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てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

オリエンタリズム  エドワード・W. サイード

 ブログ引越し&見直しの続きです。元は09/12に書いたものです。

オリエンタリズム〈上〉 (平凡社ライブラリー)

オリエンタリズム〈上〉 (平凡社ライブラリー)

 
オリエンタリズム〈下〉 (平凡社ライブラリー)

オリエンタリズム〈下〉 (平凡社ライブラリー)

 

 今回は有名なサイードのオリエンタリズム、壮大な手法を基にして、いかに西洋のものの見方が、偏見・独自の思い込みで見ているのかということを証明しようという作品である。まぁ、いまさら自分が何やかんや言う必要ないんですけどね。この人の業績が偉大であることも、思想のすばらしさにも異論を挟む必要はない。しかし、

この本読めるか?

 

という単純な、至極たった一つのシンプルな疑問が浮かんできます。読んでいてさっぱりわからん。豊富な具体例によって誤りをこれでもかと丹念に示していくのだが、その具体例が一つとして聞いたことがないようなものばかり…(´-ω-`)。お前の知識不足だといわれればそうなんですが、大学時代自分より本読んでる人間見た事ないし、年間500冊は軽く読む自分ですらこうなんですから*1、他の人は推してはかるべしでしょう。

 

 

 洋書を訳すわけで、訳す上での難しさがあるといっても、書いた人間は本当に伝える気があるのかと思ってしまう難しさ。ヘンリー・キッシンジャーの『外交』もそうだし、マックス・ウェーバーの『古代ユダヤ教』もそうだった。内容を理解する前に、まず文章の読解から始めなくてはいけないという困難さが付きまとう。名著・古典にありがちといえばありがちだが、それは本の価値を下げてしまう。21世紀には許されなくなるだろう。近く書く予定のナイ博士の『ソフト・パワー』は非常に分かりやすかった(古典的業績になるかはどうかとして、氏は相互依存の方で優れた業績があり、そっちが取り上げられる気がしますが)。同時に翻訳の問題が多々あって、翻訳者のレベルに驚愕したのであるが。 

 

 学問的業績にケチをつけるつもりも、異を唱えるつもりもまったくありません。しかし人間に奉仕するのが学問であるべき以上、もっと分かりやすい言葉、分かりやすい例で表現するべきではないでしょうか。これは学問全般すべてに共通していえることだと思います*2

 

 結論が、分かっている以上、専門家でもない限り、まぁ読破することはないというものなんでしょうね。

*1:300冊くらいしか読んでないだろ!いい加減にしろ!

*2:今思うと、その「わかりやすさ」というのと、このオリエンタリズムはまた話がちょっと違いますね、これ。多分米欧的価値観、米欧文化に親しんでいるあちらの人間に向けて書かれた本でしょうからね