てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

書評ではなく、橋爪 大三郎著『ふしぎなキリスト教』批判について

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

 

  ツイートでつぶやいたやつのまとめです。いやね、ツイッター発なのかな?ふしぎなキリスト教に対する批判ツイートがあって、アマゾンレビューでも否定的な意見があって、個人的に橋爪教授は日本屈指の社会学者だから気になってこのような長々としたものをつぶやいたわけです。


 『ふしぎなキリスト教』のアマゾンレビュー&ツイートで基本的な誤りが多々ある!こんなん駄目だ!なんていうからチラ見してみたわけです。図書館では予約いっぱいで手に入らなかったから、本屋でざ~っと読んできました。まあやっぱりこの内容なら結構売れるんだろうな~という感じでした。結構良いと思いますよ。個人的にはオススメ。


 で、見ると基本的な誤りとか書いてあって橋爪さんが、橋爪大三郎ともあろう人がそんな事するかな???と当然己は思うわけです。小室博士の学問を尊敬する己としては、その唯一といっていいまともなアカデミシャンがそんなことあるだろうかと思うわけです。あとはろくな人いませんからね。


 チェックしてみると、クリスチャンなんだろうか?ひどいレビューだ。全部を読んではいないんだが、宗教学と神学は全く違う。その認識があるのだろうか…?これはまず比較宗教学の本なわけだ。それを理解していない。『ふしぎなキリスト教』というのは小室学を引き継いでいる本。キリスト教とは誠に宗教学的に奇態な宗教である。その基本テーゼを引き継いでいる。 コレ重要ね(博士はキリスト教原論は書いてないし、イスラム教原論/宗教学原論を読めば、そのキリスト教認識の重要なことはわかる。もしくは資本主義に関する一連の著作でも基本はキリスト教から始まるから)。

 その奇態な宗教こそが、近代化の基となり、民主主義・資本主義を生む母体となった。キリスト教理解なくして現代社会の根本のロジックを理解することができない。キリスト教なくして現代社会なし。これが基本にある。それを前提としたキリスト教理解。その延長としての宗教史に近い。よってその路線からの切り口なのだから完全なものにはならない。というより完全なキリスト教理解の本なんて先ずないだろう。神学的にどれだけ高いレベルの分析・研究を打ち出しても人文科学である以上完全な理解などありえないのだから。ましてや新書レベルでこれは無理だわな。


 新書なのだから初心者にわかりやすいようにまずその所を踏まえてくださいね~的なことを書くべきだったと思う。誰も彼もがアカデミシャンなわけではないのだから。それをまずやっているために失点一。しかしだからといって何でもかんでもいちゃもんつけていいわけではない。というかそんなことも知らないレベルの人間が容易に批判などと恥ずかしいと思う。


 宗教社会学である以上、そこからの見方でしかない。それをもってしてキリスト教を完全に理解することなどできるはずがない。そんなの常識である。神学的に間違っている。矛盾するからおかしい!なんていうのは学問以前の問題。大学に入ってもまずろくに教えないだろうからね、日本の教育レベルじゃ…。だから変な読み方やいちゃもんの付け方をする奴がいっぱいいる。本を読む、ロジックを正確に読み取るという基本がわかっていない。そういうことを言っているんじゃないんだろうっつーの。メインテーマを無視したら本なんてただの記号と情報の羅列になってしまうだろうに。どうしてそういう無理矢理な読み方をして文句をつけるのか…と、これまで何万回言いましたっけ?(笑)。


 さてこの本の形式だが、はっきり言って対談形式にする必要があったのか?と思う。始めや末尾の文章がちょっと傲慢な感じがあった。キリスト教はなんかいいもの的な説明でお茶を濁す本がほとんどだったかな?そんな感じで挑発的なことを書くから変ないちゃもん/反論を招くんでしょうに…。大澤という人を知らないのだがまともな方のだろうか?ナショナリズム論を渉猟したが記憶にないのだが…(※ああ、あの人か、まあナショナリズム論で優れた研究を残した日本人はいませんからね。へえレベル止まりで、で、それで?そこから次にどんな有意義な展開があるのと行ったらそこでお終いですから。諦めて試合終了レベルでしたから)。


