てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

天才社会学者デュルケム +日本社会の病理分析

ブログ引越し&見直しの再掲です。元は10/02に書いたものです。

 とうとうアレをやれる日が来ました!そうアレと言えばキラークイーンがストレイキャットの空気弾を血管爆破して摘出したのでも、チョ☆チョニッシーナマッソコぶれッシュ☆エスボ☆グリバンバーベーコンさんでもありません。デュルケムÉmile Durkheimです。『社会分業論をずっと書いてなかったんで、長かったな~(´-ω-`)。マックス・ウェーバーも、カール・マルクスも天才だと思いましたが、こんな凄いやつがまだいたのか、と己の不蒙さを恥じ入らずにはいれません。ゾンバルトも凄いとは思いましたが、決定的なその後の学問への影響という点や、己の中で応用出来るものが少ないので彼らに比べると少し劣りますかね~。

【政治学は死んだ】
 しかし、この社会学の黎明期の天才・人材が綺羅星のごとく現れているのが、本当に凄い時代だったなぁ~と思わずにいられませんね。己が思うに、哲学は神学の端女・ニーチェの神は死んだ宣言に続いて、政治学・哲学は死んだor端女と言わざるをえません。現代哲学や思想を中心とした政治学ものに限った政治学ですが、両者ははっきり言ってもう無意味です。何の業績も今後あげられることはないでしょう。社会学という領域が生まれた以上、これ以上有効な手法がないからです。

 現に誰とは言いませんが、現在最も有名な政治学者は一般的知名度は殆どないと言ってもいいことからも、その技量が伺えてしまいます。某教授の著は一体何が言いたいのか、さっぱり理解できません。分りやすく再解釈したのでも、新しいものの見方を提供したのでもなんでもないのです。それで?としかいいようがないですもんΣ(゚∀゚;)。社会学やらざるもの、この門をくぐるべからずみたいにしないと、人文科学の発展はないと思うんですがね~。学者の能力は畢竟①難しい概念を、誰でもわかるように単純明快にする。②今まで信じられていた既成概念をひっくり返して(あるいはその延長上に分析を加えて)、新しい概念、ものの見方を提供する。その二つですからね。

【今こそデュルケムの研究に立ち返れ!】
 デュルケムは『自殺論』で知られ、己は大学の授業で、人は所得が増え、階級が上昇したときのほうが自殺率が高まるという説明を聞きました…。デュルケムの凄さとはそんなところにあるのではありません(#゚Д゚)ゴルァ!!。現代は自殺件数が年間三万人を超えています。しかし、実際は死亡原因不明数を加えれば、みなし自殺がその半数であるといわれ、年間十万人は死んでいるでしょう。

 このような異常事態でデュルケムを扱うのは当然です。今以上に自殺という現象に取り組むのにふさわしい時はないでしょう。これを機に日本で今以上に彼の業績が知られることを望みます。


【自殺=異常現象という思い込みを打破した天才】
 当時の欧では日本のように急激に自殺が増えていたのです。その原因の解明は彼の大きな関心になったでしょう。もちろん彼以外も多くの学者、思想家の関心の的だったでしょう。

 そもそも自殺というのは現代人は理解出来るでしょうが、当時の人間は自殺という現象を理解できなかったのです。自殺=病気、先天的遺伝によるものだと考えられ、自殺というものが死刑に値するキリスト教の観念から分るように、一種の語られてはならぬもの・タブー扱いされていたのです。

 自殺者に対する憐憫どころか気持ち悪いという扱いがなされていました。その偏見を打ち払った、人間の思想・規範を改めたのですから、彼の功績は偉大と言わざるをえないでしょう。いつの世の中も既成概念を根本から改める人間は預言者だけであり、時代・神・天から選ばれたカリスマだけです

【近代化、都市化は自殺率を高める】
 色々細かく説明すると長いので、かいつまみます。かなり省略しますからそのつもりで読んでください。自殺には色々なパターンがあり、社会を維持するためには老人が自殺したほうが良いので、老人の自殺は美徳として称えられていました。その他にも色々自殺の分類・タイプ化をして、では現代の自殺とはどんなことが言えるのか考えました。研究してみると、プロテスタントの地域に非常に自殺が多いと分りました(無論これは後の研究で事実ではないと分るのですが)。宗教的な要因ではなく、近代化・都市化が進んでいる地域、すなわち現代のような生活・ライフスタイルに伴って自殺率が向上しているのだと彼は指摘しました*1

