読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

書評― Soft Power Joseph S. Nye Jr

ブログ引越し&見直しの再掲です。元は09/12に書いたものです。

Soft Power: The Means To Success In World Politics

Soft Power: The Means To Success In World Politics

 

 アマゾンだとナイでも、Joseph Nyeでも出てこないから、画像だけ引用しました。商品ページは日本語版でもあるのにね(^ ^;)。※追記、洋書で検索したら出てきました。

 

―で書いたように、続きです。

 ナイ博士が主張するソフトパワーとは何か?筆者自身提唱する概念でありながら、明確な定義をしてこなかったために、さまざまなところで使われるようになったが、あやふやな使い方・誤った理解をされることも珍しくなかった。よって自身が本著で詳しく説明し直すという*1
 ハッキリ言ってこの本を正確に読めている書評はあまりないと思う。というより、誤っているものの方が多い。聖書を読むにはその時代背景を知り、その一文一文がどんな意味を持つか、訓練を受けた聖職者でない限り、正確な意味を伝えることが出来ない。それどころか、まるっきり逆の意味で受け取ってしまったり、大きな誤解を招いてしまうことがある。だからこそ、印刷術の技術革命が起こるまで聖書は一般の大衆に読まれることはなかった(もちろんそれによって教会が文盲を支配していたという側面を否定しはしないが)。
 本文も分かりやすく書いてあり、一応読めてしまうのでそういう錯覚が起こりやすい。国際政治学の知識・バックグラウンドを知らなければ、きちんとした論理展開・変遷が追えない可能性が高い。アマゾンレヴューを見れば分かるとおり、ハードパワー=戦争、ソフトパワー=洗脳とかとんでもない意見が書いてある。少なくとも本書から読み取るべき貴重な知識はそんなことをさすのではない*2
 まず、三つのチェスボードという比喩を使い、世界は今や三つのステージに分かれたといい、その三つの領域・ゲームで各国は闘わなくてはならない。第一が軍事力でそこではアメリカは間違いなく圧倒的に世界一の力を持つ。第二が経済力で、そこでは半分(当時の話で、もちろん変遷する)。第三がソフトパワーのステージである。第一のステージでは勝っても、第二・第三ではそうは行かない。第一で圧勝しても、第二・第三で負けてしまえばその軍事力の突出も台無しになってしまう。

 そんなこと当たり前ではないか、軍事力だけで何もかも出来るわけがないではないか?と考えてしまうのは日本人だけで、アメリカ人はそんなことを考えない。要は本書を書いた背景にはアメリカ人が軍事力さえあればなんでも出来ると考えている。そういう断然とした思想がある。アメリカ人は、自由市場経済、資本主義・民主主義、アメリカのような生活スタイルが何より最高の形態であって、もしそうなるチャンスがあるのならば、世界中誰でも喜んでそれを選択するという考え方をしている。この自国絶対優位はイギリスにもあるが、アメリカの場合はさらにそれを広めるべきだという考え方がある。

 田中宇氏などが早くからサイトで紹介してきたように、アメリカは新植民地主義新帝国主義といわれるネオコン=新保守主義たちの存在があった。湾岸・コソボ・アフガンなどなど、米の圧倒的な軍事力が示された。もはや米の力は圧倒的なのだから、米こそが世界的に、民主主義を打ち立てるべきである。failed states(国際政治学上で言う破綻国家、失敗国家)や、権威主義体制などの国家を打倒してでも民主主義政権を作るべきである―そんな意見が米の国政の主流になった。

