てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

書評―中国人の宗教 マルセル グラネ

中国人の宗教 (東洋文庫)/マルセル グラネ

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マスペロにせよ、グラネにせよ。宗教的理解は浅いといわざるを得ない。というか、その後の人間があんまり発展させていないと言うべきか。何で宗教的知識そのものではなく、宗教的な見方から応用させて分析する方法が少しも進歩していないのだろうか?誰かいるのかなぁ?宗教的研究を進めて業績あげた人?浅いというより基礎的研究をしたと見るべきか。そしてそこから発展させた人間が誰もいないような気がするなぁ。とくにグラネなんかデュルケムに学んでいるんだから、その後を継ぐ人がいてよさそうなんだが。

p20、グラネも母系性社会を考えている。最初に交換されたのは男子=婿、のち女子の交換。これにより、村々間で人質交換=秩序を保つ。まあ贈与論まんまですね

p21、春の初めと秋の終わり。男性の耕作初めと終わり、そして女性の織物。労働を交代する。

p26、古代の祭礼は小村に閉じこもっていた青年たちの交わりの場。重要な通過儀礼

p29、春の祭り=婚姻が行われる。秋の祭り=収穫祭。そこで主人は客人に出し惜しみなく振舞う。こんなのをみるとおそらく、イスラムラマダーンなんてもとは収穫祭なんだろうと思う

p30、散財・饗宴。舞踊り、動物の真似。熱狂により、都市の哲人は狂ってると表現した。むしろ馬、船というよりかは、道教=農民のそれで、儒教は都市民の宗教・儀礼、信仰に基づくものだと思える

p31、春に対し秋は老衰、死別を意味する。年が死ぬという観念。そしてまた一年が新しく生まれ復活する。時間が生まれ、そして復活するという観念、以前にも紹介しましたけど、本当に古代人、古代文化を考える上で必要不可欠な発想だと思います

p33、農事暦という暦の発想。一年にあれをする、これをするという発想が生まれてくる。そうすると当然この日にこの祭祀をしなければならないという呪術が発生して、高度化していく。陰陽という性質に分類され、それがすべてに及んでいく。おそらく五行もこの発想の延長上であろう。すべてに何らかの性質があって、その性質を踏まえた行為をすることによって、正しく天の諸法則が貫通される。天が先にあるというより祈り・祀りが先にある。祀りで全てが動かせるという発想に基づいている。古代文明の呪術・祭祀の共通する観念ではあるけども、人間の祭祀の絶対性が中国の場合飛びぬけているような気がする。文明=人間力重視、人間中心社会であるから、まあ当然の傾向だけど。人間の自力の重視、人工力>自然力。デュルケムは独裁者を初めて個人の意志によって社会の集合意識を打破できる、個人の人格の誕生と評価したけど、それと同じくらい祭祀王が自然に則って、自然に従うのではなく、人間の都合で自然をコントロールできる!コントロールしようという集合意識の転換も重要な一ステップとして重視すべきではなかろうか

p37、生きている人間は南を向いて暮らすから死後人間は北に向かうとされた。北に向けて葬られる。もしかして東北が鬼門というのはこの死の世界と日が昇る方向、時間の神がいる蒼帝があるからか

p40、地母の観念。女性が孕んで産むように、大地と同一視。納屋の隅っこで男女が交わり、その部屋に種子が置かれる。また女性の部屋に種子が置かれる。女性にそういうパワーがあるから。また大地に死体が還っていく=生まれそして帰っていくところという大地の信仰。

p60、君主による食卓共同体。食事における席次、招かれる順番などで政治的序列をはっきりさせるのは昔からあることですねやっぱり

p62、都市化により、女性は生活から隔離される。後宮に代表される女性集団になる。女性は男性より劣位になり男の尊厳を脅かさないようものにされた。農村のそれと違い性交は忌むべきものとされた。王と后は満月の夜に交合しなければならなかった。農村の性交とは多産が絶対だから、どこまでも追及されるが、都市の場合多産というのはそこまで重要ではないから、特に上流階層はそこまで必要としないからだろう。妾も取れるし

p68、時間と空間は不可分のものであって、明堂という聖地で適切な呪術を行うことで実際に影響を及ぼすことが出来ると考える。冬のときは黒、春のときは青、つまりそれぞれ五行に当てはまるものを全て当てはめた呪術を行った。方位・数字、音階だったり、植物だったり、それによって君主が儀式を実行することで、実際に季節のめぐりをコントロール出来ると考える。

