハッピーエンドの後日談話をチラホラやって、よかった×2的な話になるのか。

 ―といった、大まかな2パターンが考えられて、そのどちらになるのかという事前の気になるポイントがありますね。というのも、ルルーシュが復活する=コード継承でコードホルダーとなった今、ルルーシュはギアスが使えない。ギアスによる絶対遵守の力がない以上、指揮官としての知略・戦略しか頼れるところというか、見せ場がない。「コードギアス」と言いながら、作品の売りの一つであったギアス能力がないということになる。お約束・おなじみのギアス能力によるギアス無双、言う事聞かせて操るギアス芸が見られないことになる。

 まあ、別にギアス能力なくても、さすがルルーシュ!さすルル!は描けることは描けると思うんですがね。そういうギアスなしのルルーシュ、わさびの入ってない寿司、ネタがのってないお寿司=シャーリーみたいな感じになるのでは?という懸念があるので、ルルーシュが出るのは最後の方になる。ルルーシュよりも他のキャラが主体で話が進んでいく展開もあるように思えます。

 また、気になる点として、コードホルダーのルルーシュがジルクスタン王国と戦う上で、普通に戦って何の問題もなく勝ちました。余裕でしたーとなることは考えにくく、多少は苦戦する。そこで既存のキャラの誰かにギアスを授けるのでは?という予想が当然出てきますよね。例えば、カレンとかシャーリーに、ギアスを授けることでその新しいギアスを使うことで、勝利を収めるというパターンですね。

 勿論、ルルーシュのこれまでの歩みを考えると、ホイホイカレンやシャーリー(他の誰でも良いんですが)に、勝つために、未来や世界のためとはいっても、ギアスを与えるかと言われると疑問。その前提をどういう理由でお互い、与える側と与えられる側が乗り越えるのか。そしてその結果、どういう未来が訪れるかということですね。やむを得ず強制的にギアスが与えられてしまった的な展開も考えられることは考えられますかね。やらなきゃ死ぬ、一か八かギアスを授けたとか、何らかのイレギュラーで「うっかりギアス」みたいに「うっかりコード継承」に続いて「うっかりお授け」とか。

 一番有り得そうなのが、新キャラですよね。コードホルダーのルルーシュが、新しいキャラクターを連れていて既にギアスを与えている。んで、ルルーシュの言う通りに動いて、敵をギアスでバッタバタやっつけてEND。んでもって、コードギアス新シリーズの主役、もしくはキーキャラクターとなって出てくるとか。これまでの物語のまとめと同時に新シリーズのつなぎという展開が一番有り得そうに思えます。

 あと、まだなんかあった気がしますが、思いついたら追記します。※追記、ああ、そうそう。前の記事読み返して思い出しましたが、ルルーシュとスザクの対立はすれ違いという悲劇は乗り越えられたけども、ブリタニアと日本人&その他の対立も解消されたけど、スザクとカレンの二人の対立、すれ違いという構造は原作では最後まで解消されなかった。映画で当然二人のエースパイロットが出てきて、共闘するはずですから、そのすれ違いがどういう着地点を見せるのかという見所もありますね。神根島のようなお色気シーンがあるのか!?R2でカレンが捕虜になったところで、カレンがスザクを対戦格闘ゲームばりにボッコボコにするようなシーンが見られるのか!?注目するポイントの一つですね(笑)。

*1:「力の支配」の否定の話とか、本当作品解説で大事なことを書いてない。結構重要と思えることでも書いてないこといっぱいあって笑えますね。(^ ^;)

*2:最初、幽霊的な何か。そういう可能性も考えて、実はやっぱり死んだまま。幽霊のシャーリーが、勝手に喋って勝手に行動しているだけという某有名映画のような可能性も考えたんですけど、普通に会話しているのでその可能性はないでしょう。

*3:そんなこと言ったって、タイトルに「Re;」が入ってるじゃないか。繰り返しを象徴する「Re;」が入ってるのはどういうことなんだ!?という思いがありますが、そんなことは知りません(笑)

*4:どうでもいい話ですけど、創り手(監督・脚本)が言葉遊びが好きな人だと思うんですけど、「目が見えない」・「目が見える」という言葉は「女神」とかけてるんですかね?マオも多分、魔王をもじった名前なんでしょうね。偽魔王との対決を制して、本当の魔王となった的な

【コードギアス解説・考察】 Re; 「繰り返し構造」の解説補足 1期と2期の対応シーン:スザク救出劇とゼロ・レクイエム&ルルーシュ≒ユフィ

見直したら文量がおかしなことになってたので分割です。

こちらが元ネタで

こちらが前回・分割元です。 


■スザク処刑のシーンとクロヴィスの御陵車
 ああ、そうそう。意外と気づかれていないのかな?と思ったシーンが有ったのでその話を。stage4「その名はゼロ」でルルーシュがゼロになった事件、スザクの救出劇とジェレミア卿がオレンジになった場面ですね。これが最終回の伏線として機能していたことがあまり指摘されていないのかな?とふと思ったので、その話を(まあ面倒くさいからググって色々なサイトやブログを見ていないので普通に指摘されているかもしれませんが、気になったので書いておきます)。
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(※処刑されるスザクを助けるためにゼロの仮面を被るシーンです)

