てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

自民党について(終)

ようやく、このシリーズもファイナルに。モー娘。でいったら卒業です、解散ライブです(^ ^;)。橋本・小渕・森・小泉と続き、自民の生き残りをかけた改革はいかなるものだったのでしょうか?思えば、政権奪回後の橋本総理の財務省をも含めた行政改革こそが全ての始まりでした。江田憲司氏がこのとき秘書官として改革に携わり、つぶさにそれを報告していますが、官僚の抵抗は激しく、政治家を操ることに長けていたそうです。規制緩和の始まり、金融ビックバンもこのときですし、行政改革という構造改革に、衆参ねじれ現象に、首相直属の「行政改革会議」では官僚を廃して、民間人からなる有識者会議を設け(これには猪口邦子女史も参加しています)ました。

 もともと小沢一郎氏と同じ経世会であり、一郎か龍太郎かといわれた人物でありました。駐留軍用地特措法、米が不法に収容した土地を民間人に返却しなければならない期限(50年くらい?)が、切れたためその期限を永久なものに転換させようという法案をめぐって、野にあった小沢氏と保保連合をし、自民党内はこの保保連と自社さ派に割れました。いうまでもなく、話題になっている普天間の移転はこの橋本時代に決められたものです。決定がこの時期で、執行が10年以上たっているんですね。遅すぎです、ありえません。詳しいことはわかりませんが、日本政府が土地代補償費を負担する代償が、この僅かな基地返還だったのでしょうか?

 橋本氏は厚生族であり、だからこそ大蔵省へ切り込めたのでしょう。金融監督庁を設置。大蔵省から金融業務を分離したのも、大蔵省を弱めるのがあったでしょう。小泉氏との総裁選では、304対87で圧勝しています。しかし二度目の対決ではご存知のように、小泉氏が圧倒的な地方の指示を受けて橋本氏を敗っています。それでも小泉氏は298の155と、一度目に比べて圧倒的な差ではありませんでした。

 中曽根康弘氏の推薦を断りきれず、ロッキード事件で有罪が確定している佐藤孝行総務庁長官に起用したことで支持率が急落しました。橋本氏は中曽根内閣時に国鉄民営化に尽力しています。その繋がりでしょう(つまり彼はこの民営化のキャリアを期待されて首相になったわけですね)。

 いろいろな事件・出来事が全て繋がって、現在の政治を読み解く卦・サインとなっていることがわかります。他にも青木・野中氏といった長老連により、一定のリーダーシップを抑制されたこと。参議院の敗戦によって退陣に追い込まれたこと。離党組の復帰によって、連立政権を解消し単独与党になったことなど今後の政治状況を見る上で重要なポイントが多々あります。現民主政権や、今後の採り得る政策が自民一党体制が崩壊してからの、混乱の歴史で大体予想できるでしょう。

 さて、本題。相変わらず長いですねぇ~(^ ^;)まぁ最終回なのでいいでしょう。大蔵・厚生族だった小泉氏が財務省を味方につけて、郵政改革をやったように、厚生族の橋本氏が財務省改革に乗り出していました。自民内部の族議員が、その時々の政権によって、関係官僚・省庁と結びついて改革を行ってきました。

 別にとりたてて珍しい現象ではなく、政党・官庁と言っても一枚岩ではありません。官僚と言ってもその省庁内で、政策をめぐって~~賛成派、反対派に割れるのが当たり前ですから。異なる政治スタンス・グループであっても、共通の何か大きな目標によって団結するのが普通の組織ですから。家族でも、会社でも、学校でもそうでしょう。家族「がある」ではなく、家族「になる」のです。どんな組織であろうと目的を共有し、目的が消えれば解消されます。

 橋本氏も小泉氏も自民党を再生させたという点で共通し、戦後自民党史に特筆すべき改革を断行したという点でも共通しています。橋本氏は二年半とそれでも首相として長く務めていました。二人の共通する点は多いのにも関わらず、前者は失敗に、後者は成功に終わりました。何故でしょうか?