p73、天は王を即位させる、賢者を王に配する、徳を持つ皇后を選ぶという三つの性質がある。天=契約の証人、そしてその懲罰、救済者、君主の師。先祖に近いとされたので、美しい人の姿を持つと考えられた。これなら人格神になっちゃうな。初期は人格神か

p78、大地は国家が祀るから一つのものとしての観念もあるが、天と違って地はたくさんあると考えられている。天は一つ、地はたくさん。まあ行けない土地がいくらでもあるしね。神は一人、異国・国家は多数とでも言おうか。だからこそ山川など偉大なそれに貴族の位を与えて、神を当てはめて考える

p82、東嶽泰山極楽と黄泉を結ぶ宗教的巡礼の中心。しかし都市こそが宗教・祭祀の中心となってからは自然と信仰が薄れていく。そことの距離が離れると、信仰の対象にならなくなる。都市の祭祀で抽象化の原理が働き、都市にいながらにして祀ることが出来るから。

p84、封建時代君主がまず三度土地を耕す。それによって君主が土地を全て耕すことになる。民が耕すのは君主が耕したことになる。収穫物を神にささげ、初めて口にするのも君主。高位にある諸侯はその領地で君主同様耕作禁忌から解放し、ささげた。

p85、君主は祭壇の中央に黄色の土をまつり、諸侯の場所に応じた色の土を与える。まず抽象的な土を作って、それを与えることで叙任を示すわけだ

p88、大地は女性同様陰で、陽より少し劣るもの。陰陽説は二元論というより、1.5な感じが強い。土地の神より収穫の神の方が優位。しかし土地の神を下に儀礼は行われた。封爵、狩の獲物、捕虜の処刑、征服した相手の領土を併合するとき、まず相手の土地の神の下へ報告をする。降伏者は犠牲になるものの装束で、この神の前に出た。封建諸侯は軍勢に土地の神、位牌と一緒に出陣した。

p90、神がその力を失って、再生する必要があるとき、君候は自らを生贄にささげた。生肉を皆で食べて、その共同体への帰属意識を強めた。

p92、最もいいものを食べて長生きする=魂の強さを意味する。長生きするということは魂が強いこと、長寿というものに一定の尊敬、畏敬がある。まあだからこそ仙人はみんな老人なんだけども。魂魄、精神と肉体=神と鬼、高尚なものと低俗なもので分けて考えている。ついでに鬼道というのはこれ、だからこそ日本の宗教は次に神道となった

p93、赤子は生まれて泣くことで魂が入る。だから、家族は大声で泣くことによって魂を取り戻そうとする。葬式の泣く意味ありましたね。しかし生身、生命を取り戻すのではなく、死んだ人間の魂を少しでもレベルアップさせようという意味の方が強いんでしょう。だって泣いて実際に復活する例なんて0.00001%くらいの実例しかないでしょうしね

p94、君主との魂の近さは貴族の血統ではなく、叙任した世代数によって決まる。取り立てるのも、滅ぼすことも出来る。封建制度と祭祀制度は結ばれている。すなわち貴族制というものはこの時点で成立する余地がかなり薄いといえる

p95、先祖=父=子という孝と喪を通じての一体儀礼。父が死ぬとき、儀式によって子は父の魂を受け継ぎ、父を儀式によって先祖の霊と一体化させることを図る。位牌に父の魂を封印して、それを先祖の位牌と並べる。喪が明けると正式に父は先祖と合体が完了する。魂はそうで、一方の死体は墓、土に戻る。天と地の二つ、魂が帰る場所と、肉体が帰る場所あると考えるから、この魂魄が祀りによって還ってきて合体して先祖パワーが強くなると考える。赤子も同じ天と地のパワー二つが合体するから生まれる。先祖も子孫も同じ=先祖子孫限定の輪廻、一族限定仏教といえようか

p102、祭祀上独身であり続けるということはありえない。必ず妻をもち、夫婦そろわないと祭祀が出来ない。妻が死んでしまった場合再婚者を取らなくてはならない。それでも完璧な補助者とはみなされない。地位の高い君主であると二度目の結婚は禁じられていた(どういうこと?じゃあ引退するのか?)。祭祀のパートナーは同世代でないといけない。宗廟における配置は男女関係なく、世代順。農村では必ず一定年齢で結婚しなければならないから、世代差がある婚姻は近親相姦も同然。

p104、孔子の父は70を過ぎても妻を娶り孔子を生んだ。子が、つまり孔子の兄が足が悪くかったから。心身揃っていること、完全ではないと、祭祀の担い手足り得なかったから。だからこそ孔子が当時の習慣に反して生まれた。

