てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

書評― アダム・スミス『国富論』を読む (岩波セミナーブックス S13)/丸山 徹

アダム・スミス『国富論』を読む (岩波セミナーブックス S13)/丸山 徹

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 今回、ご紹介するのはこちら!そに~のべが!見てこのかっこいいボディいいいい(表紙)!となぜか、ジャパネットの社長から入りましたが、別に意味はありません。アダム・スミス国富論をいつか読まなきゃなあと思っているとき、上巻読んだあとこれがたまたまあったんで、読みました。常々古典というのは読む前に優れた解説書を読むべきであると主張してきましたが、これはヒットですね。優れた解説書です。

 たいていその本だけをなんちゃら、かんちゃら知った風に書くのが多い中、この本のように、概観だけでなく、その時代背景から、本人が一体どういう時代に生きて、どういうバックボーンがあって、問題意識はなんなのか、そもそも経済学とは?と語れる所がいいですね。

国富論 国の豊かさの本質と原因についての研究(上)/アダム・スミス

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国富論 国の豊かさの本質と原因についての研究 (下)/アダム・スミス

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 経済学の大成者はワルラスとヒックス。ココらへんはおなじみですね。しかしその前にあえて一人経済学の創始者を上げろといわれればまず、アダム・スミスという名前が間違いなく上がる。経済学が専門化して学者しか理解できないような時代になった。上の二人然りね。しかしアダム・スミスの場合はサロンで語る相手がいて、会話を前提にして書いている。ダイアログ風に本書をまとめているから、至極読みやすい。

 己が国富論を読んだ感じだと、最初の方は大前さんに似ているなと、最近の経済事情や政治事情を説いて、こういうふうになったのはそもそも~という現代社会の最先端現象の解説という感じ。だから結構幅広く読まれた当時のベストセラー(≠古典)なんじゃないかな?と思いました。この読みやすさこそが、古典として今に伝わる理由なのだと思います。読めないということはないでしょうからね。

 ワルラスにはスミスのような場所がなくなって専門化した。筆者は座と読んでいますね。そういう座がなくなった。更に現代の学者はわかりにくくなっている。専門化して大衆の理解を得られないそういう問題感心を持つがゆえに、スミスに注目することもまた必要ではないかと。いや、この人はわかっているな~。

 で、スミスはスラスラ読めるんだけども、定義をしていないから時に誤読しがちだと。自然価格や自然的自由といった定義がないと。また競争という言葉も今日の経済学のそれとかけ離れている・ズレがあるから、ちょっと解説しておきましょうとね。一編・二編が経済原論、三編が資本蓄積の自然的順序、四編が重商主義・スミス以前の経済学についての批判、五編が国の財政を論じたもので、一と二の上に立脚しているもの。なるほどね。前書きでだいたい本の内容のレベルがわかるけど、これだけでもう大したものだと理解できますわね。

 スミスの生きた時代解説から始まります。名誉革命でちょっとした保守反動があり、オックスフォード大学は活動停止状態、教師の利益や安逸のために学校があると手厳しく批判していますね。東インド・南海会社などもあって世界の中心はアムステルダムからロンドンに移りつつある時代。国家財政の公開と議会による決定、国債発行や中央銀行などもこの頃。そしてその国債を引き受ける金融界はホイッグよりでジェイムズ二世復活に反対するといった状況。

 政治事情はまあ飛ばしましょう。スペイン継承戦争の和議の失敗がトーリー党の政権奪取に至ったこと、ハノーヴァー家とともにホイッグに戻ったのはトーリー党の非慣用的教育政策。国教徒以外の弾圧。それ以外の教育機関を潰そうとしたとか面白そうですけどね。合邦されたスコットランドの反乱、ジャコバイトの話なんか興味はつきませんね。ああ、ウォルポールって南海バブル破綻を予言したことで出てきたのか、外には平和協調、内に安定か。なるほどね。ユトレヒトのアシエント協約で黒人奴隷貿易を船一船分だけ認められた。これをなしくずし的にどんどん拡大していき、果てはアメリカへの奴隷貿易独占を狙うまでに行く。そして、スペインともめてジェンキンズの耳戦争。噂きっかけに戦争まで行く。戦争はスペイン=フランス=ジャコバイトと反英勢力をひきつけたと。

 スミスはスコットランド合邦による社会の変化を肯定し讃えた。本来の変革は一七四五のジャコバイドの反乱鎮圧以後。この戦争によってウォルポール的協調主義の限界が来たことがわかる。で、その次に来たのがウィリアム・ピット。七年戦争で仏と米植民地を争い、危機のとき組織を再編させ勝利に導いた。ピッツバーグなんて名前が残ってるほどですね。

