てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

道教覚え書き というか読書録

道教の本ろくなのないなぁ…。今のところ。メモ程度に読んだ本について

中国人の宗教 (東洋文庫)/マルセル グラネ

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中国古代の祭礼と歌謡 (東洋文庫)/M. グラネ

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 グラネはマルセル・モースとなんか関係あるのか?一族?と思ったら別に関係ないみたいですね。デュルケム学派と聞いて(・∀・)!。しかしあんまりいいことは書いていません。宗教研究の初期なんて、大体どういう信仰なのかということを紹介するだけですからね。仕方ないといえば仕方ないのでしょうか。

 ただ儒教というものが死後その精霊(ということにしておきます、うまい言葉がないので)が親から子に受け継がれると考えること。だから親が子に奉仕するのは祖先全体に奉仕することと同義。一家庭で子が親に対して奉仕する儀式をおこなうわけです。それによって祖先に対する祭祀が行われます。面白いことに家長が死ぬと、その家長の例は最も幼い子に宿ると考えられるのですね。死んですぐ喪に服す期間今度は、家長(祖父)―父―子だとしたら、父が祖父にしていた儀礼・祭祀を、祖父の霊が子に降りてきている間中、父が子に対して祖父にやったことをその一定期間だけ行う。終わったら、子が父に対して儀礼を行うようになる。こうして家庭内での祖先霊が継承されていくことになります。

 こう考えるとむしろ末子相続での方が儒教の本義だと思うのですけどね。政治的安定性のために長子相続という観念はいつごろから発達したんでしょうか?その祖先霊を受け継ぐ儀式こそが家を継ぐ人間を示すわけですけど、家長は後継者を選定できず、むしろ一世代後の次の後継者を指名するような形ですね。これは実はチベットの転輪と非常によくにていますね。これは家庭内だけですが。

 だからこそ、家族の人間の身体を傷つけることは最大の侮辱になる。傷つけられたことで完全な魂として生まれ変われないから、引き継がれなくなってしまうから。

これだけですね。インスパイアをあたえてくれたのは。

道教 (東洋文庫 329)/アンリ・マスペロ

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道教 (平凡社ライブラリー)/アンリ マスペロ

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再販されていましたね。
 どうでもいいですが、道教というか中国人は人間と自然をアナロジー、同じ法則で貫かれて動いていると考えます。山、海、沼とかは全部人間でいう臓器のなんとかだとかね。まあ、そういうところから天人相関説が生まれたのでしょう。中国には沸けるそのものという発想がそもそもないんだという気がしますね。書評だとベタ褒めされていますが、全然。黄巾のところあたりの道教とか仏教とかの関係などの考察以外は特にどうでも良いですね。というか道教について神がどうなっているかとか宗教学上あんまり意味がない。いや、意味がないというか、そんなことは基本であって、じゃあそれはいったい社会にどう影響を与えたの?またどういう現象・背景からそういった思想が生まれたの?と有機的に連関させられなければ意味がない。だいたい、中国における雑多な神様のこと知ってどうするの?としかいいようがない。日本だって八百万ですよ。一人一人、違った一柱一柱やっていくんですか?それでわかるんならいいですけどね。古典的名著とか言うわけじゃなくて、ロクに研究されていないということを如実に示していますね。
不老不死の身体―道教と「胎」の思想 (あじあブックス)/加藤 千恵

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道教とはなにか (中公叢書)/坂出 祥伸

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 チラ見。これ読んで思ったことは宗教学的、文化人類学的研究がまったく進んでいないんじゃないかということ。特に『比較』の視点はマックス・ウェーバー以来、宗教を論じるうえで基本中の基本。まあ、ウェーバーのインドや中国研究はどうかと思うけども。というかあの時代じゃあ、あんなもんになるのは当然でしょう。
 道教研究とは、少なくとも己の中では印・中・日、それどころか世界中にある土着的な信仰すべてに共通する大きな一形態、中国的な発露の仕方、独自性をそこに見出すべきもの以外の何物でもない。何かそういう視点がまったくない。政治にどういう影響を与え、また政治からどういう思想を発達せざるを得なかったか。双方向、相似影響、ミックスアップを見なくてはいけない。そういう視点が皆無ですね。
 んで、道教について書かれている本のほとんどが、何か興味本位?占いとか風水とか、養生術とか気功とか、房中術とか、そういった変則的な方向の興味から書いているんじゃないか?という気がしますね。そういうことを知りたいからやっている。個人的興味、趣味嗜好性が強すぎるという疑惑がフツフツと沸いてくるんですが?こんなの学問になるのか?と突っ込みを入れる人間はいないのでしょうか?

