てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

「軍事国家」から「宗教国家」への転換という歴史の流れと、登場即世界を支配し世界を作り変えたイスラム

 ※6年前に書いたものを読み直して、面白いなと思い大幅に加筆修正しました。誰かこの話共感してくれる人いるかしら?


■「軍事国家」から「宗教国家」 そして遊牧国家の登場    
 歴史の転換点として、東西でローマ帝国の崩壊・中国の晋(西晋)の崩壊=定住文明・定住王朝が崩壊し、遊牧系がそこに流れ込んできて新国家を打ち立てるという流れがあった。この時点では後の征服王朝やモンゴル系、モンゴル帝国のウルスとは違って遊牧を基本原理とする遊牧王朝ではないのだけども、遊牧国家の誕生・登場とでも言う世界的ムーブメントがあった。*1*2

 東西で遊牧国家が登場するひとつ・ふたつ前の事象として、「宗教国家」*3という現象がある。ローマにしろ、中国にしろ「帝国」・単純な軍事開発型モデル・領土拡大モデルが成立しなくなって、国家モデル*4を根本的に転換しなくてはならなくなる。定住王朝・文明が軍事的発達を遂げて、諸都市国家を統合し「帝国」を作る。そして開発&支配可能な領域まで外征・領土を広げきる。征服可能な都市がなくなるまで拡大しきると、従来の国家モデルの解体と再編・モデルチェンジが必要となる。拡大から帝国の維持という時代に変わる。拡大よりも帝国内の安定化が目的になる。

 それが「宗教国家」というモデルチェンジであり、それぞれキリスト教化・儒教化という道を辿ったわけだ*5。国家の不安定要因となる、社会的弱者の救済。その社会福祉を効率的に実行するために宗教の教理を取り入れる。キリスト教儒教も最終的に国教の地位を獲得できたのはその要素があったから。外の拡大よりも内の安定に目を向けた時、


■「宗教国家」は「軍事国家」が築いた帝国を補強する    
 「宗教国家」というのは制限された国家内・領土内を管理・制御するためにあるわけだ。例えば、今の日本のように成長が望めない縮小する社会。限られた経済のパイを上手く配分して、成長よりも維持することを目的とした国家モデル・社会といおうか。拡大期・興国期が終わって、停滞・縮小する社会では、豊かな地域が貧しい地域を切り捨てたくなる。不採算部門を切り捨てようという欲求・衝動が起こる。また内部の格差の拡大による社会不安の増大という現象も発生する。そのような国家分裂や社会不安を抑えるために、宗教の力を使う。社会の安定性を保つ国家理念として、社会を維持するために宗教の力を支柱とするモデルに転換するという流れがある。
 前近代社会では「合理的」な宗教の力に頼るのは、ごく自然なこと。広大な帝国を力で維持しきれなくなると、国力が帝国の問題に追いつかなくなると、つまり「軍事国家」としての限界が来てしまうと、その足りない国力を宗教の力で補うようになる。「宗教国家」へと転換するようになる。軍事力(実力)ではない、支配の正当性、国家の正当性、今の秩序が正しいものだという裏付け・理論が必要になる。今ある社会秩序が正しいものだという理念・イデオロギーが必要とされる。


