てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

宗教原論から―宦官が社会にもたらす機能についての社会学的分析

日本人のための宗教原論―あなたを宗教はどう助けてくれるのか/小室 直樹

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―の第6章 日本に遺された「儒教」の負の遺産から引用。結構適当に文章削ったりまとめたりしています。正確な引用でないことにご注意。

儒教のキーワード(p331)

 儒教理解のキーワードは、ズバリ「官僚制度」である。 原始儒教は極めて素朴な宗教であった。初期の儒学者は、社会的地位も低く、屋根の上に上ってほうほうと大きい声を出して魂を呼び出したり、儀式の進行役などをやっていた。大きく変わったのは孔子から。孔子は「述べて作らず」、すなわち昔の聖人がいったことを総合して述べているのみといって自身の作為を否定している。

 しかし、別な意味では孔子儒教を作ったといっても過言ではない。屋根の上に上ってほうほうなどといっている儀式屋のような、そんな原始宗教を受け継いで、体系的な宗教にしたのだから。

 では儒教の目的は何か。答えは単純明快で、高級官僚を作るための教養を与える宗教である。そんな宗教があるのか、魂の救済はいかに求めるというのか、そう問う人もあろうが、行動様式こそが宗教と考えれば、間違いなく宗教なのである。魂の救済が別に宗教の本義ではないが、それにだって儒教は大きく関わっている。

 中国人にいわせると、人の魂には魂と魄があり、人が死ぬと、魂は天に登り、魄は地に潜る。そして、子孫が祭祀を行えば天と地から戻ってきて復活すると伝えられている。その魂が無事に復活できるようにするため、一番大事なことは何かといえば、子孫を長く保つことである。それも、各々の家というレベルではなく、国民のどの子孫もうまく保てるようにするために、必然的によい政治を求めるのである。

 中国におけるよい政治には、その中間項として必ず官僚制が不可欠なのだ。これを理解するために最も有用なのが、時を同じくして発展した古代ギリシャとの比較である。 古代ギリシャには官僚間の概念がない。役人はいなければいないほうがいいと考えていた。職業役人は全くいらないが、それでは、統治に支障が出る。そこで、役人は抽選で選んで任期を短くした。選挙すら避けた。選挙などという選び方をした日には、手間はかかるし、当選者が長く居座ることになる。

 これほど、徹底的に悪徳視したのである。

 もっとも、最盛期のアテネ本国の市民は二万~三万人くらいにすぎず、そのため官僚制をそれほど必要としていなかったようだ。

 ところが巨大帝国は官僚制なしではすまされない。マックス・ヴェーバーは官僚制の代表的な例として、中国と古代エジプトを挙げている。

 殷の時代すでに官僚制があった。その官僚制が近代官僚制と同じような形を取ったのは紀元前四世紀あたりの戦国時代。近代列強と同じく、領域国家(領土の確定した国家)になっていた。そして、戦争専門の兵で組織する常備軍が完成されていく。

 王の権力も大きくなり、王の周りには封建的諸勢力に代わって体系的な官僚制が形作られてきた。日本でできた最初の常備軍は、一六世紀半ばの織田信長軍である。ヨーロッパの常備軍誕生は、近代もかなり進んでからのことである。しかも山賊海賊の類をかき集めて軍隊にしていたほど台所は苦しかった。

 当時の中国では、そのトップに立ついわば宰相(総理大臣)を奴隷から選んでいた。古代エジプトでも奴隷から選ばれた総理大臣がいることにウェーバーは注目した。絶対君主に従う人間が官僚として優秀だからこそ奴隷から選ばれた。

ヨーロッパに絶賛された科挙(p336)

 ペーパーテストで高級官僚を選ぶなどという制度はかなり異様なもので、フランスの啓蒙思想家を中心に、ヨーロッパ諸国では、これが理想的制度だともてはやされた。当時のヨーロッパでは、高級官僚は貴族に限られていた。普通の役人でも貴族か、せいぜい準貴族である。人口のわずかにしか門戸は開かれていなかった。

