ブローデルとかウォーラーステインとか、あと10万年の世界経済史
- 10万年の世界経済史 上/日経BP社
- ¥2,520 Amazon.co.jp
読んだ本の感想をば。大転換の方を先に公開する予定でしたが、ちょっと追加・追記するところに苦しんでいるので、先に軽い内容のこれから。
タイトルが刺激的なので図書館で目についたから借りてきた。うーんなんというか微妙すぎる本。有名な『銃・病原菌・鉄』に刺激されて書いた本らしいが、どうも筆者は世銀やIMFの経済発展理論・理屈に異を唱えたいらしい。産業革命以前の社会は豊かさ・個人配分においては、どの社会を見てもそんなに変わらない。そんなことを論じつつ、だからこそ開発経済でよく言われる教育があるとか、インフラが整備されているとか~、いろんな条件が整っているかどうかで経済成長が達成されるかどうか分かるもんじゃないと。
まあ、そういう項目別に経済成長、テイクオフができるかどうかという見方に疑問がつくのは当然です。が、だからといってその指標が15世紀のイタリア?イギリス?ちょっと忘れましたが、そこには殆どあった。だけど産業革命すぐ前の社会でも著しい経済成長も起こらなかった!だから世銀やIMFの経済発展理論は間違っている!―なんていう主張はピントはずれもいいところかと。
読んでいてマルサスの人口論で人口が増えすぎると逆に経済は停滞する=その共同体・国家内で配分するパイの比率が減ってしまうから。戦争や疫病やら定期的に人が減ったほうがむしろ経済的によい。安定した社会が達成され、定期的な人口減は必要不可欠であった。―というのは、まあ一理あるなと思いました(一理ですよ、それが普遍的に好ましいなんてのは全く別の話、そういう面ももちろんあっただろうと)。
ですが、世界中のあらゆる社会の個人の富・暮らしの豊かさを比べるのに小麦を使って比べるってのはどうなんだろうと?日本や中国なんかコメなんだから、それで比べたってしょうがないだろうと。一日酒をどれくらい飲めたか、肉を食えたかとか、そういう指標で比較して、あんまり違いがないとかちょっと苦しいというか、あんまり意味が無い気がしますね。都市だったり農村だったり、山・海住む場所で食生活違うのは当たり前ですし、なにを以って豊か・幸せと感じるかそれはケースバイケースですからねぇ。
欧州が思ったほど豊かではない、産業革命をいち早く遂げて進んだ文明!先進国!かと思ったらそうでもなかった―くらいでしかない気がするんですけどね。ちょうどポランニーのところで労働者は貧しかったとあるように、貧民が圧倒的に多かったのは戦後でもそんなに変わらなかったでしょうから。
産業革命時代に、女性が出産するようになった。早婚化・他産化が進んだ。それは出産で母が死ぬリスクが減ったから。なるほど、ではなぜ減ったのかその説明が欲しかった。さらっと素通りしていて残念。やっぱピントがズレている。結婚しない女性がいるのも、出産で死んでしまうのならそりゃそうですよね。帝王切開なんていう技術がない時代、本当に出産は命がけですからね。よく安産型とか言いますけど、そういう体型の変化=食の向上で体型が良くなったとかないんですかね?
英の世界の工場の結果は、機械化の結果ではなく、このような人口の急増こそが真因。食料需要の増大をカバーするための工業化だと。まあどっちが先とかじゃないと思いますけどね。当時の英はある種今の中国みたいなところがあったんでしょうね。巨大な需要が世界経済を惹きつけ、中心となったというところでしょう。
で、その多産化が上層、知識階級=技術革新をなす上の方でも起こった。それゆえに社会に厚い知的層が増えたから産業革命の背景になったと。
資本主義・産業革命がどうして日本や中国で生まれなかったというテーマは面白い話だと思いますけど、欧州のような多様性が確保されている社会でいろんな要素・条件が偶然からみ合って達成されたもので、あんまり何か特定のそれに要因を求めて説明しないほうがいいと思いますけどね。消化不良感が半端ない本でしたね。途中からほとんど読まなかったですね。因果関係、立論、議論の展開・方向性がしっかりしなかったので。どこに向かっているのかサッパリ感満載でした。
なんというか、なにを解き明かしたいのか、通説を打破して、本当の原則・真因はなんであるのか?結局良く伝わりませんでした。レヴュー見ても半分くらいが否定的ですね。
なんかこういう資本主義を論じる本って大体ウェーバーの話をきちんと踏まえていないんですよね。こういう話をする上で古典的業績を上げた人なんですから、肯定・否定ともかく(ともかくというか前論で)必ず触れておくべきだと思うんですけどね。
