てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

消費税は民意を問うべしラスト

消費税は民意を問うべし ―自主課税なき処にデモクラシーなし―/ビジネス社

¥1,680 Amazon.co.jp

 <第五章>それを踏まえた上で日本のデモクラシーを見てみよう。江副浩正竹下登中曽根康弘。平成元年の三悪党として世に喧伝されている。それに藤波孝生冠者。リクルート事件の狂騒は現代日本の積弊を一気に摘出した。この反応を見れば日本デモクラシーと日本人の宿痾がよく分かる。

 リクルートなんて大した事ではない。金権万能の現代の世の中で人々は政治家は清潔であれなんて、本気で要求している訳はない。政治に金が掛かり過ぎるくらい誰でも知っている。政治に金が掛かり過ぎる根本的な責任は大多数の選挙民に帰する。政治の浄化なんか出来っこない事も誰でも知っている。

 政治家は清潔であるフリをすれば良い。バレないようにすれば良い。清潔であるとのイメージ作りに成功すれば良い。リクルート問題を契機にして、自民党の危機が叫ばれている。政治の危機さえ人口に膾炙している。では、一体全体何がどう危機なのだ?

 或る人は言う。政財官と日本のトップ。エリートの中枢が、斯くまで広くリクルートに汚染されたから、これは体制の危機なのだと。これは危機なのだろうか。嘗て元検事総長伊藤栄樹氏は「巨悪は眠らせない」と言明して喝来を博した事があった。が、遠山の金さんタイプの検事・裁判官はとんでもない事。

 桜吹雪の入れ墨で有名な北町奉行所の遠山の金さんは、封建時代であればこそ名奉行(名検事、名裁判官)になりうる。近代社会でこんな検事をのさばらせておいたのでは、社会は成立しない。デモクラシーは須臾(僅かの間)にして滅びる。今の日本ではこれがわからない人が圧倒的に多い。

 それだからデモクラシーの危機なのだ。今の日本本当の危機はデモクラシーの危機。近代デモクラシーに於ける最大のテーマの一つは、個人を権力から守る事である。その為に近代デモクラシー国家は、十重二十重に防衛網を張り巡らしている。ホッブスは近代国家に於ける権力をリヴァイアサンに、米に亡命した独の政治学者フランツ・ノイマンは、ナチスの権力をビヒモスに仮令た。リヴァイァサンもビヒモスも旧約聖書に出てくる怪獣。オスメスの違いはあっても、ナチスの権力もその他の近代国家も、その恐ろしさ違いはない。唯一の違いは、近代デモクラシー国家に於いては歯止めが掛けられている事。

 権力と言う怪獣は鎖に繋がれている事。これに反しナチスでは怪獣は野放しにされていた。この違いだけだがこれがポイント。古代中世に於いては、如何に強大なる専制君主と雖も、ガッチリと伝統主義の手枷、足枷、首枷から腹枷、背枷まで架けられて、「強大なる」権力と言ったところで見掛け程の事はない。

 暴君皇帝ネロの盛時ですら、彼はちっぽけな寺院に逃げ込んだ奴隷を如何ともする事が出来ず、浅野内匠頭に一気に切腹を命ずる事が出来る程の将軍綱吉すら、生母(桂昌院)を女性最高位の従一位に叙する為に苦心惨愴し、英議会がスチュアート絶対王朝に抗し得たのも、伝統的諸権利を盾に取ったからだった。

 前述通り、近代主義国家における主権者は神の如き絶対者となっている。何故こんな怪獣になったか?絶対権力なくしては伝統主義的な残滓を一掃する事が出来ないからである。伝統主義に呪縛されている限り、近代国家では有り得ない。伝統主義に呪縛されていると社会環境を、所与であると思い込んでしまう。

 変えることなど出来ないとそう信じ込む。こうなると、社会改革なんか有り得っこない。封建社会の様な前近代社会を変革して、近代社会を建設する事など、夢にも考えられなくなるのである。この様に、人間を取り巻いていて人間が動かす事の出来ないものと信じ切っている事を、社会的事実と言う。

