てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

ウソ、書評じゃなくて単なる金からみた世界史的見通し。書評― 道教思想史研究

道教思想史研究/福永 光司

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道教思想史研究 オンデマンド版/福永 光司

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道家・道教史の研究 (酒井忠夫著作集)/酒井 忠夫

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なんかオンデマンド版とか言うのがありますね。なんでしょこれ?買ったらウェブで閲覧できるんかいな?酒井センセーのが新版で出ていますね。内容には宦官とか黄巾とかあるみたいで一応チェックしなきゃと思っていますがいかんせん、宮定先生の本が終わらんし、 (´・ω・`)ショボーンになってます。ここ二週間くらいこの福永先生のこれにかかりっきりになってました。一回パッと読んでもう良いかなって処分しようとしたら、全然ダメだ。しっかり読まなきゃとなってもう一回。そっから長かった。史料の引用多いから、そこら辺でかなりてこずりました。全部書いたやつ載っけてもいいんですけど四万字近いんでそんな門乗っけても誰も読まないんでポイントだけ書きますね。

後関係ないんですけど、やっぱり金について調べています。金は絶対に抑えておかないと世界の歴史としても流れがわからなくなる。んでたまたまインドの経済史の本

インド貨幣史―古代から現代まで (人間科学叢書)/パルメーシュワリ・ラール グプタ

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これを読んだんですよ。そしたらインドの場合貨幣として金というのはずっと用いられてこなかったんですね。んでインドで貨幣・金貨が出てくるのはクシャーナのときなんですね。つまりこれは間違いなく中国の金は中央アジア~インドに流れたとみて間違いないと思います。というのは東南アジアやインドの沿岸部でもまあそりゃ多少は流れたでしょうけども、金事態はインドでは輸出用として使っていて、経済的に金貨を使う余地がなかったんですね。銅貨だったり、牛だったり、なんかネックレスみたいな宝石?みたいなのが高額交換手段として昔から用いられていて、金を通貨とする経済背景がインドにはなかったみたいなんですね。
 てっきり金を吸収したのは中国より先進的なインドおよび西アジア経済かと想定していたら、インドにその余地はないんですね。まあ西アジアというのが自然なんですが。それだけではなくこの遊牧民を無視すべきじゃないと思います。ビザンツなんか遊牧に攻められたとき、撃退できるときは良いですが、そうじゃなかったときは貢納払って帰ってもらっていました。つまり武帝以来西域開拓、進出策があり、匈奴のために金を一気に使った可能性がありますね。民間・国家財政あわせてではなく、国家の支出だけで王莽の末には金200万→70万トンに減少していますからね(あれ、単位トンだっけ?しかもこの70万は高官とかから強制的に供出させた上でのことですからね)。有益な使い道としてはそこら辺の遊牧民に手当てとして先兵にしたり、このクシャーンのように月氏あたりを手切れ金みたいに金やって西に移ってもらったんではないかという気がします。金があれば西アジアの経済にアクセスできるから、彼らは金を欲した(あとはスキタイ以来の信仰ですかね?)。