 小泉氏が先で、橋本氏が後だったらもっと財務省改革は進んでいたのかもしれないと考えてしまいますが、当時の状況、金融危機による不良債権処理などを考えるとそれも難しかったでしょう。それでも二人の役割による違いこそあれ、中国の正史では名前だけ入れ替えても違いがわからない状況にあるように、二人が入れ替わっても歴史がそう大きく変わることはなかったでしょう。

 現実には五年と二年半という任期の大きな違いがあります。何が二人の命運を分けたのか?それは非主流派から己のスタンスを通し続けたという意志力、ワンフレーズポリティクスに代表される小泉氏の答弁の仕方にありました。なにも変わらないという閉塞感の中、自民党のボス猿型派閥政治を打破する―「自民党をぶっ壊す」という明確な党内改革を訴えたことが小泉人気を不動のものに押し上げました。飯島勲秘書官のようなPRを理解している秘書がいた事など。小泉氏は世論というものを熟知していたといえます。

 ボス猿型政治システムというのは簡単に言えば長老優遇です。功労者重視、年功序列型に基づいた、意見調整型システムです。この意見調整システムを時の首相・リーダーの意向に基づくトップダウンに変革させようという小泉氏の思想・ヴィジョンは、まさに時代の要請とかなったものであり、国民が望む政治そのものでした。少なくとも国内政治システムにおけるヴィジョンは稀に見る独裁型で、優れたものでした。

 しかし後継者はボス猿型政治システムの延長上にいました。森氏も談合から生まれた以上必然であり、小泉氏のような国民の圧倒的支持というカリスマがない安倍・福田・麻生氏はいうもさらなり。少なくとも大衆受けするような言動を取れませんでした。大衆受けする激情を呼び起こす言葉はなく、頼りになるリーダー像には程遠かったのです。

 もちろん国民受け、それだけではダメです。麻生氏は前述の人物たちとは違い、大衆的人気、一種独特の支持があったといわれますが、小泉氏と同等の改革を示せませんでした。なにか一つ道路なり、役人なり、スケープゴートを示して、狙い撃ちにしなくてはならなかったのです。このときのカリスマを作る手段は身内利権を切る、そして選挙で勝つこれしかなかったのですから、これを選択できなかったジリ貧総理たちは政治学やPRを理解していなかったとしか言いようがありません。

 郵政解散は当初危ぶまれる声の方が強いものでした。それでも結果は小選挙区制もあって三分の二を確保する史上に残る大勝でした。ならば次の打つ手は目にみえているはずです。選挙毎に特定の既得権を狙い撃ちにすればいいのですから。安倍氏は自民党崩壊の引き金を引いた参院選で、公務員改革が最大のテーマになっていたのですから、年金関連で守旧派に立つ厚生族を離党させ、改革を阻むような過去官僚、反対に回った甘粕氏のような議員を切ればよかったのです。まず初めに選挙前に公務員改革条項とでも作って、内閣方針を明言し、これに違反した場合自民党追放というものを国民に公約すべきだったのです。

 仮にサインだけして選挙前だけ従っていたとしても、それをタテに国民に従わないので切りましたと説明すれば、リーダーとしての指導力をアピールすることはいくらでもできたでしょう。

 これは現内閣鳩山氏のリーダーシップにも言えることで、記者クラブ公約違反や郵政トップに大蔵官僚を据えたことなど(これは己は理解できるものですが)、反対するものは去ってもらうという姿勢を見せないと、リーダーシップは評価されません。目先の安定のために長期の戦略を台無しにするのですから。民主党にはそういうリーダー性がなく、谷垣氏のドラクエ作戦的な匂いが感じられるところはややマイナスでしょう。しかし、今回の衆院選は党を選ぶもので、リーダー選抜の選挙ではなく、政党の信頼性での選挙でしたから致命的なものにはならないといえます。というより格好の自民というスケープゴートがいますからね。

 リーダーシップに対する理解の欠如の他に、政治的な常識・センスの欠如というものが大きかったといえます。なぜなら小渕氏の急死→談合首相森による党の危機という自体に面してこのような悲劇を二度と繰り返さないために、緊急時の首相代理または首相昇格という制度を作るべきでした。わかりやすく言えば前回の轍を踏まないで、過去の経験を活かすという当たり前の危機管理をしっかりやれ!ということです。これが生かされて、憲法なり、内閣法なり、改正されていれば少なくとも安倍退陣という自民党崩壊の引き金を引くことはなかったでしょう。安倍四年でも、福田・麻生でも同じ結果でしたでしょうが、少なくとも自民は誰がやっても変わらない・終わった政党だというイメージは避けられたでしょう。