 ルルーシュルルーシュらしく、策略とギアスでスザクを奪還というか、救出・解放しました。ゼロのデビュー戦(?)として華々しく衆人の中から、目的の人を救う。奇跡を実行するわけですね。ジェレミア卿はギアスにかけられてまんまとルルーシュの罠にハマり、この事件をきっかけにオレンジというあだ名で馬鹿にされ続けることになります。
 この一回目は、スザクがルルーシュの仲間になれという勧誘を蹴って「じゃあの」とスザクは去ってしまうわけです。一回目は、スザクのために危険を顧みず、元から予定の一環だったとは言え、ゼロの仮面を被って命がけで助けようとした。スザクのために仮面の騎士・ゼロとなったわけですね。しかし、この時点では仲間になれというルルーシュの願いは断られた。
 ルルーシュの目的はナナリーという弱者でも生きていけるような「優しい世界」を作ることでしたが、当然その「優しい世界」で平和に生きていける対象として親友のスザクも含まれていた。スザクのことも考えられていたわけですね。ルルーシュにとっては大事な妹と並んで大事な友達・親友枠として譲れない存在でしたからね。大事なパーツ・ピースとしてのスザクでしたが、本当に最後の最後まで思い通りになりませんでした。未練たらたらで1期の最後の最後までスザクのケツを追いかけ回す展開が続くとは、この時は誰が予想したでしょうか(笑)。
 

■ラストのエンディングシーンと1期との対応について
 対照的というほどでもありませんが、最終回の場面では皇帝ルルーシュを補佐・警護担当をするジェレミア卿。そしてその皇帝を暗殺するゼロとしてのスザクという図式でした。細かいところでは御陵車、車を運転していたカレンと扇が、捕虜となって死刑執行されようとしていたという違いがありますが、まああまり重要な要素ではないので脇においておきます。
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スザクを処刑しようとする(軍事法廷へ向かう)護送車両の道を、偽装されたクロヴィスの御陵車が邪魔をする
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カレンが運転手でスザクは捕らわれている状態
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クロヴィス殺害の犯人はこの私だ!という宣言(=皇族殺し)
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ギアスにかかって全力で見逃せという命令を出すピエロ役
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目的通り、スザクを救う。

 二回目・最終回のシーンでは、スザクがゼロとなり、皇帝ルルーシュを倒すという形です。ピエロだったオレンジ・ジェレミア卿は、ゼロ・レクイエムの立役者として警備を担当していますね(マリアンヌの警護役として忠義を果たせなかったことを、今度は真逆の形ですが、重要な役割を果たさせてやることで忠義を果たさせてあげるというルルーシュなりの優しさなのでしょうか)。文字通りジェレミアが踏み台になることで目的が達成された形ですね。
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 ルルーシュが皇帝として憎しみを集めて死ぬことで、世界を救うゼロ・レクイエム計画ですが、そこでは「スザクがゼロになる」という大事なポイントが有るわけですね。初代ゼロから二代目ゼロの跡目継承式というだけではなく、ルルーシュがゼロとして始まり、ゼロとして終わる場面を同じシーン・構図を再現することによって、より象徴的に描き出したと言えるでしょう。ゼロドルを止めて普通の女の子に戻ります(ネタが古い(^ ^;) )どころか、人間まで止めてしまう。自分の身を犠牲にして世界を救うシーンを、より劇的に描き出すのに、最初にゼロになったシーンを重ね合わせる・フラッシュバックさせたんでしょうね。
 ゼロとして終わる、と書きましたが、正確にはゼロとしては黒の騎士団から追放された時点でもう終わってるわけですね。しかし、これまでゼロとして仮面を被り、記号の存在として生き続けながら戦ってきた。最後にここまで生きた証、戦いを終える。ピリオドを打つという意味合いがあるので、ある種ゼロとして終わるとみなしてもいいでしょう。
 それこそ世界平和・「優しい世界」のためにギアス使いまくって無理やり命令をして、強制的に平和を作ることだって可能なわけですからね(当然時間制限付きですが)。そんな強制をせずに自分を消して新しい記号、新しい希望の存在を作ることで、世界をまとめようとした。ゼロとしての自分は消えても、また次の新しいゼロ=希望が世界を導いてくれるという、ルルーシュらしい希望に満ちた最後のメッセージですね。花京院の最後のエメラルドスプラッシュのようなものです。
 これまで死にたがりだったスザクは、双方合意の上での計画ですが、ある種「ルルーシュの最後のギアス」にかかって、ゼロとなったと考えることも出来ますね。スザクは個人・人間としての自分を殺して社会から抹殺した。そのうえでゼロとなって、世界のために生きるという道を選ぶことになった。わかり易い例でいうと天皇陛下でしょうかね?全人格が公人となり、私人としての要素・性格がほとんど認められない存在。そういった存在にスザクはなった。スザクを救いたいという思いを抱いていたルルーシュの願いは、このようにスザクの自我を完全否定、私人としての生活すべてを否定するという「罰」を与えることでスザクを生かす道に向けたんですね。
 過去の罪から死にたがっていた、殉職・二階級特進を望んでいたスザクを「罰」を与えることで贖罪し、生かすことになった。1期でユフィが「愛」によってスザクを救ったのと対偶に近い処置ですが、それでもルルーシュルルーシュなりにスザクを救ったんですね。*1
 希望の存在=仮面の騎士ゼロとしての始まりが、憎しみの存在=皇帝としての終わりという対比として見事に描かれましたね。
 

