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てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

西嶋定生東アジア史論集〈第1巻〉 中国古代帝国の秩序構造と農業

本・読書―批評・批判・感想・レヴュー

 

ブログ引越し&見直しの再掲です。元は10/07に書いたものです

西嶋定生東アジア史論集〈第1巻〉中国古代帝国の秩序構造と農業

西嶋定生東アジア史論集〈第1巻〉中国古代帝国の秩序構造と農業

 

 を取り上げるの、前回で忘れてた(´-ω-`)。この人の著作を取り上げないわけにはいかないだろう。そもそも己はこの人の著作を今まで読んだことがなかった。それは丁度8~9年くらい前から中国史の通史を作ろうというわけじゃないけど、体系的に理解するために本を読み漁っていたときに、一度読んで嫌になったから、二度と読むまいと決めていたから。

 なんだったかな~。丁度そのころは中二病ならぬ、反学者病にかかっていて、権威ある人間は手当たりしだい否定していたから。その中にこの人も入ってしまったんだろうか。宮崎市定氏の著作何かを読んで、そうだ、そうなんだ。著述とは、学者が書く文章とはこうあるべきなんだ―と魅了され、小室直樹博士の著述スタイルを信奉するようになって、「何でこんなにあえて分かり辛い下手くそな文章を書くんだこいつらは!(#゚Д゚)ゴルァ!!」ってなっていたときだったから、多分すぐ飛ばしたんでしょう*1

 たまたま読んだ本にセンスを感じられなかったから、ハイハイ権威権威(笑)で飛ばしてしまったんだと思う。事実中国系の解説書で突っ込みどころがなく、非の打ち所がないものなんて殆どない。岡田英弘さんだって、杉山正明さんだって、「?」と思う記述が目に付くことがあるんだから*2。無論モンゴルに注目する人は世界史的ビジョン、大きな枠組みを持っているから優れている学者です。言うまでもなく。

 谷川さんの『隋唐帝国形成史論』だったかな?とにかくわかりづらい。読みにくい。逐一考古学の発掘みたいに、え~とこれは、これをさして~と注意して読まないといけなくて、しかもトータル的な、おおまかな回答がない。つまりこの時代とはどういう時代で~、ここがキーであり、この概念を研究すべきだ!というはっきりした結論がない。

 この時代は前後の時代と比べて何が変わって、何が変わらなく、どんな課題があって、どれが克服され、また未解決なものは何か?そして新しい時代の変化で、何が新しい課題となったのか?という指摘がない。歴史の前後左右、タテ・ヨコの全体的な視点がないのにうんざりしたことがあります(時間と空間、過去と未来のつながりと、他の地域とのつながり、アラブやインドとかと比べてどうなっているかなどのことです)。

 別に学者同士ならいいでしょう。わかんなくても、聞けるんだから、質問できるんだから。でも世界中の歴史を調べようとして、研究している人間にとってはどうでしょう?本から必要な情報を汲み取ろうとする人間にとっては致命的ですよ、コレ。

 んで、この人の「個別人身的支配」っていう単語にイラッとして、スルーしたんですね。ハイハイ勝手に無駄な単語作って、どうせ何も説明できないんでしょ?大きな枠組みも何もないんでしょう?って、ロクに読まなかったんでしょうね、きっと。秦漢との比較のためにちょっと調べようと思って、ためしにこれ読んだら、面白い。まぁ、凄い。確かにこりゃ権威だわな。

 秦の皇帝と漢の皇帝の意味の違い。三皇五帝から皇帝ではなく、王を上回る帝号。秦以前既に王を越える称号として帝が出てきた。そして上帝=中国の神をさす。「煌煌たる上帝」の意味で、偉大なる宇宙の絶対神である上帝。秦は殆ど神と同じなんですね。その神の意思を遂行するリーダー、君主の意味が込められているわけだと。

 それに対して、漢になると、特に儒教の影響が強くなると、この絶対なる君主は制約される。天命だったり、革命思想だったり、君主は絶対ではない。君主といえども制約されるんだという思想が入って、皇帝といえども好き放題やってはいけませんよ~。みんなの意見を聞きましょうね~という形に移行するんですね。この違いは非常に大きいですね。