 革命前のフランスなどはとくに酷い。役人は原則として貴族、準貴族、もしくは金持ちに限られた。売官などは日常茶飯事だった。その結果、革命直前の課税状況は、ものすごく不公平で、高収入層はあまり払わないのに対して、最低所得層の農民がほとんどの税金を負担した。啓蒙思想家たちが、中国の科挙を理想的制度と称えたのも無理はない。

 ではこの科挙宗教的にいかなる意味を持っていたか。科挙の出題科目は、儒教の古典に限られていた。これが決定的に大事な点である。

 その間、則天武后の時代など道教が隆盛したが、ついに科挙の受験科目にはならなかった。儒教では、ヨーロッパ式の宗教弾圧ということを行っていないが、中国においては、科挙道教や仏教、イスラム教といった他宗教を入れなかったというのが、最大の宗教弾圧といえよう。

 科挙は、千数百年にわたり儒教一辺倒であったが、だんだん儒教のなかでも出題範囲が狭まってきて、明や清の時代になると、朱子学一辺倒となった。

科挙の転機(p337)

 さらに、一五世紀初頭に明第三代皇帝に即位した成祖永楽帝が驚くべきことを行った。朱子学に基づいた、科挙の国定教科書『四書大全』『五経大全』を作ってしまった。受験の主催者、最高権力者が受験の解説書を作る。更に八股文という答案の書き方まで指導する。つまりアンチョコを作る。これによって飛躍的に受験者層が広がった。権力・財産・名誉を一手に得られるのは官僚のみ。よって誰も彼も受験勉強ばかりになる。

腐敗する官僚制(p340)

 ヨーロッパ人もうらやむほど優れた制度であった科挙も、千年も続けば制度疲労を起こし、制度腐朽に至る。唯一の高級官僚登用試験に、皇帝が受験教科書や答案の書き方まで指導するようになっては、何をかいわんや(これには多くの人間を官僚になりやすくすることで社会階層の流動化を保つ、社会上の公平性を保ち不満を招かないようにするというメリット・狙いがあるのでこの批判は正確ではないですが、それは本論の趣旨とは関係無いので別に取り立てておかしいことではありません)。

 永楽帝がこの暴挙を行うまでは、儒教倫理に適うテキストがいろいろ使われていた。なかでも有名なのが謝紡得(一二二六~八九)の著した『文章軌範』。これは古今の名文を撰したもので、『三国志』に名高い諸葛孔明の『出師表』など、忠君愛国の意識を発憤興起せしめる文章が集められている。

 科挙に主席で合格したものを「状元」というが、宋代までの状元はまさに大国の総理大臣にふさわしい人材が多数輩出された。中でも一三世紀中頃、弱冠二〇歳で首席合格を果たした文天祥は名臣中の名臣と称えられているほどの人物であった。

 初めは本当に総理大臣にふさわしい人物が出ていたのが、だんだん堕落して、単にテキストどおりに解答の書ける人間のみが合格するようになっていった。

 さらに、そういう形で試験に合格した人間が試験官になり、自分と同じような者を官僚に登用する。ここにおいて、科挙は官僚の自己層増殖の過程となった。このことも急速に堕落した一つの大きな原因である。このことが儒教宗教的堕落といえる。カトリックの堕落とも、仏教の堕落とも、全く異なった堕落である。

 こうして論を進めていくと、中国のことではなく、現在の日本のことを言っているような気さえしてくるであろう。日本人には、儒教の影響を多大に受けているという自覚のある人も多かろうが、日本に最も大きな影響を与えた儒教教義は、生活・思想の面ではなく、弊害ともいえるまさにこの官僚制度、受験制度であるといえよう。

官僚制の害をどう抑えるか(p342)

 官僚制がまともに動くための条件の一つとして必要不可欠なものは、官僚制と競合するカウンターバランスシステムである。中国において、科挙のみに基づいた官僚制が千年近くも続いたのは、このカウンターバランスシステムがあったからで、それがなければ腐敗と消滅はもっと早い時代に訪れていたことだろう。 中国では宦官がそのカウンターバランスシステムとして作用していた。宦官は高級官僚ではないから、科挙は受けない。しかし、権力に繋がるヒエラルキーができ、その組織は官僚化する。すなわち、宦官制は科挙による官僚制とは全く違った組織なのだ。ここが大事な点で、中国には、科挙の官僚制と宦官の官僚制の二つが存在し、その二つが相互にチェツクス・アンド・バランシズchecks and balancesをしあっていた。これが、中国の官僚制が長く存続した大きな理由である。