■ユフィ≒ルルーシュが世界を救った
 あともう一つ、
一番初めのリンク先で、ナナリー=ユフィとしてなぞらえられていると書きました。そしてルルーシュもまたユフィとしてなぞらえられているということも。
 ナナリーが1期のユフィとして話が展開しているということは、特に詳しい説明をするまでもなく、わかると思いますが、もう一つのルルーシュがユフィとして機能したという話は解説しておかないとわからない人も中にはいるかも知れないので、一応書いておきます。昔書いた文章を読めば、改めて書かなくてもわかることだと思うんですけど、一応書きたくなったので書いておきます。
 「繰り返し」ているという事実と、実はルルーシュがユフィとして機能したということを書いておけばもう分かると思うのですが、最終回ゼロ=スザクに皇帝ルルーシュが殺されたというのは、ママ1期で皇族ユフィがゼロ=ルルーシュに殺されたのをなぞらえているわけですね。
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ギアスをかけて自分を撃たせることでユフィを奸計にはめようとするも、ユフィは皇族の身分を返還することでゼロ・ルルーシュの重罪を帳消しにするというプランを明かす。このことを聞いたルルーシュは話し合いでユフィと手を組むことにする。
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が、ギアスが暴走して、結果ユフィは日本人殺戮キラーマシーンとなってしまう。
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ユフィを止めるすべはなくやむなく、狂人と化したユフィを射殺する。この一連の流れをまとめるとだいたい次のような感じになります。
ブリタニアの国是ナンバーズを区別するという方針を変えるために皇帝を目指す(①)ユフィ。ユフィとの話し合い(②)で、皇族の身分を捨てる(③)というユフィの提案を受け入れるも、ギアスの暴走でギアスにかかったユフィ(④)日本人を虐殺(⑤)ゼロ(ルルーシュ)がギアスにかかったユフィを殺す(⑥)
 ユフィは皇族特権を使って、皇族としての地位・身分を捨てる代償に、ゼロ・ルルーシュの罪を贖おうとした。免罪しようと動いていた。自分の身を犠牲にしてまで、ルルーシュを救おうとしていた。
 それと、ルルーシュが自分の身を犠牲にしてスザク=ゼロを救おうとした。世界を救おうとしたというのはママ対応しているんですね。ルルーシュは地位や身分ではなく、自分の命という形ですが、なぞらえられているのは一目瞭然ですね。
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(※皇帝となった(①)ルルーシュが、Cの世界での話し合い(②)で、ゼロ・レクイエムで自らの命を捨てる(③)ことで世界を救う計画を立てた。憎しみを皇帝ルルーシュに集中させて、自ら消えることで「優しい世界」を完成させる。スザクにかけられた生きろというギアスが暴走(④)し、フレイヤを使用。東京租界に住む日本人だけでなくブリタニア人も(おそらくそれ以外の国籍の人間もいたでしょうが)、1000万人以上虐殺(⑤)ルルーシュで言うとギアスを使って戦争を引き起こして巻き込んだ人間だったり、テロの工作活動で一方的に殺してきた数多の人間と解釈することも可能でしょうね(最終戦争で多くの兵士にギアスをかけて操り人形にして利用して殺してもいますしね)。ダモクレスを抑えて、フレイヤを使用したこと=巨大な力を握って支配していることと解釈することも可能でしょうか。
 スザクのギアスの暴走はまあ余計な話④’とでも言うようなものですがね。Cの世界で人々の意志に触れて、皆が明日を願っていることを知った。その願いをかなえるために自分自身に「願い」という名のギアスをかけた(④)。そのギアスにかかってゼロ(スザク)がルルーシュを殺す(⑥)と、まあそういう「繰り返し」構造ですね。
 おまけとして死の間際にあったユフィとスザクの最後の会話、愛する人との最後の会話というのは、ルルーシュとナナリーの最後のシーン。言葉をかわさずとも触れるだけで全てがわかるナナリーが、満足した笑みを浮かべたルルーシュの表情を疑問に思って、触れる。そしてすべてを知って、最愛の兄を失って泣くというシーンとの対応なのでしょう。スザクが最も愛した女性とルルーシュが最も愛した妹という点で対応しているということなんでしょうね。)
 もう既に指摘した話ですが、ユフィがスザクを自分の騎士として取り立てたこと、そして皇帝ルルーシュがラウンズを超える存在、帝国最高の騎士ナイトオブゼロとして取り立てたこと。それらも全く対応しているわけですね。
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 なんでユフィが虐殺皇女の汚名を負ったままなんだ!汚名が雪がれないんだ!みたいなのをどこかで見ましたが、この構造に気づけば一目瞭然ですよね。ルルーシュはギアスの暴走の果てにユフィを殺したという罪を、スザクと世界の救済という手段を通じて、ユフィがしたかったことを変わりに全て成し遂げたわけなんですね。これを見ればユフィへの贖罪は十分すぎるほどなされた・果たされたとわかるはずなんですけどね…。このことについて理解している人が意外と少ないのでしょうか…?
 ユフィはスザクが決して最後までルルーシュがゼロだと言わなかったように、誰かを憎んだり、そういうチンケな感情を持たない聖人なんですよね。ルルーシュもナナリーも、スザクもそして世界のみんな全てを救いたかった。それこそが彼女の目的であって、その果てに自分が死ぬということも厭わなかった人物・キャラクターなんですよね。皇族の地位を返上してまでルルーシュを救おうとした時に、「最愛の姉、コーネリアとだって今と同じ関係じゃいられなくなる。バカじゃないか君は?」とルルーシュが驚いたように、関係ない他人のためにそこまで出来る人間なんてそうはいないわけです。ルルーシュで言うと、ユフィのためにすべてを捨ててナナリーとろくに会うことも出来なくなるという選択肢を選ぶということですからね。そういう選択を、ナナリーが「ルルーシュさえいれば他には何もいらない」と言ったから、その言葉を聞いただけで決心がついて自分のすべてを投げ出したというのですからね。
 そんな献身という言葉を体現したような人間、シュナイゼルのように皇族として人を見下さない「一人の人間ユフィ」*2となら、明日を作ることが出来るとルルーシュは事前計画を一旦破棄したように、世界のために自らを省みない想いこそが、策略や偽り・陰謀、権謀術数に勝ったんですね。
 今から思うに、この時点で世界平和のために、皆が笑って平和に暮らすことが出来る「優しい世界」を作ることを願っていたユフィのギアス(願い)に二人共かかっていたとみなすべきなんでしょうね。そして、ルルーシュとスザクが手を取り合う・協力するというユフィのギアスにかかって憎しみや復讐を乗り越えて協力、ゼロレクイエムを実行することになったと。 
 ユフィの願い、行政特区日本という枠組み=皆が仲良く平和に暮らせるシステムは、合衆国日本という世界的規模の形をとって実現した。ルルーシュとスザクの手によって見事に昇華され、現実化した。ユフィの遺志が果たされたということですね。