 ワンマン社長型企業が、株主会議や重役会議の意見の総意が重要になるようなものです。きっと劉邦に称号を皇帝にするように勧めたのは、推薦する側のイヤミというか無言のプレッシャーがあったんでしょうね。事実上の覇者のようなものでありながら、覇者のように国家が平等に並存することは最早ありえない。覇権を握っている一国が、諸国間の利害を調整するという国際情勢は今後ありえない。いずれ必ず帝国として君臨する。そのときにこの皇帝号の由来が引っかかってくることになるわけです。初めての皇帝は一体どうなりましたっけね?と。

 そのとき君主はやりすぎると秦のようになっちゃうな~という規制力が働く。だからこそ諸将はこの称号を進めたんでしょうね。殆ど脅迫です、わかってるよなっていう(笑)。

 皇帝制、強力な君主制が登場するときというのは、個人と君主がより直接、結ばれるときだと相場が決まっている。

 春秋から少しづつ個人的な関係が強まっていくという流れの説明。戦国四君に代表される個人的な結びつき、任侠関係というものがある。そして君主独自の財源の拡大があり、徐々に君主の力が強まっていく。
 生産力の増大によって家族が解体したのでもなければ、ウィットフォーゲルに代表されるような灌漑=君主権強化でもない。ではどうしてそれまで主体的だった、氏族制が解体されて、帝国の個別人身支配、つまり一個人単位で国家が支配権を及ぼすという仕組み、個人単位で国家と繋がるような仕組みに変わっていったのか?

 その理由に有徳の君主像という絶対条件があったことを提示する。これは皇帝=絶対君主が登場する古今東西共通した現象である。絶対君主は国民・人民に対して、どんな統治システムより恩恵をもたらす制度なのだ*3。絶対君主=民が望むリーダーであるのだ。皇帝は暴君足り得ない。始皇帝も優れた専制君主であったのはいうまでもない。始皇帝=暴君像は言うまでもなく後世作られた虚像。
 君主と人民を結びつけたのが、礼であり、爵であった。礼は既に存在した年功序列、長幼の序を応用したもの。礼は庶人に下らずのように、貴族など身分の高い人間の間に適用される規範・秩序であって、一般民には関係なかった。それを応用して庶民にまで範囲を広げた。

 帝国とは身分制度にとらわれず、能力を最重視する。帝国システム・帝国の誕生*4が民主主義の始まりであるゆえん。どんな人間であろうとも能力を発揮し、帝国のためになる人間ならば、どこまでも出世する、見返りが与えられるシステムである。

 これはマックス・ウェーバーの『古代社会経済史―古代農業事情を見ればわかる一目瞭然の事実だ。ウェーバーはこの帝国の法則をもっと強調するべきで、その法則をしっかり書かなかったことは少し残念なことである*5

 帝国興るとき、身分の上下にかかわらず、誰もが結果・功績によって評価される・平等に開かれた競争レースになる。だからこそ、民に活気があり、帝国は隣国を併呑していく。秦漢帝国はこの帝国システムを礼によって体現した*6

 

 以前、三人以上群飲したら死刑という説を紹介した。飲酒=食事は、殷の王が狩で紐帯を深めたように、共同体を作り、結社だったり、任侠的関係だったり、国家に反対するような秩序を作ってしまうからだ。

 でも、己はその始まり、起源がどんなものに基づくかは知らなかった。氏いわく、この禁止も礼&爵秩序に基づくものであるという。成年すると城内の里毎に(城には里という単位があって、その単位で生活してます)、男性に爵と女性に牛と酒が与えられる。男性に爵が与えられ、秩序内に組み込まれるのは当然だとしても、何故牛と酒が与えられるのか?多分これは男女セットで考えられるからだと。その儀式に宴会を行うための、牛と酒。つまり酒を飲むということは礼的秩序の重要な儀式になるからだと。そして爵は実際に売り買いされたもの、身分に応じて特権・恩典があるため、これを取引することによって、成功者はどこまでもその身分・地位を飛躍できるために、国内の競争が促され、国家が発展していくというシステムになっているわけだ。

 

 酒を飲む=身分秩序の一環である。だからこそ国家は厳しく取り締まるわけですね。外で勝手に「俺は大臣!」「俺は将軍!」なんて国家から独立した身分秩序を形成されれば、国家にとって大問題です。現代人の感覚から言えば理解しづらいでしょうが、この時代は自分の身を自分で守るのだから、国家以上にふさわしい組織があれば、簡単にそっちに参入しちゃいますからね。