p105、肉体は親族集団の借り物。だからこそこれを傷つけることは相当な抵抗があった。

p106、肉刑は死より辛いこと。完全な肉体を全うして死ぬのが義務。完全な魂としてよみがえれない。人格は個人というより家族に大きいから。つまり、処罰は家族に対するものであり、褒美も同じ。家長に褒美をすることは最大の名誉になる。祖先も同じ。だからこそ歴代諸王朝の先祖の詐称、格を高くして偽る。昔の功績あった人と結びつけてランクアップを図るわけだ。君主がもたらす、この恩恵のために命を、自分の子供をささげるのは珍しくなかった。それ以上の栄光が先祖に与えられるため。

p107、続き、よって先祖に及ぶまで祭祀を止めさせること、それをつぶすことは非常に重い罪であり、君主がそれをするのは危険なことだった。もし家が絶たれた祭祀があれば、それは公共のそれに祀られた。土の神同様重要な祭祀であった。君主と臣下は死後の世界も繋がっていた。

p108、封建時代の貴族は絶え間ない宗教儀礼の執行と君候・父への忠誠表明に時間を費やした。すこしでも怠れば、権威がなくなるとみなされるから。

p121、古代封建時代の年代記を読むと、いかに助言者の役割が重要だったかわかる。帝国以後の儒教に求められるのはこのアドバイサーなんですね。マスコミや第三者中立機関=監察チェックをすることが非常に重要視されるんですね、中国人の宗教意識では

p129、君主があらゆる人、物に影響を及ぼす。つまり天人相関説ですね。

p131、孔子、儒士に求められるもの教育=徳化の重視、すなわち蛮を文明化。穢れた世界を浄化することですね

p138、音楽=中庸、感情の抑制を図る。都市対農村=沈静と熱狂という聖と賎の概念だけではなく、音楽というものに法則があるからか。音階、法則性があって、音がまた対応していると考えるから、文明化の法則で徹底的に規則性を探求して諸法則、陰陽五行に当てはめられた。配分されることになった。すなわち中国哲学とは法則が見出されたのならば、それを正しい位置に配分せざるにはいられないマジックストーンの思想を持つ。適切な位置におくと効果を発揮し恩恵、逆に間違った風に配置すると災いが起こる。まあ、風水っていったほうが早いか。そうか、そうか。ということは王朝ごとにまた楽器、楽曲も整えられたわけか。楽曲を奏でること一つとっても反乱、危険思想とみなされるわけですな。とすると優れた楽人が優れた曲によって新時代の到来を主張することも可能になるわな。あんまり、そういう話を聞かないな。六朝あたりの文人ならそういうこともやりそうだけどな

p140、葬儀について、だからこそ徹底的にあらゆる儀礼化を推し進めることで、毎秒単位でこうしろ、ああしろ、この身分のやつはここまでとか、御辞儀が何度とか、何回とかキッチリルール化することで聖なるパワーが得られると考える。おまじない、ジンクスと発想が一緒ですね。んで、泣くという行為が酒と同じくらいきになっていたんだけども、泣くことによって死穢の邪気をはらう。本来シエ=ケガレがある宗教という儀礼・行為において、むしろ徹底的に祭祀か、儀礼化の方向で、負のパワー=賎を聖化してしまい、逆に自分たちの得、利益もとい聖なるパワーにする。だからこそ葬式にこだわる。
 泣き叫んだり、衰弱して運んでもらわないといけない、食べ物も自分ひとりで食べられなくなって初めてよし!となるのは孝の発露もあるんだけど、何より、そうやって弱って死者の生まれたての、出来立ての、ホカホカの(死者が新鮮っておかしいけど、魂が出来たてということね)たましいのパワーが最も強いうちに、子に引き継ぐという呪術的儀式なのだろう。衰弱することで魂降りしやすくなるというわけだ。んで、喪のあと、パワーアップして新しい人間に生まれ変わると。そういう発想なんだろうね

p142、殉死や祭礼の際の人身御供を禁止したのが儒。簡略化して神から人々を遠ざけることに成功した。初期の儒教とはある種呪術的階層からの解放者の役割を担っていたわけだ。

p143、儒教を公教と表現し、都市の上層階級が信仰する。行政機関の祭礼に、都市の上層階級の私的な孔子ギルドのそれに分けられる。そして個人的利益も、偶像崇拝も見られないという特徴をグラネは主張する。

p144、皇帝から任命された官吏が毎年その土地の農民のために耕すことを解禁する呪を行う。牛の形を土で形つくって、それを鞭で打って「寒気」を追い払う。こうして土が耕せるようになる。