ローマ帝国後漢・魏、そしてマウリヤ朝の「宗教国家」化  
 そういう「宗教国家」というモデルチェンジは、世界中でいくつも見出すことが可能であるように思える。インドでもアショーカの仏教政策など間違いなくそういう性質・要素が含まれたものであっただろう。そもそもインドの統治階級が聖職者・バラモンであるというのは、宗教的な要素が社会を安定させる。維持する上で非常に役立つというところから生まれ伝統となったように思えるし。
 アショーカ王が仏教に帰依して、仏教的な統治を行ったと言われるが、仏教徒・仏教サイドのPRという要素が強いようだ。その他のインド諸宗教も同様に取り扱ったと考えるべきであろう。法・ダルマも仏教のそれと言うより、統治のための「法・ダルマ」を作るためのベースとして選んだと言ったところだろう。南アジア、西アジア方面への仏教伝播に加え、ヘレニズム諸国や東南アジア、中央アジアに伝道師を派遣したのも仏教の優秀性というよりも、インド文化・文明の優位性の主張なのかもしれない。文・知識での優位性に注目したゆえのインド(北インド)>その他という図式を成立させたかったということかもしれない。
 ただ、インド文化・文明の一つとは言っても、仏教は従来の伝統宗教から都市国家の問題を受けてその解決をテーマにして生まれたところがあるので、同じような都市国家には非常にウケた・ニーズがあったはず。そういう点で諸国家・文明圏にインドの優位性を示す上で重要な宗教とみなされていた可能性は十分にある。
 ※インドの歴史を見るに、主体性というものが非常に薄いことがわかる。受け身で、中央アジア遊牧民や、ペルシアやアレキサンドロスのギリシャ系やイスラム勢力や、ことごとく余所者の支配・侵略を受けているのに、祖国復興運動のようなものがない。無論、いくつかはあるのだろうけど、中国の華夷秩序のような反応を起こすのが当然。普通の反応だと我々は感じるもの。遊牧勢力・イスラム勢力という二大潮流、軍事的支配にあっても何も感じない&動じないというのがインド史を解する上でのポイントのひとつなのだろう(そしてイギリス支配において初めて「インド」というWe feelingを覚えたことも)。


■日本に「宗教国家」の段階はあったのか?      
 となると、では日本ではどうだったのか?という話になってくる。日本の仏教化は「宗教国家」だったのか?仏教導入で日本は「軍事国家」から「宗教国家」に転換したと言えようか?個人的に当時の日本だと征服可能な所がなくなったという背景・要素はあまりないように思える。そういう要素よりも仏教導入による諸氏族の統合。民族統合のための新ロジックという感じに映る。
 考えられるとするのならば、鎌倉幕府室町幕府にそのような要素があるかもしれないというところか。延々と武士が軍事力を主体に戦っているので、考えにくいのだが。上層の支配者・統治者は、その原理・ロジックを導入したがっていたという可能性は十分にある。そしてその取り組み・先行研究を徳川家・家康らが参考にして、徳川幕府を完成させた。その思想をうまく現実化させたということなども考えられそうではある。


徳川幕府は「宗教国家」か?         
 徳川幕府という「軍事国家」の登場と完成を見るに、「宗教国家」への転換を図る必要性があったのは論をまたないわけだ。その「宗教」として尊王思想・儒教朱子学などがあったと見做すことが出来る。しかし、江戸時代の面白いところは、「宗教国家」と転換していくはずなのに、明確な中心宗教・その国家における中心となる宗教がなかったこと。むしろ仏教などの宗教勢力排除という目的があって、思想的統一性はなかったこと。武士道や国学という価値観を持つ士と、人生を楽しむこと・文化に目を向ける庶民というように、国家における特定の宗教的統一性よりも、役割・役分の全うが重視されるという方向性だった*6。この辺りが古代・中世の事情・背景と近世・近代のそれの違いによるものだろう。それとも日本という国家における特異性と言えるところがあるのか、色々面白そうなところではある。
 ※おそらく、日本の場合は、海で囲まれた海洋国家・島嶼国家・島国であるので、大陸にありがちな遊牧の驚異という課題がなかった。安保上の問題がない故にこういう徳川幕府体制=非「宗教国家」ということになったのだと思える。次に社会の安定のため、平和のためという要因。社会が安定するには権威・権力など階層が多種多様に分裂している方が良い。こういう環境であれば「宗教国家」として宗教的な一体性を以って国内を統制しようとするよりも、むしろバラバラのママにしておいたほうが良い。外敵のために「日本」という強固な一体性を保つ必要がないのだから、下手に統合して「日本」にとって良いこと、ベストな選択とは!―のような思想性を生まないほうが社会は安定する。不安定要因・要素とはなっても安定要素になりえないのは間違いない。であるならば、インドのカースト社会のように、それぞれが勝手な理屈で役割を全うしていてくれればそれで良い(差別や敵対感情による階級・階層・民族対立のようなものがあっては問題だろうが)。


