てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

ソ連・ロシア分析から ノブレスオブリージュ

過去記事の再掲です。元は10/11に書いたものです。

―続きです。

 博士の書いてあったことの中から、気になったことをかいつまんでいくだけです。

【ノブレスオブリージュnoblesse oblige(仏)】
 資本主義社会のエリート層、特権階級は社会によって容認されている。貴族階級にノブレス・オブリッジがあるか否かが、社会が存続する重要な要素。しかしソ連は非公式な特権階級であり、社会に公認されていないために、後ろめたさを感じさせ、英日独のようなノブレス・オブリッジの気概を育成しない。そして
ノブレス・オブリッジを欠いた非公認特権階級からは汚職意識しか生まれない。

 また東大の例を挙げて、一高のような存在ならともかく、社会から公認されていない今の東大では、そうなり得ないことも指摘している。
 ここでいう英日独は過去の事例か?現代英でノブレス・オブリッジがないために、危機に陥るなんて話は聞かないし、日本の階級・階層が無階層社会であるがゆえに、ノブレス・オブリッジを育成してこなかったのは間違いない。階級化が進む中でいわゆるハイクラスにノブレス・オブリッジを育成させることが出来るだろうか?当然高い倫理観や道徳観が求められるわけだが…。

 己の言動を日頃から知ってくださってる方はご存知のように、儒教の徒(あるいは近代以前の史家)じゃあるまいし、統治者の道徳が政治に影響を与えるなんて考えるわけがない。むしろそんなことどうでもいい。才能があれば、どんなキチガイでも、なんでも使え!というのが持論だ。殺人者でも、〇〇でも、××でも(ご自由に何でも当てはめてください)、構わない、才あらば用いるです。ならばよし!です。
 優秀な官僚・政治家に、高い給与を与えてしかるべきだと思います。しかし
政治的に高い地位を占めた人物は人格云々ではなく、国家・公共への奉仕に関してはどこまでも貪欲であるべきだと考えます。誰も彼もが血なまこになって、国のために身を削って働く、奉仕する。そのような風土にならなければなりません。そういうノブレス・オブリッジが成立していない国家は当然、政治システムに脆弱性をはらむことになります。

 仮に無能でも、その分私財を誰よりも奉仕する忠誠心があれば、カバーできますね。ローマなんか執政官が常に不正を疑われ、そのために門をあけっぴろげにして、誰でも自分の私財をチェックできるようにしたなんて言われます。また中国の史書にあるように、私財は殆どなかったなんてほめる例がいくらでもあります。諸葛亮なんか典型ですかね。*1
 
また、日本の企業経営者の中に家財をもっても借金返済に充てる様な例がありました。これは資本主義経済を理解していない悪癖であると同時に、ノブレス・オブリッジが発揮された高い倫理観を示すものでもありますね。これにしても社員=家族という擬似共同体の延長上でしょう。
 これと同じような献身が官僚にあったでしょうか?いや、俺はお国のために一生懸命仕事したぞ!ここにいるぞ!なんていう人間は、その時点で文章読めていないのでお帰えりください。そういう意味ではなくて、私財を一切放棄して国のために捧げたなどということがあったかどうか?死んだら財産はすべてお国からもらったものだから、お国に返してくれなどという例があったか?そもそも
官僚が国のために必要だと予算を要求するなら、まず真っ先に私財を奉納するべきだろう。誰も彼もやる必要はない。しかし権力と富を持つ彼らの中から、先を争って私財が寄付されたなどという例を聞かない。官僚有志で私財を募って事業を行ったなどと聞いたことがない。ノブレス・オブリッジを献身という形で発揮した例を聞いたことがない。これこそわが国の病理であるといえよう。
 勘違いされないように、今一度言いますが、私財の返上・奉納が不可欠、官僚の義務であるなどという意味ではありません。高給取りでも人格異常者でもなんでも構いません、能力が第一です。しかし企業の社長やら、文化人やら、教授やらなんでもいいですが、個人の善意がきっかけとなって大きく社会が動いたという事例が一体どれほどあるでしょうか?ここら辺がキーだと思うのですね。滅私奉公、国のために公共のためになにかをする余地が非常に小さい。これまでは経済がバカみたいに成長していたので、それで問題なかったでしょうけど、個人の善意・意欲を最大限に発揮できない社会が、健全かつ素晴らしい社会であるわけがない。
 寄付=善意の発露が促されないシステム。税制で認められていないという先進国でありえないシステムの異常性は言うまでもないが、何より宗教的献身、宗教的奉仕心からの寄付の文化が消失してしまったことが何より大きいのではないか?
ノブレス・オブリッジ=宗教心・信仰心の低下と、わが国の場合同一線上にある気がする(破滅的な敗戦によって物がないという苦しみを経験したことも大きいのかも?)。仮にこのような官僚支配構造でも、官僚たちが汚職・横領で手にした巨大な金額と同程度の大金が枚挙に暇がないほど寄付されるのであれば、ここまで問題にならなかったかもしれない。ま、そうだったらそれはそれで、本人は良いことをしているのに全体は悪くなるという最悪の事例になるので良くないのだけれど。仮にそうだったとしても、汚職の問題は残り、それで許されるわけではないし。

 宗教への寄付・寄進なんて怪しい信仰団体の話くらいしか聞かないでしょう。さらに一歩進めて個人の自発性を上手く生かそうとする宗教団体の欠如。宗教団体が率先してNPONGO行為に参加していたらどうだったか。核心となるのはやはり、各人がこれに奉仕をすれば社会的威信・名誉が得られるという明確な指針がないこと。この団体、こういうシステムに私財をドーンと寄付すれば、社会的威信をもらえ、社会もこれによって良くなる。このシステムが欠如していることが何より大きいのではないか?

