てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

【有坂純】 世界戦史より第二章

【有坂純】 世界戦史より第一章の続きになります。

世界戦史―歴史を動かした7つの戦い (学研M文庫)/学習研究社

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第二章イッソスの戦い。コリントス同盟によりペルシアの干渉を払いのけたフィリップはイオニア解放軍を送り込んだ直後に暗殺される。この暗殺がいかなる性質か興味深いところ。いくらギリシャを統一したとは言え、ペルシャに攻め入るのは無謀という国内の反戦派勢力の力が大きかったのだろうか?

 この時代ギリシャ傭兵軍がペルシャに出稼ぎに行くのは常識になっていた。クセノフォンがバビロニアで敵中孤立しながらも横断して小アジアにたどり着いた『アナバシス=上征記』があるほど、ペルシャ情勢は知れ渡っていた。

 アレクサンドロスの母はオルフェウスディオニュソスの神秘的な祭祀の信徒であった。このへんは興味深いところだが、どうせ解説されてる良書なんかないだろうな…。父の残したシステムを彼は見事に継承した。16で摂政、17でカイロネイアでの左翼指揮とキャリアを着実に積んでいた。

 父の葬儀を執り行い後継者としての正当性を示し、二年間は反乱鎮圧に費やされる。アレクサンドロス戦死の虚報に踊らされた諸ポリスはテーベを中心に立ち上がるも、あっという間に粉砕された。彼は処罰を諸ポリスに委ね、恐れたギリシャ勢はテーベ潰しを自ら進んで行った。テーベというポリスは地図から姿を消し、三万人が奴隷にされた。

 マケドニア軍はこれまでの兵站システムを一変させた。これまでは女性・子供・奴隷が行軍に参加するのが当たり前だった。スパルタなどは兵士一名に従者が七人もいた。女性の禁止、軽装歩兵は装備糧食を携帯、車輌・馬匹を避け、運搬は人力に頼った。機動力というものをとことん重視したシステムであった。

ペゼタイロイ・軽装歩兵という兵種は機動力という点からも好まれたのだろう。アレクサンドロスはさらに軽量化を進め、一日平均21キロ、強行軍で32キロ、小規模選抜軍では70キロにも及んだ。己は動ける軍こそ最強の軍隊と思っているので、こんなところがアレクサンドロスの強さの秘訣と感じる。

アレクサンドロスの軍隊は歩兵3万2千、騎兵5千と父のそれと比べて歩兵三倍、騎兵五倍になっている。戦争による荒廃、また人を養えないため、軍隊が膨れ上がり、新植民地・領土なくしては最早やっていけないという状況が背後にあったのだろうか?おそらく国内統一→国外への法則が起こったのだろう。

ペルシャは諸兵科統合をマケドニアの何年も前から達成していたが、肝心の数が足りなかった。それも異民族徴募兵であり、練度・装備・戦意共に低かった。歩兵の中心である重装歩兵も同様。ポリスで長年戦い合って磨かれてきたギリシャのそれと比較になるはずもなかった。

 無論、ペルシャにはギリシャ傭兵、重装歩兵ポプリタイもいた。しかし先程の戦争で既に軽装歩兵の前に無意味であることは証明済み。ペルシャ貴族からなる騎兵は強力であり、マケドニアの一八二隻の艦隊の倍以上の四〇〇隻の艦隊は圧倒的にマケドニア側を上回っていた。

 マケドニア騎兵は衝力が、ペルシャ騎兵は火力が重視されていた。フェニキアヘレネス系のキプロスの艦隊は強力であり、ペルシャ側は海軍力の優位を活かしてマケドニアを撃退するという戦いになるはずだった。がしかしそれが果たされることはなかった。

ここで一旦離脱して、ペルシャの軍事考。オリエントを統一してしまえば軍隊は必要なくなる。ギリシャを手に入れようとしたというより、他に攻められそうなところ、軍隊のはけ口が見つからなかったという方が妥当だろう。帝国が軍事的開拓余地をなくせば次に待っているのは宗教国家のはず、それがないのはなぜなんだぜ?