■「宗教国家」を経験しなかったアラブ・西アジア
 では、中東・オリエントにおいてはどうなのか?広大な西アジアを宗教的統一性で一つにまとめると言ったら、万人がイスラムを想像する。ではイスラムは「宗教国家」と言えるのか?軍事的な限界が来て、宗教の力に頼ることで国家内における一体性を保つ、社会を維持しようとするという定義から検討すると、オリエントで観察されうるのはのは、まずエジプト。ではシリアは?メソポタミアは?ペルシアのアケメネス朝・ハーカマニシュはそういう要素があったと言うことが可能なのか?なんとも言えない。イスラムの前例にそれが存在していたのか、エジプト以外には知識が浅くてなんとも言いようがない。これも要検証。


■実は「宗教国家」ではないイスラム        
 国家・社会全体の下り坂に、「軍事国家」である帝国から危機に対処するために「宗教国家」という転換が起こるという話をしてきたが、イスラムにおいてはそういう現象が観察されない。「宗教国家」の宗教として、キリスト教儒教と真逆と言ってもいいほどの様相を示している。
 イスラムというのは歴史的にも非常に珍しい登場即世界的成功を収めたという宗教だったこと。この事実に注目しすぎてもしすぎることはないと言えよう。*7


■「宗教軍事国家」サーサーン朝        
 イスラムの前に存在していた帝国・前身はサーサーン朝=ゾロアスター(マズダ教)。実はこれも宗教と深く結びついた国家・王朝でありながら、「宗教国家」ではない。なぜかと言えば帝国の一体性・安定を望んだという性質・背景がありながらも、帝国内の貧民救済のニーズを満たそうとするロジックが弱いから*8。名付ける必要があるかどうかわからないが、名付けるならば「宗教軍事国家」とでも言おうか*9。軍事的台頭と宗教的台頭・布教が一体化している。帝国内の安定のため、貧民救済のための宗教というよりも、「軍事国家」のロジックを後押しするための宗教で、依然変わらず「軍事国家」が主眼であったと思えるから。このように名付けた。*10
 無論、言うまでもなくサーサーン朝初期においては宗教的自由性があって、「宗教軍事国家」となるのはしばらくあとになるのだが。「軍事国家」としての隆盛と宗教的布教が結びついていく。この現象はイスラムのそれと同じ。サーサーン朝&ゾロアスター教イスラムが初発から宗教的成功を収めた国家・宗教という性質を考える上で非常に参考になるモデルケースと言えよう。
 この「宗教軍事国家」とも言うべき、サーサーン朝はローマ登場以後、世界が西と東に二分された状況で、オリエント世界の防波堤のような存在・対抗馬とも言うべき存在として成立したと考えられる。世界が二大文明圏に分割され、シリア・エジプトという伝統的に東・オリエントに属してきた要衝が西に組み込まれてしまったのだから、その奪還を悲願として登場したものだと考えられる。しかし、イスラム登場までその悲願を達成することは出来なかった。「軍事国家」としても、その後「宗教軍事国家」となっても、その悲願が叶うことはなかった。

