てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

書評― 魂のありか―中国古代の霊魂観/大形 徹

魂のありか―中国古代の霊魂観 (角川選書)/大形 徹

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 中国古代人の死生観・魂や霊についての解説。これはいい本。なるほどな~そういう考え・常識を持っていたかということがわかる本ですね。

 一章霊魂観について

p14、魂はくもを表す云と、鬼から出来ている。鬼は子孫が祖先の骸骨をかぶっている様。そうすることで、祖先神が降りてくる。神像や仏像もそこに聖なるものが宿るから意味がある(まあ、もちろん仏教だと仏像なんかただの木に過ぎないのだけれども)。そしてその頭蓋骨がやがて仮面になる。神をかたどった仮面に神が降りてくるから。

 魂という観念が成立するまでは首がその機能を持っていた。首の霊力によって道の邪霊を払ったり、県が首を逆さまに吊るした象形なのはよく知られているように、肉体と霊魂の観念が一体化している時代故の観念なのだろう。体格や長命と言った点で常人とは異なる異人の首を城門に埋めて魔除けにするのは春秋時代まで見られる。

 古代の人はやたら首を斬った。霊力の中心の首をぶら下げることで、霊力を自由に駆使できるという考え。「頭足、処を異にする」などという表現がよくでてくるのは頭と足を切り離すことで悪霊と化して自由に行動されないため。征伐の伐は人が首を切るさまを表す。斧鉞・節鉞はその権限を付与すること。王権の象徴が斧や鉞であるのは首切りから来る。

 頭に神が宿る。日本人の魂感と違って、夢で抜け出す際にも人を形どっている(日本の場合の霊かな?霊と魂の文化的違いがあるのかな)。

 赤ん坊の指の握り方、握固=親指を握る握り方が道教にある。霊柩車で親指を隠すのは親指つながりではなく、この握固ではないか?

 脳に魂がある。未開人に脳を数週間があるように、北京原人にもその頭蓋骨のあとがあった。脳をすすってやろうか!という罵り言葉があるように、晋公の夢に脳をすすられたという話が出てくるのはそういう事例があったのだろう。肉体を食らうことで相手の霊の行動を妨げる。霊の消滅を避けるために死者の遺体を守らなくてはならない。

 p28、生まれたばかりの赤ん坊は頭が柔らかく、成長して完全に骨になる。菱形に開いていている、泉門というところがある。そこから魂が行き来すると考えられた。孔子は生まれつきそこが凹んでいたために、丘という名がついた。異常な骨相は優れた人者の証とされる。

 p32、班固の『白虎通義』聖人篇は、「聖人」が身体的にも常人と異なる事を伝える。堯の眉は八彩、舜の目は重瞳、禹の耳は三漏、皐陶は鳥喙、湯のは三肘、文王は四乳、武王は望羊(ぼーっとしていることらしい)、周公は背僂。そして孔子は反宇。聖人だけが異様な特徴を持ち、天と交信できるとされる。古代では身体に顕著な特徴をもつ人は、むしろ神に近い人とされた(三漏、三肘ってなんだろ?耳たぶに、どっちかの肘が2つあったのかな?)。

 貝塚茂樹は、身体を毀傷して、みずから常人と区別し、王宮つまりは神に奉仕する聖職につく習慣が中国古代に行われたと推測している。『荀子』の非相篇でも、人は人相できまるものに非ずとしながら、異相について言及する。そこでは孔子の顔も「蒙供(儺で悪霊をおどしつける恐ろしい顔の仮面)』のようだとされる。『論衡』骨相篇にも『白虎通義』とほぼ同内容が記されている。聖人が常人と異なることは世俗ではごく当然のこととして信じられていた。

 白川静は、孔子の母は巫女であったとする。巫祝王とされる殷の湯王には雨ごいのために髪を切ったという話がある。巫祝は冠を結ばず、髪も結ばず。また儒は人がは雨ごいをするさまから。

 p36、また後頭部にも骨が塞がっていないそれがあって、幼児は6~7歳くらいまで盆の窪の当りの毛を残しておく。悪霊に魂を持って行かれないため。

 p40、僊人の右側は魂の入った頭部の移動、すなわち魂が天に行くことを意味する。

 p45、清談で鬼がいないと否定される話があり、捜神記ではその鬼がいないという論者に鬼がやってくる話がある(鬼がいないという論をひっくり返したい当時の社会状況が伺える)

 p47、壁は天を祀り、琮は地を祀る。琮などの腕輪、装飾品を異常につけるのは、関節などの継ぎ目に悪霊が入るからそれの破邪。

 p56、遺体の穴を全て塞ぐ。天界に行っている間に邪が入り込まないため。頭を守る秘器があって、四角い穴があり、鏡が入っている。偽物が化けて入ろうとしても鏡の力で人型にごまかした化生を見ぬく。反転する鏡の世界は、本当の姿、霊の世界、あの世の世界が写っていると考える。

