てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

君主論①

君主論 (岩波文庫)/岩波書店

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から、やっていきます。

新訳 君主論 (中公文庫BIBLIO)/中央公論新社

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君主論 (講談社学術文庫)/講談社

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君主論 (中公クラシックス)/中央公論新社

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 しかし↑のなんてのも色々あるんですな。新訳する必要があったのでしょうか?この訳書かなり優れていると感じたんですけどね。今、それぞれの評価を見たら、己が読んでるのは最悪だという評価がありましたΣ(゚∀゚;)。中公のが読みやすいってありますね。確かにイタリア政治史知らなければ、誰だよこいつとかこの事件、国関係わからんっていう事例が幾つも出てきますから、それが解説されているという一番下のやつがいいのかもしれませんね。一番値段高いですし、そこら辺凝っているのかもしれません。

 第一章でマキャベリは政体とは君主制か共和制かのどちらかと定義する。そして彼のテーマは君主制に絞られる。この時代の有力政体は君主制だからかな?まあ、そもそもロレンツォ・メディチ=君主に進呈するんだから、君主制を論じるのが当たり前か。

 世襲制か新興か、世襲制でもあまりコチコチの世襲制というのは想定していないようだ。これを彼はその政体に増築箇所を付与したものと表現している。いかに世襲制とはいえ、課題に対し修正・手直しを加えずにはいられないということだろう。

 領土は獲得して増えていく、そこが自由または君主制のどちらに慣れていたか。また自己の軍備で手に入れたのか、他者のそれで手に入れたのかということが重要になる。そしてそれが運命の結果であるか、力量の結果であるかということに留意しなくてはならない。

 共和制についてはローマ史論で論じたのでここでは論じられない。世襲の君主の優位制をマキャベリは指摘する。いわゆる伝統主義の伝統の慣性力が働くため、そのまま旧来構造を維持するだけで済むから。変事に対応するだけでいい。万一奪われることがあっても、簒奪者に不幸があれば取り戻すことは容易い。

 この例にフェッラーラ公をあげ、ヴェネツイア・教皇の攻撃に耐えることができたのは世襲君主制であるが故とする。世襲君主は新しい君主と比較して、必要以上に要求をしないから、自然と民から愛される。よほど人格的問題でもなければ。伝統支配は改革の礎・噛ませ石が存在せず、改革の芽がそもそもない。

 原文そのまま書いたほうが良かったな。氏は改革の噛ませ石と表現する。一つの改革が起これば、また一つの改革の芽が蒔かれる。改革は改革を呼ぶという政治力学が存在するということ。つまり君主制はその改革の芽、スタート地点がないがゆえに、体制動揺もなく、安定しやすい政体だということである。

 三章、新興の君主政体、またその複合、新しいモノと半々のような政体でも本来的に困難がつきまとう。なぜなら人民が支配者を変えればよくなると思い込んで、支配者を変えたがるからである。しかし新しい君主の干渉、それに伴う軍事力での衝突によって事態は、普通より一層悪くなるものである。

 そのため新しい領地を支配することになったあなた(君主)は、衝突によって被害を受けた民の恨みと、新しい支配に服従した民に恩愛を施さなくてはならないために強く出られずに、支配は不安定なものとなるのである。どれほど強大な軍事力があろうとも民の好感なき軍隊は長期的に駐留できないのだから。

 <拙感想>政治学の古典中の古典マキャベリを、君主論を本当に読んでいるのかしらねん?アメリカ様は?支配地・占領地の民の支持がない軍隊、好感を受けられない軍隊が長期的に安定して駐留できないのは古今東西の不変の原則だろうにね。何考えて中東に駐留しているんでしょうね?

 よって仏王ルイ十二世はミラノをたちまち占領し、そして失った。一度目はさほど苦労せずに、ロドウィーコ公が抵抗すれば済んだが、二度目は自分たちの思い描いた未来が得られないとわかった住民の抵抗にあって全世界が団結せねばならなくなった。仏王が領土を維持するためにはどうするべきだったのか?

 反乱が起こった地を再度支配するとき、最早容易にこれを失うことはないというのは真理ではある。反乱者を容赦なく叩きのめす口実が得られるから。が、新しく支配する地が前述の君主制か共和制か、同じ風習・言語で共通性があるかないか―という点が新支配の統治の重要なポイントになる。

 同じ物に属しているとき、自由な風土でないところは支配が容易い。君主の血統を抹消するだけで済む。支配者が変わっただけで何も変わらないから波風が立たない。それは仏の併合例、ブルゴーニュ・ブルターニュ・グアスゴーニュ。またノルマンディーの例を見れば明らかである。

 言語が多少異なっていても風習が似通っていれば容易い。守るべき二点は君主の血筋を絶やすことと、住民の法律・税制を変えないことである。そうすればさほど時間がかかることなく、こちらの古くから続く君主政体に同化していく。では、言語風習制度で大きな差異がある地域を支配した時にどうすべきか?