 ※追記、思いついたので追記。1期のラストでルルーシュはユフィを殺したことで狂ってしまいました。初恋の人を殺めざるをえなかったという苦しい現実に直面して、本来の自分を見失い、おかしくなってしまうわけですね。それでスザクに対して冷静に話し合い・交渉ができずに、ユフィを殺したことを「過去」と切り捨てて、お前も父親を殺しているだろうという暴言を吐きました。そしてスザクも親友を売って出世するという道を選んで、以後はおかしくなっていくわけですね。愛する人を守れなかった苦しみでより、結果を残さねばと異常に&今まで以上に、自分の正義にこだわるわけですね。
 また、言うまでもなく、返してよ!私の女神様を!と言っていたユフィ信者だったニーナもおかしくなっていました。フレイヤ・核を使ったという伏線はあれど、ユフィを失っておかしくなってしまった三人がいるわけですね。この三者三様のユフィを失っておかしくなったトリオが、ゼロレクイエムを通じて全うな道に進んでいく、立ち直っていく・正常化するという展開なんですよね。ユフィを失うことで狂った三人が、ユフィの遺志を継ぐ・やろうとしたことを引き継いで実行することで、自分の道を見つけ出す。あるべき姿を取り戻していくという構造を考えるとより最終回&その前の決戦シーンを楽しめるのではないでしょうか?

 とりあえず思い出せたことと、思いついたことを書き連ねました。2日で終わるかと思ったら、3日かかったか…。新作映画についてのちょっとした予想みたいなものを、映画公開前に書き終わるだろうか(^ ^;)。結構やっつけ感があるので、あとで追記修正をまた何度でも「繰り返し」て行いたいと思います(_ _)

*1:ここだけ切り取ってしまうとスザクが一方的に「罰」を受けているように見えてしまいますが、ルルーシュにとっても「罰」という名のある種救済なんですよね。これまでさんざんギアスを使って人々の気持ちを踏みにじってきた。当然殺しても来たお互い武器を持ったフェアな対決ならばともかく、自分だけが一方的に武器を持って戦って勝ち続けたアンフェアなやり方で勝ち続けてきたわけですからね。1話のブリタニア軍人のように、同じように銃を持たない相手を虫けらのように平気で撃ち殺すクズはともかく、ダールトンやギルフォードのようなフェアな軍人でさえギアスで操ったわけですし、そのやましさは言うまでもないわけです。そしてその「罪」をゼロ・レクイエムという「罰」を受けることで責任を取り、救済されたということなんですね

*2:ルルーシュが「君は、皇族や副総督ユフィである前に、ただ一人のユフィという人間だったな」と言っていますね。皇族という身分だったり、副総督という政治的高官・ポストという地位からそのステータスにうぬぼれて人を見下して行動しなかった。同じようにルルーシュも皇帝ではなく、「一人の人間ルルーシュ」として世界のために我が身顧みず行動したということでしょう、ユフィの遺志を引き継いで。

