てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

祭酒について

書評― 道教史の研究 大淵 忍爾から、祭酒についてまとめ。

 「治」―五斗での会堂。治頭・治頭祭酒などの官からわかるように、五斗は治というのが行政単位だったわけですね。んで、「厨」という用語がしばしば出てきて重要な観念であることがわかるのですが、事務所・集会所を厨といって、とりたて五斗米道が始めたオリジナルの制度ではなく、亭にあるものですね(五斗米道は既存の公式行事・制度の延長上にあります)。この亭は駅逓で、帝国のネットワークを支えるもので、割符を持った役人が馬を替えたり、食事をとって宿で寝たりします。またここで流れてきた流浪民対策でここで食事が支給されたり、宿を提供したりするわけですね。亭という制度をママ取り入れたのが、義舎という制度であるわけですね。

 で、この厨で一定の人々が食事を一緒にする宗教儀礼が存在します。春秋の会盟で会の初めと盟の終わりに「享」という共食儀礼が存在したように、重要な意味があることがわかります。あるいは現代でも外交で食事会が開かれて一緒に食べるそれと同じで、儀式の一環に食事が組み込まれていると見るのが自然なんでしょうね。共同体の基本は共食共同体でもありますし。

 祭酒という官名もそれ。先に神(あるいは社など土地神)を祀る長老の務めだったわけですね。酒を神に祭るということは重要な儀礼だったわけです。周礼に明神を祀って、盟約を破ったものに罰をなす―とあって、近代以前の契約というのは相互契約ではなく神との契約ですから、最低でも当事者二人と神が契約に関わってきます。んで、神と誓約する際に酒脯の共食が行われます。

 里や小さい単位の共同体での儀式などは別に契約ではないですが、神を祀る上で酒が重要だったことは間違いないでしょう。ここから祭酒という官名になったことがわかります。地方ほど顕著なようですね、祭酒という官=長老という意味合いが強いのは。あるいはその土地では治水なり何なり、宗教儀礼が重要であるから、長老ということよりも祭酒=宗教的能力が重要であるということなのかもしれません。まあ、そこらへんは巫とか色いろあるのでしょうが、詳しいことはわかりません(というか何か詳しいことがわかっているのか?(^ ^;)ほとんど個人的推測だしね。まあそんなにあさっての方向に行って誤っているとは思わないけども)

 公的にはともかく、後漢でも民間儀礼は斯様な土地契約に仲介・売買人の三者が酒で杯を交わす。契約に神が関わっていたことがわかります。まあ五斗米道・後の道教も突然変異で新しい概念を生み出したわけではなく、民間・既存信仰の延長にあるわけですね。厨・祭酒というところから考えるに、契約・取り決めなど行政を広範囲に司ったのではないでしょうか?年長者であることから、裁判長のような役割をして、その地での問題を解決する膨大な判例を持っていたかもしれませんね。

 もしくは一律長老が管理をするほど強大な権限を持っていたか?漢は、というかもうずっと前から郷里秩序というのがありまして、その中心がこの長老だったわけです。三老制度なんてのもありますしね。まあ殆ど部族長みたいなものと考えていいのではないでしょうか。そして祭酒というのがその下にあるナンバー2だったり、あるいは長老そのもので、強力な権力・役職だったんでしょうね。

 そういえば西嶋さんが、個別人身支配の概念で爵=酒を受ける杯だっていってましたしね。その爵の下には歯という身分がありますし、郷里において、年功序列の中で長老が権威・権力を持つこと、酒と長老が密接な関係を持つのは当たり前か。

 漢の祭酒はもと學官の名であって、秦に博士僕射といわれたものが、後漢に博士祭酒と称されたという(続漢書)。別に僕射でいいものを、わざわざ祭酒にしたところが儒教のそれを感じさせますね。郷里秩序を取り込む事が前提だったんでしょう。非主流的だった儒教が主流の学・国家理念になるのに、郷里秩序に食い込んでいった構造はもう言うまでもないですから。

【軍師祭酒について】

 軍師祭酒だったかな?まあそういう官があるんですけど、軍隊ほど機能共同体を形成する組織はありませんから、軍隊においても宗教的団結を行う儀式を取り仕切る立場だったんじゃないですかね?考えられることとして他には、治安維持とか内政部門・行軍の担当官。

 軍隊は別に戦争をするだけじゃなくて、戦場における機能は極僅かで、補給・行軍・治安維持などそちらのほうが軍隊にとってはメイン・はるかに役割が大きいといってもいいですから。おそらくは軍隊内における指揮権だけでなく、その上の行政・治安維持などのための司法や人事など広範に権限が授けられていた。または戦場におけるそれは軍師がおこなって、祭酒はそちら専用だったとか。