 スミスは先ごろの戦争といって、ジェンキンスからこの七年戦争までを評して、目的は植民地の排他的独占権。そしてそれは無駄である。戦争を見ればわかるようにコストが限りなく大きく、それを維持する分を今後考えてみろと。分離・独立&自由貿易したほうが、経済的に好ましいと唱えるわけですね。ギリシャの母都市と植民地のような関係になれと。独占はダメだというのはスミスの論説の真骨頂でしょうかね。

 P48、いちおうこっから引用ページを。スミスの経済学の定義は四編九章からいきなり出てくるんですね。経済学とは「諸国民の富の性質と原因」を解き明かすものだと。原題だと国富論はAn inquiry into the nature and causes of the Wealth of Nationsですね。Nationsだから国だけでいいと思うんですけどね。まあ国民を意識しているといえばそうですからいいんでしょうけど。国全体の大きな構造を論じているから国のほうがしっくり来るんですけどね。関係無いですが、Natureっていいですよね。自然を解き明かすことが物事の性質を解き明かすことなんだという、彼らの科学に対する考えがよく伝わってきますし。

 国を富ませるにはどうしたら良いか、経済政策とは何か?そもそも経済の本質とはとなって、経済原論となるわけですな。スミスの定義では労働によって生み出される生産物の量だといいます。当時のセイの法則が通用する。者も何もろくにない時代背景を想像させますね。高い技術と相対的に多い労働者が国の富を決めると。そういや国富論というと、富国強兵を連想しますね。スミスは戦争ムダ派ですから、富国無兵とでもいいましょうか?分業とかの説明はこれまでさんざんやってきましたからとばしますね。

 p68、スミスの貨幣論以前にダヴァンツァーティやロックが独自性があり、なおかつ優れた研究をしているか。ロックは政治学者と捉えられているがそもそも経済学の源流にある一人だからな~。ロック読もうかな。

 p72、富の価値を測る尺度として有効なのは労働の時間。労働の時間がどれだけ費やされたのかでスミスは財を比べます。モノの値段が今と違ってコロコロ動いたから、こうしたんでしょうね。あとは労働量は今と過去を比較してもそんなに変化していないから、過去とも容易に比較できると。なるほど当時としては財を図る・考察するのに労働価値説というのはなかなか有効な基準だったと言えますね。

 p94、自然価格への収斂条件は独占がないこと、共謀がないこと。需要・供給に十分な規模があること。そしてその商品に対する知識と情報が広く行き渡っていること。さらにはそれを行う自由・アクセス権がないとダメだと考えていますね。市場万能主義、ほっときゃいいんだよ!なんてことは考えていません。市場をいかに活かすか、どうすれば市場というものがきちんと有効に機能するか―ということに頭を働かせていたのですね。特にオープン・透明性というのはほっといてそうならないから、それをなんとかしようということになるわけです。スミスのいう競争概念は現代のそれに近い。ワルラスとは異なる。まあわかんないですけどね。いずれ知ることもあろう(^ ^;)。

 で、まあ競争の結果あらゆるものは自然に適正価格に均衡すると。いわゆる見えざる手ですね。これには神という言葉が使われていなくて、いったいなぜ?そうなったの?と思う人もいると思いますが、ごく自然でしょうね。彼らのキリスト教的価値観から言うと。理神論=自然は神がつくった→神のおっしゃることを理解するためにはあらゆる自然現象にある理を知らねばならない―が科学の誕生ですから。科学は神学から始まったといってもいいわけで、スミスも同じスタンスですしね。じゃあ見えざる手ってダレの手?っていったら神に決まってるだろうとなるわけで。

 p110、利潤率と賃金率の関係をスミスは問題にした。リカードマルクスのような分配を考えてはいない。リカードの『経済学および課税の原理』でそれが出て、最終的にマルクスに至るというわけか、なるほど。

 p124、スミスの経済成長の要因には生産労働(の多さ)と分業による技術進歩。それに十分な貯蓄があること(投資に回されるから)。まあこれはのちにケインズとかによって修正されるわけですけどね。

 p136、リカードマルクスも暗い。それに対してスミスは初期の経済の展望で明るいから人気が高い。リカード『経済学および課税の原理』で人口が増え、土地と生産する食料が足りなくなるという予想。人類・社会そのものの限界を説いている。オッペンハイマー人類の神々の黄昏といった。マルクスはそうではない。生産力は止まらず、資本主義制度はダイナミックに進展していく。そしてそれゆえに既存の制度と折り合いが付けられず自壊するのは必然であるというモノ。

 p140、スミスは農業→工業→交易の順で人は力を入れる。リスクが少ないから。しかし実際は逆になっている。これはなぜなのか?

