てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

呂后の三族皆殺しへのコメント

メモがてらですの話ですが―

 呂后夷三族を廃止してるんですね。んで夷三族を復活させたのは王允で、最初の適用例が董卓だった。王允もその後董卓の手下に同じ目に会いましたけど。この時代は極刑に一族まで拡大させる、そこまでしないともはやどうにもならないという状況があった、そこまで危機が極まったということでしょう。他に適用された例あったっけか?

 常々呂后戚夫人の人ブタ事件というのは怪しいなと思っていましたが、三族皆殺しを止めた呂后が彼女一人に刑を狭めた結果がその残虐刑というなら理解できることかもしれない。

 呂后戚夫人一人で刑罰を止めたことは賞賛されることであって。三族皆殺しを止めた結果、刑罰が緩くなったと捉えられる=社会の規律が緩くなるのも困るという結果からあの残虐な措置になったという説を考えましたが、そのような説・見解は既にあるんですかね。 どうなんでしょうか?

 あと余計なコメントおまけ。イスラムの四人まで娶っておkっていうのは当時戦争で未亡人が生まれた、社会保障の意味合いがあったわけだけど、平和時だと当然アンバランスに為るんだが、その点どうだったんだろ?前身のサーサーンが貴族の女囲いがひどかったとかあるから、やっぱ社会背景に数人娶る必要性とか、なんかそういった事情・文化背景があったのかな?とふと思いついた。エクソミーがない父系集団を構成する中東社会において、そういった家族制度と何か関係があるのかな?なんつーか、ぽっと突発的に出てきた制度じゃなくて、もっと何か理由がありそうな気がするんですよね、イスラムの四人まで娶っていいという多妻制って。