てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

【自殺論とアノミー】 人類が直面する諸問題はすべてアノミーである!

過去記事の再掲です。元は10/10に書いたものです。

 アノミーの話。

自殺問題について、その理由をアノミーです!と説明しといて、そのあと何も説明しないのもあれなんで、詳しく説明をしとこうかなと思います。長いこと書く書くって言って全然終わらなかった。まともな記事が全然かけなかったなぁ。物凄い日が空いた。それぐらい力を込めたつもりです。

 

 自殺っていうか、近代世界中の人間が直面する問題の根本がアノミーなので。アノミーを知っておけば、社会問題のほとんどは語れますし、問題の解決法を考えるということは、畢竟いかにアノミーに対処するのか―ということになりますんでね。アノミーさえ理解すれば、優秀な政治家・官僚・企業経営者・教育家・宗教家・芸術家・漫画家・ミュージシャンその他なんでも―になれますよ!ということです。家内安全、子宝に恵まれ、あらゆる災厄から逃れられます。あと百万円もらえますね(^ ^;)。 

 というかこういう学問が導いた常識がどれくらい人口に膾炙しているんだろうな…。これを教えない教育ってはっきりいってありえないんだけどなぁ…。

 かの小室直樹博士の受け売りですが、説明したいと思います。まず、何を言ってもアノミーという言葉を作ったデュルケムと『自殺論』という古典的名著に触れないわけにはいかないでしょう。いわずと知れた社会学の泰斗ですね。 

 デュルケム氏はですね、素晴らしすぎて語りきれないんですよ、以前書いたデュルケムの話*1も五分の一くらいですからね。一本しっかり書くとなると、まとめるのめんどくさいんですよ。三時間以上は平気でかかるでしょうし、大好きだから中途半端でやりたくないガッツリ、精魂込めてやりたくなるから、放置してます。

 

【近代化とは何か?】

 個人的な、あくまで私個人の、きのこる的な解説だということを踏まえたうえで読んでください。そもそも近代化というのは何か?近代化って説明できますか?何、科学が発展したから近代化?ブーです。近代化したから科学が発展したのであって、その逆ではありません。ま、全くないとはいいませんが、前提はあくまで近代化があったからこそ科学や社会が発展した、今日的なものになったのです。そのことを絶対混同したり、勘違いしてはいけません。ポン酢としょうが醤油位違います(自分で言っててよくわかんねぇや(^ ^;))。

 では迷信的な話でしょうか?お化けやら、神やらのストーリーで物事を捉えなくなったことが近代化なんでしょうか?これもまた同じく違います。

 近代化というのは世の中の一時的な現象ではなく、手法の決定的な変化です。近代化以後は絶対にその前近代的な手法・様式、つまり今までやっていたやり方や方法に戻ることは絶対にないのです。これをしっかり抑えてください。もちろん例外一時的な退潮なんてのはいくらでも見られますけどね。

 なめ猫ブームとかたけのこ族のような一回こっきりのムーブメントじゃなくて、一回そういうやり方になったら絶対後戻りしないんです。テレビとか新幹線とか、一回普及したらもうず~っと続くでしょ?そういうことなんだとしっかり抑えておいてください。

 

 近代化というものを一言で表現すると頭脳と身体の切り離しなんですね。選り優れた頭脳を集めて使う=企業のCEOとか、head quarter、軍隊の司令部などですね。また官僚とか政治家もそうですね。政治家は優れた人物が選ばれるとは限りませんが、その組織に応用されている発想は同じです。より序列の高いものが集まって戦略を設定して、その都度その都度最高幹部会議で方針を決めて、命令を下す。そして命令を受けた下部組織は、その命令をまんま実行する。

 大前氏が『企業参謀』で優れた組織とは集中と分散をより巧みに、効率的にできる組織だと指摘していたでしょ?ヒトでも、モノでも、最小限のパーツにいつでもわーっとばらばらにできて、必要なところにそのパーツをあっという間に集中させることができる組織が最も優れた組織です。状況に応じて離合集散が巧みに行えるかどうかが企業経営の要諦であるのと一緒です。

 つまりは私達が今暮らしている社会組織すべてが「近代化、官僚化された組織」だということです。近代化されていない社会組織があるとすれば、家族と私的な友愛団体くらいですね(注友達関係のことです)目的合理的でない組織にはそんな上位下達必要ないですから。

