てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

書評―「三国志」を陰で操った倭王 卑弥呼 斎藤 忠

「三国志」を陰で操った倭王 卑弥呼 (「知の冒険」シリーズ)/斎藤 忠

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なんかこんなのが目につきましてね。一応感想でも書いておきましょうかと。

ようやく時間がちょっと出来たので、忙しいことに変わりはありませんがとりあえず次

知事抹殺 つくられた福島県汚職事件/佐藤 栄佐久

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を読んでレヴュー書きたいと思います。まあ、この一冊だけは読んでおかねばならない類の本ですよね。

んでまぁ、いわゆるあれなんですが、タイトルが興味を引くものなので読むだけ読んでみようと。内容は…ね。

 うーん。倭だけに金印が与えられているから特別であるとか、3000人30~50艘派遣できたから海運・海軍大国だとか???唯一の海上勢力だといいますが、それなら韓半島はどうなの?韓なんてこの当時日本より、もしくは同等に発達していて、その影響がまったくないと考えられないでしょうと。日本と半島双方が複雑に絡んで魏に影響を与えていたならともかく、倭・卑弥呼だけ考えられてもなぁ。

 むしろ印をあたえるなんて臣下で、諸勢力平らげて朝貢して来いってことにしか思えないんですが。必要以上に日本の昔を貶めるような見方に賛同は出来ないが、西アジア・中国と比較して、この当時の日本はまったく比べ物にならないだろう。もし並ぶ軍事力があったら、もっと記録に出てくる活動をバンバンするでしょう。そんな記録に残らない程度の能力で、力を発揮できたとは到底思えない。特別な技術があればまた話は別ですが。

 古の制度、周時代の様式が日本にあるから、敬意を払っていた。周の制度に戻せ!という先祖がえりはしばしばあるが、魏・晋でそのようなものは見られないと思うが…。まだまだ老子全盛ですからね。それに影響された人間が誰かいないと、裏づけはきびしいだろう。古制復帰の学者なんか聞いたことないですし。後世からみて、このうかれチンポやろう!と記す傾向があるのはわかりますけど、周制に戻して得られるものがあるかというと?ですね。抜本的というよりごまかし、だましが晋のスタイルかと思いますし。

 卑弥呼が強力な王だったとか、まあどうでもいいんだけど、裏づけ・類推の根拠が、それで?になっちゃう。確定しろとは言わないんだけど、絶対無理だしね。おお、なるほど、なるほどといえる推定の根拠に乏しいんですよね、全体的に。古代史特有のこの事情があるから、ここからこう考えられるとか、まあ一応論は立つよねというのがない。

 公孫淵の遼東を叩くために、倭と同盟を結んで挟み撃ち、あるいは後方を荒らす役割で協力を要請する。これはまあありえない話ではないだろう。しかしもっとすぐそばの朝鮮の勢力がどうして出てこない?海なら呉の方がまだ船を派遣できるし、海軍力が大きいなら孫呉でも、もっと常日頃海から荒らして遼東攻め込もうとしたり、あるいは朝鮮半島を取ろう!とか行動起こしたでしょう。少なくとも当時の倭が軍事的な意味で役に立つとは到底思えないですね。

 お!と思ったのが曹家の墓から出てきたという倭人字セン(石偏に傅みたいな漢字レンガ?)。会稽太守を務めた曹氏一族のころから、倭人とかかわりを持ったというもの。まあありえない話じゃないし、面白いと思う。そのレンガに蒼天死すみたいなことが書かれていたという話。

 三国時代というか、漢とか含めてあんまり中国方面の知識がないんじゃないか?と思うなぁ。曹操道教青州兵というのは己も昔注目したけど、最近ではむしろもう逆に道教、教団とのつながりは弱い気がする。宗教兵として強いというのが古今東西常識だけど、彼らは大して役に立っていないと思う。