【社会分業論、分業は自殺率を高める】
 ここから社会分業論という話に入ります。なぜ?自殺率が増えるのかという問いの前に、彼の近代社会の成立要因の探求を紹介します。社会の発展、文明の発展とは
分業の発展である。分業とは、中高の授業でやったと思いますが、まぁ工程の細分化と専門化のことです。車で言ったらタイヤを作る人間はタイヤだけを専門に作る。パーツごとに専門家がいて、最終的に組み立てるというアレですね。高度な社会ほど分業が発達し、かつ自殺率も比例して高まる―とそういう法則を彼は主張し、何故そうなるかを説きました。
 分業というものはどんどんどんどん自己増殖をし、絶えず進んでいきます。この辺はマルクスの言う機械化に近いですね。分業によって社会は一つのものに構成される。社会は人間を労働単位で分割していきます。分業とは社会そのものなのです。分業なくして社会なし、社会なくして分業なしと言っても過言ではないでしょう。現代どんな人間もこの分業に伴った何らかの専門職に就いているといったら、良く実感できるのではないでしょうか?
 え、何「自分はただのサラリーマン?」でもちゃんと専門化・細分化していることをやっているでしょう?え、誰でも同じことをやっている?例えば警察官や医者あるいは魚屋・肉屋何でもいいですけど、たくさんそれに従事している人がいますよね。でもそれはその職に対する需要が大きいから、たくさん人がいるのであって、決して一般的というわけではないんですよ。専門化された人間が一般化されている、大量にいるというのは言葉的に矛盾しているんですけどね(^ ^;)。

【人は連帯をする生き物、人と人がつながって社会は成り立つ】
 専門化された人間は
新しく連帯をし直します。人と人が結びつくことを連帯と言います。この連帯のあり方が重要になってきます。社会を構成するのはこの連帯の束といっていいでしょう。まぁ簡単に言うと関係性ですね。社会学とは人間の関係性を解き明かす学問ですから。
 人と人がいれば、そこには関係が発生しますね。友人、親と子=家族、恋人、学校の仲間、あるいは職場、契約に結びついた顧客関係、上司と部下なんでもいいです。そういう関係性がどうであるのか、なんであるのかを解き明かしていくのが社会学です。人と人を規定する社会の構造・システムがどう成り立っているのか、どういうものなのかを解き明かすのですね。その社会の基本的な仕組みが良くわかれば、わかるほど、そこに所属する人間が、今自分が何を、どうすべきかがわかるでしょ?どういう問題が起こって、どう解決すればいいのかが良くわかる。だから学問なんです。人間の役に立つんです。己が何よりも重要な学問だと主張するゆえんです。
 またどう変容してきたかということも大事になります。あんまり語れないですが、例えば今のような家族形態は核家族といって祖父母と同居しなくなったという変化が分りやすいでしょう。戦国期なんか通い婚に近いものが主体だったといいますし、中国では宗族という従兄弟までが一つの家族形態・単位を取っています。ここから多種多様な形態が存在しうるんだということが分っていただけると思います。関係性は永久普遍でなく、多種多様である。時代・地域=環境によって、どうとでも変わるものなんだと。

【集合意識=社会は意思を持つ、集団が保持する集合意識は永遠に生き続ける】
 彼の業績で素晴らしいものはこの連帯が一つ意志を持つのだという主張でしょう。社会が人格を持つのだという主張、これを「集合意識
」といいます。例えば良く日本は~、東京は~という主語を使います、特にメディアで。特定の社会がある一定の思想・価値基準を持つのだという発想は、彼に始まる(明確に定義し研究した)もので、まぁとんでもないことを、良く考えついたなと感嘆せざるをえないでしょう。そして人の集団、社会というのはいったん生まれた集合意識をいつまでも引きずり続ける、無意識のうちにそれが当たり前だとして行動するようになるのですね。当時のルール決定にかかわった人がみんないなくなっても、それが不合理になっても、そのまま集合意識に基づいて行動してしまうのです。