p147、新しい年の再生を司る東の神蒼帝。封禅の対象はこの蒼帝。すなわち蒼天の死は、王朝の死をさす。

p148、自然の調和が乱れれば、祭祀を行うことは出来ない。唐で個人の凶運を払うための祭祀は儒者の反対にあって消えた。725玄宗は個人のための祭祀を止めた。つまりそれまではやっていたすなわち祭祀というものが自然神など偉大なものを祀るもの、恩恵・聖パワーをうけるものから、個人の徳によって感応させる方向へとスライドしていくことを意味する。167文帝は個人の祈祷の部署を廃止した。個人的な祭祀は公的にはなくなることになった。つまり武帝のやったことはその裏返し。非人格的自然神を王朝は祀る。汾陰の偶像を作って大地を祀るのも、首都の儀式は方形の盛り土した祭壇で行われた。唐の自然(山とか川とか)に対する貴族封爵は儒教的な天の観念がなかった裏返し、あるいはあっても弱かった、変則的な天だった。個人の祭祀、御利益を願うものは天を祀る祭祀としてふさわしくないためだろう。無辜・無私の奉仕でなくてはならない。なるほど、日本人にもこの観念が一部受け継がれているわけか。1370この封爵は取り消され、非人格的抽象神である天に集約された。山川大地に神がいて、それも祀っていい=多神教とでもいうべきか、あるいは天がまだ絶対神になっていないことの絶好の例ですな。桓帝が黄老を祀りだしたこと=個人的ご利益でもある。対照的に法家思想の曹操がそれをしなかったのが興味深いところか

 封建制の崩壊が短期間のうちに中国の家族制度を変化させるにいたった。上層役人が伝統貴族にとって代わる(上層=役人、伝統=貴族)。すなわち貴族に君主が権威を与え、その権威を君主から引き継いで、長子が相続する。長子宗族の絶対性とは、そもそも強力な君主制を前提とする観念だもんな。そして次子はその長子に尽くす義務があるようになった。家族は農民同様、年長者を優先とする家族形態となったが、農村と違い家族は別々に暮らしていた。封建時代=宗族に近く、一族の年長者に父権は制約され、孫は祖父の真の継承者として父権は上下から制約されていたが、その制約は長子によって打破されることになった。つまり一家の父の権威が強まった。父子の主従・提携関係は親が子を生んだという理由をもって成立する親子関係を結びつきとするものに代わった

p150、続き、しかしローマの家族制度のような専制君主的な権威にならない。母方の叔父・伯父の権威が強い。貴族階級より(つまり貴族=農村的な権威として始まった?)、都市に強い。建前としては父の権威が絶対になり、孝は唯一の原則となる。忠も孝の一面に思えるようになった。

 統一王朝(秦以後?)により貴族が消滅し、孫が先祖の現身となって、食べ、言葉を聴き、交流するという祭祀もなくなった。儀式にのっとって位牌に名前を書いて、点をうったら、それが先祖の聖性を持つと考える。偶像崇拝、肖像画などではなく、この集合的先祖を祀るようになった。

p151、死んでも親がそこにいるように仕えるのが孝。すなわち「孝」とは単なる家父長的原理ではなく、それを貫通した宗教的ロジック。一神教が絶対的抽象神に昇格をさせて、人間との距離・空間を作ることでその教義を確立していったのと同等のプロセスで、中国においてはそれを『死んだ父』で行った。先祖という一神教と理解しても間違いないだろう

 先祖祭祀は公共の義務であったが、有産階級(=上層、百官)と王朝の宗廟以外は先祖祭祀は家内行事となった。

p152、孔子は過度な葬式をたしなめ、形式を重視していたが、その傾向に歯止めをかけることが出来なくなった=葬式、先祖=パワーだから。有産階級が墓を豪華にし始めて観念が変わる。それまで死体というのは忌むべきものであり、生活しているところから離れて墓を作っていたが、墓を豪華にして棺も生前から死体を腐らせないようにという願いを込めて丹念に作るようになった。

p153、埋葬によって、死者も地中の神々とともに生きているという信仰が生まれ、墓と骨に呪術的力が備わると考えるようになった。いずれにせよ個人的利益を持って祖先にお願いするのはいけないことであった。

p206、どの宗教の、どの教会の、どの聖職者であろうが関係なく役人と同じように献上物を収め、納税を済ませたかのように平和な気持ちになり、満足する。

p208、宗教の実践とは約束事の総和。であるからして、西洋人から見るとこの約束事は単に世俗的なことで中国人が宗教的な民であるとは全く感じない。だから現実的なものであり、時に迷信的であるように矛盾して見えてしまう。