 伝統主義社会に於いては、人間を取り巻く伝統、習慣、制度など全て社会的事実だと考えられている。取り分け重要なのが権力、特に政治権力(そもそも当該社会に政治権力が存在すればの話だが)である。故に政治権力は所与としてそこに在って、人間の力で如何ともし難いものと念じられている。

 政治権力は神聖なるものと信じられている。被治者の作為に依ってこれを選ぶなんてとんでもない。徳川時代に於いては、浪人や書生など政治を論ずる事は処士横議(身分や組織の枠を超えて議論する事)等と言って、良くない事だとされていた。況してや、百姓、町人に於いてをや。

 この様に、権力が社会的事実として所与で動かし難いものだと信じられている処に、近代国家発生の余地はない。況して、デモクラシーなど夢にも考えられない。近代国家は伝統主義の打破から始まる。習慣、制度、権力等は社会的事実ではなくて、人間の行為を以って選択し得ると言う思想から始まる。

 丸山眞男氏は、これを作為の契機と呼んで特に重視する。作為の契機こそ近代デモクラシーの淵源である。しかも、如何なる社会に於いても伝統主義の呪縛たるや、執拗この上ない。伝統主義の打破は困難この上ない。奇蹟的突破が必要となる。現代の日本に於いてすら、如何に伝統主義の呪縛が強靭か。

 例えば税制改革と並んで失敗続きの教育改革。教育に関心のある者にして、日本教育の弊害に付いて切論しない者はいない。立場と思想の如何を問わず、日本の教育がこれでいいなどと論じている者はいない。教育を何とかしなければならないと誰もが思い、教育改革も幾度となく試みられた。

 そして改革は悉く失敗した。単に失敗したと言うだけではない。努力を重ねれば重ねる程、教育は悪い方向へと移っていく。税制改革との類似。藪医者みたいに、弄れば弄るほど悪くなる。散々弄り抜いて、手が付けらなくなったのが日本の教育制度である。何故あれほどの熱意と努力があって悉く失敗したのか。

 伝統主義だったからである。社会的事実などなく、人間の作為を以って自由に制度を設計し得るものである事を理解してなかったから。この場合の「人間」とは、教育を受ける者と教育をする者。これらの人々が自由に教育制度、教育習慣、教育に於ける権力を選び得る時、教育に作為の契機があると言える。

 恰も被治者に依る権力の選択があって初めて、政治に於ける作為の契機がある様に。デモクラシーでは政治に於ける作為の契機こそが、全ての出発点であるが如くに。日本教育は伝統主権の呪縛により作為の契機は全く認められなくなってしまったのであった。ベストセラーにの『窓ぎわのトットちゃん』。

 これが再び書かれる事はないであろう。なぜなら黒柳徹子氏の『窓ぎわのトットちゃん』にある「自由ヶ丘学園」が許可されるような事は今や不可能であるから。昭和十六年までは、誰でも割合自由に学園を創設する事が出来た。それが突然出来なくなってしまった。昭和十六年四月一日

 「国民学校令」に因って、小学校や中学校を自由に作る事は許されなくなってしまった。いちいち文部省当局の厳重な審査にパスしなければ小学校や中学校は作れなくなった。なぜか?文部省を筆頭として日本の教育がヒットラーに気触れてしまったからだった。文部省は全国全ての小学校を国民学校に改革した。

 こうして明治以来の由緒ある「小学校」は一斉に姿を消した。飽くまで名称変更を拒絶した小学校はなかった。完全な国家統制である。それと共に自由に学校を興し、自由な教育を行なう事は出来なくなった。教育が完全に国家統制の下に置かれる様になったのは、大戦直前の昭和十六年(1941年)の始め。