 黄巾のように、組織を作られれば、一大事です。まぁ、そこまでじゃなくても国家が直接管理をする人口=国力ですから、その人口が減ってしまうことを意味しますから、当然民間での勝手な組織化・結社を防止をするのに力を注ぐでしょうね。桃園結義がフィクションであっても、三人の男たちが集まって酒を酌み交わして誓いを立てるというのは、その当時の常識をまことに見事に反映したものなのです。実際に桃園結義があったわけでなくても、任侠の徒であった彼らがこのような儀式をしたことは疑いないでしょう。

 なるほど、なるほど。国家が直接新しい城を一から作って、皇帝直轄の人民を増やし、国力を増大させていったという基本原則は何かで読んだ気がしたが、その基本的なシステムは礼&爵にあったという観点は知らなかった。もちろん帝国である以上、どこまでも身分の下のものが成り上がれるような制度を備えているだろうとは思っていたが。これで中国の帝国誕生の萌芽が見事に説明付けられる。
 そして五胡以降の分裂期を見据えて、分裂するには分裂する理由があり、隋唐期にかけて統一するには統一するだけの理由があるとの指摘、これは全く己と同意見だ。この基本的な視点があまりにも見過ごされすぎている。宮崎市定氏も秦~唐まで中世として、一括りとして理解をしていた。時代が中世とかはともかく、この時代はそこまでワンセットで捉えなくては意味がない。
 長安が宇文泰の時代になるまで放置されていたという重要な指摘もここであげておこう。次書くとき引用するから。氏は寒冷化による農業生産の停滞に否定的だ。確かに大規模灌漑はストップはしたが、その分小単位での農業技術が発展して、それでカバーされたという。屯田制=秦漢帝国の基本システムである郡県制の崩壊。私見であえて言わせてもらえば、この時代の名士や豪族や貴族制というものは先祖帰り。すなわち旧来の氏族制の復活であろう。無論丸々同じではなく、そこに比較分析の視点が必要。誰かこの比較研究をしてくれないものでしょうか…。
 北魏=遊牧王朝が征服により、土地&人民の配分で部族連合的な横並びの組織を、王朝機構的なタテの支配に作り変えてきたのはこれまで言われてきたとおり。そして南北朝に代表される征服の限界に達した時点でこれまでのモデルでは行き詰る。つまり転換を図って漢化=定住王朝へと転換を図った。これを隷属民を支配するものから、郡県制的な支配と表現している。これもそのとおりだろう。少しづつ、唐という統一王朝への流れを見出し、整理しているところに好感がもてる。

 唐中期に至るまで均田法で農民の自主性を規制していたという書き方には疑問を持ったが、あとはもう、逐一すばらしいものだと納得できる内容でした。

 ※追記:重要なこと書くの忘れてた。爵が売り買いされる以上。それは具体的に形を伴ったものでなくてはならない。肉・酒と合わせて考えると、これは酒杯であろうと氏は類推する。丁度、天皇杯とか、天皇賜杯が相撲で話題になったように、身分制度はこの賜杯と無関係ではない。世界どこでも杯・盃は重要なアイテムである。何といってもやはり、髑髏盃に代表されるように、もっとも勇敢に戦ったものに、君主が直に杯に酒を注いで褒め称える儀式、また相手の君主をそのまま盃にするなど、ママ身分やら、組織やらの象徴であったろう。その盃・杯をそのまま身分の道具として利用したというのはほぼ間違いない、優れた考察であろう。
 そしてこの身分制度を規定する爵というものの存在はそのまま、通史的に中国を見通す上で不可欠なものである。マックス・ウェーバーでもマルクスでも、階級をその歴史観の中で重視したように、どの階級がどんな役割を果たすかというのは歴史を見る上できわめて重要なテーマである。


 漢に至ってもこの爵=二十等爵制は続いていた。王莽に至ってこのシステムは五等爵に整理され、失敗したことから(次の光武帝は再び十二と少し二十に近いものに戻している)、爵という身分秩序が国家のシステムにとって非常に重要であったことがわかる。しかも武帝期において武功爵という、二十等爵というまた別の爵位身分制度が加わっているのである。国家が新しい身分を設定付ける。これが一体何を意味するか!?爵を持ったものは当然国家から恩典、徭役免除などを受ける。しかしそれだけではわざわざ新爵位を別に設定する説明にならない。旧爵制度と何らかの別モノとしなくてはならない理由があったはずだ。