世界の名著〈続 1〉中国の科学 (1975年)/著者不明

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漢書五行志 (ワイド版東洋文庫 460)/班 固

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 晋書天文志と漢書の律暦志が訳されていて読みました。全然意味不明な当時の世界観。己には無理だな(´-ω-`)。というか今、真っ先に読むべき本ではないから、パス。ただ、当時の人間が占いを信じているなら、そこから逆算して反乱やら、廃立・擁立・独立など宗教的動機を見出せないかな?と思っているんですけど、うーん。占いが百発百中当たっているように書いてあるんですが、多分10人くらいいるトップの占い師のそのとき、そのとき当たった者だけ載せているんでしょう。後付ですね。なら、あんまり卦から動いたと見るべきではないのか?民衆くらいですかね?影響されるとしたら。宗教反乱とか、大衆反乱だけかなぁ?あるとしたら。

中国人の歴史意識 (平凡社ライブラリー)/川勝 義雄

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 マスペロの訳者であって、ついでに面白そうだから借りました。しかし、内容は論文集に近くて、あんまりろくなことかいてません。中国人の歴史意識というより、司馬遷の話で終わった消化不良感が強いです。まあ論文集でおおっ!となるものなんてよっぽどの大家か天才だけですからね。専門家なら唸るかもしれませんが、己のような広い範囲を扱う人間には無理ですね。『中国前期の異端運動―道教系反体制運動を中心に』この章だけ面白かった。後は読む価値ないと思いました。
 あの、時代区分論が出てきて、そのために貴族制という概念で時代を説明したい。よって唐まで700年近い時を、広い時代を一括して扱っています。そのために、清流という通底する観念を無理やり後付しているのでは?自説のために無理やり、ロジックをひねり出していると感じてしまったのは己だけなのでしょうか…。時代区分によってより世界史を俯瞰的に捉えようとしたかったのはわかるんですけどね。その時代区分・段階によって歴史が展開していくという発想が、マルクス=ユダヤ教の発想そのものなんですよね。

 道教を語るには、①開祖②教義、特に戒律③経典、聖典の有無④寺、僧(教会でも牧師でも同じことね)の有無⑤天使・悪魔⑥預言者・使徒などなど、それらの視点から一つ一つ、この点はどうなのか?と丹念に研究されなくてはならない。キリスト・ユダヤ・イスラム・ヒンズー、この時代は仏教と殆ど同一視されているから仏教は微妙だが。それどころかウェーバーがオルフィック教・バール神や狂躁道などと比較したように細かい各地方ごとの宗教特性を頭に入れて比較しなくてはならない。何で、何一つ論じられていないのだろうか…。いや、まだ10冊以上ゆうに読んでいない本があるのだが、本当に参考になるものがあるのだろうか?と心配になってくる。

 そして気になるのが鈴木中正氏の『中国史における革命と宗教』。また氏の論文に対する引用がないこと。次の渡邉さんの参考文献にもなかった気がする。読んでいて、なるほど!と思ったのはあと相田洋さんぐらいかなぁ。鈴木さんは論文とか見ると、近代中心。しかもいかにして一神教というか千年王国運動が広がらなかったのか?というテーマでかなり広範囲に東南アジアくらいまで視野に入れてみている。これじゃあ、この時代ではないからと参考にしないのはわかるが、同著は漢代~唐代をまさに扱っているんだから読まなきゃだめだろ。何で読んでないのか意味がわからない。
中国中世の民衆文化―呪術・規範・反乱/相田 洋