【まず何よりも先に社会ありき】
 個人の復讐権の委譲として刑法が生まれたと考えられがちですが、事実は違います。実際は神に背いたから罰せられる。宗教から刑法は発達したんですね。どんな社会を見ても、刑法は宗教に端を発する。古代社会において個人などというものは存在しません。そんな存在は社会にとって有害でしかないからです。まず社会があって人間がいる。集合意識の発生が先で個人が後なのです。このような古代の社会の結びつき=連帯を機械的連帯と言います。類似から成立する連帯を機械的連帯と言い。社会に対して人は物に相当します。これに対し近代社会を有機的連帯といいます。有機的連帯とは分業によって専門化された独立した諸個人からなります。個人化と専門化はそれぞれ促進しあう関係にあり、スパイラルします。つまり個人化→専門化→社会の発展→個人化∞…―になります。民主主義と資本主義が不可分な関係であるように、近代社会では個人化と専門化ということが社会の発展に不可欠なのですね。

【当時に生きる問題を鋭く抉り出し、冷静に観察したデュルケム】
 もし、デュルケムが単に有機的連帯社会万歳!or個の確立のようなテーマだけを主張したのなら、近代啓蒙思想家と対して変わりはなかったでしょうが、彼は啓蒙思想の問題を鋭く主張しました。だからこそ自殺の原因に辿りつけたと言ってもいいでしょう。現代でさえも西欧万歳!近代化万歳!のような痛い人はいくらでもいますからね・・・(´-ω-`)。

 デュルケムは19世紀に主に生きた人ですから、やはり問題意識もマルクスのようなところがあります。社会が何故混乱しているのかというところに労資対立を取り上げていますし。労資の対立混乱も取り上げなければいけない時代だったでしょう。その労使問題に対して、理解を示しながらも、共産主義のようなことで単純に解決するもんではないぞといったところはやはりさすがでしょう。そう言った直面する問題意識は、現代と大きく環境は異なります。が、彼の唱えた説は現代でも大きな示唆を与えます。むしろこれが答えで、デュルケムを知りさえすれば、現代の諸問題は解決できると考えてもあながち間違いではありません*2

【集合意識の解体と、文明の恩恵にあずかる個人。文明は個人を便利・豊かにしても幸せにはしない】
 古代社会は集合意識が非常に強く、それが絶対です。しかし分業が進むにつれ、個人単位に社会が解体されていきます。そうなると集合意識は担い手がいなくなるのですから、当然弱くなります。というより人の考え方が変わるので、社会の人格、今までこれが正しい!といった考え方も当然変化していきます。有機的連帯社会は発展に伴い規範・規律・道徳がなくなっていきます。そこで人間は磨り減っていってしまうのですね。文明は確かに人間を物質的に幸せにするけれども、同時に専門化し集団化された生活に人間は消耗してしまうのです。かつそれを癒そうとして文明の恩恵に頼るのだけれども、根源的に癒されるということはないと。どうでしょうか?まさに今私達が苦しんでいる現状と同じものが見えてこないでしょうか?

【変化を拒む伝統主義こそ日本の宿痾】
 集合意識の世界のみで生きてきた人間が、エデンのりんごを食べて個人という知恵をつけると、裸を恥ずかしがって、神から楽園を追放されるように、社会で生きていけなくなるのですね。さらにこの集合意識というものは日本社会にとって「空気」という観念と重なって見えると思います。日本という社会は低級社会・単純社会においてみられた特徴=集合意識が非常に強い社会です。本来近代化され、集合意識が解体され、新しい秩序や道徳が形成されるはずであるのに、日本という社会ではそれが円滑に行かない。過去の伝統・慣例がいつまでも牢獄のように付きまとってくるというシステムになっている。物事を変えよう、変革をしようというときに必ずそれを妨げている。それこそが日本の真の病理ではないでしょうか?これが己が出した、どうして私たちはこの社会で苦しまなくてはならないのかという結論です*3。もちろん苦しさを感じてない人間には関係のないことですが。戦後ン十年とか、失われたン十年とかそういう言い方自体が、過去の出来事に異常なまでに捉われるという日本の性質を良く現しているでしょう。敢えて言うなら日本はいつでも「変われない○○年」なのです。

