てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

ネット上で南京大虐殺を論ずる愚かさ

以前、河村市長の南京虐殺なかった発言は高度な政治戦略 で論じたように、南京大虐殺についてちらっと触れましたがそれについてちょっと書いておきたいことがあったので書きたいと思います。*1

 そうそう、この河村発言というのは中国との外交、新潟の領事館の土地売買の件と何か関わっているのでしょうか?名古屋はその売買について却下・便宜を図らなかった。対照的に新潟は図った。ここに何らかのつながりがあるのか?と思っているのですが、どうなんでしょうか?これをちょっと付け足したいから、書いたというのもあります。名古屋で減税の議員がなんか献金とかなんかで捕まったとかそういう話もありましたし、いろんな背景が有りそうと思っているんですけどね。

 さて、本題。別にあったか、なかったかそれを論じるのは個人の主義・信条・思想ですから、どう論じようが構いません。その論理性の高さ・透明性・学術性など色々な問題は付随しますが、今回それが問題ではないので脇に置きます。

 問題なのは肯定派・反対派、それぞれがまるで猿山のサルのように口汚く罵り合っていること。一体何をやっているのか?と口をあんぐりして呆れ返らざるを得ない状況にびっくりしました。また例えるなら小学生のバスの遠足で必ず後ろに座る男子が、後続の車両に中指を立てたり、挑発するそれと言えるでしょうか。一体何をしているんだお前ら…としか言いようがない、低能っぷり。そんな無駄なことをやって一体何になるというんだ?(´;ω;`)

 肯定派は歴史修正主義者!とレッテルを貼り、後者は自虐史観サヨク!とレッテルを貼って罵り合っているだけ。そんなことして一体何になるの?どこに生産性があるの?何の建設性があり、何を目指して論じ合っているのか?本当にバカバカしくて見ていられない。

 そもそもどこが論点になるのか?というところから始めなくちゃいけない。「南京」大虐殺を否定するのか?南京「大」虐殺を否定するのか?南京「大虐殺」か?「南京大虐殺」なのか?まあ、まさか「南京」大虐殺ということはないだろうが、そもそも南京事件存在そのものを否定している人間などほぼ僅かでいないと言っていいだろう。問題は日本軍の対応が国際法上不適当で、虐殺に値するかどうかが論点であって、そこを論じなくてはならないわけですよ。

 いえね。己が見たもの、ブログだったかな?なんか論争(?)(笑)をしているわけですよ。そこでそもそもそういった基本をすっ飛ばして、肯定派・反対派がアホみたいなことでアーダ、コーダやっているんですね。木を見て森を見ずというやつでしょうか。

 だいたい最初にあった!絶対あったに決まってる!とか、アホか!あるわけない!絶対ない!っていうのは議論のスタート地点として失格としか言いようがない。己は以前述べたように、一応「南京事件はあったが、虐殺はなかった派」です。しかし、新史料や不覚にも己が知らなかった信頼するにたるそれが示されるなら、「あった派」になるでしょう。

 大事なのはどこに根拠・論点を置いているかで、あなたがそれを示していただければ、自説は間違っていた、あなたが正しい。そういうものをそれぞれ示して初めて、議論というのは成立する。それをすっとばしてイキナリそれぞれが持論というか、そうあって欲しい願望・自己主張を展開している。なんかもうスポーツで相手に勝つことを目的としてやっている(笑)。そして自分たちの論理を何が何でも擁護をするという口喧嘩になっているんですよね。先に不変の結論を出してから認めない相手を攻撃している。それは一体何のスポーツ、闘争なのか…?

 ホント、もう呆れますよ…。学会レベルの学者の知識量を持つ人や専門家がやるならまだしも(まあ学者がそんな事じゃ困りますが…)、ネットでそんなこと馬鹿みたいにやっているわけですから。そんな事やっても相手はハナから聞く気がないのに、説得じゃなく会心・改宗させたる!っていう感じでやっている。布教活動ですよ、折伏です。

 何が何でも相手に勝つという弁論術なんてのがギリシャにありましたが、まあたいていは詭弁なんですけど。なんとな~くうまく相手をけむにまくのではなく、叩きのめしあうってのは何だろう?遅れてきた青春?もしくは十代しゃべり場

 まあネットで不毛なやり取り、喧嘩したりする人間の気持ちがよくわからないんでどうでもいいんですけどね。そんな事やってる暇があるなら本読んで研鑽を積め、修行しろとしか思えないんで不思議でしかたないですね。

 そういや学会では南京大虐殺は肯定されているから、否定派がそれをひっくり返す論理・新史料を提出しなければならないとかいう珍論、根本からわかっていないんだろうな~という人がいたなぁ。それも大学史学で修士を出たっていってたけど…。おいおいホンマかよと…。

 あと、全然関係ありませんが、不思議なキリスト教の書評(じゃないけど、若干コメント書いたやつ)に何件かアクセスがあって、短縮URLだから今頃自分が昔紹介したやつから来たのかな?って思ったら、なんか変な奴が勝手にリンクはって批判(であればまだしも、ほぼ攻撃)してましたね。

 まあ、アンチでも信者でも好きなように読んでいただいて結構ですけど、そんなこそこそしてないで論じたかったら正々堂々やればいいのに。まあ己なんて小物に噛み付いていないで、ご本人に堂々と論戦挑んだり、ブログなりツギャッターなり、なんなりまとめて挑めばいいのにね(笑)。

 なんだったかな?忘れたけど、本人の論を否定するのにその読者・ファンにまでこんな本を読んでる奴は所詮こういう奴なんだ!と朝日かなんかが汚い人格攻撃をして、一個人を吊るし上げるなんてことがかつてありましたね。

 あのふしぎなキリスト教で書いた駄文には学者の卵さんが来てくださって、色々語ったんですけど、やっぱりああいうアカデミズムの人じゃないとまともなやり取りはできないのでしょうかね?まともな知識・論理とか以前に、普段人と接するように会話すればいいだけなのに、自分と考え方が違うからって、アホとか何かと決めつけて語る(というか攻撃してくる)神経は理解できませんね。

 まあ炎上マーケティングとしましょう(笑)。中にはおや、貶してやろうと思ったらいいこと言ってるジャマイカ→ブラジル、となって拙読者になってくれる人がいるとポジティブに受け止めましょう。やれるやれる!絶対やれる、気持ちの問題だ、やれる、そこだ、諦めるな!ポジティブに、自分を信じて、北京だって頑張ってるんだから!それくらいポジティブになりましょう(^ ^;)。

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暴走するネット社会―ネットは人間に幸福をもたらしたか

*1:国際政治学と絡めて論じるわけではないのですが、いつまで経っても素人が学術性のかけらもなく喧嘩しているので、学術の徒としてこの現象を無視できない、なんとかしなければいけない&どう望むべきかという話をしておいたほうが良いかなと感じたので