てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

天才社会学者―小室直樹 死去

 いつかはこの日が来るとは思っていたが、とうとうこの日が来てしまった。既存のアカデミズムに何の興味も抱けず、絶望していたとき、氏の著作はまさに青天の霹靂だった。学問とはこれなんだ。己が求めていたのはこういうものなのだと、求めていた答えがまさに小室直樹にあった。

 なんかの映像で氏が喋っている姿を見ました。その姿を見ると話すのがやっとで、ろれつもあまりまわってない。字幕を見ないと何を言ってるか理解できない状態でした。頭脳はどうか知りませんが、口が回らないというのはかなり末期的なものだと、己は長くないのかもしれないと覚悟してました。しかし77歳なのか…てっきりもう90近いのかと思っていましたが…さぞご苦労なさったのでしょう。

 どんな学問を見ても、権威の本を読んでも、だからそれはいったい何なの?それはすごい業績かもしれない。で、それがわかったからって結局何になるの?学説にはなるかもしれない、でいったいそれが何?

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 数学じゃないんだから、理論だけ作ってどうするの?いわゆる専門バカの雨後の筍のような状態を見て、小室直樹ただ一人だけが学問を現実の世界に生かして答えを出してくれた。有意義な学問とは何かということを身をもって証明してくれた。奥山さんだったかな?日本の学者の中で世界でありがたがられるのは大前研一小室直樹だけと言っていた。事実周りで日本の学者の業績を聞かれることが無かったんだろう。大前さんは別に学者じゃないけどさ。

 しかし、今後小室直樹の新刊が無い中どうすりゃ良いんだろう。というか小室直樹のような偉大な存在を超えられるわけが無い。小室直樹すら、評価されない我が日本の中で、己は一体どうすりゃ良いのか?彼のような人間が正当な評価を受けることが無いこの国は一体どうなっているんだろう?実力あるものが認められない社会を説明するのに、これ以上ふさわしい例があるのだろうか?サミュエルソンでしたかな?以前紹介した訃報記事は。彼より優れた学者が死んだというのに、ニュースにもならないとは。自分の中にある何か大事なものを汚されたような、なんかものすごいバカにされた気分がしますね。

 で、大塚久雄だったり、丸山真男だったり、川島武宜だったり、土居健郎だったり、高田保馬だったり、今偉大な学者ってどこにいるの?この人だ!っていう現役教授から論が注目される存在、世の指針になりうる学識を備えた存在ってどこにいるの?専門バカばっかりだと思うんですよね。たとえばこの人に学びたい!って言うような碩学がどこにもいないでしょう、今。戦後教育どうすんだよ、宮崎市定とか、井筒俊彦とか作ってみろ。泰斗が生まれるのがタイトな状況になりました。すべては画一化教育にこそある。平均的なレベルは決して少なくない。しかしリードする偉人はいない。なるほど!と言うような理論を展開して、論説によって世の中を変革する教授がいなくなった。頭がいいだけじゃ駄目なんですよ。このまま行けば世の中おかしくなる!こうしなくちゃ駄目だ!っていう教授が当たり前のことをちゃんとやっていれば、今こんな停滞してないでしょう。

 小室博士は奇人として一般的社会にその地位を与えられなかった。いわゆる戦後民主主義的な空気の中ではまっとうな扱いをされなかった。もし40~30年遅く生まれてネット全盛時代であったらもっと報われたかもしれない。

 『哀しいかな奉孝、痛ましいかな奉孝、惜しいかな奉孝』―曹操のこの詩を思わずにはいられないな。

信長 ー近代日本の曙と資本主義の精神ー

信長 ー近代日本の曙と資本主義の精神ー

 
硫黄島栗林忠道大将の教訓

硫黄島栗林忠道大将の教訓

 