 

【近代化は全てを変えた】

 最も分かりやすい例で言うと兵隊ですね。JOJOの五部でアバッキオが兵隊は何も考えないって言ってたでしょ?兵隊、末端の人間は考える必要がないんです。言われた事にしたがってればいいんですから。というか末端の命令をただ遂行するだけの人間が、物事を考えていちいち異議を挟んだらどうなるでしょうか?組織は破綻しますよね。命令が実行されないその部隊はあっという間に全滅するでしょう。軍の部隊というのは一糸乱れぬ統率があってはじめてその力を発揮するものですからね。命令をする人間は命令をするだけ、実行する人間は実行するだけ明確に区別されるのです。

 もちろん今の軍は特定の状況でどうするこうするというルール化を綿密に決めてますから、いついかなるときも逆らえないという意味ではありません。必ずルールに基づいて責任、権限、役割が分担化されているわけです。そしてそれは紛らわしいことがなく、どこまでも明確なものであるわけです。そうじゃなかったら命令をきちんと遂行できないでしょ?効率が悪いでしょ?そして逆は真なりで、その近代的組織が他の何よりも能率・効率的だからこそ世界の標準となっているわけです。

 

踊る大捜査線がヒットしたのは現代の問題の本質をまさに抉り出したから】

 あと、思い出したところで『踊る大捜査線』。官僚制の欠点をまんま指摘したあの作品は官僚制だけでなく、その前提にある近代化の欠点をまさにえぐりだしたんですね。だからヒットしたんですよ、あれ。 

 作品のいたるところにそのテーマが見られますので、是非もう一度見返してみてください。あの話は現場のことを全くわからない、エリートが不合理な判断を繰り返して、現場の人間が犠牲になって傷つく、そして死ぬ(あれ?死んだかな?どうだったか?)。対照的にエリートは傷一つつかない。失敗の責任も負わない。部下が死のうが生きようが気にも留めない。トップ首脳陣は私利私欲を追及するだけ。確か映画で『末端の兵隊が死のうと関係ないというのか!』って筧さんが憤るシーンがありましたけど、まんまそのとおりなんですね。あの作品は実は、典型的な腐朽官僚制の話なんですよ。

 どうしてあの映画がヒットしたかといえば、腐朽官僚制がありとあらゆるところで起こって日本の社会が機能不全に陥っているからです。まさに危機の本質が何かということを肌で、実体験で理解しているからこそ、あの映画が受けて、本能的に共感を呼び、大ヒットしたのです。

 やばい長い。やっぱりね…。本当はどうして近代化が起こったのかという興味深い、大事な話があるけど省略。ウェーバーでも、デュルケムでも、ゾンバルトでもどうぞ。自殺の話とかの方が大事だから。

 

【近代化は共同体の連帯を破壊する】

 近代化とは個人を前提とします。共同体内部にいる成員、個人個人を完全に切り離して、独立した個人として扱うことが大前提です。より独立した個人化、この度合いが近代化の前提であり、資本主義発展の前提であるといえます。法学者川島武宜氏が、確か昭和初期でも田舎のほうでは所有権の明確な観念がなかったとおっしゃってますしね。田舎に疎開した人が、服を置いといたら勝手に売られたという福本伸行さんの『天』のような話が川島氏の本にあったと記憶してますが、近代化以前の社会ではモノは個人のものではなく、所属する共同体全員のものとして扱われるのですね。

 デュルケム氏が指摘するように個人なんてものはどこの事例を探しても、近代化以前の社会にないのです。刑法は個人の契約で取り決められたものではなく、神・宗教上の契約によって決まっているのです。なぜなら神の命令を犯すことは共同体の秩序を乱すことと同義ですから。きわめて厳しく罰せられるのです。古代社会の宗教とは必ず共同体のルールにふさわしい形で発展してきたのです。古代社会を観察してみると良くわかるように、宗教という社会システムはきわめて合理的なのですね。社会の秩序を維持するために。

 

【近代資本主義=分業=独立した個人による生産】

 こういう個人化、近代化をデュルケム氏は『魂なき専門家』・『分業』といったキーワードで説明しています。近代化社会は当然効率が絶対です。効率的に行うためには個人が分担して専門化することが最も効率がいいことです。パン屋とか消防士とか、そういう職業だけではなく、機械工程を考えると良く分かるかもしれません。自動車屋さんは一から車を作るでしょうか?物凄い数の部品の一つだけを徹底して作る。そういう会社がいくつもありますよね。現代社会はそのような部品をただ生産する工場で成り立っています。

