戸塚ヨットスクールの自殺騒動について 死者を出した機関に教育をする資格なし
戸塚ヨットスクールで自殺騒動があったらしいので若干コメントを。この学校はアノミーである少年・少女を矯正する、アノミー対策として小室博士が賞賛していた。親殺しという当時の状況・社会問題に対して、教育・親子関係とは畢竟殺し合い、親分と子分の関係である。だから徹底的に力で矯正せよというものでした。
己は小室博士に異論を唱えることは殆ど無いのですが、まあ全部賛同という意味じゃなくて、これはこの面では正しいが、このほうが正確だとか、この点は検証が必要だとか、今ではこう変わったから、若干異なるとか。まあ修正を加えたり、それは参考になる意見だが、己はこっちの意見を採るということになっていました。
しかし、この戸塚ヨットスクールについては全然賛同できませんでしたね。まあ、今と昔じゃ事情が異なりすぎるため、今ならどう分析するかわかりませんけども。
確か戸塚氏は精神医療のプロではない。だから精神異常者は治療できない。アノミーなら治療はできても、本当の病人は無理。だから本当の病人には効果がない。よって死んでしまうーとかなんとか言ってました。
いや、教育・子弟育成(治療)を目的とするなら、死んだらダメだろ。せめて死んだあとに、精神異常者かそうでないかを見分ける専門トレーニングを受けて以後おんなじ過ちを犯さない対策をしてからやるべきでしょ。教育を目的とする機関が死亡者を出したら、いかなる理由があってももうその時点でアウトでしょう。育てる所が殺してどうするんだバカ。もちろんいじめ自殺がはびこる現代教育機関は完全にアウトです。戸塚ヨットと現代義務教育の学校は基地外という点でおんなじですね。
死んでも構わないくらいの高い技能を身につける武道・宗教の修行ならともかく、ヨット技術だけで何考えてるんだ?死ぬ覚悟で修業をする、弟子を育てるのに心血を注ぐ様な武道家・宗教家・職人に対する侮辱ではないのか!?と肚立ってきますね。
70年代とかそこらは校内暴力とかそういう時代だったでしょう?そういう生徒を矯正させるという点では確かに意味があったのでしょう。そういえばろくでなしブルースとかで、不良が集団でバット持って学校に殴りこんで大暴れするってのがありましたが、小学生くらいの時、こんなの現実にあるわけ無いだろ?作者ヒドイわと思いましたが、校内暴力全盛時代に育った人ではああいうのはリアリティがある話、当たり前に起こりうる話と感じるんでしょうなぁ。
その問題の対策として意義があったのはせいぜい80年代後半くらいまででしょう?校内暴力時代がすぎて登校拒否時代に入り、ニート・ひきこもり時代にもう意味が無い、その役割を終えたものでしょう。現代教育は奴隷を作る。そういう教育を否定する子弟こそ希望がある!と本質を見抜いた博士が、戸塚はもう意味が無いと見抜けなかったのかなぁ?大体、学校という奴隷養成所を抜けだして、戸塚なんていうヨット奴隷を作るだけのところに入れても何もならないでしょうにねぇ…。
教育に必要なのは、というか人間に必要なのは友と師(先達)。青春期に信頼できる友と上の世代の人間と交わって存在感を作ること。大人になっても、自分にはそういう心のつながり・絆がある。帰る場所があるという経験を積むことです。
戸塚が成果を上げたのはある程度それに成功した。その空間で絆を作れたのでしょうけども、今の時代それが可能かというとかなり疑問に思いますね。結局学校は軍隊教育の発想の延長にあって、戸塚も上下絶対のそれでしょう?無理でしょ?今の人間に理由なく階級制の上下関係なんて受け入れられないですよ。
大体30という歳で戸塚入れるなんて遅すぎでしょ、親が馬鹿すぎるわ。そうなる前に、子供の時点でしっかり教育しておけよ。落合監督の選手のサインを見逃さない、立ち振る舞いを見ていればサイン・変化を見落とすことはないという言葉を思い出しますなぁ。教育とはまさに見守ることなんです。それを放棄している親が多すぎます。
あとついでに、入学金315万(!)とか、生活費11万とかいうのを見ましたけど、ボッタクリにも程があるだろ…。とドンビキしますね。
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