【コードギアス解説・考察】 Re; 「繰り返し構造」の解説補足①「昨日の世界」「今日の世界」「明日の世界」

 ギアスの話、解説はnoteに書こうと思いましたが、というかこのブログはもう更新やめようと思ってましたが、公開される新作映画のために手っ取り早く書けるこちらで書くことにしました。コードギアスの「繰り返し構造」についての補足ですね。
 ここで書いたとおり、コードギアスという作品はR2(2期)が無印1期をなぞらえて作られている。2期の展開が逐一というほどでもありませんが、かなり1期の展開を踏襲するように作られている。1期とほぼ同じような出来事があって、事件が起こり、話が展開していくという構造になっています。ではどうしてそういう「繰り返し構造」になっているのかという補足説明・解説をしておきたいと思います。
 というか、すぐ続きを書かなかったことでもわかるように、別に取り立てていちいち解説するまでもない当たり前のことなので、あまりこの記事を読む人に「なるほど!そういうことだったのか!」とインパクトを与える話でもないのでね。これまで書いてきませんでした。しかし、新作映画公開にあたって、総集編の映画3作を見て、新作の予想をする上で別枠で改めてこのことを書いておいたほうが良いかなと思ったので書くことにしました。

 

 

■繰り返し構造であるが故に最終回から1話に戻る

 最終話のタイトルが「Re;」ということでわかるように、この作品では「繰り返し」(繰り返す)ということが非常に重要な意味を持っているわけですね。ところどころ作品の中で、そのメッセージが込められていて、今頃になって気づきましたが、作中で出てくる「リフレイン」という麻薬もまんま「繰り返し」という意味ですからね。超ダイレクト、モロに監督のメッセージですよね。
 最終話でルルーシュが死ぬシーンで、これまでの記憶・思い出がフラッシュバックするのですが、新しい記憶からどんどん昔の記憶にさかのぼっていくんですね。そして目をつぶって死ぬルルーシュで話は終わる。真相を知ったナナリーが「イヤ!目を開けて下さい、お兄様!」と言って話が終わることになるわけですが、監督がどこかの海賊王みたいに「第一話にすべてを詰め込んだ。この回にすべてを込めた。この回を見ればすべてが分かる(俺のお宝はすべてあそこにおいてきた。欲しけりゃ取りに行け)」といった話をしていたことからもわかるように、再び1話に還るんですね、この作品は。
 1話「魔神が生まれた日」に還る。そして多くのルルーシュ生存説の解説の論拠として語られていたように、1期の1話で目が開くようなシーンからスタートする。そのシーンでは、心音のような鼓動が聞こえるように、最終回から再び1話につながって魔神=ルルーシュが生まれた・復活したと考えることが出来るわけですね。タイトルの「Re;」でもう一度繰り返すということを示唆していると考えられますし、2期1話でルルーシュが封印された記憶が解き放たれ、元の記憶を取り戻して「復活」したことを見れば、もう一度「復活」すると考えるのが自然なわけですね。
 コードギアス1話のタイトルが「魔神が生まれた日」であり、2期の1話タイトルが「魔神が目覚めた日」であることを考えると、典型的な繰り返しであることがわかるわけですね。「魔神が生まれた日」(1話)と「魔神が目覚めた日」(26話=R2の1話)が対応・反復していることが明らかですから、51話とでも言うべき次の話では「魔神が再臨した日」とでも言うものが来ることが想定されるわけですね。

 

■本当に大事なこと、作品のメインテーマは「繰り返し」であり、ルルーシュの生死・「復活」ではない

 このラスト、最終回から再び1話に還るという話は、色んな所で見かけましたので、今更語る必要もない余計な話ですが、前菜として書いておきました。ルルーシュ生存・復活の根拠としてたいてい語られていた話であるかと思います。で、この「Re;」=繰り返しは、ルルーシュの生存・生存ルートの根拠として語られていた、解説されていた話だと思うのですが、実は一番大事なポイントは、ルルーシュが何度でも繰り返して(復活して)やり直したということにこそあります。何度でも挑戦した。どんな辛いことがあってもくじけず、諦めずに、結果に結びつくまで何度も挑み続けたということなんですね。制作側が、ルルーシュはじつは生きてるんですよ~。コードを継承して復活したんですよ~ということを言いたかったわけじゃないんですね。「Re;」というタイトルでルルーシュの生存や復活を暗黙のメッセージで伝えたかったわけではないんですね。
 実際そこはどうでもいいんですよ。ルルーシュが生きてようが、死んでようが、そこはポイントではないんですよ、作品のテーマ的に。まあ、どうでも良くはないですけど、それは二の次・三の次になる話なんですよね。コードギアスという作品全体を通して言いたいこと、メインテーマが語られているのに、そういう副次的な要素にこだわって、映画版では生きているがTV版では死んでいるとか、延々自論を語っている人を見ると「うーん、この…」という気分になりますね。

■行動の果てに結果を掴んだルルーシュ:シュナイゼルとの問答から

 作品のテーマとして大事なこと・ポイントは、主人公ルルーシュが何度でも挫けずに挑戦し続けた。時に失敗してまずい結果になっても、意図せずに最悪な事態を引き起こすことになったとしても、途中で放棄せずに、成功を目指して行動をし続けた。そしてその行動の結果の果てに、成果を手に入れた。望むべき明日を掴んだ。自分が望んだ未来を、平和を、あるべき世界像を築いたということなんですよね*1
 その作品のテーマを如実に示したシーンが、ルルーシュシュナイゼルの最後の対話のシーンですよね(仮にルルーシュシュナイゼル問答とでもしておきましょうか。この問答が作品のテーマをよく解説しているんですね)。49話・turn24「ダモクレスの空」での二人の問答で「繰り返し構造」・くりかえしの大事さが解説、作品テーマをわかりやすくする補足説明となっています。ルルーシュが行動の果てに「明日の世界」を築いた。この解説をすることで、「繰り返し」がどうして大事なのかという話を論じたいと思います。行動の果てには結果が待っている。例外はないという散々C.Cが出だしで説明したセリフ通り、ルルーシュが行動の果てに築いた世界がこの問答で説明した「明日の世界」でした。では、一体この「明日の世界」とはなんなのか?具体的に言うとどういう世界なのか?ルルーシュのセリフを踏まえて解説したいと思います。*2