■「宗教軍事国家」としても「宗教国家」としてもニーズを満たせなかったサーサーン朝・ゾロアスター教
 「軍事国家」として拡大可能な豊かな地を対抗文化・文明圏に「奪われ続けた」まま。失地奪還という帝国の使命を達成できないというところから、正当性に迫られて「宗教国家」の必要性が生まれ、取り入れざるを得なかったということも考えられそうではある。そしてローマ帝国東ローマ帝国と戦う上で、都市文明圏同士の衝突がキリスト教VSゾロアスター教(マズダ教)になるという図式が成立した。異教・異教徒排除という宗教戦争の要素が出て来た*11。これはキリスト教化したローマの対抗上、カウンターパートとしてゾロアスター教が必要とされたのだろう。信者・信徒の後押しがあるのとないのとでは、戦争と統治効率がまるで異なってくるがゆえに、宗教を取り入れざるを得なくなったと考えられる。
 そういう必要に迫られたという意味で、ある程度は「宗教国家」の意味合いがあった。初期においてはアケメネス朝・ハーカマニシュの再興という意味合いがあって、パルティアを解体・吸収。ペルシア人による世界帝国の再興ということで、その「宗教国家」の意味合いは乏しかったと思えるが、時が経つに連れ「宗教国家」の性質が必要とされ始めたはず。
 おそらくその「宗教国家」に必要な宗教としての要素が乏しかった。貧民救済の要素がかなり薄かった。国家再生のための宗教改革が教義上出来なかったが故に滅んだ。ゾロアスター教がそういう社会の要請に適応できなかったとはよく言われることで、ゾロアスター教もサーサーン朝もそのために消えていったと考えられる。東の悲願であったシリア・エジプトの奪還(&それ以上)を果たし、一神教による貧民救済という社会のニーズを満たしたという二つの点で、イスラムがオリエントに与えた影響は計り知れないだろう。その二点を達成した=奇蹟を起こしたが故に、イスラム世界宗教になったとも見ることができよう。

イスラムは当初から世界的に拡大する意識があった(結果論?)
 イスラム世界宗教として貧民救済の役割を担う。社会福祉の需要を満たすわけだが、イスラムの場合、社会がイスラム化することで「宗教国家」となってめでたしめでたしにならなかった。その地域・一定の領土内で限られた支配をして満足・満足ということにならなかった。イスラム誕生の初期においてそういう価値観念は欠片も見られない*12
 初めから世界中に展開する意志・意図がムハンマドの時点であったかはおいといて、その教理はもう完全に外に拡大する事を前提にしていたように思える。ジハードの概念といい、商業・交易の肯定といい、支配領域・イスラムの家は広ければ広いほど良いという発想があったように思える。*13
 そもそもだが、イスラームムハンマドが興した新興(信仰ではなく)軍事国家と捉えた場合、軍事的な新興超大国は、内部を統一したあと外征をするもの。余剰軍事力を外に向けるというのは歴史の鉄則。なので、否応なく拡大せざるを得ないもの。故に意図云々関係なく必然と言われれば必然的な拡大・拡張。


イスラムは他の世界宗教と明らかに異なる「挫折知らずの成功した宗教」
 キリスト教も仏教も、世界宗教として、貧民救済の役割・国家や社会安定の機能を担うのはだいぶ時間が経ってから。しかし、イスラムは違う。登場・誕生後即、正式な国家宗教というか正教とされて、国家非公認・弾圧を受けなかったという非常に珍しい経緯・経歴を持つ。この点、キリスト教・仏教という世界宗教と明らかに異なる。
 開祖が辺境のアラブからいきなり登場した宗教的天才かつ軍事的天才というのも類例を見ないもの。敢えて親しい人物モデルを挙げるとしたら、ナポレオンくらいか?宗教として登場→正式な国家宗教として採用されるまで儒教キリスト教も物凄い長い時間がかかった。仏教は不遇の時が長いというわけではなかったが、結局誕生の地インドでは姿を消した。国家統治上、物凄い有益なものであると「発見」され、定着・国教になるまで長い時間がかかった。マニ教も一時国家公認となり隆盛を誇ったが、弾圧され衰退した(このマニの先例をムハンマドは良い教訓として参考にしたはずである)。
 ところがムハンマドイスラムの場合は登場即正教であり、弾圧や雌伏の歴史・背景がない。ムハンマドが初期に信徒を獲得するのに苦労する過程があるくらい。イスラムを理解する際にポイントとなるのは、歴史的背景に弾圧や不遇・苦難の歴史を持たないということではなかろうか*14。優れた宗教・正しい教えであるがゆえに登場してあっという間に世界に広がり、世界を変えた。イスラムで世界の中心を染め上げた。実際、イスラム登場以後は、遊牧民の時代*15、遊牧の波が世界を動かす決定的な要素だったが、イスラム登場以後は「イスラム化」という現象で世界が染め上げられることになる。暫くは、イスラムの拡大と遊牧の移動が世界史の二大潮流となるのだった。
 ※おまけで、ついでにその潮流が終わった時期の話。その潮流が終わる・変化するのは、中国の台頭と火器の登場以降。機械によって人間個人の武力・能力が大量生産機器・兵器に対抗できなくなってから。また新大陸などもあって、オリエントが必ずしも世界の中心にならなくなる。というか世界の中心が西欧・大西洋へとシフトする。イスラム遊牧民の時代から、西欧・科学の時代に至る。そうなると、世界の中心であったオリエントは今や完全な一地方・辺境に過ぎなくなってしまう。この世界構造の変化を理解することがポイント。


