てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

世界文明史の試み - 神話と舞踊/山崎 正和

 
世界文明史の試み - 神話と舞踊/山崎 正和

¥3,360 Amazon.co.jp

 世界を統一しつつあるもの、世界的な基準というものが
世の中に生まれつつある。すべてが近代化される<離陸・take-off>の観念=すべての社会が近代化・科学化されていくという物の見方が崩壊して、今や雑多な状況こそが主流『新しい中世』なんてありますしね。インド数学・アラビア数字に世界の数学すべてが統合される。カメラ・写真という技術により登場した遠近法で、これまで存在した遠近法が駆逐されてしまったように、あらゆるものが世界を通じて集約・統合されている。

 健康の賞賛、病気・死の隠匿に、老いの忌避。すべての人が健康に努め、生命を謳歌しなければならないという風潮になる。羞恥心も同じ、アジアでは胸や足に対する羞恥心はなかった。西洋は両方出すのは恥だった。乳房は隠され、足は露出されるものに統一されている。そして近代化されるということは、人間の行動が全て画一されるということでもある。身体運動はあらゆる道具・生活で多様なものが存在していた。それがすべて同じようになっていくことになる。

 ココらへんの身体運動を取り上げるところが、己の興味関心とかぶるので、結構食いついたのですが、「する」身体と「ある」身体とかうーん、ちょっといまいちピンとこない分類の仕方でしたね。行動する身体と存在する身体それを分けて捉えるまではいいのですが、それで?という感じです。その先読んでも、ちょくちょく出てくるキーワードですが、論じていることで何がわかるのか?どうも山崎さんの問題意識が伝わって来なかったですね。

装飾とデザイン/山崎 正和

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 あと、前著のこれの話がところどころ出てくるのですけども、引用がうまくない。え?という感じで、さもご存知かのように語られてもこっちはなんのことかわからない。そんなにリピーターが多いということなのでしょうか?前回の儀礼のオントロギ

でもそうだったんですけど、文章が読みにくい。んで例に漏れず、何かの雑誌に投稿した文章をまとめた形式の本で、前後に何回もおんなじ話がクドクド出てくるのにはちょっとイラッとしました。加筆修正しなよと。ただまるまる乗っけただけなら、論文集的な感じにすればいいのに。

 まあ、どこから読んでも読めるようにというのはわかるのですが、文章が良くないと一つの説明をするのに非常に冗長で、詩的表現のような感じで表現している 。これいらんだろ?(^ ^;)と、己は感じました。文量460ページも無駄な説明しているからこういうことになるのでは?と感じました。有意義な論ならいくら出てきても構わないのですが、データとかね。そんなにデータや反証いらんだろっていうのは数多いですが、それならまだ納得できます。しかし表現が冗長、回りくどいってのはちょっとどうかなぁと思いました。

 普段なら、ああこんなもんかと、パラパラめくっておしまいというコースなんですけど。ところどころ面白いのが出てくるんですよね、困った(^ ^;)。

第一章ベルクソンデュルケームにふれて宗教と道徳の源泉を論じたらしいが全く意味がわからないのでパス。もちろんしっかりよんでません。そこに意味がある比較・分類・考察とは思えなかったので飛ばしました。

第二章

神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡/ジュリアン ジェインズ

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 3000年前まで人類は「意識」を持っていなかった。それまで人間は右脳で神の声を聞いていて、それに従って行動していたという。デュルケーム見ても、当時の人間が独立した自我・意識に基づいて行動していたなんて到底考えられないですからね。まあなるほどなぁ、昔の人間ならそう考えて行動するだろうなぁと思っていたので、そういうことを考えていた人がいたんだなぁとめちゃくちゃ食いつきましたね。しかもこれかなり古い本か。読まんとね。