【まとめ独立した人格の要求と、画一化する要求という矛盾】
 ここまでついてこれない人もいると思うので、まっさらに一から初めて、単純化・要約すると。今私達が生きていて苦しいと感じる原因は、社会が私たちをモノ化してくるからですね。学歴だ、資格だ何やらかんやらというのは私たちを商品・モノにする最たる例ですね。職業だ、年齢だ、性別だetc…全て私たちをラベル化するデータです。商品産地・品質基準・JASです。現代社会は個人が独立した一個の人格として要求するにもかかわらず、その結果殆ど全ての人間を一個のモノ扱いするわけです。根本的に矛盾しているんですね。

ナショナリズムは遊離した個人が国家とのつながりを求めるから】
 その社会の中で私達は生きている!という実感・幸福が与えられなくなっているのですね。社会の幸福水準は自殺の数で図ることが出来ると述べましたが、日本は間違いなく不幸な社会・不幸なシステムになっていると捉えて間違いないでしょう。ナショナリズムについては専門にやりましたから、色々語ることが出来ますが、連帯という面から取り上げて分析すると、日本のナショナリズムの高まりは、この連帯の推移(機械から有機へ)に伴って、改めて希薄になった個人が紐帯を国家と結び付けようとしているのですね。

【答えは中規模な人をつなげる組織・関係性にある】
 デュルケムはこの危機についての解答を家族以上、国家未満の規模の職業組合・同業組合に求めました。現代で言えば地域共同体コミュニティに相当するものでしょう。彼いわく、人はこの中でこそ生きがいを見つけ、やりがいを持ち、生かされるのだと。では現代私達の周囲でこのようなものが存在し、根付いていると言えるでしょうか?
 『孤独なボウリング』でロバート・D.パットナムは米社会のコミュニティ喪失を危機として警鐘を鳴らしましたが、日本ではそもそもそれ自体が決定的に欠如していると言えないでしょうか?鳩山さんが友愛と言ってますが、その友愛に代表されるフリーメイソンのような相互扶助団体がどの程度あるのでしょうか?田舎を除き都市化されたところでは、ほぼそれが絶望的になっていないでしょうか?

【日本の自殺は殺人】
 日本の自殺の多さを、己は必要共同体欠如ゆえの殺人と考えます。必要共同体はまぁなんでもいいです、家族でも、職場でも、地域でも何でも。人が生きているという誇りと尊厳を与えられない社会になっている理由は、自分達が生きる場所がないこと、これに尽きるでしょう。

 己は殺人と言いましたが、もし殺人を犯す凶悪犯と言っていいほどの悪モノがいて、その悪いやつ・黒幕が原因だったら、これほど社会の病理は深まらなかったでしょう。問題はシステム・社会そのものが腐っており、どうすべきなのか分らないと言うこと。それを伝え、警鐘を鳴らすべきメディアがそれを唱えないことに尽きるでしょう。己のような浅学非才の人間がまぁ、答えを言っても仕方のないことですがね。狂瀾を既倒に廻らす英傑はいずこ…。

 このままなら日本社会はこの先生きのこれないでしょうね。少なくとも己のような苦しむ人間をどこまでも生産していく社会になるでしょう。

 

社会分業論(上) (講談社学術文庫)

社会分業論(上) (講談社学術文庫)

 
社会分業論 (現代社会学大系)

社会分業論 (現代社会学大系)

 
社会分業論(下) (講談社学術文庫)

社会分業論(下) (講談社学術文庫)

 
自殺論 (中公文庫)

自殺論 (中公文庫)

 
孤独なボウリング―米国コミュニティの崩壊と再生

孤独なボウリング―米国コミュニティの崩壊と再生

 

*1:ウェーバーと言い、デュルケムと言い、プロテスタントに注目しているという事実はやはりプロテスタントが当時の人間から見て、特異であり取り上げやすい性質があったということでしょうか

*2:もちろんデュルケム一人学んで解決するならとっくに解決していますけどね。

*3:追記(`・ω・´) キリッとか言っておきながら、うわー良いこといった、思いついた!辿り着いた!天才じゃね?と調子こいてたら、伝統主義という用語を思いっきり見落としてましたね(´・д・`) 。とっくに伝統主義traditionalismという観念があるのにね。今まで何を読んできたのやら…