イスラムは都市宗教ではない。砂漠と部族の宗教
 また、ポイントとして、世界宗教であるのに、その登場が定住文明・定住文化・帝国を背景にしたものではないこと。この点キリスト教や仏教・儒教*16と大きく異なる。部族を基本とする文化・社会から登場してきた宗教であるということも重要なポイントであるように思える。ムハンマドは都市での生活・行商などで都市文化に親しんでいただろうが、やはり宗教としてのイスラムの思想のベースは部族にあるように思える。遊牧や部族を前提とした宗教であること、中東が世界の中心から辺境へとその中心の地位からずり落ちたことが現在のイスラム世界・価値観を理解する上でのポイントではなかろうか。


イスラムは「宗教国家」を経験しなかった?
 気になるのはやはりこれまで語ってきたとおり、領土拡張の限界・軍事国家モデルの限界、「帝国」としての限界が来たときに、何がその通常の「宗教国家」化の役割を果たしたのかというところ。まあ、イスラム教理内から、スーフィズムなどそういうものが「発見」されてそのニーズを満たしたのであろうが。そもそも王朝の栄枯盛衰が激しいので、「宗教国家」化という現象もあまり起こらないのかもしれない。国家転換を起こして秩序を保とうとする以前に、停滞したそばから別の隣接する「軍事国家」に滅ぼされたり、遊牧民に滅ぼされるということも考えられる。現地の秩序はそのままで上の支配者だけが入れ替わるというスタイルがエジプト・シリアからインドに至るまで根付いているので、上と下の社会階層が完全に分離して成立するので、そもそも「宗教国家」が必要なかったということもあり得るかもしれない。諸処の階級・階層で勝手に自律的に貧民救済・社会福祉をやってもらえばそれで十分だったということなのかも。帝国的な統一市場を作らなければ、格差拡大の問題も起こらない。インドなどは初めから文書・文字・言語その先の民族の統一ということをはじめから放棄した結果都営うことが出来るということか。
 国家には適切な規模・領域という話があって、領土・国土が狭すぎてもいけないが、広すぎてもまたいけない。国内での通商などの適切な交流ができなかったり、国家内での一体性が保ちづらいなどという問題が起こってくるとはよく言われること。東西南北で気候や地質が違いすぎれば、国民性もまた保ちづらくなるもの。同質性より異質性が目立ってしまえば、「中華」のような統一的価値観で一つになろうという力学も働きにくくなるだろうし。そもそも「天下統一」という価値観自体がない。「天下統一」という価値観は、東洋というか東アジアの「歴史」特有の価値観と言えるだろう。「正統」なきところに、「天下統一」なしということができよう。「イラン」だとか「メソポタミア」だとかそういう枠組みがあって然るべきで、滅んだらその枠組を何が何でも再興・復活させなくてはならないという価値観自体がないとみなすべきだろう*17