 ちなみにインドはグプタで金貨使った後は中国と同じように以後金は消えていきます。たまに北方からやってくる遊牧王朝で金貨がチョコチョコ使われるくらい。中国よりははるかに長く用いられていますが、やはり金貨というものは姿を消すんですね。グプタの統一王朝と金貨の関係は前漢と金の関係を連想させます。すなわち初期帝国(宮崎教授風に言うと古代帝国)に金は深い関係がある。そもそも金は本質的に高額決済通貨・手段となりますから、経済が発展して高額取引が必要になくなれば必要ないんですね。手形でも為替でもいくらでも手段発達しますから、中国が唐になって経済的に前漢同等レベルに復活しても、特に金がないから困る~なんて話はどこにもない。重要なのは金が存在しなくなることによって、退蔵手段がなくなって、仕方ないから溜め込むのに銅貨が使われてしまって市場に貨幣が出回らなくなるというマネタリーサプライの超過少状態が問題だったわけで。今ならスイッチひとつで紙幣バサーっと刷れますけど、昔はその通貨・貨幣自体が製品で採掘しなくちゃならなかった。商品としての貨幣価値が以上に高くなってしまったことですからね。江南開拓されて生産能力の上昇、根本的な富が増大して、比較的に貨幣の価値が落ちてようやく貨幣が出回るようになって経済が上向いていくわけですから。銅の採掘技術は漢末限界に達していましたが、採掘技術の向上はあったんですかね?
 金がなくなって、その結果遊牧に侵略されてしまい国が滅ぶというのもある種無関係でないんでしょうね。金よこせ!の大ムーブメントですね。そもそもかれらも支配=定住化はそもそもしたくなかったでしょうからね。金奪いに来たら無いから、仕方なく住み着くみたいな。本来は金とって、そのまま西に流れる。そこで遊牧しつつ金を使って、交易などをするという傾向があったんじゃないか?遊牧西遷説とでもしておきましょうか。いずれ詳しく調べようと思っています。さらに気候の変動やパルティア・クシャーナの崩壊、サーサーンの台頭で西にアクセスすることが容易でなくなったゆえ、中国に南下・定住するしかなくなったという流れが存在するような気がするんですよね。
 金の交易上の流通ルートは諸王朝の攻防に直結していたはずで、非常に重要なはずクシャーンとローマは交易でつながって金が回っていましたしね。このルートの断絶などはその後のローマやサーサーンの経済体制や戦略・目的を考える上で欠かせないはずなんですよね。三世紀クシャーンが崩壊したのとローマの経済停滞は決して無関係ではないでしょうし。
 インドと比較して面白いのが中国と違いインドは現代インドまで統一王朝なし。まあムガルとか結構支配権広かったですけど、それでも徳川幕府レベルかそれ以下でしたし到底統一されていたとは言い難い。中国の特異性、独特製にやはり中原のアクセスの容易さ・中国的一体感を上げられるでしょうね。その一体感こそ、経済的統一も生んで、金流出&混乱という自体を起こした。インドの場合はどうしても統一が容易でないから、各王朝が常に乱立して、一体化されなかった。インド全体として一気に没落するという自体が英のインド支配までありませんでしたしね。アルプス山脈みたいに
 あとついでに世界史的流れを考えるとやはり世界史はアレクサンドロスの東征からみなくてはならない。本当はアッシリアとかものすごい興味深いんだけど、いかんせんその時代は他の世界が発達していないからね…。オリエントはどうしてもロマンチックな領域にならざるをえない。ほんとうはシュメールからやりたいけど、日本人では無理でしょう。研究者全然いないし。アレクサンダーの東征によって当時のペルシアにいた人間とか間違いなく秦に流れているはずなんですよね。この亡命者たちが優れた技術を秦にもたらしているはず。特に騎馬戦術とか。宮崎教授もオリエントから秦が騎馬技術を取り入れたことが大きいと見ていましたしね。ギリシア・アレクサンドロスから、世界史を始めて現代的な世界を認識するには問題ない。これがギリシア・ローマのすごさなんでしょうね。本当はオリエントというかセム系・一神教理解を深めるために必要なんですが…。やっぱり武帝の西域政策と、甘英あたりの派遣が重要なのでしょうね。その後の時代の決定的転機とでもいえましょうか。もしその先に用意に侵略できる地がある。同盟国になりそうな国があったりしたら中国も大きく歴史が変わったんでしょうけど。江南以外、中原辺りにいた彼らが切り開いた、外に目を向けることは無かったですしね。元祖島国根性でしょうか?今でも中国しか興味が無い大陸根性ですけどね。日本とスケール差がスゴッ(笑)。あ、やべえ福永さん書いてる場合じゃなくなった。続きは明日書こう。
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