 教育の完全国家統制は戦争中ずっと続けられた。それが今でも続いている。小学校や中学校を私人が自由に作る事なんぞ出来はしない。自由に学校を興そうとしても文部省が反対する。どうしても、認めようとはしない。また日教組も文部省と一つ穴の狢。日教組も教育の完全国家統制を強力に支持している。

 自由に学校を作ろうとすると猛然と大反対して、芽を双葉の内に摘み取ってしまう。文部省と日教組を誰しも敵味方だと思い込んでいる。見掛け上は確かにそうだ。しかも一皮剥けばヒットラー教育理念の確信者である事に於いては同志もいい処。斯くて、今も日本の教育は完全なる国家統制下にある。

 その何より証拠にトットちゃんの「自由ヶ丘学園」、戦前に栄えたこの小学校が戦後に復興される事はなかった。理想的教育者、校長先生は戦後もピンピンしていたのに。「自由ヶ丘学園」の復活を法も文部省も日教組も許さない。これなど本の一例。教育の国家統制。その弊害たるや留まる処を知らない。

 例えば予備校や塾の正規学校への昇格の道は完全に閉ざされている。実に由々しき事である。現在日本の公教育。下は小中学校から上は大学に至るまで、だれ切りだらけ切り堕落し切っている事は誰の目にも明らか。これに反し全くの私教育たる塾予備校の類い。日に夜に隆盛へ向かっている。旭日昇天の勢い。

 その理由は明白である。公教育は学校自身の制度が国公立であると私立であるとを問わず、完全な国家統制下にある為、競争原理・市場原理が働かないからである。塾予備校は競争に敗れれば破綻する。争って良い教師を引き抜いて、良い授業を為すべく競い合う。これで内容が良くならない筈がない。

 これに対し国公私立はどうか。どこをどう見渡しても競争なんか見当たらない。特に良くないのが「人材確保法」。教育界に人材を呼び込む為に作られた。それまでは先生デモやるかと言う人か、先生シカ出来ない人しか学校の先生になりたがらなかった。だから「デモシカ」先生。よって人材確保法が作られた。

 学校の先生の給料を役人やサラリーマンより良くしようとした。待遇を改善して、教育界に人材を呼び込もうと言う狙いだ。それが裏目に出た。学校の先生の椅子は余りにも座り心地が良過ぎるので、先生がその上で安眠を貪って働こうとしなくなってしまった。先生の仕事は休みは多くて仕事は楽。

 授業がつまらなくてもクビになる事はない。子供を人質にとって父兄へは威張り放題。今の世に先生ほど気楽な稼業は他にない。それでいて給料はいい。共稼ぎも容易で普通の家庭のざっと二倍半くらいの収入が確保できる。その上見つかりさえしなければアルバイトも勝手。こうなったら堕落するに決まってる。

 過保護のピーターパン・シンドロームと騒がれているが、教師の過保護こそ最たるものだろう。登校拒否が生徒の中だけでなく、教師の中でも急速に拡がっていると言うのも、当然。それでいてどんないい授業をしても生徒の為にどんなに尽くしても、人生の師表となる程に人格を研いても何も酬われる事はない。

 却って煙たがられて敬遠されかねない。これでは教師のやる気も志気も消し飛んでしまう。競争がないと必ずこうなる。市場原理が作動しないと、お客様(生徒、父兄)のニーズは棄てて顧みられなくなる。それが当然。公教育は統制下に置かれて腐り、私教育は日進月歩。

 到頭日本の教育は非公式な塾・予備校に依って担保されるまでに成り果てた。だが日本の小中高校はまだいい。塾や予備校の後塵を拝するようになってしまったが、米など諸外国の初等・中等教育機関に比べるとまだ可成まし。それがもう現代日本の大学となると、何とも彼んとも名状し難い。

 日本の大学に限っては世界最低であると言っても過言ではない。世界最低と言う認識で識者の意見はほぼ一致する。ここでは日本の大学が世界最低である事を如実にデモンストレートする例を三つほど挙げて、結論の代わりにしておきたい。①大学問の教員、学生、単位の移動が自由でない事②外国人が少ない③図書館の不在。

