てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

【教育】 オープン、かつフェアでなければ体罰は成立し得ない

※コメントで体罰について書くことがあったので、ついでに加筆したものです。せっかくなので、体罰もたまに話題になるテーマなので一応過去ログとして残しておきます。

 体罰が問題化する。一時期軍人上がりの教師がいて問題になったから、それをうけてふざけるなよ!って世代が体罰を禁止したんだと思います。んで、現今にいたるまで体罰ありなし・是非を問うだけの話になっています。

 体罰って禁止するしないの問題ではないかと。本質は学校の閉鎖化にあって、社会全体の閉鎖化が問題で、オープンな場で「体罰」すればいいんです。常日頃、親とか地域の人間がチェックできるようであれば良いんです。親とかが良く知りもしない人間に自分の子供を教育させる神経が良くわかりません。今の環境で教師になる人間なんて殆ど間違いなくロリコンでしょう。一歩間違えたら性犯罪ですよ。絶対人格チェックしないと、親として義務を果たせたとはいえないでしょう。

 日本の社会・会社はもっと子持ちの親・家庭自分達の従業員に配慮して当たり前にならないといけない。子供がいる家庭・社員に対して、絶対に週一回は子供の教育の現場を見る事が出来るようにしないと、学校が独自の世界観だけで子供に接しますから、子供の人格歪みますよ。
 相撲界みたいにゆがんで賭博・八百長社会になりますよ。イチビってるガキなんか親出てきたら、もーおかんやめろや~となって絶対いつもと同じこと出来なくて、仮面はがれるでしょう(笑)。イジメなんて各家庭の親がいたら、それぞれ子と親、親同士が顔見知りだったら、起らない問題ですよ(まあ学校内の問題は解決できても、親がクソで、社長とか政治家とかそういう権力を振りかざして支配して、別の問題が起こってくる可能性もありますけどね。というかそっちの面倒くさいほうが地域によっては問題になってくるのか…)。

 まあ、結局地域の閉鎖化が全ての問題なわけで。学校と家庭が全く閉鎖化された別世界になっていること。これこそが諸悪の根源でしょう。そういう状態で卒業式とか運動会とか意味不明なことやるから、宗教儀式(=呪術ね)以外の何ものでもなくて気持ち悪くて仕方がないんですよね。自分たちが如何に気持ち悪いことしているのかということに気がついていないのだからタチが悪いです。

 また、教師の一方的な暴力だけじゃなくて生徒からの暴力も認めないとフェアじゃない。体罰というものを許容するならば、子供に殴られることを肯定しないとそもそも成立しないんですね。己が教師なら、「今お前は間違えたから殴る。だけど俺が間違えたら、お前らが俺を正すために殴ってくれ」と、殴っていいよと言いますけどね。この人は自分の話を聞いてくれるというスタンスを見せないとまず、聞き入れてくれないでしょう。日本の教育は奴隷を作る、没人格的な教育をしているからダメなんだということがまるでわかっていないわけで…。

 まあ、世間が考える教育論なんて良くわからんです。己から見れば狂っているとしか見えないわけで、そんなところに子供を送り込む親も狂っているわけで。そりゃこういう社会になりますわね。だからといって子供を学校にやっている親御さんを非難するわけではないですよ。現実的に他に選択肢がないわけですからね(´-ω-`)。結論としてタイトル通りに、体罰というものを肯定するのならば、せめてオープンに=検証可能な環境で行うこと。かつ自分も間違えた場合の暴力的制裁を許容すること。その条件を満たしてはじめて体罰を行いなさいということですね。

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生徒が自分たちで強くなる部活動指導 「体罰」「強制」に頼らない新しい部活づくり