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てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

貨幣システムの世界史―「非対称性」をよむ 黒田明伸

本・読書―批評・批判・感想・レヴュー

 

ブログ引越し&見直しの再掲です。元は10/07に書いたものです

 *1

 20世紀の揚子江の話。商人と農民の取引で1300文の銅銭相当の1元銀貨を渡そうとしたところ、農民は1000文の銅銭の受け取りを望んだ。農民は銅貨を好んだ。これが意味するのは農民には銀貨を交換するツテがなかったということでもあるだろう。本来対称であるべきはずの交易が対称ではないということを見出せる。対称というのは等価交換であること、基準が統一されているということである。貨幣は交易対象品に基準を、対称性与えるものであるはずなのに、そうなっていないことの指摘は非常に重要なものであろう。

 ※ただ疑問を一つ、中国人のメンタリティから考えると必ず1300文を要求したはず、1元銀貨を受け取るのがイヤだからといって、そのままおとなしく1000文を受け取ることは考えにくい。容易に銅貨に交換出来ない事情があったのか?もしくは偽物という恐怖感とかによるものか?*2
 われわれの常識では1万円=5千円×2=1千円×10というのは常識である。しかし銀と銅はそのような関係性、等質性を持たず、銅も銀もそれぞれ補完しないのである。われわれの世界では特に五千円が使えなくても困らない。価値は変わらないのだから。しかしこのような対象性が働かない世界では、銀貨か銅貨、万が一どちらかがなくなってしまえば、大きな影響を与える。
 何故多元的なレートになって、統一されないのか。現代では殆どデータのやり取りで済んでしまう。しかしこの時代は物質、金属貨幣で取引をせざるをえない。このようなものを手工貨幣というが、手工貨幣は必ずしも還元しないという大きな特徴がある。通貨は本来流通し、還流するもの。この時代の貨幣とはそうではないのだ。これが貨幣を理解するキーとなる。
 貝が貨幣となったのは価値が安いから、そして商品貨幣=穀物などと違って、飢饉などのような危機において退蔵され高騰を招くといったような事態にならないから。鉄が中国で貨幣足り得なかったのは腐食しやすかったという物性もあったが、何より実需が強すぎて媒介機能を果たすことが難しかった。実際よく鉄銭は溶かされた。
 穀物などの商品貨幣は消費により、やがて市場から消えていく。それ自体消費されない手工貨幣は半永久的に流通する。史実は零細額面の通貨ほど還流が遅いことを示している。
 農民のたんす預金は何故市場に還流されないか?都市>市場町>定期市といった割合で小規模取引が多く、零細額面になりやすい。しかし上位の市場に還流する際により、高位の貨幣に換算されて帰ってくる。農業社会であればあるほど、貨幣に依存せず、市も頻繁に行われないために貨幣流通速度が緩やかであるから、市場に流れにくくなっていく。さらには季節性という特徴がある。季節=収穫後にのみだけ貨幣の需要が高まる。よって特定時期を待たねば貨幣が動かない。何より重要なのは信用取引である。農村市場において季節性の偏りを埋め合わせる地域信用が発達するか否か、大きな分岐点となる。
 同じ通貨が別の市場の通貨と統一された場合、当然便利になる。しかしそれと同時に別の市場の問題もまた共有してしまうことになる。つまり、農村などの小市場、下位の社会構造において独立した通貨が好まれるのは、外部の悪影響を最小限に抑えるためであろう。だからこそ、最大の利益を求めて銀などを求めないのであろう。これが己の暫定結論。江戸時代、どうして金と銀で経済圏が分かれていたのか?と井沢さんが疑問に思っていたが、きっと経済圏・流通規模を拡大させて経済成長を見込むよりも、多くの人間が苦しむようなマイナスを防ぐことが重視されていたからだろう*3
 「支払協同体」「地域兌換性」「地域間決済通貨」という用語を使って、その狭い市場内で還流するか、それとも市場を越えてリージョン間にまで及ぶ通貨の性質を考察してるが、めんどくさいので、関係ないので触れない。

 氏は貨幣流通のある例としてマリア・テレジア銀貨の例を挙げてる。この貨幣は何とオーストリア当局が鋳造するのを止めても、ず~っと流通し続けたのである。この現象から貨幣の性質を探る。段々エジプトやオスマンなどがその流通圏内から撤退していったから、少しづつ減少していったが、いったん地域間決済の流通システムとして完成したマリアテレジア銀貨は、永久に流通し続けたのである。英・仏など伊とのエチオピア経済を巡ってこのシステムを何とかしようという暗闘が繰り広げられたが、結局どうすることも出来ずに、この既存の体制を採用せざるをえなかった。この通貨戦争は面白いケースなのでぜひ目を通されることをお勧めする。
 システム論ではいったん成立したシステムは目的を超えて、ずっと存続し続ける。そして本来の目的とは異なった理由で始まったシステムが、全く違うシステムとして時に成立してしまう。これこそが人間の歴史、社会組織・構造の面白い面であろう。こういうものを分析するのが歴史学者や社会学者の醍醐味だ。一見不合理な制度の本質を解明することが出来れば、その研究の成果の恩恵は計り知れない。
 このケースで重要な示唆は広範囲にわたって流通するため、当然その分退蔵される量も大きい。毎年500万もの新貨幣を投入してやらなくては、このシステムはうまく回ることがないという事実である。そしてこの毎年500万というのは全体の約5%に相当する量である。筆者はこれにより、通貨サイクル、流通サイクルは僅か5%の停滞でも混乱に陥ってしまうという法則を見出す。もちろんケースによって差異は当然あり、5%とという枠を設定させて、応用してみようというのではない。僅かな流通の停滞が大混乱をもたらすという事実を述べたいのだ*4