そんな単純な事実・背景に絞るより、比較研究の中国やインドや日本やその他どんなものでもいいですけど、そういう実証研究をしっかり踏まえた上ではじめて分かると思うんですけどね。ざっくりしすぎ=結局本当に10万年に及ぶ歴史事例を抑えられていないという感じですね。知識が足りなすぎるというか、扱うテーマが大きすぎて失敗している。もうちょっと絞っていかないと、あやふやすぎてなんとも言えませんね。
ピントがぼけている。もっと着実に小さい研究から積み上げることを目指すべきではないでしょうか?①論文→②論文→③…と⑩くらいまでしっかりやって、そこからじゃないでしょうかね?やっぱり一つ一つがしっかり階段となって最後の屋上にたどり着くようなしっかりした建築物になっている気がしませんね。論じている経済事象にせよ、社会事象にせよ、政治事象にせよ関係性がはっきりしていないと思います。
ブローデルでも読んどくか~。と手を出した本ですが…。うーん、なんというか回りくどい、文章が。そんなに余計なデータいるか?というか調べたことをこれでもか!とだらだら書き連ねただけのような?読んでいてなんかすっきりしないんですよねぇ。- 入門・世界システム分析/藤原書店
- ¥2,625 Amazon.co.jp
- まあ、そもそも彼を一応読んでおこうと思ったきっかけが、このウォーラスティン(ウォーラステインとか、ウォーラーステインとかややこしいわ!訳統一せいよ)のお師匠ですから、チェックしておかなきゃなと。ブローデルは歴史記述を一国、国家モデル中心・主体だったそれから、リージョナル・地域一つの大きな単位に移した。人為的な国家ではなく、地理・場所に中心をおいたという視点を180度かえることで従来の常識に縛られることない新しい視覚を導入したことでもちろん素晴らしい史家だとはわかっているのですが…うーん。
- 文章のそれが下手くそというか、冗長というか、猥雑というか…。今ウォーラーステインのライフワークなんていう文字が書評というか本の説明にあって、本当にライフワーク感覚で時間がたっぷりあるから、そんなに重要でもないことを研究の深みというか厚みを増すために自己満足的にデータを重ねていないですかね?
- もう掘り尽くしたような気がするんですよね~。それ以上そこ掘っても、もう宝はないぞ。違う鉱山掘ろうよ、と言いたいのですが、どうもそういう決断をできる大家はあんまりいない気がしますね。
- 上の川北さんのメチエの解説よんだだけで本当ウォーラーステインは十分なような気がするんですよね…。いや、どうもウォーラーステインの文章読んでいるとなにがツボ・なにがポイントなのかわかんないんですよ。そういう文章読んでいると萎えてくるんですよね、もう。19世紀生まれ~20世紀初の学者なんてみんなそんなものなのでしょうけど。専門家は別に言っていることを事前に知ってるでしょうから、読めないことはないでしょうけど、素人が初見でどう感じるかもうちょっと考えておいて欲しいですよね。今更言ってもどうしようもないですが。長い20世紀/ジョヴァンニ・アリギを読んでちょろっと思ったことでアリギに触れましたが、アリギもこの系統なんですよね…。もうこの学派の伝統なんですかね?このわかりづらさは。
- ああ、そうそう
これを丁度ストックの中からたまたま選んで読んでいたら、ウォーラーステインの世界システムは粗いって言ってたなぁ。周辺とか半周辺とか一応それもあると思う、従属理論は一応考慮に入れておく問題だと思うけども、それで終わりではない。そこから次に何を説くか、なにを研究するかこそが重要だと思う。
何か日本マルクス主義の変種版。支配する奴らは卑怯だ!汚い!ずるしてるぞ!みたいな変な妬みを論理化したような気がしないでもない。彼の著作、一連の論述の中に読むことでより理解が深まるような観念だったり、思考・論考が本当にあるのかなぁ?疑問だなぁ。
河野サンの本はちゃんと読める文章だったので、スラスラ読めたので変なストレスは感じなかった。ハプスブルクがオスマン防衛のためにかなりすぐれた政治制度を欧州でいち早く整備していたという話なのだが、読んでいてちょっと説明・論証の筋立てが弱いかなと。
他の国比較して、この時英ではこのように優れたものがなく劣っているということを論じたり、もうちょっと印象に残るようなものが欲しかったと感じましたね。すらすら~とあっさり展開して、まあそうなんだな、そうかなと認識しますが、そんなにすごいのか!と食いつかせるようなポイントが弱かったと思います。読んでいて途中これ何の実証・主張だっけ?と脱線を己は何度かしましたから。そういう意味で途中駅、ポイント・ポイントで読み手に印象付けるような山場づくり、章終わりのまとめや章初めの前章のまとめなどしっかり整備しておいたほうがいいかな?という感想をいだきました。