 フランシス・フクヤマの『民主主義の終わり』というのもまさに、もう民主主義以上の思想はありえないから、世界は民主政権に染まるに決まっている。遅いか早いかだけの違いでしかないとした。またロバート・ケイガンのような欧州のような古い考え方をする国と、いちいち付き合っていては何もかも決定が遅くなってしまう。よって無視してもかまわないといった考え方まで現れた。その結果がアフガン・イラクにつながったのであった。
 博士によればたとえ、軍事的な成功を収めて、民主主義政権をその国に打ち立てても成功することなどない。それにはソフトパワーが欠けているからである。こんな当たり前の事実ですら、いちいち説明しなくてはならないというアメリカの思想背景があるのである。軍事力がたいしたことがないなどとは言わない。そうでなく、経済・ソフトパワーといった要素を無視してそんなことが出来るわけがないといいたいのである。
 ソフトパワーという言葉を分かりやすく言えば、説得性、正当性、信頼であろう。それがある人間には自然と皆従うに決まっている。なぜなら彼に任せれば、自分の主張・権利が侵害されることがないのだから。もしその人間が、主張や権利 を無視するならば、その人間からは説得性・正当性・信頼が失われ、次回からはそれらがない人間としてまともな扱いを受けなくなるというだけ。会社組織のトップにも、普段学生が行動するグループのトップにもそれがあるだろう。だからみんな彼・彼女に従って行動しているのだろう(あるいは強い発言権を持つ)。こんなことは 日常誰もが自然に学ぶ当たり前のことであろう 
 ソフトパワーというものの説明に入るが、これもまた誤解されやすい概念である。筆者は『ソフトパワー』と『ソフトパワーの源泉』というものを明確に区別している。巷で多く語られているのは、ソフトパワーの源泉のこと。それをソフトパワーそのものと勘違い・混同しているのである。ナイ博士は日本のアニメ・漫画=ソフトパワーなどとはいっていない。これらはあくまでその『源泉』に過ぎないのである。カレーで言ったらルーでしかない。お茶漬けで言ったら茶漬けのもとでしかないのである。株を儲ける法則は安く買って高く売るということは誰でも知っている。しかしどうやってやるかは理論はあっても、誰にもハッキリしたことはいえない。それと同じことでソフトパワーを持つにはその源泉をより持つことは重要なことである。しかし、確実にパワーに転化させる公式・理論は確立されていないのである。
 冷戦期まではハードパワー、軍事力という観念は非常に有効であった。生き死にがかかっている間に正当性がどうのこうのといっていられない。というより何よりもまず、生き残ることという正当性が付与された。しかし冷戦が終わればその正当性はなくなったのだから、冷戦式のやり方・軍事戦略ではいけないのである。そして今現在の軍事目標・対象はテロリストとなっているのだから戦争して、占領すれば目的解決というわけにはいかない。いわゆる非対称戦争、それらを根絶するには安定した政府・政権・国づくりがなくてはならないのである。
 ではその国づくりには何が必要かといえば正当性・ソフトパワーなのである。自分たちがそんな国に住んでみたい、住めば経済的にも文化的にも豊かな生活を送れるとなれば、政府・政権は説得力を持ち安定する。日本人が戦後アメリカのライフスタイルに憧れを抱いたように、経済が進んだ国のライフスタイルに一定の魅力がある。(ただイスラム圏はそれをはるかに超えて、宗教的な規範に適合するかどうかという点に正当性が大きくかかわってくるため、それでも安定するかどうかという難しい問題がある。そしてなにより、軍事的に政権を打倒して、占領中に新政権を構築し、国際的なルールに従わなかったというもろもろの事項が正当性をさらに傷つけることにかわりはない。)
 現代テロ組織は世界中からいくらでも人材をリクルートできる状況にあり、そういう状況に対処する有意義な戦略がソフトパワーを重視したものだと主張する。正統性がないからこそ、暴力に訴えることが魅力あるものに移る、正当性のない米=悪と戦う行動こそむしろ正当性ある行動と映って見えるのだから。
 最終章では米=帝国論を否定する。かつて植民地時代に帝国によって占領され苦しい歴史を持っている国々を考慮して帝国などという用語を平気で使うべきでないと。また再び新植民地主義新帝国主義を否定する章に入ります。

 やばい、内容結構忘れてる。章立てに順序に論理を追うと長くなるから適当にかいつまんだけど。後で追加しないと(´-ω-`)。ぶっちゃけリアリズム・リベラリズムという国際政治上の思想のリベラリズムという心理要素を重視しろ*3ってこと!を抑えておけばいいんですけどね。英語で原書読まないと論理が分かりづらいです。専門に勉強する学生は必ず原書で読むことをお勧めします。


 長くて読んでらんねーよって人は、色がついた段落だけでも、知っておけばいいと思います。ナイ教授はアメリカにはそもそもソフトパワーがある、他国がついてきたい、あるいはアメリカというシステムを模倣したいというものがある。しかしブッシュ政権の単独主義行動でそれが損なわれた。よってそのような行動を止め、多国間制度・機構、国際条約などをきっちり守って行動すればよい―これは己も正しいと思いますがしかし、そして本来のアメリカに戻りさえすればよいとします。

 しかし本当にそうでしょうか?そもそもアメリカに潜在的にソフトパワー・説得性、正当性があると考える思考にアメリカ人の限界性を感じずに入られません(もちろんアメリカに魅力が備わってはいますが、今後はその本来備わっている魅力だけでは不十分だと己は主張します)。そこにはイスラムといった他者・異文化・異文明を根底から理解しようという、その上で相手と自分たちにとって本当にふさわしい未来像を考えようといった姿勢が見出せません。アメリカ人のリベラリズム*4の泰斗が、そういった観点でしかこのソフトパワーを論じることが出来ない状況こそが、ソフトパワーを損なっている・源泉をパワーに転化させることを阻んでいる―と言えるのではないでしょうか?ソフトパワーの重要性を説く本書にして、すでに内部にソフトパワーを損なう構造が含まれているのではないか。そんな疑問を書いておきたいと思います

 ※追記、米は自分たちが正義であり、優れていると考えている。魅力的な存在であるということばかりで、自分たちの負の面・非の面を考慮しない。それに真摯に直面・反省することがない。悪いこと・間違っていることを他国に押し付けるという例のそれですね。結局その反省の欠如というのが建国以来今に至るまで続いているわけで、それこそが「ソフトパワー」を根底から傷つけているという当たり前のことをいつまでたっても気づかない・やろうとしないといういつもの例のオチですね。

*1:The Means To Success In World Politicsというサブタイトルが示している意味がそのままなんですけどね

*2:書評チックに仕上げようとしたから、なんかソフトパワーの誤用を取り上げていますが、単純にナイ氏の「ソフトパワー」の概念・主張がヒットした。その流行りに乗って、とりあえずソフトパワーって言っとけ・使っとけといういつもの便乗商法が散見されたというだけですね

*3:リベラリズム=心理要素を重視というわけでは必ずしもないです。またコンスとラクティビストなんかでもありえなくはないかと。まあそんな体系的な話はちゃんとしたところで学びましょう(逃げ)

*4:本人は自分はリベラリズム・リストとは言ってませんけどね