てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

書評―デフレ不況の正体/日下 公人

過去記事の再掲です。元は11/01に書いたものです。

デフレ不況の正体/日下 公人
 いつものように、太字拙感想。例によって、気に入ったところをちょいちょい、つまみ食いしているだけですね。

 東大がマルクス、慶応がケインズを教えていたとき、一ツ橋ではケインズの師マーシャルを教えていた。あまりにわかりやすいから格好がつかなかった。経済学者が語られるとき、あまり話題にならない。しかし有益なものを数多く含む。彼は消費者を中心に考える消費者経済学に適している。これまでは生産者を中心に考える経済学であった。生き返って是非彼に経済学を語ってほしい。

 サービス業と製造業に違いはない。小麦はその元を成長させる、小麦に対するサービス業。鉄を作ったのは神様、その元を掘り出して加工しているだけ、サービスして鉄を作る。漁業も魚を運んできて加工する、輸送するサービス業なのだと。製造業や農業とサービス業を区分けする必然性はない。そういうことを論じたが、当時生産力一位だったイギリスではこういう考え方は喜ばれなかった。
 つまり消費者を喜ばせることを考えて経済学を再編する、見直す必要があるときみんどさんは考えています。まあ、まだ当時は国民に富が行き届くような時代でもなかったですしね。本質を捉えるという点では優れていたのでしょうけども、実用的でないとみなされたのでしょう。今や生産力を誇りにする経済って、結局シェアを競うのと変わりないですからね。競争力という競争至上主義よりも、企業や生産側がいかに成長するかを考えるということは、国家経済規模・GDPを大きくしようという視点はもはや時代遅れになりつつありますね。
 消費者=受け手側をいかに幸せにするか、消費者がいかに喜ぶかという方向に先進国の経済は変わっている。移り変わっていると己も思います。幸福度指数なんて出てきたように、環境バックグラウンドが大きく変化して、最適な経済思想・指標も変わりつつある。国内シェアなんて考えるよりは国際競争力を考える方がまだマシですが、それより人間がいかに幸せになるか、暮らしやすくなるかということを考えて経済学を再編する方がよっぽど有意義でしょう。だから己はあんまり、マクロ・ミクロ経済学は興味もてません。マクロはまだわかりますけど。今の経済学ってマグロ化してませんか?(笑)


 で、不景気の理由を通貨供給量に求めるのはおかしいと、マネタリストを否定します。日本が著しく通貨政策がおかしいという理解があるかどうかは?ですが。己も通貨供給をうまくやって何でもかんでもうまくいくなんて説がもしあれば、大反対ですけどね。うーん、正確に日銀問題を理解しているのだろうか?経済の問題というより、官僚制の問題ですからね。
 ①戦争するか②政府の乞食になるか③新しい行動様式を生み出すか―の三つの選択しかない。今の民主の政権は②ですね。小沢さんは③ですけど、①はどっかでてきますかねぇ?戦争でペイするような時代ではないですし…。
 デフレ不況と今を見るのは「生産経済学」に基づいているから。「理論経済学」のケインズが死んで、「消費経済学」の時代になる。「消費経済学」は「人情」「文化」「歴史」「社会」などから経済行為を考える。経済、売れるものには「わけ」が好まれる。事業仕分けもこの「わけ」に基づいてやるべき。「わけ」は値段が下がって喜ばれるなんてものではない。それは単純な生産者の考え。新しい売れる「わけ」をつくれないのがデフレ不況の正体。


 商売では「わけ」を説明して値段を下げるか、上げるか。この本はベストセラーズ=ハイクオリティーを売りにしていない。ハイクオリティーを売りにした講談社。大正期、美大生に豪華な絵を描かせて大ヒットした。ニュースキャスターK氏、T氏がずっと代わらないのは、ディレクターが代えて数字が下がったときの責任が取れないから。世の中に説明できない「わけ」をもつ企業は衰退する。

