てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

憂死・憤死について あと于禁の話

■史家の基本的な知識として憂死・憤死というのは自殺というのを聞いて思ったこと。

 自殺というのは抗議の意味合いがある。焼身自殺で支配への抵抗、圧政を諸外国・国際世論にアピールするなんて言うのを時たま聞くが、此の時代の自殺に時の政権批判として怒りを買うということは起こらなかったのだろうか?

 史記なんかには伍子胥が刑死して、その時わしの目を飾っとけ!国が滅びるさまを見届けたるわ!なんて言ってしたいごとポイ捨てされたなんていう話があったけど、それでも家族・一族に累が及んだという話にはならない。まあこれは自殺じゃなくて、初めっから処刑宣告されているわけだけど。

 どうして自殺=国家反逆!ではなかったのか?不敬罪で一族皆殺しにならないのだろうか?日本、江戸時代あたりだと腹切りはまさしく詰め腹を切らされるというやつで、「打ち首」と「腹切り」では意味合いが全く違う。東洋特有の名誉剥奪&回復という観念で、公式に罪人として時の権力者から睨まれたらその人間は永遠に罪人として公式記録から抹殺された存在になる。腹切りだと打ち首と違って、罪云々はともかくとして本人が死ぬことでチャラになる。残された一族に罪が及ぶ、公式に差別されるようなことには基本的にはならない。無論、残された一族はそれを引きず事になるけども。

 単純に国家反逆罪で乱を起こしたら一族皆殺しだけど、自殺とかにはどうぞどうぞという感覚だったのだろうか?

 そして当然自殺ということになると次の疑問が浮かんでくる。一族が彼を生かしておくと累が及んでしまう。一族として抹殺を図って、時の政権に目をつけるのを避けようという判断がなかったのかということ。まあ儒教を見てわかるように中国の根本規範(グルントノルム)が家族にあることを考えるととても考えにくいのだが、憂死という表現にあるように、劉曄なんかがその死去の前に発狂、精神に異常をきたしたケースなどはありうるのではないだろうか?精神を病んでしまったケースなんかでは例外規定があったりしないのか疑問に思った。そこら辺はどうなっているのだろうか?

 江戸時代は大名が専権を発揮してしまうと藩が危機に陥ってしまうから家老たちの判断で「押込」、ご乱心として強制的に囲い込んで退位させるなんていうことがあったというけども、精神を病んでしまった場合などどうしていたのだろうか?こういう時一番考えられるのが事故死として暗殺を隠す、事故死で片付けるなんて言うケースが多そうなのだが、そういえばあんまり事故死って聞かないなぁ。どっかの獅子王なんか水浴びして溺死とか、なんやそれっていう死に方があるのに。

 正月に老人がよくもち食って喉に詰まらせて死ぬなんていう話があるけど、そういうのは恥ずかしいから全部病死にしちゃうのだろうか?それとも死因書かないで単純に死にましたと書いてある場合はそういうケースを疑ってもいいのだろうか?

 暗殺みたいなケースはもっとあってもよさそうなんだけど、そういうのってあんまり聞かないのはなんでだろ?

于禁の話

 なんとなく軍人の場合憤死、文人・高官になると死になるのかな?っていう感じだけど、なんか違いあるのかな?

 んで自殺といえば荀彧か于禁が気になるところになりますけども、今回は于禁の話で。この前軍隊の指揮官に必要な能力はコネ、顔が利くことなんてのを書きましたが、于禁の自殺というのは捕虜となってキャリアに穴が開いたことが一因としてあるんじゃないかな?ということを思いつきました。

 曹操が直に軍を率いて初めて大軍を動員できる=最高司令官としての曹操がいない限り、魏という大国であっても十二全にはその能力を発揮できないようになっているわけですね。別に彼の能力が突出していたとか、そういう人間がいないと大軍を動かせないというわけではなく、特定の地位にあるものしか大軍を動かす権限を与えられないシステムになっているからですね。

 曹操以外に全軍を動かせてしまうような人間が出てくると違う問題、反乱の懸念があるので出来ないようになっています。各方面司令軍も夏侯淵曹仁など一族しか付けないようにしていました=絶対裏切らない人間に任せていたわけですね(なぜか一族の中で曹洪だけは夏侯惇のような大将軍みたいな扱いも受けないわけですが…。なんで彼だけ一方面軍を任されるようなことがなかったんでしょうかね…能力上の問題があってももうちょっと要職ついてもいい気がするんですが。曹洪問題は曹魏を考える上でなんか引っかかる、重要なポイントなんじゃないかな?って気がしています)。

 で于禁と言えば張遼楽進と言った曹操五大将軍の一人なわけですね。張郃徐晃はちょっとキャリアが浅いことを考えると、この三人はやはり別格になるわけですね。合肥張遼楽進・李典が不仲だったという話がありますが、張遼楽進はランクでそう変わりがない出世敵みたいなところがあって、どっちが上にあるかあやふやなところがあるわけです。だから当然仲いいわけ無いですね。従軍の早さから言うと楽進なんでしょうけど、騎馬軍の能力から言って張遼というところでしょうか?事実張遼が主体となって孫呉を撃退しましたし。

 楽進が死に、張遼曹丕に第一の信任を受けたといっていい状態(そして直ぐ病気でなくなるので、体調が万全だったとは到底言えないでしょうね。)。そういう環境で孫呉から帰ってきた彼はかなり微妙な立場だったはず。曹操荊州征伐のときに趙儼が于禁張遼張郃など七軍をまとめていたこともありますが、曹爽がいたからこそであって、趙儼単独で軍を完全にコントロールすることは不可能だったでしょうしね。

 ということを考えると夏侯惇、彼が死んでしまったことが意外と大きく作用したんじゃないかな?と考えています。彼自身あんまり目立った功績がない人ですが、曹操のそばにあって、軍の動かし方を知っている人間。夏侯惇が生きていたら曹丕時代になってもずっと大将軍で在り続けるとは思いませんが、少なくとも様々な将軍に顔が利く存在として歯止め、制御因子になったと思うんですよね。于禁が孤立してしまったのも、そういう上の存在がいなくなって世代交代が一気に進んでしまったから。こういう点にあると思います。

 まあ夏侯惇がいても、空白の二年ですか?そう言う間に下の人間がいなくなったり、昇進したり結構入れ替わるわけですよね。その空白の時間の間に于禁の顔が利かなくなるわけですね。そういう新しい人間には。というか他の人間との関係が深くなる、新しい関係が築かれてしまうというか。そういうこともあって、復帰するのが凄い難しかったんでしょうね。例えるなら出産・育児で会社に復帰したら職場が大幅に入れ替わっていて馴染めなくなってしまったというか。

 帰還しておかえりなさいと暖かく迎えてもらえるような環境だったらまた別だったんでしょうけど、功臣として廟に祀ってももらえないくらいですから。周りも白い目で見て大将として慕ってくれるとか、下のものが積極的に彼と関係を築いて出世の足がかりにしたい!というような状況になかったんでしょうね。ですから悲観して自殺したということなんでしょう。