 また、ウェーバーの『古代ユダヤ教』、このユダヤ教理解でいつまでも解説するのはいかがなものかという気がする。もうそろそろウェーバーを超えるユダヤ教論に踏み込むべきだと思うのだが…。ユダヤ教にはとんと詳しくない己だが、この見方にちょっと不満を感じるから。

 

 ヴェーバーの本でキリスト教の教義を学んだ気になるべきではない―とか、はっきり言って見当違いも甚だしい。キリスト教の教義についての一方向からの分析にすぎないのだから、それは自分の解釈と違うから文句をつけているに過ぎない。それこそ、他学問分野を無視して学んだ気になるべきではない。学問をする一番初めの基本ですよ、他の切り口、学問分析を大事にするというのは。


 初歩的な間違いと書いてあるのだが、それこそ初歩的な文脈を読み違えている、読解能力/論理的思考力がないとしか思えないのだが…。チラ見だから全部チェックしていないが例えば―「分裂してしばらくすると、両教会合同の会議が開けなくなった」(p.256)とある。ここでどこに第何回の会議があって~とか逐一会議を説明をする必要性があるのだろうか、文脈上何を伝えたいか読めていない。教科書じゃないんだから第何回会議が何年にとかどうしてそんな事いちいち記さなくてはならないのか?必要性のない情報をどうして書かなくてはならないのか?ここで伝えたい本意と関係ないではないか。


 キリスト教に宗教法がなく学説(p.269)という説明に対し、西欧中世の大学のエリートの必須科目は教会法―と文句をつけているが、これは比較宗教の外面規範・戒律の話。教義として定められていないことに対する事の説明。そういう話ではない。その後修道院・カトリック教会が作ったものが教会法であるということ。筆者の言いたいことを無視して、読み取れずして勝手に自分の思うことを言っているだけ。


 まあ、まだ全部読んでないから読んだら『ふしぎなキリスト教』のレビューを書くつもりだが、少なくともアマゾンレビューでの批判はまず根本的に学問というものをわかっていないことと誤読。読解能力がないだけだろうとは思う。つか、そんなに気になるなら、研究所宛てに手紙でも何でも出せばいいのに。そんなことして一体なにがしたいの?橋爪教授なら多分自説に「誤り」があるとかいうのなら応じてくれるだろう。まあ、それが「誤り」でないから、誤読と判断されるから相手にしてくれない可能性もあるけれども。


 小室博士の『宗教原論』を読んでないとちょっと難しいかな?とあるのがまずいですね。新書で300Pはなぁ…とも思うし。新書で出すのがなんか中途半端になっちゃったような…。まあでも本来個人でのキリスト教理解、宗教学分析からの意見/所論を展開する上で変な批判をつけること事態が論外なことは間違い無いですけどね。
 まあ、結構売れてるらしいので本屋のどこでも置いているでしょう。読んでみるといいと思います。

日本人のための宗教原論―あなたを宗教はどう助けてくれるのか

日本人のための宗教原論―あなたを宗教はどう助けてくれるのか

 

  今読んでいます。宗教学を理解する上で避けては通れない古典ですね。生きながらにして古典でしたからね~。まあ小室直樹の比較宗教学ってほうがしっくりくる気がします。オウムとかカルト真っ盛りの時に書かれましたから、もっとそういうのをほっといて、いろんな宗教の話を突き詰めて欲しかったなぁとか思いますね。

 

 ちなみに『ふしぎなキリスト教』をチラ見したときグノーシス主義について、これまでグノーシス主義というものの構造=機能の意味がわかっていませんでした。グノーシス主義の本読んでも意味がさっぱりさっぱりでした。んで、これ読んでわかったんですが、単なる霊肉二原論なんですね~。ユダヤ教ってのはあの世を考えない。霊肉二元論を否定しているわけではないですが、根本的に考えないんですね。「神の国」が最後の審判ご地上に表れるとあるように死者も裁判前の仮の状態と考えますからね。
 しかし、あの世があるとさも当然に考えるギリシア・ローマの宗教観ではキリスト教は受けいられないわけです。死んだろどうなるの?裁判前の休憩じゃあ困る。その伝統的宗教観キリスト教宗教観内部にある矛盾を解決するための仏教でいう方便できなものがグノーシス主義というわけですね。まあカトリック教会もthe方便みたいな存在ですからね。

 ※続き?まあ書いたものを一応載っけときます