 そこには幸運と器量が必要となることは言うまでもないが、最上かつ最強な手当はトルコがギリシャにした如く、君主自らその地に住むことである。こうすれば不穏な事態にも即座に対処することができ、重臣の独立も・反乱も容易に対処し未然に潰すことができる。安定した統治に民がなつくのは自然である。

 <拙感想>異文化圏の支配は自ずと難しく、次から次へと不穏な事態が起こり、連鎖的にパニックが生まれる。即座に対応することが重要でブッシュ自らイラクに住むとか。もしくは国防省の臨時組織を作って全権を移譲して、大将がそこに常駐するくらいの事をしなくてはうまくいくはずがない。米は決断力がないですね。新しい戦争をしておきながら、旧来そのものの統治をやっている。二十一世紀の戦争を始めながら、統治は二十世紀のままですもん、そりゃ失敗しますよ。

 最上の手当のもう一つとしては、金のかかる大規模な軍隊より貧しい植民兵をいわば足枷として大量に送り込むことである。植民兵は貧しいゆえに君主に従順であり、文句を言わずに統治に貢献をしてくれるからである。貧しいものは被害を受けて散り散りになり生活できなくなる。それを植民兵として使うべし。

 <拙感想>イラク統治を見るに、アメリカにも中東にも貧しい者はあれど、その生活を立て直す古今東西見られた軍隊・傭兵の大組織が見られないとはこれいかに?まあアメリカならPMC化か。タリバンのようなゲリラ組織じゃなく、植民兵組織が今中東で育っているような気がしないでもない。植民兵キリスト教でもイスラム教でもないそういう新しいスタイルの民を中間クッションとして使わなければ安定しないでしょうね。

 人民支配の要諦は優しく手なづけるか、殺すかのどちらかである。軽い傷なら彼らは復讐心を抱く。軍隊の駐留はその地の収益を防衛費につぎ込んでしまい、野営を転々とすることで自ずと支配地の民の生活を傷つけ、結果全地域から嫌われる。そのような不合理より植民兵を送り込むほうが良い。

 <拙感想>マキャベリが嫌われる由縁、支配は殺すか!手なづけるか!こういう過激なスローガンにあるんでしょうなぁ。しかし「死して後已まん」が別に死ぬ事メインじゃないのと一緒で、前後の文脈読んだら、「民草?殺しちゃいナYO!ホトトギスう~」なんて意味で使ってないことは明らかなんだがなぁ…。

 防衛軍は無用、植民兵は有用―この結論を見てもわかるとおりに、いかに安定した統治を築くかという話・テーマであって、難しそうなら民を殺せという話ではない。回りまわって強行的な支配にかかるコストの大きさを提唱している事を考えると、一見力の支配は安定しているがそうではないという主張だろう。

 いわゆる乱世を収めつつ治世を始める屯田兵と同じ政策ですね、植民兵ってのは。それを君主に理を以って進言しているマキャベリが叩かれる意味がわからん<感想ここまで>。そして強大な外国勢力の侵寇に気をつけろ!と述べる。ローマを例に出し、ローマはそれを見事に行った。強大な敵に対する予見を怠らなかったと。

 当面の強大な敵に対して、放置をするな!時間に解決を委ねるな病気の治療は早いうちにしか出来ない。対処をしようとしていても最早手遅れになるのと同じだとする。シャルルの失敗を引き継いだルイはイタリアの3分の2を支配に置くという成果を上げるも、前述の法則を守れずに失敗した。

 教皇アレクサンデルに手を貸し、教会勢力を増大させ、弱小勢力の造反を招いてしまった。イタリアの単独の支配者であったのに、スペインを引き入れてしまい彼らが頼るべき勢力まで設けてしまった。およそ能力のある人間の欲は賞賛されるが、無能の人間のそれは非難を招くものである。

 ルイは弱小勢力を滅ぼし、教皇戦力を確立し、スペインという強大な外国勢力を引き入れ、自ら移り住まず、植民兵を導入しなかった。これら五つの誤りはともかく、ヴェネツィアから領土を奪うという誤りを犯しさえしなければ彼の身に危害が及ぶことはなかっただろう。

 ロンバルディアの介入排除に重要なヴェネツィアを両勢力が生まれたあとで弱体化させることは、それらを引き入れる前ならともかく、何ら利点がない。伊は西と教皇の手に落ちてしまった。戦争を避けるためにそうしたというのは前述通り、何の言い訳にもならない。

 起こるべき目先の危機・戦争を避ければ、将来に待っているのはより不利な状況だけである。王の婚姻問題とルーアンの僧帽のためにそうしたというなら君主の信義という別枠でまた論じたい。かくして法則を守らなかったルイがロンバルディアを失ったのは至極当然なのである。

 ここから重要な一般原則が導き出せる。他者が強大になる原因に手を貸す者は自らを滅ぼすのである。<ここからちょっと自信ない→>才覚か武力を備えた者が強大な勢力を作り出す。強大なパワーを持つものは必ずぶつかり合う。敵を自ら有利にする愚か者がその闘争に勝てるはずがないからだ(訳が良くないなら、他のやつをちょっと見てみるか、読んでてここはうーんとなったしなぁ※佐々木訳を見ると双方が強力になると疑念を呼び起こすと書いてありますね。実力と策謀で手を課して強大化させたあとで、ハイおしまいにならないと。それが疑念を呼び起こす要因になってしまうと)。

 第四章アレクサンドロスの死後反乱が起きずに、後継者の支配が続いた理由は何であろうか?人の記憶に残る君主政体には2つのタイプがある。君主の他は下僕である形態と、君主のほかは封建諸侯である形態に。封建諸侯は愛顧を抱かれるが、行政官である官僚として働く下僕に服従はあっても愛顧はない。

 高度な官僚制によって経営される体制から離反を招くのは困難であるが、それを一旦打ち負かしてしまえば支配を永続的に行うことは容易い。旧来支配構造を延長すればいいから。しかし封建諸侯は容易く裏切るが、彼らの利権を破壊して領内の支配をすることは出来ない故、支配を永続化させることは難しい。

 続く…君主論②