 鬼道=シャーマニズム平等主義的な政治。だから卑弥呼の政治とシンパシーを感じて曹操道教を通じて結びついた。宗教力で影響を与えるということはありえないことではない。しかしどうみても中国の進んだ文明の宗教力に勝てるはずがない。影響を与えられるものはないだろう。奇蹟を起こしたのでもない限り。むしろ道教というか、鬼道・シャーマニズムというものはどこでも発生する普遍的なものだから。ちょうど日本で鬼道が盛んになって神聖政治が行われる段階と、中国の混乱期が一致したそういう事なのだと思う。

 たしかに中国の東の大海を超えてある陸地というのは神秘的な宗教的な意味合いを与えられた可能性はある。でも結局それだけで、そこからなにか特別な宗教的に深い意味合いをみつけ出すことは難しい。仮に道教教団が日本に移住して宗教国家邪馬台国でも作って、そこから教団の支部→本部となって「唐入り」みたいに中国を我が道教国家に作り替えるぞ!なんていうストーリーなら整合性・つじつまは一応あるんだけども。もちろん現実的にそんなことは不可能だからありえないんだけど。

 明帝が神水治療をやったように道教的なブームはあれど、それを日本に結び付けられるかというとかなり難しい。そういう宗教施設でもブレーンでも常駐したという記録があるならともかく。道教の重要性が以前と比べ比較にならないほど強まっていったことは間違いなくとも、それが現実の政治にどこまで転化したかというとかなり疑問。いずれ詳しく書くけれども、やっぱり南北朝でようやく道教=国家宗教の一つになるわけで、この時代にそれを見出すのは難しいんですよね。

 曹操の故郷が淮水の運河近辺、卞夫人が琅邪出身。水運=道教といずれも関係が深い。これはそのとおり。孫恩の乱で長江から山東半島、すなわち海運ネットワークを中心に「水」「船」「商業」「道教」と結びついて発展してきたことは間違いないんですよね。海賊とか既に魏のころにもいっぱいいましたし、生活が不安定になりやすい青州・徐州のあたりは特に宗教教団で結びつきやすかったでしょうしね。海賊のこと、この海・川のネットワークから道教に視点を当てるべきなのでしょう。そしてそれはまだ宗教・国家的公認組織としての教団・賊=相互扶助を必要とする背後にいる大衆などがバラバラでまだうまく結びついていない段階だと思うんですよ。魏晋なんていうのは。

 んでまあ最大の???ポイントがこれまで曹家と同盟を組んでいたはずの卑弥呼とその同盟が切れて司馬懿と手を組んで彼がクーデターを成功させるというものです(´-ω-`)。当時の史書なんかあとづけで理由をいろいろ記す、というかそこに現れるのは陳寿のロジックなわけで、それをああだこうだ深読みして、司馬懿が明帝を殺したんだよ!!!ΩΩΩ>なんだって~ってやってもしょうがないでしょう。まあ、なんかその後の政治展望もあんまりこの時代の政治・歴史状況を知っているものとは思えないしね。もうちょっと論文読んでから書くべきでしょうね。こういうのは。まあもうちょっと研究成果が一般的な書物としてまとめられていればいいんですけどね。己もそうですけど、そんなに歴史学の論文って簡単に読めるほど敷居が低くないですから、内容ではなくて入手するアクセス権の意味で(え、何?内容を理解出来ていないって方の意味だろ!ですって?サーセン)。日本史はなんか知らないですけど比較的良く書物にまとめられる傾向があると思います。細かい、とるに足らない様なジャンルでも。

 せっかくプロが研究して新しい成果を出しているのに、一般に広まらなかったら学問として意味が無い気がするんですよね。プロとアマの格差が激しい。点と線だけ支配して、広大な大衆という農村はほったらかしという危険性を感じますね。なんで毛沢東ロジックで例えたのか(笑)。そうじゃないと考えられないような、己のもたまに妄論を書いてますけど、そういうのが変に力を持っちゃうことがあるんでね。もうちょっと俗世のことも考えてやりましょうよと。もうちょっと研究成果が簡単に広がるような環境になってほしいと思います(何だこのオチ…)。

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