トイレの話 排便の自由なくして自由主義なし!(ネタです)
最近は思いついたらどうでもいいことを書く。トイレの話をひとつ。ト~イ~レ~には~
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ってな歌を連想しますが、もうそれはちょっと前の話。最近の離婚の話にトイレを旦那さんが立ってするからそこら中散らばって汚れてしまうから、座ってやって!と奥さんが怒るという話しがあります。
さて、なぜ男は立って小便をするのか?だったらはじめから座っときゃいいわけです。全部和式便器時代には立ってやる小専用があったのか?トイレでの立小便式習慣は確立されていたのか?トイレの効率を考えるとき小が圧倒的に多くて、込まないようにする。回転がいいから作られたんでしょうか?
子供のうちは別に背が低いから跳ね返りも少ないでしょうからいいでしょう。しかしなんという事でしょう!大きくなるに連れ、まるで忍者犬や牛若丸の竹が飛び越えて跳躍力を鍛えるように気づかぬうちに跳躍力ならぬ、トイレ汚し力が増えていくわけです!どんどん大きくなって距離がしらずしらずに伸びていきますからね。
そもそも小学校で大ができないのが問題になるんだから、全部個室にしとけばいいんです。アホです。いつまでおんなじ問題引きずっとんねん。うんこできない問題は何百年経っても解決しない。小学校に未だに排便権、排便の自由は確立されないわけです。ワシントンもジェファーソンもびっくりですよ。
学校でうんこする自由も獲得できない、新しいルールをあとから確立できない、こんな事で空気の支配を打破することなど出来るわけないではないか。
まず、うんこの自由を奪うことで子供のうちから奴隷に育てるわけです。昔の給食は脱脂粉乳で家畜の餌をアメリカの輸出政策上無理やり食わされていたし、当時の献立には日本の食生活を改造する意味合いがあった。まさに学校=養豚場・牧場、家畜そのものですね。うんこ問題ひとつ解決できないバカどもにいじめ問題なんか解決できるわけ無いだろ、教育委員会のウンコどもめ。お前らが流されろ!
まあそんないつもの話は置いといて、トイレの設計変えて家庭の離婚危機(^ ^;)を救う事はできないのでしょうか?思うに水の部分があそこに位置固定しているのが問題だと思うんですよね。洋式の便器って座りっぱなしで緊張感がないから和式のほうがいいなんていう説もあります。便利は人間の本能を腐らせますしね。和式の方が股関節を使うとかで、今の人は股関節が固くなっているという話があるくらいですし。
さすがに変形ロボみたいに洋式から和式にスイッチひとつで変身・変形はできないでしょう(笑)。ならば水の部分を移動することはできないのか?シールドが出てきて、別の部分の小専用エリアが開かれるとか。小の時はもっと奥深くにタテに細長く構造を変えるとか。
土俵入りの横綱みたいにせり上がってくるとかね(笑)。どんだけ時間かかるんだよっていう。めんどくさくて待ってられんわな(笑)。和式にしとけばいいんですよ。そんな事でケンカするくらいなら。あとは旦那がトイレ掃除すりゃいいんや!はじめっからいらんかったんや!だんなさんが女神さんみたいにべっぴんさんに、綺麗になりゃいいんですよ(笑)。適当すぎるオチ。
あとは和洋どっちもいけるような感じの新しいものをつくるしかないわね。和洋折衷したらどうなるんだ?和洋中だから、中間の中?中国スタイルと間違えられてオープンザドア式にしなきゃいけない感じになりますね。(^ ^;)