アレほど巨大な帝国を築いたのにもかかわらず、多民族国家にも関わらずそれを統一するための宗教が誕生しなかったというのが不思議で仕方がない。まあゾロアスター系のそれがあったことはあったのだけども。いずれにせよ軍隊の仕事は減るため、その質が低下したのは確かだろう。

 騎兵の質が高かったというのもその担い手、貴族階級の誇りになるというような裏付けがあったから。需要がなければ供給は絶える。ペルシャ軍がマケドニア軍に弱いのは社会情勢上必然ということだろう。余計な自己考察おしまい。

マケドニア軍の前衛パルメニオンが露払いの役割をこなし、イオニア諸ポリスを解放していき、エフェソスまで達する。しかし敵指揮官がメムノンに代わると撃退されてしまう。だが当初の目的、アレクサンドロス本隊の安全な渡峡は無事達成された。マケドニア軍は補給が続かないため短期決戦が至上命題であった。

というのも今回の遠征で金庫は空。相手から奪わない限り、その時点で戦争はできなくなる自転車操業であったから。しかし運命はマケドニアに味方した。偉大な業績の第一歩目は大抵失敗から始まる。失敗とはいえないが、パルメニオンの撃退でマケドニアの実力を軽んじた本国はメムノンの安全策、焦土作戦で戦わないという戦術を放棄してしまった。

 この時点で優勢なはずの海軍も東地中海に広く展開しておりマケドニア海軍を叩くことができなかった。まさに大組織ゆえ伝達が遅く、小回りの効く小さな組織に滅ぼされる典型であった。本隊がヘレスポントスを渡って三日というスピードで相手の本隊との会戦にこぎつけたのは見事としか言いようが無い。

 例えるならローマに侵攻したハンニバルの如し。いかなハンニバルと言えども戦ってもらえなければ実力を発揮しようがない。相手の本隊を補足できなければそれで終わりのゲームで、見事それに成功したのだから大したものである。そしてそれはつまりこの時点で戦いは決まったも同然ということだ。

アレクサンドロスは常識・タブーにとらわれず、副将パルメニオンの敵前で急流を渡河するなんて無茶ですという進言を退ける。自身もペルシャ騎兵と剣を交える無謀・無茶。しかし総大将自らが突っ込むことで全軍の士気はあがっただろう。彼自身が囮となっている間に例のごとくヘタイロイが背後をついた。

総大将自らが突っ込むなんて馬鹿げた事この上ないが、そうしなければならないほどペルシャ騎兵の力が凄まじかったということなのかもしれない。そうまでしなければ陣形を崩し、ヘタイロイが回りこんで背後をつけなかったということだろう。寛大なアレクサンドロスギリシャ傭兵部隊だけは許さなかった。

 それは彼がヘレネスという大義名分を背負っていたから。ヘレネスの裏切り者ということでほとんど殺され、2000名が奴隷とされた。ペルシャの方面軍を叩いたことでほとんどの都市が戦わずして降服してきた。ミレトスだけは降伏せず攻城戦となった。ここでペルシャの海上の優位に初めて遭遇することになる。

ペルシャ海軍に追いやられるも港を封鎖して戦わないことを選んでなんとかなった。ミレトスも海上からの支援がないため降参。ここで海上でペルシャに勝てない以上短所の克服か、長所を活かすかの選択となり、アレクサンドロスは後者を選び海軍を解散して陸上戦に全力を注ぐ方針をとった。

 筆者はこれを陸軍の指揮官にありがちな誤りとする。その面ももちろん強いが、これまでの指揮経験で、それでいけるという目算があったのではなかろうか?むしろ相手に有利な海上で破れて大打撃を食らったほうが、戦争を遂行する上で影響は計り知れないと見たのかもしれない。

イオニア最後の拠点ハリカルナッソスを包囲して攻城戦。海軍の支援もあり、抵抗は根強かった。メムノン直接指揮にあたり最後まで戦ったが、持ちこたえることはできなかった。ゴルディオンの冬営で、アレクサンドロスもここに来て艦隊を解散したことを悔やんだ。だが宿敵メムノンの急死の報が入る。

ディオドロス・シクロスいわく戦争をアジアからヨーロッパに移す―直接アレクサンドロスを叩くのではなく、その背後を海上から衝く。それによって戦争続行を不可能とする作戦を進めていたが、レスボス島で攻囲中病に倒れ亡くなった。もしヘラス侵攻作戦が実現していたら遠征は続けられなかっただろう。