 スミスの本文中に農業が発達する都市と工業・交易都市は異なっている。これはローマ時代もそうだった。交易で生きる帝国となった時、本国のローマ近辺で農業は抑制されるかまた盛んにならなかった。資本投下量の問題なのか?いずれにせよ当時においては両方を占める首都計画は成立しなかったわけだ。中心と周辺の問題なのか?農業と商業は両立しないというのは古代や中世時代の歴史を見る上で抑えるべき経済学の常識だろう。

 p144、当時の人は貿易が国を富ませることを知ってはいたが、その理由まではわからなかった。スミスといえば重商主義者、富=貨幣=金・銀を貯めることという固定観念を、それらは使って初めて意味がある。富になる。貯めこむなんて自己目的化や!アホか!なんてイメージがあると思いますが、スミス以前の約200年前の時代を重商主義として、その時代はその時代の要請があった。すなわち初めて市場が生まれる頃絶対王政と安全な商売をしたい庇護を求める商人が結びついていく頃。その頃はろくに金・銀=貨幣の元すらないわけで、当然それが重要となるわけですな。スミスの経済学はいわば国家やマーケットが整備されて次の段階にテイクオフした段階を示す、新時代の新経済に適した、新経済学ということなんですね。

 p148、大体トマス・マンをその重商主義の代表者として扱っているみたいですね。重商主義避難をするためにかなりステレオタイプに、歪んだ形でその主張を取り上げていると。そもそも豊かな国には消費財がたくさんあり、それを国民が豊富に享受するわけです。そういう国が金・銀なくても十分にやっていけるレベル。貿易収支さえ帳尻が合えば、金・銀は出て行かない。管理してコントロールしようなんて無駄な労力ばっかりかかること、到底出きっこない。重要なのは経済力だ!つまり生産能力があれば、金・銀などにとらわれぬわ!と喝破したわけですね。

 まあ、そういう流れ、国家というものをつくろう!という歴史的な流れがあったからこその重商主義だったわけで、国家というしっかりしたシステムがあやふやで人民の生活もろくに守れないからマキャベリの『君主論』のようなものが生まれたわけでね。

 p157、面白いのは重商主義時代の思想をアリストテレス哲学への反抗と見ているところですね。アリストテレスまでは哲学とか学問をやれるといえば僧侶・神官階級だけ。自然が何よりも尊いとするアリストテレスの価値観からすると、商人・利子なんてのは自然の摂理に反する。卑しいものになる。経済学の主流が彼らだったものから=反利子から、プロテスタントによる利子の肯定になるまでず~っとかわらなかったわけですね。

 アリストテレスの論証には根拠による類推と事実による類推がある。しかし事実による類推は弱かった。まだ天文学とか数学も発展してませんでしたから、論証に値する事実を積み上げるほどにはなってなかった。ベーコンは推論の重要性を解いても重要なものがあるレベルではない。貢献したのはパスカル

 p165、1620年代の商業危機。それまで英の輸出の70%は貨幣・貴金属。東インド会社悪玉論が上がる。経済史家JDギールドは原因をドイツやポーランドなどの貨幣改鋳による相対的貨幣価値上昇に求めている。より貨幣を切り下げて収支を均衡させようという主張に対し、マンは切り下げても輸出総額に反映されない。むしろ生産力をつけて、輸入・再加工・輸出により黒字を増やすべきだと。現代の貿易平衡論に近いそれを主張するわけです。

 p176、Jボーダン以来の知恵、国内に退蔵貨幣が増えれば増えるほど、国内物価は比例して上がっていくという知恵をスミスは理解していた。豊かだから国内に金・銀・貨幣が集まる=良い事だというわけではないというのは重要ですね。古代・中世史を見る上で。

 p180、大陸貿易について。貿易は有益・独占は有害。

 p182、オランダの強さは金利の低いことにある。それによって無理やり金利を低くすればいいという誤解があった。サーD・ノイスやロックが指摘するまでその誤解は続く。マンはあやふやな所が多い。推論がはっきりしてはじめて経済原論を書いたといえるのはロック。

 p184、重商主義を論破するために作られた重商主義者象。ケインズもこの重商主義であるといえる。ケインズ重商主義者か~。まあ何らかの規制・コントロールを欠けないと経済が有効に機能しえないというのでは確かに共通するのか。

 p188、スミスのキーワード「自然」。中世から近世初期の曖昧で多義的な使い方とは異なる。神学>自然法といったこれまでの位置づけがあった。その常識の逆転。自然法が神の法の上位に来る。

 p202、アリストテレスの質量と形相。質量は形相を果たし究極の形にたどり着く。なるほど、木が材木(質量と形相)、材木が家(今度は材木が質量で家が形相)、家が村(でくりかえし)、多分村が都市とかになって波及していくのだろう。最小モデルから最大モデルみたいな考え方ね。

『道徳情操論』とか人間に惻隠の情を認める。人間の存在はいいものだと肯定する、経済も法と安全と秩序を確立する手段としてある。そしてそれができるだろうと考えるスミスのそれは真に心地よいもの。初期・興隆期の経済学だなぁ~と思わせますね。