そのほか氏の指摘で興味深いものはいくつもある。全てを紹介はしないが、
 中国では常に額面以上の銅貨を作って良貨で悪貨を駆逐していた。
 元は大量の中国の銀ストックを対外貿易に用いた。国内ではあまり使い道がなかった。額面が大きすぎるから。しかし西アジアの金・銀経済圏には最適*5。モンゴル崩壊こそが欧州への銀流入をストップさせ、百年戦争をもたらした原因。
 大量の銅銭ストックによる紙製通貨の導入。いったん紙で額面が補償されるようになると、最早銅を携帯する必要はない。
 スペイン銀の流入で日本銀の価値が相対的に低下し、日本に宋銭が入ってこなくなった。福建との密貿易ルートがスペイン銀と貿易政策転換のため絶たれる。中国との交易ルートを失い安定した銭流通がなくなる。よって貫高制から石高制へと転換していった。
 中国があれほど名目貨幣を導入しようとして失敗したのに対し、日本では額面の四倍以上の価値として流通していた。なぜか?それは中世西欧・ムガルインドのように荘園制社会だったため、収祖権がバラバラだったから。よって貨幣の価値が非常に高くなる。物を運ぶのに貨幣だと便利だから。広範に貨幣が流通する=信用が高くなるという仕組みだった。
 16世紀~17世紀前にかけて東シナ海は銀経済圏で統一されていた。つまり信長・秀吉あるいはホンタイジなどの侵攻は、それへの挑戦という経済的裏打ちがあったわけだ。その後はベトナムも朝鮮も日本も中国もそれぞれ独自貨幣による経済圏で分裂していく。

 こんなところかな。紹介すべき点は。これで紹介編おしまい。別に記事書くとき、通貨サイクルが5%滞るだけで停滞してしまう説の紹介だけでも良かったな(´・ω・`)。

*1:新増補版が出ていたんですね。読んだのは旧版です。いつか新増補版も読まなきゃいけないのかな?重要なものが追加されているのであれば。そういう重要な論文追加っての結構多いからなぁ~

*2:ああ、そうか、今頃気づいた。どうしてアホみたいに日本銀が流出してしまったのか。日本銀が枯渇してしまえば経済危機になりかねないなんてことは、世界帝国を目指していた信長・秀吉あたりはすぐに気づくはず。商業政権の性格を持つ彼らなら、なんとかして日本銀流出に歯止めをかけようとするはず(実際したかどうかは知らないし、それが唐入りの目的の一つになったかもしれないが。)

 中国銭はクオリティが高くて、逆に日本銭は低かった。最も好まれた商品が宋銭だったなんて時代があったように、むこうの銅銭の輸入だけで儲かる時代があったわけだ。銀と銅を交換するなんてもったいない、バカに見えるが、当時の経済規模で銀を使う事自体があまりなかった。銭を使う人々にとって手頃なのが銅。銀で土地が買える・交換可能とでも言う時代ならともかく、手頃な交換価値ではなかったからだろう。流動性が高い社会なら、人の移動にともなって貨幣としての銀の需要も高くなっただろうが、当時の社会では銅の範囲を超えた資産倍々は殆どなかったということだろう。

 武士が土地に執着する。百万石の中国の土地より一万石の日本の土地を欲したように、安心安定出来る確実な実入りのある土地という資産を欲しがる。それを変えるために織豊政権、商業重視政権があったわけだ。金>土地にしないと戦乱の世は終わらないという理念があった。土くれをコネて茶碗という銘器を作って、大金で取引させるようにしたのもその一貫という話があったが、これは銀を通貨として成立させるための、ちょうどいい取引財という意味合いがあったともいえるだろう。

 

 とすると、漢の時代の金の西アジアへの流出も同じで、これはひょっとしたら、質の高い鉄や銅と交換されたのかもしれないなぁ。

*3:奇しくも今の官僚制と殆ど性質が同じなんだが…。殆ど江戸のころから官吏の精神は変わってないな…きっと。―ということを当時書いているが、これいる?

*4:そういえば、毎年全体の5%に相当する分の貨幣供給が必要であるならば、毎年投入する分は、全体の増加に伴って増えるのでは?その分流通量が増える、取引が盛んになるとかでカバーされるのかな?

*5:漢代には西アジアに流出していたが、宋~モンゴル辺りだと、逆に流入していそう。西アジアの停滞というか衰退の始まりは中国経済の発展・台頭という一因ありなのかな、やっぱり