 宦官が最も力を持ったのは明代で、それは科挙の堕落と無関係でない。科挙に合格するというのは想像を絶して大変なことである。何しろ、鯉が龍になるくらいの難関である。四書五経を暗記するのは当たり前というくらいなのだから、四〇歳で合格すればまだ早いほう、七〇過ぎて合格する人も珍しくない。だから、先に挙げた文天祥などは天才中の大天才なのである。

 これだけ大変な試験ともなれば、生まれたときから受験勉強しかやらない人間でないと合格は難しい。それでも制度の初期の頃はまだよかったけれど、永楽帝がテキストを変えてからは生まれてからそればっかり勉強するこどになる。忠臣意識や先人の気概を感じ取るような勉強の仕方より、受験テクニックに集中する。こんな人間、使いものになるとお思いか。大事件があっても、文章力や古典知識はあるが、決断力や政治力の蓄積のない科挙官僚は何もできない。宦官は四書五経も知らず、学もないが、体験と才覚だけでいままでやってきた蓄積がある。となれば、受験一辺倒の高官などより遥かに役に立つ。

 明代に、土木堡の変を解決した宦官また大航海を成し遂げた鄭和然り。ちなみに鄭和は本心ではイスラム教徒である。明代以後になるといざというときの頼りは宦官であった。

日本に遺された爪跡(p344)

 儒教が日本にもたらした官僚制だが、それを日本人は明治以降に受け入れてしまった。最大の欠陥は、カウンターバランスをとる組織を作らずに、官僚制を導入し、さらには、経済組織でも何でもその官僚制を手本にして作ってしまったことである。つまり、対処法なしに官僚組織的なものが自己増殖をしてしまった。

 カウンターバランス組織があれば、両方ともに腐敗してもそれぞれの仕方は、官僚の腐敗の仕方とは全く違ったものになり、ともかくそれぞれの機能は果たす。ところが日本では全部が同じような官僚組織だから、行政も、企業も、学校もみんな同じように腐朽して、どれもが機能しなくなった。

 日本では、儒教そのものはもう生きていないが、儒教による弊害はますます壮絶を極めている。そして、儒教自体はもはやエトスたりえていないが、官僚制度、受験制度という奇態な行動様式として残っている。

 古代ギリシャ人が官僚制を罪悪視したことはすでに指摘したが、近代国家は官僚制抜きには語りえない。そのため、欧米諸国では弊害を制御するためのさまざまな努力が常に続けられている。 アメリカではスポイリングシステムを採っている。これは、第七代ジャクソン大統領のときから始められた制度で、大統領、政権党が変わったときに、原則として高級官僚を全部入れ替える。

 もう一つは、ソ連スターリンシステムがある。これは、高級官僚を大量に粛正する。このどちらかが、一番手っ取り早いのだが、日本では両方ともやらない。

 この二つがダメとなるとあとは朱元璋システムである。朱元璋とは、佃戸(農奴小作人)の出身で、幼くして父母を失い出家した後、紅巾軍に参加し頭角を現し、ついには明を建国した大人物であり、役人に対する懲罰を非常に重くしたことでも有名である。

 悪事を働いた役人は容赦なく鞭打ちの刑。鞭といっても実は大きな棒で、三〇発も叩けばまず死んでしまうほど。昨日まで威張っていた役人が、ボロボロの身体になって人目にさらされ、抑止効果となった。それでも足りない悪徳役人は死刑に処しただけでなく、その皮を剥ぎ、役所に飾らせたのだ。科挙を受験する秀才だって、あそこにお祖父様がいらっしゃる、ここにお父様がいらっしゃるとなったら、悪いことはするものではない、と身にしみて思うであろう。