 

 【教育は近代資本主義にふさわしい人間を作るためのシステム】

 この効率化を近代教育、学校に同年代の人間を集めて集中的に行う。こうすることで近代にふさわしい人間を教育するわけです。卒業するころには立派に分業を前提とした職業にふさわしい人間になります。教育によって社会化socializeの要請が満たされるわけですね。近代化に学校・義務教育は不可欠であるということは重要な概念であるので頭に入れておくと良いでしょう。

 

【近代化の病、効率化の果ての連帯、つながりの破壊】

 さて専門人を作ること、近代的自我を持った個人を作ることは経済的には良いことですが、その結果なにが起こるでしょうか?デュルケム氏は経済発展する地域で自殺率が著しく高いことに注目してなぜ自殺というものが起こるのか突き止めました。それは近代化した個人が所属していた階層classから解き放たれた結果、連帯solidarityを失い、どこにも所属先をなくしてしまった結果だと見ました。

 欧州歴史学は階層・階級の学問といっても過言ではないところがあります。欧州史学が何よりも優れていた要因の一つに、この階層に注目して歴史を解き明かそうとしたものがあるからです。マルクスはそのもっとも著名な例ですね。共産主義を作り出したDQNなどと一部では考えられていますが、彼の学績はすばらしいんですよ。立派な研究がいくつもあります。決して従わない人間は殺してしまえホトトギスなんていってません。

 

【いじめ=連帯の喪失】

 なんかわからんな~。という人には単純に説明すると、いじめの結果、自殺することと考えてもらえるとわかりやすいでしょう。何故いじめの結果自殺するのでしょうか?それは誰とも付き合えないからですよね?今まで付き合っていた友達が話をしてくれなくなる。遊んでくれなくなる。今まで所属している社会から浮いてしまうわけです。社会との紐帯、結びつき、関係性のことを連帯といいますこの連帯がなくなってしまうと人間は生きる意味を失うのです

 

【互酬・贈与は絆、関係性を作るため】

 人間が生きる意味・目的・目標はいろいろありますけど、還元すればたった一つの理由に行き着きますよね。人や組織(共同体)と強く結びつくことです。強い結びつき、を形成することです。愛情であったり、友情であったり、あるいは貢献・奉仕であったり、金銭・物品・名誉それらをやり取りすることで強い関係性を築くことです。

 モースの『贈与論 (ちくま学芸文庫)贈与論 新装版』なんかそうですよね。古くから、モノをやり取りすることで、異なる社会間を結びつける働きがあったって。だからどんな社会でもモノをやりとりするんだって。ちなみに彼女はデュルケムの姪です。この叔父にしてこの姪あり。彼女の著作も優れているので超お勧めです。違った甥だ(笑)。誰か有名な学者の姪っていたな。誰かと混同しちゃった。誰だっけ?

 ちなみにコンビニでぶっきらぼうな接客態度に腹が立つ!ムカツク!って思う人がいるでしょう。己なんかもそうなんですが(^ ^;)。あれはお金と商品を通してやり取りする人間性、関係性を否定しているから腹がたつんですよ。単なるモノとカネのやりとりしかない。贈与・交換の本質を否定しているから、腹が立つんですね。自分の人格を否定されたような気がして。

 

【名誉という名の連帯を求めるナショナリズム、あとファン】

 だからナショナリズムなんて簡単に説明つくんですよ。国のために奉仕をすることが最高の名誉になる。おお!君の働きが国家にとってためになった!名誉を称えて勲章を授ける!なんて言われれば、自分の行動が所属する共同体に認められた証が生まれるのですから、最高の名誉です。行動の代償に、プライドをもらうのですね。

 この感情・感覚はファン精神と似ています。そのアイドル・俳優が好きだから、いくらでも応援する、金銭・時間を費やす。その代償としてありがとうという感謝を得る。傍から見ているとなんであんなバカなことに熱狂をするのだ?とおもいますが、それだけ対価を払ってでもいい魅力的なものだというわけですね、ファンにとっては。金・時間を払うこと、またはファンクラブなんかで支援をしたり、ブログ作って宣伝することは、その人と紐帯・連帯を築く行為なのです。だからこそ行えるのですね。それと同時にファンは裏切られると暴走しますよね。それも本人が望んでいた紐帯・連帯の形を否定されたからです→代表例平野綾オフィシャルブログ俺の嫁、異論は認めない)。