■「宗教国家」の必要条件―競合する優位にある「帝国」がないこと
 また、オスマン帝国のように「宗教軍事国家」となるというパターンなどを辿るのだろう(オスマンは宗教要素をかなりコントロールしていたので、ローマ帝国やサーサーン朝の説明に用いた「宗教軍事国家」という概念をママ適用しようとするのは無理があるかもしれないので、これはまた要検討)。「宗教国家」というのは、隣接する競合国家・「帝国」が存在しない時、あるいは存在していても比較的劣位のそれが存在している時にのみ、成立するものと考えるほうが良いかもしれない。内部の安定・維持を図ることで長期的存続が可能という条件を満たすケースはさほど多くないということか。唐・宋など遊牧の問題に煩わされても、その侵入の対処を考えれば十分「帝国」を維持できるというのもその典型的な例と言えよう。遊牧部族・遊牧国家や征服王朝の攻勢には、徹底して防衛線の維持を図る。それが一番コスト的に良いからこそそうなるし、国家の崩壊に至ることもなければそれで十分だからそういう対処となると。
 そういう点では東ローマ帝国ビザンツ帝国のゆるやかな衰退・消滅というのは「宗教国家」の要素が多分にありそうなので検証したい所。
 中国にしろ、ローマ(西欧)にしろ世界の中心から外れたところに存在した。辺境に存在した。そういう辺境に存在したことが、後の歴史にもたらした影響は非常に大きいと考えられる。中国は「歴史」という概念・文化を発達させ、「正統」という価値観念を作り出したし、西欧は中心に進出できないために、新大陸や世界の周辺に進出しようと必死に海洋ルートを切り開いていった。そういうところからも辺境に存在した「宗教国家」という概念が役立ちそうな感がある。


■他の世界宗教とは異なる「支配宗教」イスラム
 世界宗教という用語とは別の概念として「支配宗教」という新概念を与えても良いかもしれない。イスラムは世界を支配した第一の宗教だったと見なせるので。明らかに世界の中心として他文明・地域・異教を支配に置くことを前提とした宗教で、イスラム以前・以後でその後の歴史が全く変わる、異なった世界が登場したので特別な用語を与えても良いように思える。宗教・社会的に世界構造を見た場合。対照的にキリスト教儒教社会・国家では、異宗教社会・集団を支配下に置いても、問題なく運営していける。うまくやれるというの要素・発想はあまりないので(まあ、中国の場合は儒教というより国家体制・支配者サイドの問題なのだろうけど)。その点、他の世界宗教民族宗教・国家宗教とは異なる(民族宗教や国家宗教が何を指すのかあやふやだが、その他の宗教と思ってもらえれば良い)。

 プロテスタント(=新教)化しても、そういう異教・異社会統治を円滑に進める教理・機能はない。だからキリスト教はああいう非道、非人道的行為を世界中に行ったわけで*18。現代からは考えにくいが寛容な「支配宗教」イスラムから、学べることは数多いように思えるし、率先して研究すべき対象・テーマではないかと思える。

*1:勿論、それ以前に遊牧国家が皆無だったという意味ではない。それと突厥や唐でも遊牧的なことをしている記述は多々見られるので、従来の遊牧的な文化・価値観は野蛮なものとみなしてさっさと定住文化に鞍替えした。習俗を優れた中華式に切り替えたとすることは出来ないのだけれど

*2:定住とか遊牧とか、「」必要な用語なんだけど、「」忘れていた…。もうめんどくさいからいいや(笑)。後この当時ネグリとハートの『帝国』の影響で<帝国>と表記しているけど、これも適切じゃないな。面倒くさいから直さないけど(笑)。

*3:という用語・観念を作って、勝手にそう呼んでいる

*4:軍事拡張国家(モデル)とでも言おうか

*5:後漢においてはまず「儒教国家」「儒教モデル国家」としてスタートし、その崩壊で魏において「道教国家」「道教モデル国家」となったという流れなのだろう。別に仏教でも道教でもどちらでも良かったのだろう。「宗教国家」としての需要を満たして、帝国の安定化という目的さえ達成できたのならば、国家モデルとして成立しさえするのならば。だから北魏や唐で道教モデル・仏教モデルがその都度登場して国教が入れ替わるわけで。で、最終的に唐末・宋で儒教復権・再生が起こって、三教という流れになるわけで