 んで内容なんですが、意識と身体運動の話をしているのだけども、まあやっぱり学者というか身体運動を研究していない人間なら、こう考えるのだろうなという意識と行動を全く分けて考えているのよね。そういう論じ方ではもはや有効なものが生み出せるとは思えないのだけどね。まあ、知らない人はそういう論じ方をしますよね。行動・修行なき学問は無意味だと思うのだけどね。無論、そうすると客観性の問題・科学の原則に触れちゃうからあれなんですけども。そこら辺の問題をうんぬんかんぬんしつつ、その上で話を展開させないとちょっと今後は話が進まない時代に入っていると思うんですけどね。

 行動の慣習化、社会・文明でそれをさも天与の常識となるまで刷り込むことこそが、意識を支配する。前回の儀礼の話もそうですが、習慣というものを支配することこそ社会の基礎。意識・意志→習慣ではなく、習慣によって人間の集団のコントロールになる。カルチャーギャップというように、他の社会の人間となって初めてその異質さに気づくわけですから。習慣というものは人を盲目の奴隷にする恐ろしいものなんですなぁ。無論、武術論を触れればわかるように、型を通じて身体運動を習慣で脳をこえる・身体が考える前に動きを獲得するという発想になるわけで。逆も真なりですね。結局は単一の、一回こっきりの行動ではなく、何十回、何百回…といった繰り返しこそが人間存在の本質ということでしょうか。

 人間の職業を身分・階層と捉えるよりも、恒常的に何をする人間か?=何を習慣とする人間なのか?とみたほうがよろしいでしょうな。歌手やスポーツ選手も恒常的にそれをする人間。プロ出会って、それによって高いギャラがついてくる人間と言うよりも、そちらのほうが本質って感じがしますね。

 ジェインズによれば意識は比喩により生まれ、比喩がまた意識を生み出す。神の声を右脳で聞いて、左脳でそのまま行動していたから、そこに意識はない。イーリアスオデュッセイアなどの叙事詩を通じてこの頃に意識が発生したということを検証する。うーん面白い考え・視点ですなぁ。しかし山崎さんが言うように言語だけが意識ではないでしょう。行動・身体にこそそれはあった、未分化時点のそれもまた重要でしょう。もちろんそういうことを言いたいわけじゃないと思いますが。人間にとっての言語を用いる意識の発生こそ文明の基礎でしょうしね。同じくインドや中東のそれが気になるところですよね。こういう大著が出ると、次はじゃあインドや中東の神話と言葉の発生をやりませうっていう人が出てくるようなもんなんですがね。

第三章

 ホモサピエンスが出てきたのが15万年前、人類が農業革命を起こしたのが4万年前、はたして十数万年も人間は何をしていたのか?考古学者の難問となっているという。

ことばの起源―猿の毛づくろい、人のゴシップ/ロビン ダンバー

¥2,940 Amazon.co.jp

猿の毛づくろいが、社会の安定・維持にとって重要なものである。同じく人間の社交というものも無駄なゴシップやおしゃべりによって費やされている。無駄な社交こそが人間関係・社会の潤滑油であると。一体感を保つ集団の人数は150人が限界。集団の維持のためのそれ。物語、神話、音楽、舞踊は時間つぶし。伝承による集団での一体性を保つ道具と。

あとどうでもいいことですが、例のデュオニソス的=熱狂・陶酔、アポロン的=整然という分類がありますね。西洋の彼らにするとこれはふむふむ、なるほどと腑に落ちる感覚なんですかね?日本人の己からすると、なんだよそれ、下手くそな例えだなってイラッてくるんですけどね。前もどっかでそんなコト話したかもしれませんが。

内容は関係ありませんが四章のとこでジェインズに触れられ、テラ島の大噴火でミケーネ・ヒッタイトが滅んで、影響を受けなかった内陸のアッシリアが進出すると。なるほど、そういう流れか~と納得。こりゃ絶対読まなきゃならん本やね。

第五章

 祖先神は都市以前の氏族社会では、身体の延長でそばにあるもの。トーテムは視覚化、実際に触れえるものとして存在すらしていた。しかし、超越神は身体を超えて存在するものであり、表現はタブー=偶像崇拝の厳禁というやつ。超越神と王権は深い関係を持って発達した。王はその代理人だから。超越神自体は都市の登場によって普遍的に見られる現象だね。まあ一神教にたどり着くまでは、そこからはるかに長いステップがあるわけで。