 考えられることは武功爵を授けることで、より皇帝直轄になること。皇帝とのつながりが深くなる制度であり、帝国の強化につながるものであること。また、真逆に旧二十等爵の中の貴族身分、代々高官を歴任してきたような家柄を保証するために、新興階級と既存階級を別物として区分するために生まれたものである可能性もある。つまり既得権との妥協の産物である可能性だ。
 武帝の施策はことごとく君主権・帝国を強化するものであり、同族の劉姓を持つ王国を次々取り潰していくものだった。自己の権力を脅かす存在をつぶし、より下のものを引き上げてやるのは、組織内の権力強化の基本だ。功臣以外の家を引き立てること、特に自己の忠実な部下なら、それもありえる。建国功臣集団に対抗する形で引き立てようとしたのかもしれないし。既得権の妥協として数多くの豪族に貴族的な身分を保証するための新爵位創造だったケースは十分考えられる。

 

 とにかく、己が答えを出せるような問題ではない。学者が検討してしかるべき重要なテーマであろう*7。魏晋革命にいたってやはり、晋は一律に民に爵を与えて生活待遇を改善している。また屯田の廃止など併せて考えれば一目瞭然。魏→晋の革命が成功した最大にして、最重要な理由は晋が減税王朝、または民生を重視した民生王朝だからだ。民の支持なくして革命など出来るわけがない。

 その晋にしても、やはり五等爵制を導入しているのである。爵が減らされて、整理されてしまえばどうなるか?既得権剥奪になるだろう。しかしこれは最早秦漢の時代のように、一個人が身分を上昇させることは出来なくなったことの反映であろう。自由競争時代は終わったのである。貴族は貴族、庶民は庶民という絶対的な身分秩序の時代に入ったことを象徴するまさに具体的な事実を提供してくれる格好のテーマだ。
 しかし、まぁ論文探してもこの爵を研究してる学者が殆どいない…。どういうことなの。渡辺さんの論文に西晋の五等爵についてのものがあるようだから、今度チェックしてみよう。

独自考察の前フリ①<了>

※しかし、わかりにくい記述が多いな。適宜修正しました。それでもまあ初見の人が読んでわかり易い文章じゃないかな、これ。

*1:そんなことで体系的な理解が出来るんですかねぇ…。

*2:むしろ当然では?(^ ^;)

*3:もちろん一定の条件下においての話だけど。そうじゃなかったら、絶対君主バンザイになるはずですからね。

 余談ですけど、強力な君主・絶対王政のような君主というのは、強力な権限を一手に握っているために、ダイナミックな改革を行える。それが民に恩恵をもたらすという構造がある。

 まあローマの皇帝なんか連想していただけるとわかりやすいと思うのですけど。しかし当然、皇帝・絶対君主というのは、理念型として権力を全部持つ=ステ全振りなわけですね。成功するときはそれで良いんですけど、失敗した時は大変。優秀な君主・無能な君主というよりは、畑違いのトップという感じですね。軍事上の問題故に選ばれた君主が、情勢が急転して経済が課題になった。しかしその急激な課題の変化についていけません・新しい課題に対応できませんということになったりする。そういう時に反動が大きいという問題があるんですね。

 まあ、皇帝≒強力な権力を一手にもつが故にハイリスク・ハイリターンということですね。そのことを頭の片隅においていただけるとわかりやすいと思います

*4:現代政治学、国際政治学の帝国論の視点から書いてますね、この文章。まあ今さらですが、この頃は帝国論にハマって色々読んでいたので、その文脈で解釈していますね。中国史歴史学ベースの人から見ると、何言ってんだこいつ?と思われる可能性が高いな…

*5:ウェーバーにとっては自明すぎることだったが故に書かなかったのかな?マルクスあたりがすでに指摘していてもおかしくないしなぁ…。そこら辺どうなんだろ?

*6:言うまでもなく、より正確には礼と法。秦ではとくに法か

*7:なのでどなたかぜひ研究して下さい