 シュナイゼルルルーシュの対話で、ルルーシュが言いました。
 「皇帝シャルルは昨日を求めた、あなた(シュナイゼル)は今日を、だが俺は明日が欲しい」

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 シュナイゼルに明日は今日より悪くなるかもしれないと返されても、ルルーシュはたとえどれだけ時間がかかろうとも、人が幸せを求め続ける限り、世の中は必ずいい方向に変わっていくのだと説きます。
 人々が明日を求める。それは欲を生み、争いを生む。結果明日がより悪くなることだってありえる。そんなもの(未来ある明日・世界)は虚構・感情論に過ぎないと否定するシュナイゼルに対して、ルルーシュはこう答えます。「それが皇族という記号で世界を見下してきたあなたの限界なのだ」と。
 シュナイゼルの独善的といいますか、視点の狭さを鋭くついて、主張の甘さを喝破します。不幸に抗う人、未来を求める人を実際にこの目で見てきた。これまで地べたを這いずり回って必死に努力をしてきたルルーシュは、そういった人々を現実に見てきた。皆幸せな明日を求めて必死に生きてきた。そういう懸命に努力する人々の姿を見てきたルルーシュは確信して、人の自助努力、想いや願いというのは必ず結果になって繋がるのだ。そうやって人というのは進歩していくのだという希望を説くんですね。敵も含めて、そういう必死な努力・戦いを直に見てきたルルーシュは、人々にとって望ましい未来が、成功が訪れる。人々が望む「明日」が来ることを確信して、シュナイゼルに語りかけるのです。
 ギアスや仮面というのも、時に過ち・悲劇をもたらす。すれ違いによる誤解を生むんだけれど、つまるところ、そういう「明日」を求める人々の願いの一つの形態・現れである。人々の「明日」を求める必死な姿・努力そのものなんだと。
 いい話・主張ではないですか、まるでEHカーの『歴史とは何か』*3の歴史研究をすることによって、人々の学習によって、学問が貢献することで、人類や社会を必ず良き方向に導けるという主張のように聞こえて、感動するものがありましたね。

 ■※補論:シュナイゼルの反論について

 シュナイゼルの反論はかなりルルーシュの痛いところをついた的確なものだと言えます。なので、そのシュナイゼルの反論についての解説を少しくしておきたいと思います。まあ余計な話なので、飛ばしていただいても構いません。手っ取り早く結論を読みたい方は飛ばしてください。
 ルルーシュの主張を聞いたシュナイゼルは、それに反論します。ルルーシュの一番痛い所を突きます。そういった懸命に抗い生きる、努力をしてきた人々を君は踏みにじってきたではないかと。そういった人の意志・存在=自助努力を、これまで散々ギアスで否定してきたのはお前ではないかと。散々卑怯な手段で踏みにじってきた、人々の「明日」を求める努力や願いを蹂躙してきたではないか、そのお前が今更何を言ってるんじゃい!クソボケ!と。
 当然そんな口調ではありませんが、シュナイゼルの言ったことは否定しようもないこと。厳然たる事実です。ルルーシュがやってきたことは、言語道断の卑劣な行為であることは言うまでもないことですからね。ルルーシュに想いや願いや人生を踏みにじられた人々の気持を代弁すると当然こういう主張になるということですね。
 その矛盾はどうするんだ。おまいうやんけと。結局、綺麗事をいくら言ったって、今自分がやってることと同じように、武力・力で無理やり人々に言うことを聞かせることに現になっているではないか。他者を、世界を、実力でひれ伏せさせているじゃないかとね。偉そうに私を否定してはいても、自分が今やっていることと一体どこがどう違うんだ?と、きっついツッコミをシュナイゼルに入れられる。そのクリティカルな批判を乗り越える手段・発想こそが、ゼロ・レクイエムだったわけですね。
 そういう背景があるからこそ、ルルーシュはゼロ・レクイエムで自分にもギアスをかけて、人々の願いというギアスにかかって、自分を消し去ることで、人々が望む未来や平和を提供したというわけなんですね。こうやってシャルルやシュナイゼルの唱える世界、「昨日の世界」・「今日の世界」と、決定的に違うことを身をもって示した、「明日の世界」を人々に提示したのですね。ルルーシュは前二者と異なって、「力の支配」という前提を否定したわけなんですね。