 征服した場合ハムラビ王がマルドゥク神を滅ぼさずにそのまま取り込んだように、現地の神を組み込んでいく。偽計・縁担ぎといった要素も当時の神託にはあった。しかしやはり同時にそういった超越的・超常的なものを信じていた。貝塚茂樹いわく、殷は鬼神・呪術の国。周はそれを否定して、徳によって動かすという方向に変わった。

 祈りと歌・踊りの未分化。誦経、コーランの詠唱、賛美歌など。また仏教の五体投地などに見られる。またスポーツも元は儀礼・舞踊。蹴鞠なんかはもとは春夏秋冬の典礼。それぞれの方向に蹴り合う。

 ギルガメシュ叙事詩メソポタミアの王朝交代が激しかったそこで読み継がれた物語。王朝交代の正統化ではなく、氏族社会から都市国家への移行を示す物語。

 またジェインズの話に戻って、ヘブライ民族=難民。それがユダヤ教一神教によって結束した話はかなりポイント高いですね。まあ読むしかないですわな。この一神教=難民は、中国における一神教がなぜ生まれなかったか!という話の中で任侠との比較というのを思いつきました。かなり有効な視点になると思われ。l

六章

ヨーロッパの奇跡―環境・経済・地政の比較史/E.L. ジョーンズ

¥3,990 Amazon.co.jp
近代化はヨーロッパでしか始まりえなかったという反時代的な書。反時代的というより、近代化自体はそりゃヨーロッパ以外生まれるわけ無いだろうと思う。問題はそれを絶対視するかどうかだと思うが。別に反時代的でもなんでもないと思うけど。

数学で有名なピタゴラスが、全てのものは秩序付けられる、そこに合理性を見出してきた彼らが無理数を発見した時、最初それを隠そうとしたというのは面白いですね。

この六章の終わりでヘレニズム&ヘブライズム=普遍主義・ローマ帝国世界共通の理念に行くのだという流れがわかるんだけども。読んでいて全体を貫く展開を示すのが下手くそに思える。全体を貫く流れ・メインテーマは何よりも最優先で語るべきではないか?

七章

 ここで中国を帝国としてローマと比較する話がいくつか出てきますが、参考にしている塚本さんの本がかなり古いと思うんですけど、所々なんかおかしいですね。???と思うような説明ばっかりですが、明らかに解説に取り上げる本として不適格のような、なぜこれを選んだし!というレベル…。うーん(´-ω-`)。

 ローマにしろ、ユダヤ教にしろ、血や地に基づいた民族のような単位ではなく、理念によって生まれたんだよなぁ。ローマの場合は都市国家、都市化の必然的帰着なんだろうけど。ローマの場合は帝国原理で<能力>を第一に、ユダヤ教の場合は<信念・信仰>なんだけど。言うまでもなく、信じることに能力もクソもないからね。ローマとはその点真逆の発想やね。もちろん能力ないからローマに受け入れられず弾かれるってことでもないけどさ。信仰がキリスト教の形態をとってローマに入っていくのが象徴的よね、ローマのそれまでの国家と性格が全く変わることのね。能力でない、民族やら市民やらの最低限の生活の保証を求めるそれとしてキリスト教が機能を果たす。ローマの性格が宗教国家として変質するわけです。

 キリスト教は本質的に殉教の宗教か。信者ステパノの殉教がキリスト教ユダヤ教を分けたという伝承。第二イザヤが大きな影響を与えたというように、キリスト然り、殉教=献身が重要なんだけど、その献身を重視する宗教が異端を平気で殺すというところがあれやね。もちろん教理的には異端は殺すのが当然なんだけど、イエスの事跡とかみて、信仰が違うから殺しちゃいナよ!なんて到底見えないと思うんだけどな。イエスの行動から、異端弾圧だめ!っていう人は出てこなかったのかしら?過去に一人くらいいてもおかしくないと思うんだが。