 当たり前ですね。思うに、視聴率=数字よりニュースは視聴質だと思う。というのはハイクラスが好んでその番組を見るようになれば、下のものはその口コミで判らなくても見るようになるから。報道に数字を求めるのはテレビとして死んでいるとしか思えない。誰が見るか、たとえば情報分析をする政治家・ジャーナリスト・経営者などが好んで、その番組を見て論評しない限り、その番組の価値は無価値に等しい。中共の情報宣伝でしかないでしょうね
 東京の店は独立精神がないから、クレームをつけても自分のことのように対処しない。クレームは店のためを思っての声でもあるのに。だから成長しない。関西はいつか自分が独立しようと思っているから真摯に対応する。
 多摩大の修士論文でクレームをつける客が悪いか、店が悪いかではなく、そんな人間がくる店作りをしていることが悪いというものがあった。クレームをつける客はそもそも初めから機嫌が悪いと。だから店作りでうちの客層はこうですよとあらかじめ説明する店作りをしろとのこと。マクドナルドなら見ただけで、高級サービスなどないとわかる。価値観が世間に浸透しているから、サービスでクレームがつくことはない。高級料理店は高そうなしつらえによって値段が高いという文句をつける客を追い払っている。敷居を高くするという商売の理である。銀座のバーは来てくれる客はいい待遇をしない。来てくれない客こそ、また来てくれるようにサービスに力を入れる。こういう「わけ」に基づいて水商売はサービスをしている。

一章
 デフレは精神革命。主観が主役になって、経済は中世のような脇役に戻る。政府・政策・権力に依存するものでは無理。
 国家の威信・幸福にまで話が進む。歴史・政治・社会・心理・法学にまで及ぶ。経済に限った話ではないが、農業・外交・防衛全てを含めて語れる人がいなくなってしまった。「技術主義」になって、自分の担当できる範囲でしか物事を語らない人が増えている。人情・宗教・按配が入る領域に手出しが出来ない。いっそのこと「アバウト経済学」というものを作って、やったほうがよい。米欧はこの欠点を補うために演習、ゼミナールで色々話し合ってやることを重視する。アバウトから真理は生まれる。

二章
 社会は必ず対立が生まれる。米ではアドバーサリーシステム、直訳すると敵対。お互いの言い分を言い合って第三者や裁判所に判定を下してもらう。「対立と判決」によって社会が基づいている。日本式の対立させない、和解方式に進んでいる。というが、己はこのシステムが本格的に日本に導入されるべき時期だと思う。前近代では解決できないだろうが、今では解決する工夫・手法がいくらでもあるのだから、対立を鮮明化しなくてはまず問題がわからなくなるから。氏が言うようにアメリカは訴訟を迅速化させるために、情報開示令というものを作った。両方とももっている情報を確実に出させる。これで勝敗がはっきりして、早くなる。結果和解への道筋が早くなる。40何パーセントの和解率で日本と同じだとするが、これがあって件数も多いアメリカと日本では同一に論じられないと思う。裁判所、三権分立の司法があらゆる紛争を有効に調停させる機関として成立しないと(もちろんモデルの話ね)、日本の法治国家化はありえないからだ。
 フロンティアがあるから、問題があったらすぐ新しい土地に移ってしまう。新しい商売を作るのもフロンティアと同じ。氏は日本は自由の女神ならぬ平等の女神を送るべきだと主張して嫌がられた経験がある。オレは商売する気がないから、アメリカ人に好かれようとは思ってないから、アメリカに残る日本人は商売するから嫌われないように言わないだけと。ドラッガーもガルブレイブスもトフラーも翻訳書は日本が一番。氏の著3万~10万部はノーベル賞と同じくらい儲かるとのこと。
 昭和4~6年と今の状況は似ている。失業率は5%ほどで自発的失業=高望みが多い。いずれ落ち着く。米欧は10%。ケインズ時代は20%だった。こういうときにケインズ政策をやるのはまったく環境が違うので無意味。この単純な指標を鵜呑みにするのはちょっと首を傾げざるを得ない。米欧のやり方で計算すれば専業主婦は失業者だから、さらに求人をしていないニートなどを計算したら日本のほうがひどいだろうし。
 チャーチルはあまり正しくはなかったが、「わけ」を作る才能があった。自衛隊旭川に帰ってきたとき市民はご苦労様と迎えた。政治家・外務省は何もしない。非難を受けて、政治家は帰りを出迎えるようになった。外務省に彼らの任務を褒め称えるスピーチ原稿の草案をするといったが、断られた。兵卒使い捨てか?内閣、外務省よ…(゚Д゚ )