p209、中国人は宗教を持たないのではなく、全く別の種類の宗教を持つ。

p210、ダンスパーティーに招待された中国人はさっさと帰ってしまう。もし規律あるバレェならそうではなかった。すなわちどこまでも人口・人為・ルールを好む。どこまでも明確に規則性がないと我慢ならない。儒教プロトコルの宗教だから。相当厳格な規範であるといえる

p211、精霊や鬼という信仰はある。かなり強い。(しかしそれが現実の世界に影響を与えるようなことはない。おそらく政治という分野にまで関わってくるという観念そのものがまずないのだろう。すなわち現世、幽界において政治家が宗教家、祭祀王であるからそうなるのだろう。現実政治の最高祭祀官が存在する以上神、精霊、妖怪の類でも何でも現実世界に影響を及ぼすにまでいたらない。物語と現実をそもそも区分する必要がないのだろう。割って考えるな=古代、中世特に西欧以外のアジア・インド・東洋的世界においては重要な価値観・法則・絶対命題だろう。分けて考えたら、絶対に理解できない)

p213、もっとも身近な善の神老天爺、竈の神でさえ、サンタクロース程度の認識。

p214、列子こそが中国思想の基盤と考える。

 科学技術に驚きを示さない中国人。専門技術者のことと知っている。フランス人の召使が電話で落ち着かないのに対し中国人は平然としている。古来そういうからくりがあったと知っているから。神に対する専門家を呼びはしても、それを重視したりはしない。神が実生活に影響を深く及ぼすとは信じていない。

p217、その土地に埋葬されること。クーリーの死体を本国へ相関することがきわめて重要だった。一族が必ず生き残ること。別の土地の家族が皆殺しになってもまずは自分がそうならなかったことを喜ぶ。非人道的だとか、エゴイスティックなのではない。一族の祭祀を絶やさずにいられるから。

p224、儒教=上流の階層のためのもの

感想:インドなどと比較してやはり農村と都市を比較したとき都市宗教である儒教の優位性・絶対性は際立っているといわざるを得ないであろう。なぜ中国は都市絶対になったのだろうか。マルクスなんか農村→都市で発展したなんか言うけど、違うんだ。実際は商業の地が開かれて交易が発達して、その結果農村というものが生まれたんだと岡田英弘さんとかグラネさんも(こっちは己は読んでないけど)言っていた。イブン・ハルドゥーンも都市より、農村の方が歴史においては重要であって、都市は農村から切り離されると生きていけないという。農村の方の優位性を主張していたしね。現代的な視点から見ると、毛沢東の農村から都市を包囲せよっていうのは当たり前の戦略じゃんなんて思えるんだけど、こういった状況を考えると、毛沢東の発想とは中国の伝統的な都市>農村を覆した天才的なものだったといえるのかな。

 おそらく、交換→貨幣経済の発達というステップを取るんだろうけど、中国の場合都市市場が、農村交流があまりにもうまく行き過ぎたため、貨幣経済を発達させる必要がなかった。貨幣の量とか質とかもあるし。何より同質性が高い市場において貨幣は必要ない。マネーの論理より感情が優先し、その方がうまくいくから。豊かで、農村交流もうまくいく、まあ中原という言葉があるように、中国の場合他のどんな国と比べても交通アクセスに恵まれていた。比較足りうるものがあるとすればナイル川くらいか。それがこの特異性を作った。

 逆説的にいうと、西アジアにおける商業の高度な発展は交通障害が生み出したといっていいだろう。黒田さんも、日本の交通アクセスが悪いのが貨幣経済の発達を生んだと書いてたし。需要と供給で、大体都市=需要で、農村=供給の形になり、供給が絶対な意味をもつ。古代においては農村の重要性は計り知れなかった。しかし中国ではその農村>都市が成立し得なかったということになるんだろう。

 うん、わかりにくい(笑)。まとめ方がうまくない(^ ^;)。まあ、まだインドにも、日本にも、東南アジア諸国も手をつけていないしね。思いつき、思いつき。結論は全然出てないし。

 市場の管理者としての都市の影響力がものすごい大きくなったこと。このインドと中国の違い、特に、前者の宗教家階層の優位に対して、後者はその階層が社会的に劣位にあるという点は絶対に解き明かさなくてはならない課題だろう。

 日本の本地垂迹、新仏習合って元の三教融合の流れを受けたりしていないのか?と思ったけど、よく考えたら、先にヒンズー教でその流れが起こっているし、その影響はインドの方が大きいんだろうね。

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