 生きる限り、人間は何かと結びつきます。アノミーとはこの喪失なんですね。norm規範をなくした状態だから、アノミー=annomy無規範なのです(と思ったら、宗教学のアノモス(anomos)―社会秩序が乱れ、混乱した状態にあることから来た言葉みたいですね。アノミーanomieは。こっちのほうがわかりやすくていいと思うんですけどね)。規範とは、ちょっと長くなるのでこの文章上にあうだけの説明をしますが、人生の目標、生きる上での目的と考えてください。つまり、なにと結びつくべきか!何のために生きるべきなのか!

 そういった人間にとって一番大事なことを失った状態がアノミーなのです。夢や目標があれば、人間はどんなにつらい状況だろうが自殺なんかしません。むしろ逆に、やる気満々となって立ち向かうでしょう。資本主義の精神、そのまんま禁欲的行動でその目的に向かって突っ走ります。一心不乱に、まっしぐらです。猫まっしぐらです。ペディグリーチャムです。

 

【近代以前、一義的だった人生の目的】

 昔の社会は強い集合意識がありました。共同体への帰属意識が巌のように万全として聳え立っていました。それを犯すなんてとんでもない!それを捨てるなんてとんでもない!という空気支配の社会でした。今でも日本はニューマ・空気・ムードが非常に強い社会ですがね。

 集団の欲求に答えてあげれば、個人の目的が簡単に達成されるのですから、個人の生きる意味は単純かつ明確で、先進国のような社会に比べてはるかに精神的な欲求・幸福感が満たされるんですね。集団への帰属、集合意識のルールを守ってさえいれば、集団から生きる意味を保障されるんですから。あの人は立派だ、凄い人だってね。夢とか目的、目標はその集団への奉仕で十分なんですから。ダメな人間でもその集団内で面倒見ることが保証されているので弱者も当たり前の存在として、まあ救済されますからね。

 ネパールが幸福感が非常に強い社会ですよね。それは個人の生きる意味が非常に単純で明確だからです。多様な生き方、独立した目的を達成しなければ!なんてことがないので、非常に満足度が高くなるのですね。社会が決まりきった役割、単純な役割の欲求をするから、それを満たすのはさほど難しくない。それで十分他者から尊敬を得られる。それで十分人間は幸福なんです。

 儒教社会なんか身分と役割がハッキリしてますよね?父はこうしなさい、母はこうしなさい、子はこうしなさい、男は…、女は…、君子は…。そういった明確な基準がハッキリしているわけです。これを守った人間は社会から立派な人間だ!とほめられる賞賛が与えられるでしょこれを守れば社会から認められる、他者の尊敬が得られる。ほら幸せになった。テストで100点取りさえすれば、頭が良い!と判断されるみたいに、基準が非常に明確なんです。社会の要請が単純だから、悩むことなんてないんですね。悩むとしたら自己の環境上、その要請が果たせないことに悩むわけです。そこに絶望を抱くわけですね。近代化以前の社会が崩壊するときはそれが満たせなくなった動乱期だけなんです。

 

【多用な社会感、あやふやな人生の意義】

 今の社会を見れば、わかるように、私たちはまずその基準自体を求められていますね。女性のファッション誌なんて読みませんけど、最もそういうプレッシャーを受けているのは女性でしょう。女はいかにあるべきか!という特集がいかに多いか、書店に氾濫する女性誌を見れば一目瞭然でしょう。仕事ができる女はステキ!カッコイイママ!あとは恋愛・趣味・遊びとか、大体特集組んでいますよね。読者のニーズにこたえるというよりはそれをしなければ女じゃないよね?といった社会的プレッシャーを作り出しているようにしか思えません。

 これが年頃の娘の読むようなものか?とビックリしてしまうようなSEX特集なんて若い娘の雑誌にあるでしょ?あれは肉欲も満たさないと幸せじゃないよね?という風潮を作り出している。またそれが生まれているという表れ以外の何者でもありません。『sex and the city』なんかそうですよね。逆にそれについて行けてないわが道を行け!っていうのが『干物おんな』ですよね。あれも脱干物しちゃいましたけどね。

