てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

スイカの美味しい社会をめざして―スイカのおいしい生活を取り戻すべし

日本を取り戻す!ならぬ、スイカを取り戻す!という話
 スイカってそんなに美味しくないのですよね。甘い水に微妙な食感の野菜食っている感じで。食感第一の己からすると、うーんって感じ。メロンもムニュムニュしててよっぽど水分含んだ甘いのじゃないとそんなに好きじゃない。まあスイカって果物ではなく野菜なんですけどね。

 江戸時代には観葉植物扱い、でかくなるだけの珍なものだったとか。まあ、そんなことはおいといて、スイカの美味しさというのは味というより、食べ方、その独特の食事スタイルだと思うんですよね。

 川・井戸で冷やしておいて、網ネットで持ち歩いて、さあ、これからスイカを食べるぞという準備をする。食べる儀式を整える。それこそが大事だと思うんですよね。太陽が燦々に照ったあっつい昼時でもいいし、涼しくなった夕食後にそろそろスイカでも食べようかしらと、母さんが切ったスイカを一家揃って食べる。

 縁側で朝顔でも見ながらスイカをしゃくりとやって、風鈴の音を聞きながら、足をバタバタやって食べる。種飛ばしごっこをやったり、食べ残したあまりを採って来たカブトムシに食わせたり、そういう展開・ストーリーが重要。結局団欒の象徴だから美味しさを感じる。いいものだと感じるものだと思うんですよね。

 川があって、林があって、虫がいて、まあ結局自然を生活の中にうまく取り入れていないといけないってことでしょうか。 

 そういう物語が大事なのにスーパーでパックで切ってあるスイカでは何の価値もないと思います。ストーリー・思い入れがあるからこそ味があるもの。そもそも大変な思い(?)をして切るからスイカの醍醐味があるというのに。大変さ、苦労こそが風物詩として重要だというのに、電化製品のようにスイッチひとつの手軽さ便利さを追い求めちゃ駄目なものですよね。そんな風にスイカをカットして売ったら意味なんてないでしょうにね。

 スイッチひとつ、あるいは機械化で便利を求めて、いろんなことが苦労せずに簡単にできるようになった。そして人間関係だけが昔のままめんどくさいものとして残っているから、人間関係の複雑さに人はついていけなくなっている、ストレスを感じると名越さんが言ってました。

 が、無駄と決めつけて本当に大事なものを見落としてしまっている。特に本質は無駄の中にこそあって、無駄だからこそ意味がある。背景の色んな眼に見えない大事なものがある。現代的な家庭ではそういう大事なことを見落としてしまっている。季節や自然の味わいという人として重要なことがごっそり抜け落ちているんじゃないでしょうか?

 スイカの美味しい社会こそが我々の目指すべき社会なのかもしれないですなぁ。勿論一つの事例であって、スイカだけ美味しくてもダメですよ?(念押し)

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