■※追記、補論2:シュナイゼルのキャラクターについて

 で、そもそもなんですが、シュナイゼルには欲がない=本心がないんですよね。彼は仮面しかない人物像なんですね。普通、人というのは仮面を被って生きている。生きる上で誰しもが本心を隠して、仮面を被って、仮面に従って行動せざるを得ない。他者や世間が望む自分を仮面を被って演じて生きるしかない。そんな話を以前しましたが*4シュナイゼルには仮面を被る必要がそもそもないんですね。実際には仮面を見事に使いこなしている。仮面を被っているので、仮面を被らないと言ってしまうとちょっと語弊があるのですが、彼は本心の上に虚飾するのではなく(=実際の自分の顔の上に仮面を被せるのではなく)、彼には「本当の顔」そのものが存在していないんですね。
 仮面を使いこなせないものに勝利を掴むことは出来ないと言っていましたが、彼はおそらく仮面を使いこなしていくうちに、その仮面を使いこなす上で障害となる本心を抹消してしまったのだと考えられます。成果を手にするには仮面を使いこなすことが重要だと学んだ。よって、仮面を使いこなす=他人から求められる理想の人物像を演じ続けてきた。そうやって結果や成功を幼少の頃から積み上げていったんでしょうね。
 そうやって常に勝ち続けてきた。しかし、その代償・結果として、彼には自分自身というものがなくなってしまった。多くの人は仮面をかぶることで、本心を抑圧する・抑え込むものですが、仮面操縦の達人でありたいがために、本心を抹消してしまった。人間の心・感情を消し去ってしまったんでしょうね。人間としての心・感情を完全に消し去って、仮面を完璧に使いこなす存在となった。人・世間が望む人物像をママ忠実に実行するだけのマシーン・ロボットになったというキャラクターなんですね、シュナイゼルというのは。*5
 人間としての心を生きていく上で邪魔な物として消し去った結果、彼のたどり着いた結論が「今日の世界」だった。人々を力でねじ伏せ、教育する。そうすることで幸せ・平和がもたらされるならそれでいいという答え。普通なら誰しもが本当にそれでいいのか?とためらう狂った結論を平気で出せるのは、そういうことだと考えていいでしょう。
 で、シュナイゼルルルーシュやシャルルと違って、「繰り返し」をしていない。苦労していないんですね。まったくないということはないにしても、シャルルが幼少期に「ワぁシと兄さぁんは地獄にいたァァ…」というような辛い現実と向き合っていないし、そういう苦しい思いを実際に経験していない。情報として知っているだけ。ルルーシュが皇族から一平民となって、一個人から努力して叩き上げて成功を積み上げていったという経験をしていない。ルルーシュのように何度も何度も挑戦・失敗してという経験をしていない。シャーリーのパパを巻き込んだときのような苦しい思い・葛藤を現実に味わっていないんですね。故にルルーシュに「皇族という記号で世間を見下してきたあなたの限界だ」と言われることになるわけですね。
 感情を情報・記号としか理解・認識していない。実際の身体で味わって、まさに我が身のことのように体験していない。故にシュナイゼルのような冷たい結論になってしまうということですね。仮面を使いこなすあまりに、本心が無くなってしまう。本当の自分が亡くなってしまう。本当の自分自身がわからなくなってしまう。よくある仮面・ペルソナのテーマですが、真に良くその問題を体現したキャラクターであると言えますね。本当に良いキャラクターですよね。一言で表すと「完璧な人格者というサイコパス」ですからね。

