てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

自民党について(3)―小泉までの簡単な流れ、概略

長すぎてまとめられないから、とりあえず俯瞰的にこれまでの状況を単純に振り返る感じで、小泉以前までどんな感じだったかを書いて後で入れ替える。世襲政治の分析一本じゃ長すぎてムリぽ(つ´∀`)つ

 小泉純一郎の前任の森という総裁自体が、小渕氏急逝という不慮の事故により、党内のパワーバランス・談合の結果誕生したリーダーでした。その森氏の圧倒的不人気の辞任後、自民党が政権を失うという危機の中、小泉がある種の社会現象・ブームを起こし、党内抗争を勝ち抜きました。つまり、自民党内の権力闘争・派閥闘争の結果、派閥順位一・二位が入れ替わり、党内の政権交代によって生まれた政権でした。これまで主流派でなかったため、必然的に要職を経験しない、実務経験に乏しい派だったということです。

 いわゆる福田派という元首相の派閥を受け継いでいるわけですが、田中角栄の流れを受け継ぐ橋本派など、主流派に対して日陰にあったことは否めません。政権交代といえば、今年の古今未曾有の出来事のように思われますが、15年前に既に政権交代は起こっており、自民党内の人材はこの時点でかなり野党に流出していたのです(※いわゆる細川連立政権ですね)。

 冷戦期に、二大国が自分たちの陣営にあるのならば、その国のレジームの中身はどうでもよい―といった世界システムがあったため、自民党は米陣営に属すること、与党であり続けることという共通項によって結束していました。そして時々刻々の権力闘争を名望家達(※別枠で説明)が党内の権力を調整しあうという形で、政権を担ってきたわけです。

 冷戦の終了は世界システムに大きな変化を与え、世界システムの変化は必然的に国内的にも変化を与えました。自民党の党内での決定が事実上の立法や、党内政権交代が行われる政治状況の必然性がなくなりました。良い面・悪い面色んな事情があったでしょうが、少なくとも現自民のシステムを脱するために、新しいシステムを求める動きがあって政権交代にいたりました。

 

 

 もちろんこのときには次の新しいシステムをどう形成するかという明確なヴィジョン・理念に、それを纏め上げる政党や政治家の不在、政権に就いたリーダーたちの権力内での明確な優先順位・合意の欠如により、あっさりと新政権は崩壊してしまったわけです。事実、この時期政権交代があったという印象はかなり薄く、あったとしても細川総理大臣の誕生以外どんな内閣があって、どんな政党が与党であったといえる人はかなり少ないのではないでしょうか?己も七政党言えませんヾノ゚д゚;)。日本新党新生党新党さきがけ社会党公明党民社党社会民主連合の7党だそうです。民社と社民の違いは?あと社会もいたんだ…。彼ら何やってたんだろう…

 自民党が政権を長期にわたって維持できた理由の最大のものは、先述の世界システムの状況ですが、国内の社会党という野党のだらしなさ、最近だらしねぇな!と森のご意見番に叱られそうな状況があったのも大きかったでしょう。所々の選挙で後一歩のところに行っても、そのたびに自民は結束して、むしろどちらが社会主義だといわれるような政策を推し進めて、選挙に勝利してきたのでした。

 革命というものがいくら魅力あっても(現在想像し難くともその当時はかなり説得性がある思想だった)、ソ連のイメージの悪さに、現実に着実に経済発展を遂げている状況で、すべてをひっくり返そうという呼びかけが国民に通じて、現実化することはありません。

 しかしソ連共産主義という幻想が消えた以上、社会党という政党もレーゾンデトール(存在理由)をなくしてしまいました。暴力を使ってでも革命をする、ころしてでもうばいとるみたいな政党は共産党にはわずかに見られましたが、社会党にそこまでの思想はありません。というより第二党、選挙による権力奪取が可能なのですからそんなリスクを犯す必要がありません。自民党に自分たちの政策をとられ、安保的にも大きな違いを打ち出せない以上、自民を超えることなど出来ません。

 自民政権の崩壊というより、自民・社会二大政党の崩壊=旧秩序の崩壊といった事態が起こっていたのでした。自民が今でも存在しているためそうは見えなくとも冷戦以前の、戦前秩序の崩壊といったことが起こっていたのです。

大きな枠で見ると、この15年は戦前秩序の崩壊戦後新秩序のための再編成という見方が出来るでしょう。

 自民党自身は勝者なのですから、そのままその自民システムが存続してもおかしくはありません。もちろん敵がいなくなって、これまでその敵のため政策が異なるものたちが団結していた理由がなくなり、分かれたということもあります。しかし、私は一つの党内では、どうしても透明性が保てないという理由を第一に挙げたいと思います。それは国会を通じての議論は公開され、記録されても、党内ではそうならないことが多々あるからです。また議論の結果でなく、党内の派閥力学といった異なる力が働いてしまうことがあるからです。自民党のように長い歴史を持てば持つほど、色々複雑な力学があったことでしょう。それに我慢できなくなって党から出て行った政治家の心情を理解するのはそう難しくありません。

 単純化して政治体制モデルを考えるとき、欧米的な民主主義モデルを一方の極とし、中国などアジア的な軍・党が権力独裁モデルをもう一方の極と分けられます。日本の政治体制はどちらにより近いかといわれると民主主義モデル側にあるものとは思われないわけです。少なくとも欧米よりは民主主義システムが成熟していないと考えられてしまうわけです。政治家たちは官僚や学者や色んなブレーンを通して、そういうことがいかにマイナスかということを知ってます。よって少なくとも彼らには民主主義をより進めようという動機が働くわけです。結果的により透明性を高めようというメカニズム、欲求・動機が、働いたわけであり、これまでの政治の動きを説明できるわけですね。まぁ、当たり前のこといってますけど。

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