 日本でも、信賞必罰制度は必要であろう。もっとも、そうすると北から南まで日本の役所至るところは皮だらけになってしまうかもしれないが。厳罰制度と並んで中国が採っていた官僚腐敗の防止策に、官僚の行動を監視・調査・告発する監察制度がある。孫文も、立法・行政・司法に監察を加えて、四権分立を唱えていたほど、中国では重要視されていた。特徴的なことは、権力内に独立組織として持っていたことである。日本のそれは、権力の組織の内部に監察担当部署があるだけという点で、決定的に違う。これも、中国の官僚層があまりに強大で、あまりに特権的だったことに起因しよう。

 監察の責任者・御史大夫は官僚に対し、疑いだけで罰することができる。「疑わしきは罰せず」という罪刑法定主義の正反対で、疑われた官僚が助かるためには、自らの無実を完全立証しなければならない。できなければ有罪が確定する。

 この制度自体は古くから中国にあり、御史大夫が副総理的な地位を得たこともあるが、官僚統制という意味でいつも絶大な機能を発揮している。

イギリスの経済。社会学者パーキンソン(一九〇九~一九九三)は、その唱えたパーキンソンの法則で、役人は放っておくと自己繁殖してどんどん増えると看破した。そして、拡大は複雑を生み、複雑は腐敗を生むことも指摘した。

 もともとが、カウンターバランスをとる制度がなければ否応なしに腐敗する制度なのだ。儒教の求めた子孫の永続の思想が、官僚の自己増殖に繋がっているという意見にも一理はあるが、本来の科挙制度の狙いと実際のギャップが、官僚制の腐敗を促進したことも否めない。

 本来、貴族制度に対抗するところから始まった官僚制度は、そのゆえに世襲を許さない。そのため、門戸を完全に開こうとしたときにペーパーテスト、すなわち科挙という手段を採った。この公平さ、先進性に、貴族政治の弊害を見続けてきたヨーロッパの知識人は喝采を送ったわけである。

 しかし、高級官僚の特権が強化され、財力を持つにつれ、その色彩が少しずつ変容を遂げていく。

 親が高級官僚であると、子供が役人になるのに非常に有利になる。なにしろ、受験技術には秀でている。資産はある、科挙に合格する雰囲気はある、そして、いろいろな人脈を作りやすい。科挙に合格した後もこの恩恵に預かることができ、それがまた次の世代に、といった具合に、だんだんと世襲的色彩を帯びてくる。

 実質的世襲とまではいかない理由は、やはり試験が厳しいからである。また、環境が整っても、本人にその力がなければどうしようもない。

 現代の日本を見よ。まさに、受験地獄という儒教の弊害のみが跋扈(はびこる)するような世界と思いはしないか。

<引用おしまい>

 つまり、官僚制の弊害を是正するために宦官という制度、君主権の延長・君主の思惑を直接実行に移す人間・組織が必要不可欠というわけになります。だから己は常々、宦官を重用したというそれだけで霊帝は名君だったと主張しているわけです。

 ※もちろんここでは宦官制というものがカウンターバランスシステムとして重要だととプラス面しか書いてませんが、官僚と同じく負の面もあります。社会における機能性ということで一応ね。誤解する人はいないと思いますけど、ちゃんと役割があったということ、害だけではないということね。宦官の社会における機能性というのは。どんなシステムだって正常に働けば、社会に前になり利益をもたらしますが、逆に本来の意図と外れて動き出せばそうなりますからね。要は適切に運用されているかどうかであって初めからいいもの・悪いものなんてのはありはしないということですね。

 これをみれば、歴史の授業で思った宦官って悪いやつなんでしょう?じゃあ無くしちゃえばいいじゃない、なんでそんな失敗したものを清にわたってまで存続し続けたの?―と誰もが思う当たり前の疑問に答えを出せたと思います。

 ちなみに博士もその著作の初期では宦官制を悪いものだと考えていました。アレだけ各時代にわたって王朝にダメージを与えておきながらその制度を廃止出来なかったのは前近代国家に「作為の契機」がないからであると言ってました。この宗教原論か憲法原論が初出ですかね?田中角栄の遺言でもう出てたかな?上で上げたような宦官制の分析は。

 別に博士だけのオリジナルではなく、社会学ではアーネスト・ゲルナーなど宦官というのは独立した階層を形成する。よって地縁・血縁に縛られないために社会・組織上に重要な役割をはたすのである―としており、宦官が時に害悪をなし、時に善行をなす。良いこともすれば悪いこともするというのは結構メジャーな観念だと言えます。