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橋と異人―境界の中国中世史 (研文選書)/相田 洋

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 文化人類学的視点が感じられる良書だと思います。そういえば野口さん?が道教を研究している有名な人らしいんですが、白蓮教が専門らしいんですね。その時代の者は読んでいなかったんですが、なんかを一冊読んだ限りでは?となった記憶がありますね。
儒教と中国 「二千年の正統思想」の起源 (講談社選書メチエ)/渡邉 義浩

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 んで、そのお弟子さんの渡邉氏の本です。儒教やるのもいいんですが、儒教やる前に道教やったらいいんじゃないかと思うんですけどね。お師匠さんの学説引き継いで儒教に応用する前に、まさに道教が生まれた時代なのだから、そっちが先では?両方、絡み合って、影響を与え合って変容・発展したはずですから、そういう視点で見てほしいんですけどね。良い事ももちろん書いてありました。でも半分以上飛ばしました。
 川勝説を清流、濁流対立はナンセンスとしながらも、史書の偏向についてはスルーですし。名士という観念、文化的価値観はまさにその対立を取り払ってはみたものの。それで?となってしまうような。じゃあ、名士がどう貴族に発展したのかといわれると、朝起きてみたら幼虫がさなぎを経ないでいきなり成虫になっている感じ。さなぎも脱皮もそこにはない。途中過程が結局、あんまりよくわからず、有意義に説明できているのか?という感がします。それってなんかのさなぎなんじゃない?ですね。

 そもそもじゃあ文化的価値とは一体どういうことなのか?貴族とは何なのか?それを比較研究せずして貴族制を語れるのか?んで儒教をやる上で、一つの家で輪廻を繰り返すような基本的説に始まり、大乱で混乱し死者が続発、その宗教の基本祭祀が維持できなくなるということ。さらには集団救済の宗教である儒教の失敗。平天下という絶対命題が崩れたゆえ、宗教としての信頼を失ったこと。ゆえに新しい担い手として道教仏教が個人救済宗教が台頭する。こうして、唐末にいたるまで儒教はその宗教の救済の担い手たる地位を失う。しかし、宋にいたってキリストのアドヴェントのように復活・再臨する。その謎・不可思議、驚嘆の意味を捉えられるのか?己からするとこっちが中国史にとって不可欠重要なテーマであって、何かよく問題意識がわからないんですよね。なんでそんなことやるんだろう?と。
 そうそう、西嶋説の話が出てまして、秦漢帝国の皇帝と民が家父長制原理で結び付けようとするという件の説なんですけども、昭熹さんがこれどうかな?って言っていた話で。もしかしたらこの家父長制原理が後漢においても貫かれているという話なんでしょうかね?それなら、まずありえないと言えるんですけども。秦と前漢はむしろ連続性がありますが、前漢後漢はもう国家の性質としては全くとまでは言いすぎか、それぐらい変容していますからね。実は最近まで明確には気づいていなかったんですけどね(笑)。 

史記を語る (岩波文庫)/宮崎 市定

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 宮崎市定はすごいな~と。この時代の史家でありながら、史料の偏向というか、これは話し盛っているだろうとしっかりチェックして持論を述べますからね。理路整然。時節の反論をする人に対してリセー(フランスの高校生)程度の知識もないことがあると困ってますが、宗教学とか比較文化とか、そういう段階なんでしょうかね。まあ、己も西洋史しっかり理解しているかと言われれば妖しいものですけどね。やっぱり基本理解能力、ロジック力が凄いですね。アジア史概説読み途中だったなぁ。やっぱり読むべきかな。今なら簡単に手に入るし。
読書雑志 中国の史書と宗教をめぐる十二章/吉川 忠夫

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古代中国人の不死幻想 (東方選書)/吉川 忠夫

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中国人の宗教意識 (中国学芸叢書)/吉川 忠夫

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吉川先生を一応抑えとかなきゃね、やっぱり。中国人の宗教意識というタイトルからして抑えないわけにはいかないですね。
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