てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

体を整える ツキを呼ぶカラダづかい/講談社

体を整える ツキを呼ぶカラダづかい/講談社

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 もはや雀鬼会の回し者、きのこるです(^ ^;)。さて、新刊があったのでちょこっと触れたいと思います。

 ○体を使う遊びは再現がなく、面白い。子供が一番その楽しさを知っている。アスリートが子供の頃からやるようなのは勉強に近い、肉体的なものを下に見る価値観には収まらない(てっきり、勉強に近いから、アスリートも体の本質を見失ってるよ~んかと思ったら、まあそういう話は後に出てくるんだけども)。今の知的・勉強優位社会では肉体=人間の本質を見落としている。

 ○体が流れていないから、動きがぎこちない。目の前のものをつかもう!とするから動きが滞る。触りに行く感じでやると流れは途切れない。プロ野球選手でも名手はゴロをふわっと卵を受けるようにキャッチするなんて言いますもんね。

 ○気持ち、心から入ろうとするから嘘っぽくなる。体は嘘をつかない。体を正直にしてやれば心も自然と正直になる。

 ○現代人はパソコン・携帯で目線が下がりがち。視線を上にしてみるといい。それだけで目の前が広がっていく。脳天気な人ほど上を見上げているもの。

 ○カラダを柔らかくするという目的で何かをやっていない。自然に沿ったことをやる、気持ちいいように捻ったり・ひねったりしていたら自然とカラダが柔らかくなった。

 ○動きは流れて行かないといけない。麻雀で指が開いてはいけない。開くと肘から先の手首を固める動きになってしまう。常に揺れていたほうがバランスが取りやすい。高層ビルの地震を吸収するのと同じ。電車でもつり革を触るだけで揺れに対応できるような姿勢が好ましい。変化が一〇〇ある中で、一つにしかついていけないような体勢はだめ。

 ○脱力をいくら心がけても自然とどこかに力が入ってしまうもの。だから流す・流れというものを心がける。力を抜くというのは、全身を柔らかく動かす。力・エネルギーが散っていって潜在的なものが一気に呼び起こされるようなもの。全身が瞬時につながり、核分裂反応のように力が出てくる。そのような力には、普通の力の条件である距離や速度は必要ない。瞬時に力が出てくる。

 だから会長は、力士とか総合格闘家をふっ飛ばしちゃったりするんですよね~。老人がそういうことをするってのは凄いですよね~。武術家ならともかくありえませんよね。

 ○感覚はつかめない。触るような感じにしておくのがいい。

 ○プロレスラーの中邑選手に教えた、一口食べるという感覚。蹴ろうとすると予備動作が出たり、ぎこちなくなる。だから感覚を変える。一口食べるような感じで蹴ると読まれなくなるし、威力も変わる。力を抜けと言われても難しくて出来ない、こういうふうに感覚をちょっと変えてやるとできたりする。

 ○常識にとらわれると、固定観念からカラダが動かなくなってしまう。バハマの元バスケ選手が見よう見まねで陸上の世界大会で金メダルをとってしまった。バッシュでやったり、足を空中で三度もばたつかせたり、専門家から信じられない動き。しかしその後は鳴かず飛ばず。というのも専門家の今でもこれだけ飛べるなら、本格的にやったらもっといけるという常識にとらわれてやり方を変えてしまったから。本来の微妙な感覚、自分の中のいいものを見失ってしまったのだろう。

 何か、ボブ・サップを連想させる話ですね。

 ○筋肉をつけると硬くなる。硬くなれば怪我をする。ウェイトで筋肉を太らせ全身のバランスを失うようなことはダメ。

 ○相撲取りは指をテーピングして固めている。パソコンのせいか指が開いている若者が目立つ。一見指が開いている方が自由に見えるが、指は閉じないと動きが硬くなる。

 指を閉じないと、手のひらや手首から使えないな~って感覚は確かに感じたことがありましたが、そこまで意識したことなかったですね。やっぱりボードゲーム、指を使う競技の人ならではの感覚なんでしょうか?

 ○女子卓球の平野早矢香選手に教えた時に、練習をした分必ずうまくなるという思い込みがあった。「それじゃあストーカーだよ、練習した分結果が出るというのは間違っている。もっと向こうから愛されるようにしなさい」とアドバイスしたことがある。楽しみ、遊び心が消えて結果だけを求める練習は実にならない。彼女は体のあちこちのバランスが崩れていた。グリップを壊すんじゃないかというくらいぎゅっと握りしめていた。柔らかく持ちなさいというアドバイスをして、彼女自身も感覚の大事さに気がついたようだった。