 日本の大学に一瞥を投じて何ともグロテスクなほど異様な事は外国人学生が先ず見当たらない事。欧州の有力大学ともなると、少なくとも二〇、三〇%くらいが外国人学生であるのが普通。米では割合に外国人学生が少ない大学もあるにはある。

 が、他方これが米の大学かと訝りたくなるほど外国人学生の多い大学もある。日本ではこんな事マア考えられない。奇妙奇天烈な入試制度のせいで、外国人が日本の大学に入る事は不可能に近いほど困難になっている。一流大学に外国人が合格しようものなら、ニュースになる程。入試だけではない。

 日本の大学は考え方そのものが外国人学生に閉鎖的。こんな話があった。エルサレム大で日本学教授をしているシロニー博士の話。若い頃東大の大学院で研究をしていた。日本人は親切で諸待遇も悪くはなかった。ただ驚いた事に何人でも何専攻でも関係なく、皆一纏めに括られて、外国人専用室を宛がわれた。

 これ出島のセンスではないか。日本人のセンスは未だ徳川時代言っていいほど閉鎖的。外国人に対してだけではない。日本の大学は外国に対してだけでなく日本国内でも開鎖的。外国人なら皆呆れるほど閉鎖的。大学問の単位の交換は減多にない。他大学の授業が受けられる事が例外的である事は兎も角、他大学で取った単位は原則として認められない。卒業の為の単位や学位申請の為の単位として通用しないのである。

 マサチューセッツ工科大学(MIT)やハーヴァード大学で取った単位ですら、日本の大学(大学院)ではまあ通用しない。この話を米の教授達にしてみたら、みんな笑っていた。「日本では、MITやハーヴァードでさえ、無資格大学か」と。学生や教授についても同じ。日本の大学は欧米の大学と違って、学生や教官が自由に移動する事は出来ない。学生が大学を転校する事は先ず有り得ない。学士入学すら既に珍奇な制度である。

 他大学へ行くならもう一度入試を受けて一年生から再スタートしなければならない。つまり、他大学に於けるキャリア何か全く無意味であると見倣すのである。こんな事欧米の大学では考えられない。教室の移動もまた儘ならぬ。有能な教官を見つけても引き抜く事は困難である。

 それは兎も角、どんな無能な教官でも、これをクビにする事は先ず不可能。無能な教官をクビにする事は、戦前既に不可能であった。こんな前例があった。澤柳政太郎氏が、勇んで京大総長に赴任してきた。澤柳氏は東北帝国大学総長の時、アインシュタインを呼ぼうとした人である。

 大学は教授次第で良くも悪くもなるとの信念を持っていた。何としてでも、良い教授を具えなければならない。無能教授は追い出してしまえ、京大に無能教授はいないか、と探すと老朽教授が三人ほど工学部に見つかった。澤柳張り切り総長は首切り浅右衛門の如く、バッサリと三人の無能教授を斬った。

 恰好いいと大向こうが唸るかと思いきや法学部教授会が怒った。総長の遣り方は学部の自治権を干犯するから許せないと言うのであった。スッタモンダの末、追い出されたのは澤柳総長の方であった。この前例に因って無能教授と雖も当該学部の教授会の承認がない事には追い出せないと言う慣行が確立された。

 学部教授会の承認なんぞ持ちだしたら議員の不逮捕特権が否定される確率よりも小さくなる。誰だって、自分が座っている座布団を引っ剥がす事は出来ないもの。この慣行は戦時中もずっと続けられ、戦後まで及んでいる。戦前、戦中と大学騒動と言えば、思想問題を巡って為されるのが通り相場であった。

