てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

織田信長 (人物叢書)/吉川弘文館

織田信長 (人物叢書)/吉川弘文館

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 バランスがとれた本、ってツイートが流れてきたので、手を出してみました。まあ、いつものとおり、てきとーな個人的メモです。

 美濃平定、天下布武は果たして全国支配なのか?それとも近畿一帯のことなのか?分国と天下という意識の違い、観念の違いが存在する。自分の領地、支配地域が分国でその他を天下といった感じ。どっちかというと近畿・畿内という気もする。支配が一帯に及んで、その後に拡大という感じじゃなかろうか?義昭を伴う上洛&義昭パージを考えるとそんな気もする。まあ、どこからどこまでという線引もあんまり意味無さそうだけど。

 そうじゃなかったら天下布武と言った時、絶対調子こくなよと叩かれる、不敬になりそうなんだよなぁ。天下布武畿内安定=幕府再興とみると、義昭擁立も凄い筋が通るし。朝廷から元服費用、御所の修理費用=銭の無心。将軍・天皇と言った既存権威を利用する、まこと見事に立てている。こういうところを見ると破壊者・改革者のイメージにそぐわない、権威に従順な信長という像が見えてきますね。

 副将軍・管領太政大臣・関白・将軍、既存権力システム=官位にはつかない政治システムを整備しないといった信長政権の不安定性がありました。これが信長を語る上でのポイントでしょうか。権威と権力=朝廷&幕府と信長。義昭に武田・上杉・毛利が呼応したように、まことに権威、既存秩序回帰の慣性力は強い。

 天下静謐という大義名分で分国拡大を正当化。浅井長政の裏切りは畿内バランス・オブ・パワー崩壊になるからだろう。友好国・同盟国にはなっても、従属国になる気はなかったというところかな。畿内の安定のために信長を中心とした集団指導体制のつもりが、信長は朝倉討ち=畿内一統を図ったわけだからね。もし信長についてくるならそれこそ畿内の半分は所領にしますよ!とか約束してればまた別だったんでしょうけど。信長はそういった約束・交渉をしませんね。説明をしないという独裁型トップの悪しき性質でしょうか。

 うーん、比叡山=軍事力を備えた殆ど公式大名と変わらない勢力と天皇・公家はちょっと違うと思うんだけどなぁ。まあ信長におもねるということは変わらないんだろうけども。

 朝倉追討に遅れた信盛への叱責、後の追放の理由の一つ。杉谷善住坊の処刑=残酷で彼の人間性を象徴していると書いてありますが、トップの暗殺は一気に政権を崩壊に追いやる脅威ですから、残虐に処刑するのは極めてフツウのことだと思いますけどね。

 長篠の戦い、配下の備中守、長門守、筑波守名乗りの承認を得る=西国征服。商業政権である信長にとって東・北より西という意味合いは何よりも大きかったのだろう。

 越前根切りで本願寺との和議=天下静謐の達成、家督を信忠に譲り、頼朝同様の大納言・右大将に。但し幕府をひらくわけではない、フリーな立場になる。幕府に変わる正式な政治制度もなし。

 天皇・公家救済のための徳政令、長年錯綜した権利関係を解決できるはずもなかった。朝廷に官位を持ち、寺社本所領の安堵に、五摂家という形の復活。信長の公武一体かな

 松永久秀への裏切りに、何の不満があるか問いただす=許している。荒木村重も同じ。西国利権、独立性はよほど根強かったのではなかろうか?秀吉も上月城攻めで磔、残虐行為。宇喜多直家の赦免について曲事だと怒る、のち赦す。

 村重一族への残虐処刑。信盛親子の追放に、林秀貞、安藤守就親子、丹羽氏勝などを窮地のときに野心を持ったという理由で追放。そんなこといったらだれだって好きなときにクビにできてしまうわ…。

 新領土の国人を一掃し、譜代に切り替えていくのはまあ自然の発想だろう。むしろ親藩が少ないのがなんでだろ?お家争いを恐れたか?不安定な政治制度で、信賞必罰が厳しすぎる。重臣でもいきなり追放されるという恐怖、結果を出している秀吉に対し、四国で仲介路線を否定された光秀。どういうルールで怒りを買う、懲罰されるかはっきりしない。またどこまで罰を受けるかも信長の裁量しだい。あやふやなシステムすぎる。全権委任しといてあとからこれがダメだと難癖付けられる。見返りも大きいが、それ以上に不安がつきまとう。である以上謀反に走るのも選択の一つになるのだろう。

 信長が農民と向き合わなかったってのはどうかな?そもそも畿内で当時検知できたのか?という気もするし。ただ信忠への継承問題ってのは確かにあるだろうね。でも譜代で占められている以上、そんなに問題にならない気もするけど。信忠継承の際、高祖劉邦のように譜代じゃないから…っていう理由で取り除かれる心配が明智にあったとか?武田が予想外に短期間で滅んでしまったこと。いよいよ全国支配が現実化したことも意外と影響大きかったんだろうなぁ。譜代じゃないから、明智は畿内の領土を奪われて、四国どころか九州とか、大陸の有力大名にされるとか、あったかもしれんしね。

 まあ、ようするにここまで政権が大きくなったのに、なんの政治制度も整えなかったこと。失敗してもある程度保証してやること、重臣たちが重役会議である程度意見を言えて、その声を反映させるようにすることといった組織の常識が全く守られていないですね。尾張一国くらいならまだしも、全国を支配しようという大組織になっても、昔のままの政治制度を採用し続けた。そんなところに失敗の本質があるんでしょうね。その後の秀吉政権で設けられた五大老なんてのはそういう性質、大組織を円滑に動かすためのシステムという意味を持ってるんでしょうね。

 関係ないですが、最近唐関係の本を見て、西拡大路線を取っていて、タラス河畔の戦いで拡大路線が失敗して、縮小路線に入るとき反対側の東の有力者安禄山が反旗を翻すっていう構図が似ていますね。秀吉の唐入りの失敗と、その後の徳川政権の樹立というのは。まあ政権のトップは死んでないし、反旗を翻したものが、拡大路線派と縮小路線派で全く違いますけど。成功・失敗も違いますしね。

 反信長の声が根強いという冒頭の入り方があったので、変な方向に行くのかな?と思いましたが、そんなにおかしいところはなかったですね。普通に淡々と解説・紹介していくので、入門書としては最適なんじゃないでしょうか?なんというか歴史の主流以外の裏、傍流に注目するというのが流行っている中で、そちらに目を向けよ!見落とすな!と言いたいのもわかりますが、そういう時代に残虐とか変に取り上げてもしょうがないと思います。当時ではそれが常識だったんですからね、そういう時代背景があったのですから。無論、それが許されるかどうかといった倫理・道徳とは別の話ですよ。

 谷川さんでしたっけ?その人が入門にいいと言われているようですが、この本も普通に優れた、良書だと思います。参考文献としては必ず参照されるたぐいになるかと。