 ノブレス・オブリッジを欠いた非公認特権階級からは汚職意識しか生まれない―この状況はすなわち、今の日本の官僚に共通する問題である。ハイクラス・ロークラスを問わず、官僚という役職についた者が汚職をやっていいと考えてしまう日本人の精神構造には、これまでの腐朽官僚制・腐蝕だけでなく、ノブレス・オブリッジの欠如という問題があるのだろう。
 国家の高い役職について、その権限の大きさからそれを自己の力と混同し偉くなったと錯覚して傲慢になるというのはまだわかる。が、いくらなんでも法的に何の裏づけもない天下りをしておいて、それで良しと考えるのは、何をもって正しいか、間違っているかという判断する思考がないとしか思えない。考える脳を失っているとしか思えない。その行動様式はまさに北朝鮮の高官と全く同じではないか。
 国家に仕えるという気概、大義を抱いていれば、全員とはいわないが、佐藤氏が述べたように国家に仕えることを使命という意識で、必ず天下り・腐蝕に反発が起こってくるはずである。すなわち、どことどこに天下って退職金をせしめたなどすぐ伝わってくるはず。ノブレスオブリッジという視点から腐蝕構造対策を考えるべきではないか?
 アメリカのティーパーティーのように、オバマ国民皆保険にすら反発する土壌がある。明らかに国民の利になるのに、規制による自由な風土が阻害されることを恐れて反対するのだ。それほどまでに経済にとって規制が癌になる。新しいものが常に生まれる風土を保たなくてはならないという意識がある。この規制が悪いという意識が決定的に弱いところも考えるべきだろう。結局お上の言うことは正しいというような意識があるから、簡単に阿ってしまうかもしれない。

 日本の学者も官僚も薄給・陋屋に住んでいる―という面白い指摘があった。2、30年前はそういうことがあったのか?

【ロシアに言論の自由が存在しない理由】
 ローマ・カトリックと決定的に違って、ギリシャカトリックには〝聖俗の二元論〟が存在しない。これがないと世俗法と、教会法の違いを生み出し、ひいては近代を開く、政教分離良心の自由というものを生む。これがないことにはつまりロシアにおいて政教分離や良心の自由、すなわち言論の自由が何より尊いという事実が生まれないということになる。

 近代デモクラシー抜きのマルクス主義となり、スターリン一人の人柄の問題ではなく、根本的に良心の自由の洗礼を受けていないことになる。一種の神聖的専制であり、共産党という一人の父が最上の存在としてあり、心の内面まで支配する。
 スターリンが心の中まで支配して当たり前という風土は、現在どの程度まで改善されて、リベラリズムに近づいたのか?スターリンプーチンに変わっただけではどうしようもない。今のロシア議会なども、どの程度進歩したのだろう?


 おそらく博士は日本資本主義を、カルヴァン的な近代資本主義の精神としてではなく、「消失した資本主義」などの言葉を用いて否定している。疎外された資本主義に近いものであろうか?また読まなくてはならないなぁ。
 それはともかく、日本資本主義の精神を考えるよりも、日本自由主義、つまり内面の自由を自ずと導き出す原理を探し出す方が重要である。わしの波動球は108つあるぞ!ではないが、日本の数ある108つどころではない思想から、内面の自由、良心の自由の根源を導き出す作業こそ重要と考える。桃太郎の寓話の様にそこから、内面の自由の重要性を教え広めるのだ。イヤ、ここはやはり資本主義のモデルとなった二宮金次郎に例えるべきか。それと同様言論の自由に値する二宮金次郎を探し出して教育のモデルにしないといけないだろう。最も理解されやすいものはなんだろうか?それによって近代リベラリズムを根付かせなければ、日本の未来はない。

 


 一定の技術・知的層が厚いという相似現象があり、内面の自由がないことを考える上でロシアほど日本との比較にふさわしいモデルはないのではないか?経済にせよ、内面の自由にせよ、ロシアの方がはるかにひどいが。おそらく擬似一神教天皇教を考える上で、内面の自由を保障するものがあっただろうか?戦後天皇教が崩壊したと同時に日本に内面の自由を保障する契機は永遠に失われたのかもしれない。天皇教の狭義に内面の自由の教義を入れれば、それで根付くのだから。さしづめ、あなたの心の中の天皇だけは汚せないとか、天皇に対する思いを干渉することは出来ないとか、そんなものになったのだろうか?でも当時の共産主義だと反天皇制みたいな主張があったので、天皇を否定するものに人権はない!となってしまうからそううまくいかないか。


 これの四倍あるので、やっぱり分割します。シャレにならん(´-ω-`)ので、小出しにしていきます。最近更新も滞ってたしね。*2

*1:―とまあ、当時は書いていますけど、私欲のない無能というか平凡な者って官僚としての需要ありますかね?どうやってそういう人間を選ぶのかもアレですね。宗教家枠でも作りますかね?需要があるか不明ですが

*2:アイキャッチ用の画像ソビエト帝国の崩壊―瀕死のクマが世界であがく (1980年) (カッパ・ビジネス)