ヨーロッパI 古代/ノーマン・デイヴィス

¥4,410 Amazon.co.jp
ヨーロッパII 中世/ノーマン・デイヴィス

ヨーロッパIII 近世/ノーマン・デイヴィス
ヨーロッパIV 現代/ノーマン・デイヴィス

 Nディヴィスの悪魔なしのヨーロッパ史はキリストなしのキリスト教世界と同じっていう言葉はいいですね。

嘘と貪欲―西欧中世の商業・商人観/大黒 俊二

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によると、一三世紀すでに商人の利潤を肯定するような神学が生まれていたといいますね。ということは利潤を肯定することのない思想・エトス・時代背景→プロテスタンティズムのエトス→近代資本主義ではなく、ワンクッション必要ですね。肯定→原義に立ち返って、否定→徹底した利潤の排除→…ってことですね。現代でも利潤の否定、それを福祉・公共に費やすという形をとれば、いいような気がしますね。結局社会紐帯・エトスの問題ですから、【利潤否定→しかし社会のためのみ肯定→社会紐帯】という形を取れば経済成長もそうですし、共同体としての一体性も取れますからね。これこそ途上国、キリスト教とかそういう背景不在の国には好ましい解決策でしょうなぁ。

キリスト教の勝利・浸透は奇跡?必然すぎるほど浸透するのが当然としか見えないんだが…。

八章

ヨーロッパの形成―ヨーロッパ統一史叙説 (名著翻訳叢書)/クリストファー ドーソン

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いわく、イスラムのヘレニズム研究は余裕の産物。全世界の解釈にまで高まると原理主義の反撃により壊滅。論争する慣習のなかったイスラムでは抵抗する知識人も出なかった。イスラムにはトマス・アクィナスが生まれなかったのだと。面白い話ですね。

歴史人口学と家族史/著者不明

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の中に入っている論文で、ジョン・ヘイナル氏いわく、「合同世帯」でインドや中国では子はすぐ結婚して子を産み親の家計に組み込まれた。だから子を産んで採算がとれルので早婚・多子。しかしヨーロッパでは、独立して世帯を持つ慣習があったから晩婚・少子の傾向となった。なるほどねぇ。

ハプスブルクとオスマン帝国-歴史を変えた<政治>の発明 (講談社選書メチエ)/河野 淳

¥1,575 Amazon.co.jp

あとこれなんか面白そうやね。読みづらいから、あとつまんなかったのでパス。美術史学か…。これなんのジャンルに入るんだろ?元の美術系の分析は世阿弥とか本を出しているようだし、そちらで優秀なのかなぁ?センスを感じる面白いところもあったし。しかし、どうも論文を書く・文章を書くトレーニングを受けた感がしない。というかちょっと昔の人なんかほとんどそんなものないだろうけど。結構最近だしなぁそういう書き方が言われだしたのも。しょうがないっちゃあ、しょうがないんだろうけど。

さんざん読みづらいとか言っといて、じゃあ、お前の書いているこの文章はなんだ!と言われたらぐうの音も出ませんが(^ ^;)。いやあ、ちょっとマジで忙しくて、文章推敲してわかりやすく!なんてやってる余裕ないんですよ。だから走り書きの走り書き。走りながらこれタイプしております(笑)。結局自分メモで他者が見ておお!なるほど!なんて言うものには成り得ません。目指してもおりませんしね。そういうものは、これはぜひ読んでほしい!というやつでしかやりませんしね。ブログ始めた初期の頃と比べ、そんなものの余裕は全くなくなっておるし。結局、あこれ読もうって8冊メモっただけやね。

今回というか、こういう本読んで個人的感覚、走り書きを見て、何か観ずるところがある人なんてまあそんなに居ないでしょうし。そもそも見る人が居るのか?もっと、読まなくちゃね~。最近どうも読む気がしないスランプだし。修士とか博士とか、そういう人はスランプどうしてるんだろうな。そんなもんないのかな?