てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

政治家の不倫報道・およびバッシングは、政治力を貶める売国行為

 ブログネタで政治家の不倫は許せる?―かのようなものがあったことで書いた話、一応備忘録として今頃旧ブログから転載。

 はっきりいって論外ですね(#゚Д゚)ゴルァ!!、拙ブログを読んで頂いている方々にとっては自明の理。

 そもそも質問がおかしい。正しくは政治家なら許せるか、政治家でも許せないかだ。だって、初めから不倫なんて別にいいだろ?か不倫なんてゆるせん!しかないわけだ。一般人ならいいけど、政治家だけはダメだ!という主義主張を展開する人はまずいないだろう。

 結論だけ先に言ってしまうと、一般倫理では許されないと言われる行為に値するが、政治家に対しては(許容すべからざる不倫も)容認しなくてはならない。我々一般国民は、政治家についての不倫・反倫理的行為を承認しなくてはならない。補足すると人間的にはクソ野郎だとしても、政治的・政治家として優秀なら許容しなくてはならない

 無論、言うまでもなくベストは人間的にも清廉で優秀な政治家である。政治責任を果たせる・政治家として優秀であればよく、それ以上政治家にとって必要な条件は何もないが、聖人君子であればなお好ましいのは言うまでもない。

 重要なのは政治家に特別な倫理を適用するべきかどうかである。政治家ならこれは容認するのかしないのか。そもそも政治家の持つ政治倫理と、一般社会の一般倫理というものは異なる。社会法則が違うものに、異なったルールで動いている仕組みに、同一基準を適用することなどもってのほかである。

 大人と子供、男と女、後なんでもいいけれども、同じ人間でもそこには時には違うルール・社会法則が働き、それに応じて動いていることは誰でも社会生活を送っている上でよくわかるだろう。(チャー研風に言うと、みんな同じようでも、違うルールがはたらいているんだ、きみたちにもわかるだろう?です)

 政治家を特別扱いして、何でお前たちだけ特別なんだ!と怒り心頭に発することは誰でも同じ。しかし政治家というのは自分たちのリーダーであり、会社で言えば上司である。人間的にはクソ野郎でも優秀な上司、人間的には聖人君子でも無能な上司。他の条件を一切捨象したとき、どちらの会社が・部署が成功するか?言うまでもない。会社の仕事がうまく行かなければ、給料がもらえなければ、倒産でもして失業ということになればどうなるか?糊口をしのがなければ、まず生きていけないのだから、我々は実績を上げてくれる優秀な上司を選ぶであろう。無能な上司を選んで生活を苦しむ道を選ぶ集団などありえない。

 無能なリーダーは組織全体を滅ぼす。優秀なリーダーほど、組織・集団が欲するものはない。年上の女房は金のわらじでなんとやら、この言葉はそっくりそのまま、「年上の女房」を「優秀なリーダー」に入れ換えることが出来る。我々に必要なのは、民主主義に必要なのは聖人君子ではなく、優秀な政治家である。

 政治家・リーダー達に厳しい条件・倫理で締め付けることは、優秀な人間が輩出されず、結果日本社会全体が劣化する。その被害を食らうのは日本人・国民私たちそのものなのだ。結局は私たちに返ってきてしまう。

 水清ければ魚棲まず。魚がいなければ清くてもしょうがないではないか。日本の政治環境を是正して、本当の汚職・汚い利権が発生しないような仕組みを整備してから、その行為を問うようなこともせずに、ほんの細かいことで汚職だなんだと騒ぎ立てる国民性からは優れた政治は決して生まれない。政治が悪ければ、経済が良くなるわけがない。政治経済という一体化した学問があるように、政治と経済の社会法則は密接にリンクしているのだ。

 政治家にふざけるな!なんとかしろ!という前に自分たちこそまともなこと言って、行動してから言うような国民性なくして民主主義が取り戻されること、日本がよくなることはありえない。

 今の我々の政治は田中角栄を司法の原則を無視して葬り去ったこと、そのツケを払っている。そして未来を小沢一郎を見殺しにすることでまた葬り去ろうとしている。日本にデモクラシーが取り戻されるのはいつの日か…。

【まとめ】
 厳しいルール→政治家に適用→優秀な人間が育たない→日本政治停滞→日本社会全体が停滞→国民特に弱者に一番しわよせ→今ココ

 優秀な政治家・リーダーは社会全体の命運を左右する。その芽を摘むような恐れのある行為は一切すべきではない。そのツケは結局国民が払うのだから

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「政治家の不倫」問題の本質はどこにある【文春オピニオン 2018年の論点SELECTION】