 はからずしも上の二作が遺作となってしまいました。この二作が最後に書き残したものであるところに意図を感じます。まだ不慮の死なのか、前々から予想されたものなのか、わかりませんからなんともいえませんが。後者のものは栗林忠道という人物の映画化の流れもあって書かれたのでしょう。栗林大将という人物がいかにこれまでの概念に凝り固まって機能不全化した組織を打破したか。このようなナンセンスともいえる旧態依然としていた、永遠の昨日化した軍の方針を捨て去って、問題を根本から捉えなおし、もっとも有効な戦術を打ち出した。そして米軍を泥沼の長期戦に引きずり込み、講和にいたるまでの道を勝ち取った英雄であるかを書いたものです。これを読んで、ああ、このような天才、英雄が自分たちの国を守ってくれたんだなと、そしてこのような人間が戦後最大限評価されないことに、報われないなと思ったものです。これは杉原千畝が戦後大出世しなかったことにも見られる現象ですね。


 この硫黄島が書き下ろし最後のもので、信長の方はかなり初期の作品のものの書き直しなんですね。これは桶狭間奇襲ではない。丘を思いっきり駆け上ったものだ、という説を説いた画期的なものだったと思います。当時の軍の常識では見晴らしのいい丘に陣取る敵を攻めるなんてバカなことをする人間がいなかった。だから今川義元も陣取った。信長は凡将であるというこれまでの実績から、
完璧な対策を採らなかった。心的コンプレックスがいったん根付いて作動してしまうと、もう人間の思考は停止してしまう。単純作用しか果たさなくなってしまう。よって今川義元は敗れた。なかなか見所のある文章で、一見の余地があるものです。というか読め。

 何故この本を今新たに書き直したのか?そこに氏の意図を感じずに入られません。信長は近代資本主義の基を作った。信長を評価するのは井沢元彦氏もいる。
氏も最大限に信長を評価しているのは言わずもがな。確か塩野七生さんもそうじゃなかったかな?焼き討ちを宗教の毒抜きと評価してたはず。

 近代資本主義というものを設立させることがいかに偉大なことであるか。また一人の人間の力によって世の中と言うものがいかに変化するか、革新(イノベーション)というものの偉大性に注目せざるをえない(ちなみに己はシステム論者なんで、一人の偉大な人間によって何でもかんでもうまくいくというのは否定的スタンス.もちろん著作でそういうことが書かれて、ケチつけているわけではないので勘違いしないように)。現代我が国の官僚支配を打破する上で、当時の戦国時代の空気と比較参考にできないか?近代資本主義はまず独占資本から始まる。そして独占資本家も自由市場のほうが効率が良いということがわかって、自由市場の信徒に成り代わっていく。我が国はいまだに市場の原理が作動しない鵺経済の手にある。独占資本ならぬ独占官僚、一つの支配階級の元にすべてが制せられている。しかし、国民がそれでは駄目なのだ。自由や個に基づくシステムの方が理にかなっているという道を選び出せば、確実に世の中は動く。報道・官僚・司法・金融・そして経団連に代表されるような経済すべてに統制の網の目が及ぶ言い知れぬ支配の空気は必ず打ち破られるだろう。いわゆる脱藩官僚と言われる革新官僚が出るようになったのも、今のシステムのおかしさに気づいたからこその現象であろう。

 氏が角栄という人物を評価し、陶酔に近いまで賞賛したのにはわけがある。角栄こそが信長と同じく独占資本のようにありとあらゆるものを集約して行ったからだ。今のメディアですら角栄が指示して取りまとめたものである。世の中の利権を見事に結び付けて資本主義、我が国の経済を発展させた手法は賞賛しても賞賛したりないだろう。しかし、その後必ず起こる寡占打破は起きていない。新たなる欲求が起こるほど成熟すれば、この寡占打破に向けて人は動くはずなのだ。政権交代でも、小沢待望論でもそうだ。まぁ、小沢なら何でもうまくいくなんて思わないけど、小沢新首相がこの流れに沿う好ましい人物であることには変わりないだろう。氏が小沢首相誕生になんと論評をするか聞いてみたかったのに…また氏の日本政治の分析が読みたかったのに残念でしょうがない。

 さてさて小沢氏が信長のように近代資本主義ではないが、完全な自由市場を取り戻すことができるかどうか、博士が草葉の陰で見守っているかどうかはわからないが、己も注目したいものだ。まぁ、彼一人では到底できないとは思うが、ちなみに菅さんでは微塵の役にも立たないだろう。そしてその後本当に実力あるものが正当に評価される時代になるかどうか…見守りましょう。

小室博士の著作一覧 です。どうぞ。