 これもゴルディオンの結び目を断ち切るものの加護なのかと当時の人間は思っただろう。険阻な山岳地帯を通るためのシリアの要衝キリキア門も親衛隊と軽装歩兵を直に急襲して落とす。キリキア最大の都市兼海軍基地タルソスを占領。ところがここでアレクサンドロスが風邪を引き数週間ここで足止めをくらう。

果たしてこれが幸運なのか不運なのか、とにかくこれを見てアレクサンドロスが怖気づいたと思ったのか、ダレイオス三世は敵戦力の破壊を目的に進軍。彼が軍を動かせるようになった頃には、アマノス山脈東麗ソキに駐屯。ここならば広いシリア平野と違い数の理は働かないので彼の望むところであった。

 広い平野で迎え撃とうと考えていたダレイオスだが、当然アレクサンドロスは動かない。小アジアで割拠・居座られたくない彼は積極的にアレクサンドロスを叩きに行く。アマノス山脈を超えてイッソスを北東から襲う。行軍でアレクサンドロスの退路を断ったダレイオスの行動は見事なものと言えよう。

 退路を断たれた以上決戦しかない。ペルシャ軍はピナロス河流域に最も広い平野があるため、そこで迎え撃とうと構えていた。裏をかかれたアレクサンドロスであったが、対岸に布陣する前に歩兵と騎兵が行軍しながら、歩兵は横隊に、騎兵はその両翼に展開。敵前での困難な機動の実施は近世・近代でもない。

 この時点で諸兵科統合をより高いレベルで成し遂げているマケドニアが勝ったとも言えよう。行軍で裏をかいたペルシャが布陣を敷く前の隙を突くようなことができない見事な統率力を眼前で魅せつけられたのだから。ペルシャ10万に対し、マケドニア歩3万5千&騎6千。狭い地形を考えれば数の理はない。

 右翼に展開したアレクサンドロスは重騎兵ヘタイロイと進む。はじめはゆっくりと相手の弓の範囲にはいったらすかさず急襲。そのまま相手重装歩兵に突っ込んでいく。普通騎兵で槍に突っ込むのはタブーだが相手の練度・質を考えると到底騎兵の衝力を支えられなかった。こうしてペルシャの左翼を崩した。

 しかし同時に危機でもあった。前進して右翼を崩した結果生まれた間隙を敵も見逃さずにペルシャ軍・ギリシャ傭兵部隊が衝く。これにより上級指揮官を多数失う損害。パルメニオンの左翼は同じ敵方の右翼=優秀な騎兵を受けなくてはならなかった。しかし中央も左翼も結果よく守りぬいた。

 そしてアレクサンドロスは先頭に立って敵を横からなぎ払っていくことに成功した。攻めるものが攻め抜き、守るものが守り抜いた結果であった。ダレイオスは戦場を離脱し、王の家族・財宝を接収した。平伏して慈悲を願うダレイオスの母に対して「母親よ」と呼びかける王の器も示した。

 パルメニオンを送ってペルシャの兵站であったダマスカスを占領した際、金5600タラント・銀500タラントを得た。一説によればアレクサンドロスの出発前の資金は70タラント以下だったという。なるほどこれが王の暮らしかと、素直に財政力に驚いたという逸話もむべなるかな。

 エジプトに迎い有力海軍基地をすべて制圧し、そこで初めて地中海を制する艦隊を再編した。宿敵メムノンが死ななければ、ダレイオスの本隊撃破より、何よりもまず海軍基地の占領を最優先したはずだから、一体どうなっていたことだろうか…。むしろ経済力を考えると艦隊そのものを維持できなかったと見るべきか。

 幸運の女神がアレクサンドロスに微笑まなかったら、間違いなく背後を突かれ敵領内で孤立。マケドニア軍は空中瓦解するか、士気が低下した状態でペルシャ軍と戦うことは不可能だったろう。その名が歴史に燦然と輝くことはなかったと思われる。英雄は例外なく幸運に恵まれる、時代に愛されるというやつですね。

 イッソスの戦い編これにて終了~。一章と同じく諸兵科統合されたプロの軍の前にアマチュアの軍隊は無意味というものだから、その点かぶったという面もあったけども、アレクサンドロス=天才、ダレイオス=バカみたいな単純な話じゃないってのが分かるのがいいですね~。