三章
 国家が出来ることはどんどん小さくなる。マネタリスト的なものを否定していたが、国家がバラマキをやるような発想につながると考えているみたいだ。日本的ケインズ政策はばら撒きだとしているし。どうやらマネタリスト=官僚主義的なそれと見ているのかな
 日銀券に強制通用力があっても、民間が嫌がれば拒否される。カーネギーがモルガンに鉄鋼会社を売ったときは社債で売った。戦後の混乱期には物々交換。インフレになると紙幣の価値が落ちるから、人は物に走る。強制買い上げがいやだから人は馬を買わなくなってしまう。農林省は戦後もう馬の育成が必要なくなったけれども、馬の飼育を引き受けてくれた農家に報いるために馬を引き取って競馬事業に引き継いだ。これが有馬記念で有馬元農林大臣に由来する。国家の仕事に個人の名が残っている珍しいケース。こういうことをどんどんやって個人の名を残した方が、国家のためにという競争力が働くのだが…
 ソ連崩壊の混乱期で改革派を支援するために企業が出て行って、民主化・西側がいかに優れているかPRしなくてはならなかった。そのとき外務省・政治家は誰一人責任をとってやろうとしなかった。民間企業任せ。代金はルーブルになるがどうするか?と言われて一発五百万くらいで原爆買い取ってやるからと言い切って交渉した。もしこれがしっかりした政治家によって担われていれば、露の非核化・民主化がうまくいっていたかもしれない。日ごろ反核を唱える馬鹿どもは一体何をしていたのやら…(´-ω-`)
 日本はガラパゴスなのではなく、先を行って突出している。チャーチルは大型機は使えるといって、大きいものを崇拝するアラブに戦闘機を旅客機に改造して売った。それにビックリしてらくだのアラブ軍を追いやることが出来るから石油を制圧できるとまで考えていた。国内民間旅客という市場はアメリカ国内しかなかった。それはガラパゴスではなく突出なのだ。そしてやがて世界中に広まった。人力車はリキシャとしてアジアを中心に社会に適していたからアメ車を駆逐してスタンダードになった。
 日産はゴーンになって必要な技術開発を削って黒字化した。削れば黒字化するのは当たり前。それをトヨタが拾ったから、近い未来トヨタ>日産になる。やっぱりなぁ…。ゴーン依存はどうもおかしいと思った。10年後利益が出なくなるだろうな…。それとも何か別の新しい生きる道でも確立しているのだろうか

四章
 稲盛和夫氏にノーベル賞なんかより自分たちのスタンダードで評価すべきだと述べて、氏は「京都賞」を作った。流石。ノーベル賞なんてくだらないといえないとダメ。
 所得倍増計画時代にいずれ公害が問題になると書いたら、理解されず、報告書に一行しか書かれなかった。いまようやく環境庁がもう公害対策終わったから必要ないといって、20~30年たってようやく武田邦彦氏が支援してくれるようになった。
 雅子さんの学位論文を読んだが、近代経済学ならいいが、グローバルスタンダードなど所詮洗脳に過ぎない。皇室を海外留学させるのはよろしくない。
 平等主義ではエリートは作れない。初めからエリートがいるという前提で教育をしないといけない。スウェーデン経済学の教授が二十何歳の助教授に、私の意見とは正反対だが、この大学教授の責任は重いから君に譲るといったのは有名な話。科挙だって、18~50才。「琴棋筆画」が最終試験。客観評価できず、人を感動させたものだけが通れる。これは必要なもの。これをやるべし。ホンダの社長本田宗一郎氏は俺の若いときのような者を取れ!と言って、人事にそんなの無理ですから、自分でやってくださいと社長枠を設けた。横並びではなく抜擢を作る。流石だなぁ。わかっているなぁ

五章
 聖書―男は労働の苦しみ、女は出産の苦しみ。うーん(´-ω-`)。女の出産は喜び。古代の身体性が高い人間にはそんなもんないはずなんだけどなぁ?これおかしいな。なんでだろう?当時の環境だと衛生的な問題で死亡率が高かったからな?
 ロボットアームを米欧人が見たら気分が悪くなる=タコは悪魔だから触手を連想させて。ロシア人はロボットを人間に近づける研究をそれは奴隷だと言って嫌がる。ついこの前まで奴隷だったから仕方ない。labor苦役=奴隷、work職人、art芸術家と氏は労働を分類する。日本人はみなartをやっている。己はこれにcalling天職を加えるべきだと思う。使命を持って働く人間という概念をね
 瞑想・祈り・座禅などは思考によって疲労する前頭葉をうまく休ませる、コントロールさせる必要から発達した。なるほど、おもしろい。