*6:―と今のところは暫定的に、漠然と捉えている。要検討・検証

*7:今風に言うのならば、俺TUEEEE系主人公・ラノベ主人公的なこれまでの努力型主人公ストーリーと真逆の展開を辿ったそれと言えようか

*8:マズダグ教などが禁欲・平等を訴えたようにこの時代のゾロアスター教は貧民救済に乏しい、貴族の既得権保護の性質が強いと思っている。故に貧民救済のロジックが弱くて「宗教国家」とは見なせないと考えている。中国でも、儒教の貧民救済が完璧でなく、道教や仏教が隆盛してきた。このように、ゾロアスター教内にも貧民救済の要素がゼロではないだろうし、イスラムがより優れていてニーズにマッチした・上回っただけで、ゾロアスター教が「宗教国家」として機能していたという可能性もありうる。貧民救済の性質を見いだせれば「宗教国家」と考えるべきかもしれない。この変もポイントなので要検証

*9:宗教的軍事国家、宗教従属型軍事国家とか?ワンフレーズで上手いこと説明できる用語があると良いな、ちょっとピンとこないかな

*10:「宗教軍事国家」という概念を用いると、ローマ帝国とそのキリスト教化も「軍事国家」→「宗教国家」というステップではなく、西はともかく東、ローマ帝国の東部では、サーサーン朝との対抗の必要性上、同じく単なる「宗教国家」ではなく、「宗教軍事国家」であったという説明も可能になり、ローマ東西分裂後の違いなどを上手く説明することも可能になるかもしれない。「軍事国家」のための宗教なのか、それとも国家内部の一体性・安定のための宗教なのか。その違いが後世に与えた影響など上手く説明できそう。勿論、「軍事国家」・「宗教国家」・「宗教軍事国家」は理念型であって、一義的に決まるものではない。その都度その都度、「宗教国家」の性質が強く反映されたり、「宗教軍事国家」の性質が強く反映されたりするだろう。

*11:長い宗教対立・宗教戦争が歪んだ・無用の緊張を長年引き起こし続けた。宗教対立でどちらかの宗教に引き裂かれるなんて、もううんざりだ。いい加減誰かなんとかしてくれという欲求が文明の衝突する最前線で起こるのは必定。そこを宗教対立に寛容なイスラムが埋めた。寛容なイスラムがシリア・エジプトを制したのは当然過ぎる結果と見做すことも可能か。しょうとする最前線でウマイヤ朝が登場して、イスラム勢力の中心となるのも同じ流れと見るべきか。

*12:ちゃんと調べたらあるかもしれない。小イスラム主義みたいなものがあってもおかしくはない。この点自信がない

*13:まあ、イスラムのことをよく知らないがために、所詮後から見た「結果」だと言われてしまえばそれまでの話。本来、そういう意図もなかったのに、歴史的にたまたま拡張することになっただけで、偶然の要素を無視して結果から結論を導き出している「結果論」にすぎない危険性もあるので、ちょっと最終的な価値判断は留保したい。

*14:その点シーア派は教義にアリ―の苦難・受難があるので多少異なると言えるのだろうが

*15:トルコ・モンゴルという波があるが、フンをその中に入れるか、カウントするかどうかは微妙な所

*16:※勿論、儒教世界宗教ではないが、一応

*17:勿論言うまでもなく全く存在しないというわけではない。復活させて再建させるに至るまでの強力な思想に育ちにくいということ。これは中東のみならず、ギリシアなどにも当てはまることだろう。ひょっとしたら「ローマ帝国」にもあてはまるかもしれない。

*18:まあ、これはキリスト教というよりも、ヨーロッパ人・文化の問題なんでしょうけどね。キリスト教でも、その当該社会が異人種・異文明・異宗教を内部にはらんでもうまくやることは十分可能でしょう。結局支配者階層と社会の構成集団がどういう叡智を持って、うまく折り合いをつけるか。そのノウハウ・システム次第でしょうしね