てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

島田紳助事件の分析④ 韓流と縄流 紳助よりも歪んだ土壌を問題視すべき

さて島田紳助事件について思ったことといえば沖縄との関係。

 渡辺二郎羽賀研二も沖縄出身。沖縄という貧しい出身たちのつながりである。そして紳助はTVを使い沖縄の宮古島のリゾート開発に力を入れていた。ここに沖縄という三者を結びつける接点を見いだせる。TV番組では紳助社長のプロデュース大作戦というものだったらしいが見たことはないのでよくわからない。

 そもそも芸能界というのは貧しい者達の這い上がる一つのステージとして確立されているという点がある。芸能界というよりかはスポーツ界などの一種の実力主義社会。まあ本来どんなところでも実力競争が絶対なんだけども。
 在日・部落といった人々がこの手の分野に数多く出ているのは言うまでもないこと。そして沖縄も例にもれない。

 沖縄は本土復帰まで、言うまでもなく犠牲となって日本から隔離された。その地理的環境から敗戦によって真っ先に米に抑えられた。本土復帰となっても沖縄の地位が格別向上したかといえば、結局日本の身分社会の下の、低い身分の地位に組み込まれたにすぎない。どうやって辺境を取り戻し、再生させるのか?具体的なプラン・ビジョンなどあろうはずもない。

 また己は知らないがフィンガー5というマイケル・ジャクソンをもじったような歌手グループが出てきたのはいい例だ。そもそもジャクソン5が貧しい出自の一家を歌によって成り上がりアメリカンドリームを達成させるというアメリカンドリームの代表例のような話。それを彼らが行うというのが日本というのがまだまだ貧しい時代の余臭を引きずっている以外の何物でもない。アメリカの黒人=日本の沖縄人と相似構造である。彼らの当時の状況を伝える番組で知ったが「沖縄の人間は靴を履かないんだろう」と同級生に揶揄されたというエピソードをメンバーは紹介していた。まあ沖縄に対してどう思っているか、子供とはいえ当時の状況を伝える話ではなかろうか。

 沖縄といえば一時期安室奈美恵やらSPEEDやらDA PUMPやら集中してブームのようにわっと出てきて席巻したことをご存知だろう。なぜか?当然そういう世界で成り上がるしかないという背景があったこと。沖縄というものについてどうすべきか?その時真っ先に観光やらなんやら、その次に文化的価値観をつけることでその地位を向上させるという戦略が考えられる。

 信長が土塊の茶碗に価値をつけて配下の武将にくれてやったそれのように、茶道という文化を築いたように、新しい文化的価値観を築く。電通が沖縄サミットを請け負ったように、沖縄にどうやって金をばらまくか?沖縄というものを日米安保のために懐柔する一要因・戦略の一環として組み込まれていたことは容易に想像できる。冷戦が終わって改めて沖縄の軍事基地削減・負担削減が問い直される。そのような心情に火をツケないように、沖縄振興が考えられたのだろう。これはアルカイダに求心力を持たせないための貧民対策と構造は同じである。

 全くなめられたものである、全く馬鹿にされたものである。

 そして話は意外なところにつながる。韓流である。韓流というもの、これについて日本への文化侵略だとか、異常なゴリ押しだと反発するその心情はある程度は理解できても、こんなのは単なる韓国という辺境を日本に組み込むことにすぎない。沖縄でやったことをまた韓国にやろうとしているだけである。文化的価値観を与えてやるという日本人の態度からするとむしろ差別的扱いに近い。つまり韓流ゴリ押しやめろ!という反韓運動・デモは韓国をもっとまともに扱え!という友好的運動とも取れなくないのである。

 足利義政が河原者を文化的価値観で雇ったように、韓国の人間を有る種芸者のように扱おうとしている。このことに気づいている人間が少ないのはおかしい、不思議としか思えない。毎年のように韓国の芸能人が自殺し、その奴隷的な契約内容でもめているというのに。結局韓国で使い捨てにされる駒、操り人形を更に日本で出稼ぎさせて稼ごうというのだろう。日本の汚い芸能界・事務所・テレビ局などがその輸出される奴隷をこき使って稼ごうというのだろう。少女買春は過剰に取締り、ダメなんて言っておいて、大人の奴隷的商売慣行は良いというのだから、朝三暮四のお猿様もびっくりだろう。

 沖縄のブームを縄流なんて言葉はないが、韓国の現在の現象を見てそういうふうに捉えてよかろう。縄流と韓流が違うのはそのブーム傾向が長いというところか。いくら貧しいと言っても賃金十分の一で働けというわけにはいかない。その点使いやすさが違うという面はあるだろう。しかしブームというのは所詮ブーム一過性のものにすぎない。そのブームがなぜこんなに続くのか?もうとっくに飽きている人がほとんどなのにいつまでも入ってくる。そのところに気味悪さ、おかしさを感じる人間が増えている。だからこそ反韓運動が起こっているといえよう。

 韓流との比較はさておいて、沖縄は次の一手が必要だ。しかしそれが何もない。商売の失敗で羽賀研二が裁判ざたになったように、紳助が沖縄リゾート開発に手を出してある種の村おこしのようなものに手をかけたように経済的苦境という線でつながっている。ヤクザには貧しい者を救おうという機能が備わっている。だからこそここまで続いてきた。

 紳助の露骨な番組利用はひどいが、沖縄のためになることをやろうとしたのは間違いない。そもそも大阪の利権が複雑に絡んだビルに手を出したのはバックにヤクザがいるから、関係者だから周りが手を出さなかったとか非常におかしな話である。紳助が問題になるとすればそのような商売で売上の一部をシノギ代として何%が上納した場合。それがあってはじめて暴力団裏構成員として裁かれる。

 明らかに警察のリークでメールが流出したけれども、その中には今月の売上がどうとか、いくら納めてどう商売するとかなかったはずである。つまり紳助無罪を立証することに他ならない。というかこういう経緯で流出したものは被告人の有利になるもの以外は証拠採用されない。

 付き合いがあったというだけで何か裁かれるのであれば、普通に友達だった人間がある日急に暴力団に入ったらどうするのか?さらに関係者認定された人間と商売をしていた場合は?つながっていた場合はどうなるのだ?こんな曖昧な解釈を許そうとする制度を許してはいけないに決まっている。

 そもそもバックにヤクザがつかなければ権利関係が複雑で商売ができないなんていう経済環境を放置していることがおかしい。いざとなったら力で解決するような暴力団が背景になければまともに商売ができないのなら、行政・法律の怠慢だろう。商売を滞らせている法律の停滞、法治国家ならぬ放置国家では、生きるために非合法に落ちる人間が続出するのは当り前だろう。金本選手がそのようなつながりをもったのも結局は市場経済原則を破綻させても平気の屁の座の法匪官僚が支配する国家故ならではだろう。

 そしてこういうアーロン収容所のような赤痢になるとわかっていてもカニを食わなければ飢えて死んでしまう。捕虜虐待というか虐殺のような事態は今後も続く。背景を無視して、目先の悪を血祭りに上げるようなことが何をもたらすか…。孔子がみたら、この治政、イヤ痴政をなんというだろうか…。

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