昨日の世界、今日の世界、明日の世界

 本論の話・解説の話に戻って、皇帝シャルルの昨日を求めたということを改めて説明すると、集合無意識と全人類をつなげることで人々から「仮面」をなくす。全人類が意識を共有することで、誰もが何を考えているかわかるようになる。そうなると嘘をついたって即バレるわけですから、嘘・偽りは意味がなくなって、世界から消えて無くなる。騙そうとしたり、自分を良く見せようとしたりするためにつく粉飾・虚飾から来る悪意の嘘はもちろん、相手を思いやる善意の嘘も消えてなくる。
 結果、そうすることで優しい嘘などによって生まれる人々のすれ違い、わかりあえないという悲劇はなくなる。しかしこれでは全人類が思いを共有してしまうことで変化がなくなってしまう。皆が同じ意識・思考を共有するということは、人々の個性・差異が消えてなくなってしまうことになる。これでは、人と人が交わる意味がなくなる。それこそシリアルナンバー1~∞がついた人間という製品が存在していることになってしまう。全く個性が消えてなくなるということにはならないでしょうが、畢竟そういうことになる。
 「積み重ねのない、ただ同じ毎日を繰り返すだけの人生を生きているとは言えない」と言ったC.Cの言葉のとおり、ただ生きているだけの人形というような状態になってしまうわけですね。これではすれ違いやわかりあえないという難しさを乗り越えて、人と人が繋がり、わかり合うという感動も喜びも手に入れられないことになる。負・マイナス面が減ったとしても、消えてなくなるのだとしても、人間が生きる上でのプラス要素、喜びだったり苦しみを乗り越えようとする発明や発展までをも消し去ってしまうことになる。何よりいろいろな体験や価値観・思いなどを共有して、わかり合うという感動・喜びが消えてしまう。これが人類の望むべき未来や世界であるとは到底言えないわけですね。
 この世界を「昨日の世界」だとすると、シュナイゼルが求めた「今日の世界」というのは、これまでと変わらない同じ世界なわけですね。嘘と偽りの世界・善意と悪意が一枚のカードの裏表で入り混じった世界と、皇帝が言っていたように、仮面をかぶった人々が生きる世界。「明日の世界」になったからといって仮面がなくなるわけではありませんが、シュナイゼルの言う「今日の世界」は弱肉強食原理の嘘と偽りの繰り返し、これまでの世界の繰り返しとなるわけですね。なにより、ダモクレス・フレイアという力で人々を押さえつける世界。武力で無理やり言うことを聞かせる「力の支配」の世界なんですね。
 シャルル&マリアンヌとシュナイゼルの「昨日の世界」と「今日の世界」というのは、強制的に自分の理想とする世界に人々を従わせるものでした。自分の世界こそが理想的な素晴らしい世界だから、他の人間は黙って従えor力で無理やり従わせてやる!というものでした。だからこそ、ルルーシュに「お前たちが言っているのは人に優しい世界じゃない、自分に優しい世界なんだ」と否定されるわけです。他人のこと・皆のことを考えたうえで出した結論ではない。自分にとって好ましい・都合のいい理想世界に過ぎなかったわけですね。
 これら2つの世界とは違って、ルルーシュの望む「明日の世界」というのは決して人々にこうしろ!ああしろ!と上から賢しらに理想論・自分の理想を強制する世界ではないんですね。話し合いによって運命が決める、話し合いの世界・合意の世界、「法の支配」の世界になるんですね。人々が話し合って、自分達の意志でどうするかを決める。ルルーシュは前提条件を提示するだけ、そこから先は全て皆の人々の自由意志に委ねられる。人々が自分自身で運命を決める世界になるわけですね。これが前二者と決定的に違う・異なる点ですね。自らの理想・意志を強制せずに、人々の意志を尊重する・捻じ曲げないというのが非常に大事なポイント。
 ルルーシュは自分を犠牲にして世界にその身を捧げることで、世界を創り変えた。望ましい世界を創ったわけですが、その世界の先は人々の自由意志に委ねた。押し付けた善意は悪意と何ら変わりがない。父と母にそう主張したように、理想を提言・実現しても、決してそれを絶対的な理想像として人々に押し付けはしなかった。そこから先の姿は人々の自由意志に委ねられたんですね。
 作品のテーマとも言える「力の支配」の否定、そして「法の支配」の世界の創造。理想の世界はルルーシュの、スザクの、そしてその他仲間たちの毎日の積み重ねと努力の果てに作り出されたものだった。毎日の「繰り返し」、変化のある有意義な毎日の「繰り返し」の上に作られたわけなんですね。

※19/3/27追記&修正。シュナイゼル解説を大幅に追記してまた文量が多くなったので、更に分割しました。うーーん。繰り返し構造の説明と言いながら、「明日の世界」と「繰り返し」(構造)との繋がりが、説明が分かりづらっ…。なんだこりゃ…これじゃわからんわと反省。なので全体のつながり・文脈の見直しで追記修正しました。

続きはこちら→【コードギアス解説・考察】 Re; 「繰り返し構造」の解説補足②

 

コードギアス関係で過去に書いたもの一覧

*1:もちろんベストではなくベター、もっと皆も世界も、平和・幸せになる最高のものがあったはずだという主張・ツッコミも出来ます。多くの犠牲を払いすぎましたからね。そういう犠牲なしでハッピーエンドならば、それがベストなんですよね、本当は。しかし、実際はこういうエンドに至った。まあそこら辺も作品のテーマの一つのポイントなんですが、長くなってめんどくさいので別枠でいずれ語りたいと思います。コードギアスは大団円に見えるが、実はハッピーエンドではないという話をNoteでしたいですね。

*2:まあ、このシーン・ルルーシュシュナイゼル問答は、もう有名すぎて説明するまでもないほどの名シーン・場面かと思います。多分拙サイト以外でも腐るほど解説されていると思うのですけど、これを論じるのが一番わかり易い。かつ大事なシーンなのであえてこれを取り上げて説明しておきます。

*3:※過去に書いた拙記事です。一応リンク。E・H・カー著 『歴史とは何か』(一章) 
E・H・カー著 『歴史とは何か』(二章) 
E・H・カー著 『歴史とは何か』(三章) 
E・H・カー著 『歴史とは何か』(四章) 
歴史とは何か(五章~ラスト)  
歴史とは何か(六章) 

*4:※参考、拙記事―【コードギアス解説・考察】 「集合無意識」と「仮面」<ペルソナ>の話 

*5:ちょうど、C.Cが人から愛されすぎて本当の愛がわからなくなってしまったというのに似ていますね。C.Cには偽りのそれとは言え、シスターがそばにいて本当の思いを伝えてくれた。叱ってくれて、人間としての関係性が偽りとは言えども、あることはあった。でもシュナイゼルにはシスターのような存在すらいなかったのでしょうね。シュナイゼルはきっとそういう本心・人間としての感情だったり本音と建前のバランスを上手く取る機微というものをうまく教えてくれる存在、親だったり年上の兄弟だったり、年長の「兄」や「姉」とも呼べる敬愛すべき存在、もっと的確に言うと師がいなかった。彼の将来を見据えて接してくれる。愛してくれる、もしくは支えてくれるという人がそばにいなかったということなんでしょうね。子供を育てる、教育という点で非常に重要な示唆を与える話ではないでしょうか?仮面というのは他人のための仮面ではなく、自分のための仮面でもある。他人や世間の仮面だけ大事という思い込みが心をなくしたマシーン・ロボットを生み出してしまったのでしょう