 ○違和感こそが重要。感覚は常に変わるもの。だから逆に、今日はちょっとおかしいな?という時のほうが、自分の状態を感じやすい。違和感こそが上達の元。

 ○カラダを横に使うことが現代人は多い。だから横に大きくなる。タテに使うようにしないといけない。タテに使えば年をとってもカラダは動く。

 ○赤ん坊は柔らかい、老人は硬い。年を取り、流れが滞るほど硬くなっていく。循環をしないといけない。年を取りカラダの使う部分が減っていくから、異常・不調が出る。肩こりなど使っていないからそうなる。我々は日常驚くほど体の一部しか使ってないのだ。

 ○体の不調が出るところと原因の箇所は別。ある美容師談、頭が凝っている人は辛い・悲しい人が多い。髪がいきいきしてこないから、まずマッサージからはじめるという。心の状態は如実に体に現れる。

 ○カラダが閉じると、心も閉じて病気になる。カラダを開かないといけない。幾つかカラダを開いて肩こりなど解消をする方法が書いてあるので是非見てみてください。

 ○調子が悪くて辛いとき、先にイメージを持つ。意識で先にやる。物を持ち上げるとか、歩くとか。そうするとスムーズに動きが流れる。

 ○不意に暴漢に襲われた時の対処法が書いてあるけど、うーん固まってる普通の人は、その瞬間パニックで固まっちゃいますから我を忘れて何も出来なくなるような…。

 ○3人で重たいものを上げるとき、まず先に間を空けて手を重ねあう。直接手を重ねなくていい。お互いの意識を通して流れを作ってやる。すると、三人のつながりができるから荷物が楽に上がる。見えないつながり、人間にある協同のエネルギーってやつですかね。

 ○強い人は動作が見えない。相手は変に窮屈な姿勢でドタバタ無駄なことをやっていた。いわゆる前回の負けない打ち方の相手が自分から負けに来ていたっていう話ですかね。ドタバタするような獣はいない。サーッと動く。牌を動かすのに指や手首ではなく、撫でるようにしてやれば動かす必要がない。打牌が見えず、陽炎のようだと言われた。

 ○これ面白い話ですね。植芝盛平翁がある漁村に行って漁民をどうしても投げられずに負けてしまったという話。自然を相手にしている漁師は、カラダの恵みをフルに活かすことができた。故に植芝に負けなかったか…。昔はこういうカラダ使いを出来る人があちこちゴロゴロしていたんだろうなぁ。猟師の佐藤金兵衛さんの話を塩田剛三さんも話していましたしね。明治恐るべし…!

 ○潜るとき、潜ろう!なんて考えないで、頭を下にして力を抜けば自然に潜れる。水面に浮かぶとき仰向けで力を抜けば自然と浮く。どこか力が入れば沈んでしまう。柔らかでスムーズな動きをするためには、「~しよう」ではなく「止める」という意識が大事。速く動こうという意識を止めること。

 ○将棋の話。「勝機に触れる」という感覚。一番目に強いこれに触れると、相手も強い勝機を得てしまうから、三番目の勝機にしよう。これなら相手は五番目くらいの勝機になるという感覚。勝機をつかむではだめ、触れるという感覚でないと。頭で考えていて出来ることではない。

 ○耳で見る感覚。音・打牌の音ほうが微妙な心理の揺れが解る。目を見開いた強い勝負師はいなかった。眼差しは皆ぼやっとしていた。やはりな~。目の話をまた書こうとしていてこの話か。目をクワッとするような感じはだめなんだろうな。

 ○親指も小指も機能に応じた使い方がある。親指に力を入れたら、手が切り離されて強い突きは打てない。相撲も親指に力を入れると方に力が入って、腰から下が死ぬ。一流は例外なく小指の使い方がきれい。

 ○追い詰められた時、危機の時こそカラダの本物・本能が目覚める。勝負前に食・睡眠を断ち、ギリギリに追い込んだ。カレーを食べるスプーンのカチャという音でさえ、鐘をついたぐわーんという大きな音として聞こえた。だから勝負前にスプーン・フォークなどは使えなかった。そういう感覚で勝負に挑むと、感覚だけで打っている感じ、相手の牌まで見える感じがあった。修行僧の線香の灰が落ちる音が聞こえるというのも同じ。極限でこそ生命・本能は目覚める。

 ○本物、偽物の話。数年前温泉場ですれ違ったおばあさんがすごく自然な体使いをしていた。挨拶をして返ってくる言葉もまた、いいものが返ってくる。生き方は動きに現れる。テレビを付けて出てくるアイドルとは大違い。商業主義の偽物の世界では、自然と偽物であふれるものだ。

 ○動物は体を使い自然に対応して生きていく。対応をなくしたカラダは自然から離れて狂っていく。不自然なカラダの使い方をする人ほど世の中で賞賛される。

 以上、こんな形でテキトーに拾ってみました。ご一読あれ