てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

日中歴史共同研究の話

※旧ブログを消すに当たって、せっかくなので過去に書いたものを移してきました。まあ、残す価値があるものとは思えないのですが、一応。このブログもいつまで続けるかわかりませんしね(笑)。

日中歴史共同研究というものがありました。それについての所感・コメントです。
 共同研究と言いながら、中韓サイドの思惑を強く反映しただけであり、日本の主張が殆ど反映されていない。天安門事件も記載されず、南京虐殺を否定させることも出来ない共同研究に一体なんの意味があろうか!!( ゚Д゚)ハァ? ―となるところですが、一見無意味に思えても、実はこれにはちゃんと意味があるんですね。
 以前申したように外交の要諦は戦時と平時を同一線で、包括して考えること。ひとつの外交上の懸念に対して、相手が自分の望む態度をとれば、それに見合った見返り・報酬が得られることを約束し、逆に相手が自分の望まない政策を打ち出せば経・軍制裁に出る。アメとムチの法則を理解させることですね。
 外交というのは相手がいてはじめて成立するもの。外交という関係が成立する以上、たとえば日中という枠組みなら、日本の視点・立場、中国の視点・立場それぞれを理解しながらも、「中と日」*1という関係性そのものが一つの生命体や機構として新たに存在すると考えます。
 まぁ、男と女がいて、夫婦や恋人という関係性が成立するようにね。こういう関係性からスタートするのが社会学の基本なんで、興味ある人は重要な概念なんで覚えておくとよろしいです。

 んで、まぁ外交上一見無駄に見える。こんなんでいったい何になるんだ。相手の言い分認めただけじゃないか!金の無駄、最低!(#゚Д゚)ゴルァ!!と思いきや、実はこれはものすごい意味のある行動なんですね。
  ①まず、学者同士が共通認識、解決法を探り出そうという作業に入ったこと。これによって日中共にまず歴史認識という問題があるという共通認識が生まれた。
  ②これを解決しようというスタンスにたった。
  ③南京はともかく、天安門については報告しないという態度をとった。

 ③によって誰がどう見てもこれは中国に歴史を論ずるうえで、「言論の自由」or政治上の安定という観点から論じることが難しい=政治を語る上で中国には一定の障害・困難な環境があるということがわかった。
 まぁ、こんなこと誰でも知っているよと突っ込むところですが、知っているではなく、これが学者を通して共通の舞台・機構によって論じられるステージがあるということが重要なのです。このパイプは日本の意見を伝えたうえで、中国側のエリート・トップの知恵袋・バックボーンになる学者たちに影響を与えることが出来ます。必ずこの研究が将来中国の歴史認識改善の後押しをします(一般世論はともかく…)。
 中国の目下の関心事は言論の自由・政治システムの民主化をどうやって社会・経済的に安定させた上で成し遂げるかということです。そういう面では日本は自民党が長期一党独裁下にあったことや、中国の現状に欧米と一線を画し、理解を示しているので、彼らも受け入れやすいのです。日本は中国の将来の改革に一家言持つことになります。中国も自分たちの今の状況が決して永遠に続いたり、何の問題もないなどとは思っていません。安定的な発展のために、政治改革は避けられないし、何らかの民主的制度を導入しなくてはならないだろうということはわかっています。それに何らかのルートから、ある程度影響を与えられる・アドバイスすることが出来るということはかなり大きいことです。うまーく利用してノウハウだったり、日本の意向を伝えるべきですね。
 勿論、単発的な行動では何の意味もなく、第二次・第三次と重ねていくことで重要な意味・価値を持ってくる話です。その交渉を少しづつ積み重ねることで、相手の変化を待つ・促す。天安門・南京という事件についてまず過去の事件に対して語ることの自由を許すべきでしょうね、中匡は。言論の自由を認め、その次の行動・デモの自由はひとまず認めないようにするなど、いくらでも手はあります。そういえば天安門はともかくとして、今回の研究で文革はどうなったんでしょうね?

 日本側が攻めていく時に重要だと思うのは、南京の数がどうしたこうしたというより、本質は日本軍・政府として中国人を最初から人とみなさない扱いをしてはいないことを主張すべきでしょう。米欧サイドの人種差別、特に米の人種差別的な発想・行動と日本は明確に異なる存在なんだということをはっきりさせて、理解してもらうことがポイントになるかと思います。
 南京を論じる上で、諸白人レイシズム国家がやったように、始めから民間人を意図的に手当たり次第殺そうとしたものではない。そういうことをする国ではないということを理解してもらわないと意味がないですね。あと南京虐殺館の撤廃のために、テロリスト・便意兵の処刑であることを強調すること。民族の抵抗だ!といいますから、では国を守るためのテロは許されるということですね=チベットのテロを容認しますねとチクッとつついてやること。同じようにチベット支援・待遇改善と絡めなくてはなりません。向こうが歴史を持ち出してくる以上、こちらもチベットを持ち出さなくてはなりません。こんなところですかね、己の分析と提言は。今後この枠組みをしっかり活かせないと、俗に言われているように無駄だ!になってしまうので、己の分析を外さないためにも(笑)しっかりやっていただきたい所です。
 
 中川秀直氏が共同研究について、やはり中国的な自国の正当性を強調する道具としての側面がありながらも、少しずつ歴史に対する変化を見せていることを紹介していましたね。戦争経験者・被害者がいなくなっていけば、当然国内世論も軟化していくに決まっている。いかに南京虐殺館のようなものでアピールしようが、共産党の統治が不当なものだという事実の方が上回っていくに決まっている。過去の苦しみに目を向けさせる政策は諸刃の刃。「過去の日本軍の蛮行>中共の圧制」という図式は時が経てば経つほど簡単に「過去の日本軍の蛮行<中共の圧制」にひっくり返る。
 やっぱり第二次・二回目をやることになったし、実証主義による研究で今後も中国側の変化が見込めるものです。んで思ったんですけど、沖縄の自決者のように向こうでも南京虐殺の被害者として戦災給付を受けている人たちがいるはずです。そういう状況があれば容易にいや虐殺なんてなかった、実はなかったと言えないわけです。とするならば、そういう国内問題にも関わってくるので、どの程度の人間が恩典を受けているのかなどについても調べる必要があるでしょうね。それも時代が経ち、相互依存が深まるにつれ、そういう意見も薄れて行かざるを得ません。

 しかしここにおいて深刻な矛盾が生まれます。一般中国人の日本人の好感度が上がる=中共の好感度が下がる&中共の好感度が上がる=日本人の好感度が下がるという基本図式が成立していることがわかります。つまり日中関係が好転すれば、中国国内の安定度は下がり、逆もまた真になるのです。どちらが起こっても東アジアの安定は脅かされ、日本の繁栄が深刻に脅かされます。ここで日中のゼロサムゲームが成立しているなどと単純に考えてはいけません。中共にとって安定を図るための何らかの改革は必要不可欠。関係の安定*2・国内政治改革・国内の安定という三つの条件を同時に成立させるという困難な綱渡りをしなくてはならないのです。これが同時に出来ないと中国はえらいことになる。物凄い危険な状態に中国はあるのです。

 日本としてはそれを促すために、「この研究への安定した国内世論が必要となる」と言われているように、ぜひ温かい目で見守らなければなりません。ひよこが一夜で鶏になったりはしません。少しずつ成長・変化するのを見守らなくてはなりません。どんなに困難な道でもそれ以外に手はありませんからねぇ。

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「日中歴史共同研究」報告書 第1巻 古代・中近世史篇

*1:中日ドラゴンズと紛らわしいので中と日で

*2:今だと中米関係ですか