てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

ロンドン暴動について追記

さる方がロンドン暴動について書いていたのにコメントして、ああ、これも書いとけばよかったなぁと思いついたので、それをこっちにまた書きます。名前出されるのが嫌なようなので、伏せときますね。加筆・修正して↓

 富・仕事・教育を与えれば、問題が解決するでしょうか?まあ条件をフラットにするという意味でなら可能なのでしょうけど。そもそも社会に勝つ者、勝ち残るものは一定しか存在することが出来ず、大多数は中層・下層になるわけですね。つまり誰もが満足行くように富な名誉を行き渡らせるという仮定はかなり無理があるわけです。原始共同体でもない限りおそらく無理でしょう。

 富は偏在する(遍在すればいいのですが(> <))。絶対権力なり、富なり集中しないといられない性質ですからそれは変えられないわけです。奇妙なことに社会はある程度の規模が必要なのに、そのある程度の規模を超えると、経済が効率化され富が増大すると同時に、人件費を減らす効率化が進んで社会から不必要な人間が増大してしまうんですね。どうしても邪魔な人間が生み出される。職にあふれる過剰人口になってしまうのですね(それを市場がまた再びいかに違う仕事に人を再配分するか!?再調整ができるかどうかが資本主義・市場主義経済の重要なテーマであり、社会の安定化に欠かせないものでもありますね)。

 市場は人を競わせる結果、自然に退出が生まれて人を排除する。これは絶対に変えられない法則であり、その結果排除された人をいかに組み込むか!これこそが重要なのですが、日本ははじめから排除しないように市場のメカニズムを無理やり抑えつけようとしてきました。バブルの成功時代からそうだったので、それがさも当然の事のように思い込んでいるのでエラいこっちゃですね(´-ω-`)。

 今の日本は退出された人間を再組み込みできない。それどころか最初の時点で排除をするという事態になっていますね。昔は就職できて当たり前の時代で問題になりませんでしたが、いまや排除しかないという歪んだシステムになっています。これもまた日本の病理ですね。

 まあそんな日本の病理はさておいて、話を戻して、社会は市場経済は人を排除する性質を備えているんですね。日本だけでなく、前近代国家でさえこの人の排除は重要な問題でした。社会は伝統的に特定の人間を排除する仕組みを備えていました。差別は社会に必要なメカニズムとして組み込まれている。嫌な事実ですがこれは揺るぎ無い社会法則なんですね。

 そしてその社会の嫌な性質をなくそう・最小限にしようという対抗システムが宗教なんですね。宗教家になる=その分余剰人口が整理できて社会の人口調整がなされる。よって社会のどこにもある程度発展した社会では宗教階層が生まれるわけですね。

 更に宗教家という独立した新階層を作り出すことで、その新階層は他のどの階層・階級を超えて一体感を作り出す事になります。宗教の前の平等、神の前の平等ですね。この脱階層性が社会にもたらすものは計り知れないものがありました。インドで宗教階層が主要な支配階層になったのも頷けますね。

 そして宗教家になるなら社会に阻害されたという迫害感・絶望を抱かない。既存のコミュニティに追放されようが、そこで尊敬の念を得られるのですから。追放・迫害ノ恨みがもたらす怨念・復習といった負のスパイラルを消滅させることができるわけです。社会に慈善事業・コミュニティの安定などの還元もしますしね。

 まあ、そういう意味で敬虔だったり、信仰があったらまた起こらない問題だったんだろうなと思います。日本のような宗教音痴の国ならともかく、なぜイギリスで信仰心が落ちていったのか…。ちょっと面白いテーマですね。まあやはり既存の宗教では階層性の打破というのは難しいのでしょうね。科学という宗教が全盛の時代に処女懐胎とか奇蹟全部信じろというのも難しい。

 階層を打破して英国民が一体化、連帯をなさしめるものはスポーツと音楽、マフィア文化くらいしかないんでしょうか?

 日本の宗教は本当に社会に役立っていない。あれをなんと表現すればいいのか?未だに納得いかないんですよね。ある種マフィアと理解するしかないんでしょうけども。社会に貢献しない無駄な腐敗組織・階級としか考えようがないですからね。布教を禁止しろとは言わないですけど、せめて自由競争させて、税金は取れとしか言えませんね。

 公開討論して教義を納得させることができなかったら教団私財全部没取するくらいのリーダーはいないものかね…。


【一番大事なこと書き忘れてた(゚Д゚ )】

 ああ、そうだ、今な前書いたやつ読み直して、あれ?一番需要な話書いてなくね?ってビクって冷蔵庫の音に飼い猫・飼い犬が反応するように、ビクッとなったらやっぱり書いてなかった。何のためにあれ書いたのか…(´-ω-`)

 すいません、一番大事なことはハナからヤル気を奪われる現実、断絶性。社会からの排除・疎外感なんですけど、それを防ぐためのイギリス的信念、国家的個人の再統合ビジョンがないということを書くべきでした。もちろんそれだけでも読み取れる人、ひらめく人はひらめきますが、書く方はそれを書かんでどうするというオチを放置してしまいました…。

 社会に断絶がある、何をしていいかわからないという階層が生まれてしまっている。そういう社会にとって明らかに停滞・負をもたらすマイナスの現象が発生するのはどこでも一緒。問題はそれを解決する、乗り越えるためのwe are Great Britain!的な一体感をどうやって作り出すのか、社会に一体感・居場所を作る。そのヴィジョン・システムこそが重要。

 その大事なシステム・視点が国家の支柱となりうるものがぽっかり抜け落ちてしまっている。貧しい奴に職支援して、福祉手厚くして、教育機会増やしてとか、そういう単純なことで解決できるはずがない。

 彼らが俺はイギリス人だ!偉大なるイギリスに貢献している!といった感情をいかに持てるような社会・システムを作るか、別にそれがEUでも世界でもいいですけど、それによる誇りを与えられること。それこそが重要なことであって、それがないからモラルない簡単に犯罪に走る人間を作り出しているわけです。重要なのは生きがいなんですね。生きがい・やりがいそういうものを装置・システムとして作らないと同じことは何回でも起きますね。誇り無き人間は豚と一緒というやつですね、いかにプライドを作り出すか、そういう社会設計を考えなくてはならない。さて、イギリスがどんなプランを以てこれに臨むのか、そこに注目すべきなんですね。

 なんでこれを書かなかったか…ボケすぎだな。