 p63、魂は自由に動いてまた返ってくるから、墓に大きな部屋が作られるようになった。普段は地中にあって合葬以外掘り返されることがない墓なのに、天界に行ったり、戻ったりする。その矛盾を解決するのが壁。頭部に嵌めこまれている壁を通じてワープすると考えられた。

 p64、屍を納める際の玉器「璋」(劉琮といい、劉璋といい、なにか関係があるのか?公孫珪のように、玉・貴金属を意味する名前をつけることはポピュラーだったのかな?)。

 p73、龍・鳳天界を繋ぐ動物(祖先・王や皇帝を墓に祀るのは彼らが天界にとりなしをしてくれるからか?そういえば董卓の墓荒らしは貴金属を奪うというだけではなく、こうすることによって漢朝に止めをさそうとする意味があるとも受け取れるな。)。

 二章肉体から霊が出ていってしまう話

 p87、髷をゆったり、冠・布で頭を覆うのは頭から魂が抜ける・侵入されるのを防ぐため。ザンバラ髪が巫・道術者・仙人の特徴であるのはこの裏返し。孔子も被髪の人物を鬼だと思ったという話がある。軍人が怒髪天、髪が逆立つと表現されるのは、霊力がみなぎっているそれを意味する。

 p89、「剛卯」というのは辟邪のためのお守り。長さは三寸(六・七五センチメートル)、幅は一寸(二・二五センチメートと30

、直方体で四面に文字が刻まれている。その内容は、次の

ようである。

正月、剛卯がすでに中央に位置し、霊なる受を四方にめぐらす。赤。青。自o黄の四色(の

神)がこの任に当たる。天帝は祝融(火をつかさどる南方の神)に命じて、愛や龍やもろもろ

の疫鬼や庫を引きおこす剛強な鬼が、あえて我に歯向かわないようにさせる。

「剛卵」の「卯」は漢の天子の姓である「劉」と関連するだろう。「劉」は卯。金・刀(1)

のあわさったもので、「卯」だけで「劉」を示す。明の陶宗儀は「卯は劉である。正月にこれ

を帯びるのは国姓を尊ぶからである♂ という。白川静によれば、卯は犠牲を卯す意味32であ 

 p92、後漢書『王覇伝』で軍士に数十人断髪させている。髻を切って、そこから霊力を得る(日常と非日常の形態の違いが髪に現れるということか。戦闘モードのために断髪をするというのが常識だったんだなぁ)。髦頭、羽林など先駆けは被髪して先陣を斬った、これも霊力ゆえ。旄牛・羽毛などの房は毛をイメージされることがある=被髪のそれを形どる、被髪のマジックパワーの延長というわけだ。

 p95、鬼にあったら被髪して振り乱して、鬼を払う。また動物の尿等汚物を身に付けることで鬼が嫌がるものをまとって鬼を追い払うことがあった。普通は目に見えず、見えるときは病気などが近づいていると捉えた。被髪=狂人という観念。

 p99、殷の湯王は旱の雨乞いで髻を切って雨乞いをした。晋書郭璞伝で神を祀るのに、被髪・裸身で行ったとある。孟子では肌脱ぎ・裸は無礼な行為とあり、宋史では肌脱ぎ・裸は人類と言えないとある。葬祭儀礼では本来裸だったのではなかろうか?袒して、髪を覆うのも最小限にする事が多い=祖先霊と交わるため。刑罰を受けるときも袒。放伐の放は、磔にムチを打つことを意味する。激しいの右側(さんずいなくした形ね)をキョウと読む。意味は白骨死体を意味する白が加わって、死体を鞭打って霊魂を追い払うこと。伍子胥が行ったのもそのためだろう。幽霊妖怪も被髪だし、髪を失って力を失うという話もよくある(伍子胥時代にはそういった呪術的なことをもはややらないのが当たり前になっていた。しかし南の風土を反映してそういうことを行ったことに対する非難の意味があるのかな?)。

 p106、人の成長が止まったあとも髪は伸び続けるということからも、特殊な力を持つと考えられたのだろう。インドのシク教徒・アメリカのインディアンの酋長で一生髪を切らないのもそう。成婚の際に男女が枕を共にする=髻を左右あわせて一緒にする。風俗通に髷を切って盗んでいく老狸の話がある。髷で人をどうにか出来るという観念の裏返し。曹操の軍令違反を髪で償った話し。周魴の髪を切って信を示したのは演義か。この時代の人って髪はどうしてたんだろうな?一生に一回も切らないというわけではあるまいし。一年に一回くらい切っていた気はするんだけど…。

 p109、夢は魂の一時的な離脱。夢となって蝶になる。また元に戻る。循環の繰り返し。蛹から一瞬にして蝶にへんげするその姿が魂の離脱とシンクロしたのだろう。

 p121、タイラーの原始文化では夢は死者と交流する時間。夢に周公を見ず―はこの観念から来る。夢や幻覚で神霊のお告げはふつうのコト(寝ている間に魂がどこか別の世界に言って、あの世などと交わるという観念が読み取れる)。

