てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

【メモ】 道教の世界

道教の世界 (講談社選書メチエ)/菊地 章太

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まあ、単なる読書記録。

―を読んだんですが、うーん、道教というか、宗教関係の本って本当良書が少ないなぁという感じ。

儒教・仏教・道教 東アジアの思想空間 (講談社選書メチエ)/菊地 章太

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この本書いた人で、まさに中国の宗教を扱うなら、この三教関係を解き明かさなくちゃいけないので、ほぉ!となったら、中身がなかった。この人は確かどっかで書いたと思うけど、唐の誕生と道教・仏教の理念、なんだっけか?教理が強力な王権の登場を望んでおり、それの裏づけをするっていう論文を書いていて、弥勒信仰かな?それ自体はかなりよかったんですけどね。残念ですね。

不老不死がどうとか、道師がどうとか、教団・教典内容がどうとか、ばらばらにそれぞれ箇条書きにとりあえず列挙して書いたらそれでいいという場当たり的な研究は宗教学でもなんでもないんでいい加減やめてほしいところです。

全然関係ないところで、へぇと思ったメモ。中国語の主語私を意味する、吾は主語・所有格で、我が目的語として使われていた。ということはうしおととらは、獣の槍で我~で始まるあの文字はおかしいことになりますね(笑)。

封禅で泰山を祀るのが普通なのに、武即天だけ中嶽嵩山なんですよね。魏書釈老志なんか読んでて、北魏北斉は仏教国家なんですけど、北周は廃仏やりましたし、そういうところからも、仏教復興的な意味合いが武周のほうにはあったと思うんですよね。そういうのと関係していそうで面白そうな話ですね。

 んで、泰山の地下世界がいつの間にか仏教の地獄のようなそれにかわっていったこと。北宋の真宗が封禅するころには自然神・男性神(まあ自然の神なら男性っていう人格事態がそもそもないと思うんですが)だったのが、人格神・女性神に変わっていったことなんか面白いですね。

 折口信夫とか柳田国男とかの民俗学が研究史の流れで出てきたんですが、彼らが窪さんが中国の道教の影響を指摘すると、けちょんけちょんにされたと。民俗学は戦後の流れで、敗戦で日本の国体・国柄・有り様の喪失と新しい模索があったと。フーン、なるほどねぇ。

あと関係ないところで、太平清良書とか始めてその名が出てくるころには、巫の語ありとかちゃんと記されているんだよなぁ。もう一度読みなおさにゃ開かんわなぁ・・・。