 まあ、軍師より上の権限を持ったそれか、それとも限られていた役職なのかってとこですかね?ポイントは。まあ実際就いた人を調べて何を担当していたとか、その後における出世とか比較してみれば、どちらか大体想像付きそうなものですけど、別にそんなに興味はないので、己はやりませんが。

 面白いとすれば、曹操軍の場合、流浪民を再吸収して新共同体に生まれ変わらせる装置として機能していましたから、そのためのいろんな集団を再結合させなくてはならなかったので、軍隊支配を通じて祭酒が新共同体を形成する役割を専門に担っていたか?ということでしょうかね?もしそうだったら、やはり曹操軍が軍隊→治安・民政の確保ということで、屯田制などと並んで、その支配力の説明を裏付けられるんじゃないか?なんて思いますし、そんな性格があれば面白いと思いますね。

 祭酒が初期にのみ頻発して、後期には姿を見せなくなるのだとしたら、それを裏付けられるんじゃないですかね?ここまでいうなら調べろよって?いやあ、めんどくさいですし(笑)。増淵さんの本と福井さんの本まだタイプしていないんでヤル気が起こりません。あと、渡辺先生の続漢書の志を借りてきて、全然読んでないんで、優先順位がはるかに低いです。誰かやってください(^ ^;)。祭酒を前後漢書とかで検索して、やったら出来ますから。

 あ、今思いついた(笑)。普通軍隊の長は民政とか色々広範な権限を兼ねているものですけど、曹操がそのトップであり、部下にまで、全面的な裁量権を付与したとは考えにくい。よってよっぽど信頼出来る部下だったり、劇じゃないですけど、短期間に限って全面的な権限を与えなくてはならない混乱している地域、あるいは強敵と直面している最前線のために設けられた官職だったりして!?

 だとすると都督制の前身ということになりますから、研究する意味合いはありますね。実は祭酒制という選択もあった!だとすると結構面白いかもしれません。しかし軍隊機構を重視したゆえに都督(>民政的意味合いが強い祭酒)を曹操は選択し、後世のスタンダードになっていった~。ってな結論だったら。

 ただ個人的にあんまりそこまで重要な感じがしないんですよね。祭酒というものについては。絶対そうだ!っていう直感が働いたら調べて裏取りますけど、やっぱりそんなことはなかったぜ!で終わりそうですから。

【酒と契約―禁酒令】

 個人的に祭酒で面白いなと思うのは、酒の重要性ですよね。儀式だけでなく、契約でも酒が重要だということは、禁酒令においては民間契約がストップするということ。てっきり食糧管理・飢饉対策でしかない、禁酒令が経済的政策としてまた違う一面を持っているわけですからね(まあ年号みたいに、禁酒令を出すことによって権力者の存在をアピールする権威という性質もありますけどね、食糧対策だけじゃなく)。

 酒を禁止することで、その間市場の契約を要する取引はストップしますから、それによって商人など、市場における経済をチェックする。脱税とか物品の流れを正確に把握して、抑えるのには非常に重要な施策だったはずです。曹操劉備が結構な頻度で出していたのもそのためなんでしょうね。

 後、最も重要なのは土地契約。戸籍管理・人=土地=税ですから、そういったものを為政者である以上絶対抑えなくてはならなかったでしょう。特に不作のときは、貧農が土地を手放して、大土地所有がますます進むのが予想されますから、まっさきに取引を禁止して、救えるものは救わないと行けないですからね。貧民にとってはある種の失業給付策・逆徳政令みたいなものなんでしょうね。これがわかっただけでもかなりの収穫でしたね。個人的には。

 曹操がそういえば酒作ってましたね。単に道楽・海原雄山的に酒を作ったのではなく、こういった意味合いがあったと思いますよ。九醞酒法でしたっけ?んで、さらに詩における曹操の酒観念をからめると、酒を使って曹操が何かしたかったんじゃないかな?宗教的・社会的スタンダードを作ろうとしたと考えるのが自然でしょうね。

 曹操と酒なんていうテーマで論文の一本も書けそうなもんですけどね。誰も欠いてないんですかね?結構面白いと思いますが。

 まあ、当然個人的な推測なので、自信なんかないですし、これで祭酒関係を説明できたなんて思っていません。あくまで一面的な説明ですね。論文書いている人いないんですかね?いそうなもんですけどね。