 安倍・福田・麻生<小池・石破・石原・中川というのは誰が見ても明らかなのに、危機における年功序列の回避の原則がとられず、世襲恩典・世襲プレミアムによる人事は国民の怒りに火をつけるのに十分でしたし、安倍・麻生にいたっては期待された分だけ改革ができなかったことは、自民支持層を離反させるのに十分な出来事だったでしょう。かくいう己もその一人です。安倍氏がテレビで首相代理を立てられるかと聞いて、内閣法で無理です。(´・ω・`)ショボーン→じゃあ、退陣って…。どう考えても戦略的ブレーンが欠けている。己だったらこれを絶好の危機に、病院から院政をしく、官僚の統制を打破して官邸の次に、病院で執政するというウルトラCを使うことを勧めたでしょう。

 何より安倍氏は戦後レジームの再編という明確な外交テーゼの転換に、憲法改正の重要性を説いていた。つまり憲法改正とは強力な首相・大統領制以外ありえないのですから。いかにリーダーの権力を強大化させるかという法制だけに絞ってしまうべきでした。そうすれば彼は戦後史、平成史上筆頭の名総裁になったでしょうに。少なくとも憲法改正の道筋を付けたという点で、彼は小泉氏より上です。

 小泉氏は国民の支持という絶大な権力を得たのですから、それを憲法改正&立法で、内閣法の改正を進め、改革スピードを三倍に出来る仕組みを整えるべきでした。組織学ではリーダーの指導力は、①組織内で地位を保つこと=権力闘争に勝つこと、②目的を達成すること=組織が訴える目標を達成することの二つに分けられます。小泉氏は両方を達成しましたが、③組織改革をする場合、後継者である新指導者に有意義な環境を整えておくという原則があります。それを彼はしませんでした。安倍氏という新リーダーを指名した後で、院政を敷けとは言いませんが、サポートをすることは出来たでしょう。前述の中曽根氏のごとく、田中角栄氏の闇将軍のごとく、ハヤテのごとく、彼は前首相が後継内閣に影響力を発揮すると、政党システムを歪めてしまうというのを目の当たりにしていますから、権力は地位に付属する。地位を失えばただの人に過ぎないという原則を守りたかったのでしょう。

 もちろんそれは素晴らしいことでしたが、その代償に政治改革は一気に停滞しました。後継指導者たちはお坊ちゃまらしく、身内と戦うという決断を下せず自滅していきました。

 将来の十年・五十年・百年のためには大きな政治のシステム・機能不全に陥らない、政治三流といわれないシステムを建設することが第一でした。日本の政治の問題は人材の不足ではありません。問題は十分な権限を与えられていないシステムです。なのにそれに抜本的に手を付けるはずの憲法改正をやり過ごしたことにこそ諸悪の根源はあります。それは必ず党内を揺るがす論争になるため、先送りしてきたのです。目先の利益だけで、大局を見れないものたちは自滅していきました。

 己が民主を今のところ絶対的に支持しなくてはならないのは、こういう現状があるためです。鳩山氏にしろ、菅氏にしろ、小沢氏にしろ少なくとも彼らよりは大局観があり、憲法改正も早い段階から訴えてきましたから。

 おい!おまえは自民・民主に偏らないと書いているではないか!おかしいだろう!と言われる可能性がありますので一言。①少なくとも絶対民主支持ではないこと。個々の政策のおかしさは指摘します。太鼓持ちにはなりません。②政党でいえば、一応今はみんなの党のほうがいいと思っています。あくまで現在の政権を運営する、改革を実行してくれるという点での話です。③それに民主党は必ず割れると思っています。おそらく憲法改正後には、自民が崩壊するにせよ、しないにせよ、吸収されて改めて二つに再編され、そこで始めて真の二大政党制の始まりになると今のところ考えています。政党支持が先にあり、その後に論旨を説くのではないという己のスタンスがわかっていただければ幸いです。

 あ~ながΣ(゚∀゚;)。とりあえず戦後の政治総括、自民編は終わりました。この記事もっと上手くまとめ直すために分割するかもしれません。民主編を二、三本つらつら書いて、政策提言編に行きたいと思ってますm(_ _)m

長いから、誤字だらけだな、後で直さなきゃ。

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