 教授が無能であるからクビになった事を巡っての騒動は右の澤柳騒動に限る。何れにせよ、教授会を中心に猛然と反撃が為された。飽くまで大学の自治を守ろうと言うテーマであった。この際大学の自治を守るんだと言ってみた処で、運動の主体となったのは東大の経済学部、京大の法学部、経済学部だけ。

 東大京大以外の大学で大学の自治を守るための騒動など起きた例は一つもなかった。専門学校はもちろん、それ以外の大学で自治を求めて政府に反抗する力はなかった。政府も見縊り切っていて、敢然として政府に反抗する我儘なぞ許しっこなかった。現に東大で農学部の教授が「反国家的思想」故に罷免された。

 が、何事も起きなかった。農学部教授会は、これを甘受した。東大すら農学部はこんな有り様。況してや東大京大以外の大学に於いてをや。この事を良く記憶しておこう。終戦までは、大学の自治なんて言ってみたところで、東大と京大だけのしかも法学部と経済学部に限っての専売特許であった事は前述した。

 それが終戦に因って状況が一変した。大学自治の特権はそれ以外の大学、それ以外の学部にまで拡大された。専門学校が昇格した大学、師範学校が三階級特進した大学までが大学の自治、政治権力からの干渉の拒否を叫ぶようになった。そこまではいい。そう来ない事には学問の自由は保障され得ない。

 が、不幸極まりない事に、各大学の要求はそれ以上にエスカレートされた。学問の自由に学問をしない自由までが加わった。無能である事の自由までが加わった。戦後日本の教育制度は、通称六・三・三・四制度と呼ばれ、米教育制度の模倣だとされている。一見、日本の教育制度は米の模倣の様に見える。

 が、それは外見だけ。米教育制度の見掛けを輸入しても、肝心の処は自由化されず未輸入の儘。米教育制度の肝心な処は激烈な競争原理である。米の大学に於ける競争の猛烈さと言ったらない。論文を発表するか減びるかと言われる。助教授などが業績も上げずに荏苒として時間を空費してしまったら一大事。

 先ずはクビになる(例。任期が終わった後に再び雇って貰えなくなる。より格の低い大学に移らざるを得なくなる)。助教授など、より上のポジションを得た後でさえも、油断は大敵である。業績が上がらなければ昇進はしない。給料も上がらない。米流の業績主義、万能とは言えない。色々と弊害もある。

 だがもし日本が戦後の教育大改革に際して、米流のシステムを輸入していたらどうか。大学の長期停留はなかっただろう。大学は世界の最後進と言われる事もなかっただろう。日本の大学は世界にも珍しい競争の真空地帯に成り果てた。ここでクイズを一つ。今の日本で身分保障が完璧なのは一体誰でしょう。

 憲法で身分が手厚く保護されている者として、国会議員や裁判官等がある。が、国会議員は選挙で落選したらそれっきりで、樹から落ちた猿よりもみじめになる。裁判官も再任を拒否されたら、身分を失って只人になる。でも、裁判官の再任拒否、これは滅多にある事ではない。では安心かといえばそうでもない

 常に努力を重ねていないとどさ廻り。草深い田舎で狸や熊の裁判でもして流浪の身を託つ事になる。それが嫌だから裁判官たる者、クビにならなくても安逸を貪ぼっている訳には行かない筈である。憲法で身分が保障されている裁判官の世界にも、矢張り激烈な潜在的競争があると言わなければならない。

 潜在的競争。これぞ日本社会に特徴的な競争原理の在り方。確かに日本社会には米社会に於ける如き、剥き出しの競争=顕在的競争は余りない。今の日本社会に於ける特徴的な競争は潜在的競争なのである。だとすると身分保障が完璧なのは一体誰だ。教師だ。

 日本の教育制度は何時まで経っても伝統主義から抜け切れないのだ。教育改革、その呪われた構造はその儘税制改革にも当て嵌る。教育改革と税制改革。この二つの呪いに掛けられた日本。その未来は悲劇か祝福か、呪諷か。みなさんはどう思われるのだろうか。この事に良くお気付きであろうか。