六章
 マクロ経済学は政府依存病になる。実社会と学問、官、マスコミのズレがこれほど激しい時代はなかった。至言ですね。統計を捏造し、政府が介入しようとする。そんなくだらないことするな。他にやるべきことをちゃんとやれ。外交・国防での損失は何百兆円に及ぶ。世界をリードしないからその分、日本も世界も損をしている。さらにマクロ経済学には数量化病がある。他の条件は一定とするという前提にもはや無理があることを理解しなければならない。
 アメリカはベトナム戦争のとき19歳で徴兵するように変わり、選挙権が18歳に引き下がった。選挙権と徴兵は不可避。また胎児でも相続することがある。これなら所得で税金を払わなくてはならない。であるから、子供にはその分親に2票与えるべき。
 またマクロ経済学には均衡点病がある。理論と現実は違う。

七章
 人間の心に注目すれば昭和・江戸ブームがわかる。また家庭を視野に入れた「人間経済学」。家庭や人口、再生産される人間がなくては経済学にならない。民主党が子供は社会のものと主張したのを、スターリン毛沢東と比較しているが、思想・内面に踏み込む良心の自由を理解していないそれと比較するのは明らかに筋違いであろう。まあ確かに気持ち悪い人間が何人かいるけれども
 必需品経済学よりぜいたく品経済学の方が重要。ロシア文学では息子がデートに行くとき、父が帰ってくるまで待った。コートを共有していた。ないと寒くて出られない。時代を象徴していて面白い実例だ。このように必需品かぜいたく品かという違いは経済商品として大きく違ってくる。
 金があると言うことは輸入力ということ。金がある国に売らないということは考えられない。

八章
 破壊的創造、大きすぎる課題は誰も扱わない。自民も民主も。小沢一郎が日本国家をのっとっているような状態。投票万能主義。ココらへんイマイチわからない。?ですね。投票万能主義を覆すために三代続かないと、参政権がないようにする。元老院を作る。
 日本のシンクタンク出来レース。外部条件に戦争を考えて計画を立てよ。

九章
 貨幣というもの自体の価値低下。しかし実際にはあまりにも物があふれているからこそのデフレである。そのデフレ対策のために不足している通貨供給量を増やして、マネーの循環を良くすることは理にかなっていることだろう。デフレ、デフレといっても物の値段が全て下落しているわけではない。値段の下落云々より、経済全体の循環が円滑に行かずに滞ることこそ真因だから、供給が増えれば多少は循環量、マーケットに出る分は増える。無論これはその場しのぎ策にすぎない。
 日本のような莫大な資産が氷付けになってしまっているケースは資産に税をかけるしかないだろう。そして、消費・投資すれば税をとらないというシステムにするしかない。それなら投資がうねりとなってありとあらゆる循環が良くなる。そして有効な投資機会を確保するために、官僚の規制の網を徹底的に破壊する官僚制そのものを消滅させるくらいのつもりで荒療治をやらねばうまくいかないだろう。
 日本の経済学は畢竟政治学である。政治問題が大きすぎて経済に悪影響を及ぼしているから。いかに官僚を仕留めるかそれしかない。通貨供給量増やす減らす話より、官僚仕留める・仕留めない、役人の供給量を減らす・減らさないの話を本格化することが何より第一だろう。経済学者といっても、官僚がくだらないことをして日本の資産価値を下落させるから、そいつらを何とかしろと言わない時点でもう経済わかっていないとしか思えない

 アメリカの強さ、四つのM、Military、Money、Media、Moral。Moralが全て、それがダメになれば、いずれ全部ダメになる。信なくば立たずを地で行く話ですね。結局いかに時代の変化に適応するために旧態の考えを放棄して、新しいやり方に移るかって話ですね。こうしてみると言っている主張は変わらないですね。というか、世の中が変わらないからしょうがないんですけどね。