 己が歴史学界にエッ!と思うのは、今まで大体100%宦官=害悪だった。これがその組織上、社会に有効的な役割をはたすという、全く180違う(半分だから90度か)、これはまでとは全く違う新しい視点が注がれた、問題提起がなされた。そうである以上、宦官学といってもいい、社会にどういう役割・機能を果たしていたのか、その利益・不利益を正確に見つめなおさないと歴史の正しい姿は見えてこなくなってしまうわけですよね。これまで宦官=悪という単純な図式が崩れるんですから、それに伴うあらゆる政治家の評価も肯定から否定へ、その逆へと評価が全く変わってくるわけですからね。

 まあ、明代なんか結構簡単に宦官が有効な役割を担っていたということはわかると思うんですよ。問題は漢と唐ですよね。それがいったいどうだったか?どのくらい宦官という制度が狙いどうりに有効に動いたか、そして逆に害をもたらしたか、その実情を詳しく分析しなくてはならない。特に初期の漢帝国において宦官がどれほど国家のために有効に機能したのかということは非常に重要なテーマのはずなんですがね。

 これだけ見ても、清流派VS濁流派なんていうのは後世の歴史に後付にされた誤った論理にすぎないのですからね。むしろ清流派なんていうのは濁流派とレッテルをつけて中央政治=皇帝の声を無視する強硬派・反政府派に近いですから。事実テロリストみたいなもんでしたからね。社会身分の構成上成り上がるとしたら商売か宦官か軍人になるくらいしかないのに、宦官になって成り上がったら、問答無用でテロ行為ですからね。もうムチャクチャですよ。

 宦官という悪いやつがいた。あるいはその当時の政治家がバカだった。悪いやつ&バカがいたから政治が悪くなった―なんていう歴史の分析は、分析としてはっきり言って最悪ですよ。国家・組織が衰退するには衰退する社会上の、時代上の、必然的要因があるに決まっているでしょう。

 張譲趙忠に代表される十常侍が善人なんて言いませんが、彼らは彼らのロジックで動いている。そこにはまあ宦官ならそういう政策を実行するよねという。極めて当然の行為なんですからね。なんでもかんでも宦官のせいにする史書の筆法は異常ですよ。まあこれは近代以前のイデオロギーという性質が働いているので当時としては常識なのですが。

 非常に重要な視点として宦官は歴史を書けない、書くのは士大夫だけということを見落としている気がしますねぇ。歴史に残されない声なき声、文なき文を考えない限り本当の姿には迫れないのは今や常識だと思うのですが。無論好き勝手にこっちが良いやつ、歴史に記されてる勝者・善者なんて汚いことしてきたインチキだ!なんての論外ですが。

 己から言わせると宦官の孫というハンデを抱えて皇帝になった曹操ではなくて、宦官の孫だからこそ乱世に勝ち残れたとしか思えませんけどね(もちろん帝位には就いてないですよ)。

 まあ、そういうことで以前から宦官については論じなきゃなと思ってたことを書いときました。そういうことを、社会学的見地もなく史書のロジックにとらわれず、当時の現実を見つめていた矢野先生はさすがだと思いますね。そういう人がいなかったら、なんだ歴史家なんかホイホイ書いてあることを盲目的に信じる過去の歴史家・史料の奴隷じゃないかと調子こいていたところです。学問(笑)とバカにしていたことでしょう。何時の時代もちゃんとした研究者はいるものですねぇ。

 同じく安田先生も史料のロジックに囚われないで、後宮や土木工事の意味を考えたりしていますね。現代のこの時代の優れた学者が安田門下によって輩出されているのはまあ当然ですね。

全然関係ありませんが、副島さんは最近の著作、たしか佐藤さんと共著のやつ

小沢革命政権で日本を救え/副島 隆彦

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これだったと思いますが、この著作の中で、今の官僚は国を害する、私物化する宦官だ!なんてことを書いてましたけど、カウンターバランスシステムであることを考えると到底そんなことを言えないと思うんですけどね。宮台さんにしろ本当にちゃんと小室博士の本をきちんと読んでいるんでしょうか…?