 p128、孔子顔回が超えたエピソード坐忘、座っていて自分の存在を忘れる話(儒教においても神秘主義的なそれ、悟りに対する重要性の認識はやはりあったというわけだ)。

 p166、龍が本来実在の動物であれば、それはワニ。これは己も同感、そこから派生したと思う。船棺葬・水葬などは、水・海があの世につながっているというモノ。

 三章侵入する悪霊

 p182、疾病に矢の字が入っているのは呪術の影響。藁や葛で弓矢を作って射ることで病を払う。破魔矢もその観念から。醫の左は、はこに入った矢、そして右側はほこ。又は右手で、几は武器、兵車の上から敵を突き放す、白川説では殺す。呪術的な観念が色濃く出ている(病気邪的な霊を、儀式・武器で殺す=祓うことが出来るという観念でしょうね)。

 弓で魔を祓うことができるというのから、弦楽器が生まれたかもしれない。儺(おにやらい)で太鼓で邪を祓うのは、太鼓の音=雷で、神のちからを太鼓で再現してる。古代の病は体内に入り込む悪鬼を祓う。

 p186、蛇の形を取る悪霊。説文解字には、叢に住んでいた頃、它(へび)の害が多かったので、它無きやと挨拶していた。恙無きやはこれが元だろう(ツツガムシ=病原虫などそちらが重視されるようになっていったってことかな?)。虫も它もヘビを意味する(おそらく、虫やヘビに違いを考えておらず、邪的なものの形どったものが、虫や爬虫類的なものだと受け取っていたのではないか?)。改も施の字もヘビを叩いて祓っている形からできたもの。

 p189、剛卯―辟邪のためのお守り。長さは三寸(六・七五センチメートル)、幅は一寸(二・二五センチメートと、直方体で四面に文字が刻まれている。

 正月、剛卯がすでに中央に位置し、霊なるツカボコ(役の右側ね)を四方にめぐらす。赤・青・白・黄の四色(の神)がこの任に当たる。天帝は祝融(火をつかさどる南方の神)に命じて、キや龍やもろもろの疫鬼やオコリを引きおこす剛強な鬼が、あえて我に歯向かわないようにさせる。

 「剛卯」の「卯」は漢の天子の姓である「劉」と関連する。「劉」は卯・金・刀。「卯」だけで「劉」を示す。白川静によれば、卯は犠牲を卯す(ころす)意味。 

 p194、蠱、ファングー(放蟲)のやつか。漢代初期の医療書『五十二病方』では蠱にあたったものはコウモリを荊の薪で焼き、食べさせるという。荊は刑を意味する、刑杖につうじるもの。

 p195、月経は不浄物、その女性には近づかない。童女のそれは神聖なものとして使われる。

 p199、人を殺そうとして蠱を放った者が、逆にその蟲を殺されると死ぬ。煙をいぶす悪霊祓い。蛇を使役して財を蓄える話(ヘビ=悪魔と考えて、悪魔信仰と捉えると面白いかもしれない)。巫師や治蠱の老女が小麦粉の団子や鶏卵を使う。ヘビ=悪霊と考えれば好物を使って操るのは当然か。

 p204、操蛇神、ヘビを持っている神の存在もこの考え。中国だけでなく世界的なものだろう。ヘビを使役する神というのは。華佗の治療に近代的なそれ以外に、呪術的なヘビのエピソードが多い。

 p218、南方熊楠もいうように、亀でヘビを食らうものがいる。そこから玄武=神亀が生まれた。

 p225、屏風、扇は風邪を防ぐもの。邪は直進だけで、曲がってこれないという観念があるから。

 p230、鴆毒、蛇を食べる鳥から、逆に毒を祓うという観念もあった。山崎幹夫鴆毒をヒソ化合物と見る。それに鶏の羽を用いた。またニューギニア・ピトフーイという鳥の羽に毒性があり、そのような鳥が昔いたのかもしれない。

 古代は死体にヘビ・悪霊が侵入するのを恐れたから、墓室にヘビを踏みつける神の図象が描かれた。

 四章鬼を払う話

 p249、儺―難という漢字は火矢と鳥の合成。鳥の形をした邪を祓うのか?実際鳥の悪霊のような話はあまりない。疫鬼を炬火で脅して、洛水に沈める。十二神がなぜか日本では鬼として受け取られている。強力な鬼を使役する方が理にかなっている(中国の善神だからこそ、日本にとっては日本の神霊を滅ぼしてしまう悪と受け取られたのだろうか?)。

 p252、あっかんべー、眦を開く悪霊。

 p262、くしゃみで魂が抜けるという観念。くさめという呪文を唱えなくてはならない。唾や洟で呪いをかけられるおそれがあるから、高貴な人間のそれは人目に触れさせない。だから痰壺専用使用人というものがいる。呪いを避けるために豪華・贅沢な金属を使った痰壺になる。金枝篇にもそういう話がある。

ちょっと抜けがありますけど、まあ後で補うかも?当時の常識を知る上で中々面白い本でした。