 

 ちなみに押尾事件のように麻薬・SEXに溺れるのも、また博打・犯罪に走るのも喪失感を生めるためです。仲間内で連帯を作るためです。少年非行ってあるでしょ?あれは自分たち仲間内部だけでのルールを作る、犯罪を共有して、秘密を共有することで連帯を形成するのです。そうやって仲間を作る。仲間が出来れば連帯ができるから、その仲間内での連帯によって、自我を形成できるわけです。だから昔はオレも悪だったよ、やんちゃしたよ的な元ヤン非行グループがあっさり落ち着くというのは、彼らの少年犯罪は連帯こそが第一なので、連帯が生まれればあとは成人して自然と「卒業」して犯罪をしなくなるのです。

 社会が求めているものすらがあやふや、つまりは他者からの尊敬を十分に得られにくい社会であるということです。一昔前に「自分探し」なんて言葉が流行ましたが、よっぽど才能のある人物、特別な人間でない限り、そんなアイデンティティを見つけ出すことはできない。「自分探し」は社会の評価探しでもあるわけです。そして未だにそれは見つからないわけです。見つけた先駆者がどれだけいるでしょうか?何も見つけられないのが現状ではないでしょうか?

 

【目的を見失うと、人間は正常な判断ができなくなる】

 どこにいけばいいか分からない、社会がどこに行き着くか分からない、どうなるかわからない。アノミーまさにここに極まれりです。別に難しいことがわからなくても身近に連帯を感じる人間、集団、帰属先があれば、人間は絶望してアノミーになることはないわけです。日本の教育、社会システムはアノミーを量産する人間の心を破壊するまことに効率の良い教育です。イヤ狂・凶育ですね。「逝く」の方に近いかもしれません。

 近代化した社会は規制・共同体の連帯が緩んで分業化された、独立した個人が氾濫する。その個人に有意義な帰属先を見つけなくてはならない。どこにも行き場所がない、誰も頼りになる人がいない。これが現代いかに多いことか!この状況を打破しない限り、自殺でも、ひきこもりでも、家庭内暴力でも、カルト宗教のテロでも何でも起こります。人間が頭をなくした部品化したことこそ問題の核心なのです。それを無視して、アノミーを無視して社会の諸問題を語っても何の意味もありません。

 

【まとめ】

 最後に今一度、近代経済は発展するにつれて必ず、昔からあった人間のつながりを分断する。現代社会は絆が失われやすい。絆がない人間は狂人になる。狂人があふれる社会が健全なはずはない。日本の教育システムはその欠点を理解していないから、まこと見事に狂人を育成する。是正するどころか助長するという最低・最悪のシステム。まことに鬼畜悪魔の所業なり。

 解決策は色々あるでしょうが、長いのでこの辺で。デュルケム読んだら早いですよ。本当に疲れた(´-ω-`)。わからない人は質問ご自由にどうぞ。

*1:リンクが間違ってました。というか旧ブログリンクのままでした。一旦飛んで、またこっちに戻ってこなきゃいけないって、どんなクソ仕様なのか…気になって読もうとしていただいた方にご迷惑をかけましたm(_ _)m

一応脚注でもリンク貼っときます

 

宗教生活の原初形態〈上〉 (岩波文庫)

宗教生活の原初形態〈上〉 (岩波文庫)

 
宗教生活の原初形態〈下〉 (岩波文庫)

宗教生活の原初形態〈下〉 (岩波文庫)

 
自殺論 (中公文庫)

自殺論 (中公文庫)

 
道徳教育論 (講談社学術文庫)

道徳教育論 (講談社学術文庫)

 
社会分業論(上) (講談社学術文庫)

社会分業論(上) (講談社学術文庫)

 
社会分業論(下) (講談社学術文庫)

社会分業論(下) (講談社学術文庫)

 
デュルケム自殺論 (有斐閣新書 D 34)

デュルケム自殺論 (有斐閣新書 D 34)

 
社会学的方法の規準 (岩波文庫 白 214-3)

社会学的方法の規準 (岩波文庫 白 214-3)

 
社会学講義―習俗と法の物理学

社会学講義―習俗と法の物理学