てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

劉邦の本名がわからない、邦は後付というウソについて。

 博士の中国原論読んでいて、劉邦は父・母の名前がおじさん、おばさんくらいで名前がわからない。劉邦も本当の名前か怪しいというのをみましたが、別に史料に残っていて、普通に劉邦という名前でなんの問題もないということを聞きました。

 では、劉邦って本当の名前なの?ってどうして疑われちゃったのか?どこかのお偉い学者さんの誰が、これ本名じゃなね?って言い出してその名残なんでしょうか?それともある時点まで発見されなていなかった史料上の制約とかで疑われていたでしょうか?

 ところがそういうことじゃなくて司馬遼太郎とか、唯物史観系の劉邦貧農的価値観に基づくものみたいですね。例のマルクス史観的逆算に基づくアレみたいですね。当時は中共とかやっぱり貧乏人が政権取るのは歴史の必然!革命や!始皇帝なんてはじめっからいらんかったんや!やつがあったらですかね。秀吉とかその流れでもてはやされて秀吉ブームとかあったのかなぁ~。

 まあ、中&日の共産主義史観の発想から、秀吉最高!→半島怒る→ブームはほどほどに…ってオチが見えるが。まだあの当時は半島の声って反映されてなかったかも?そういや角栄ブームってその史観の貧民による革命!っていう共産主義の幻想を利用したところがあったんじゃなかろうか?

 共産主義の幻想が名宰相田中角栄を生み出したのに貢献したとすれば歴史の皮肉としか言いようが無いですなぁ。自民党は嫌い!革命でなければ世の中変わらんのじゃ!という人でも、田中自民についてだけは自民に一票入れるという投票行動をとっても全然おかしくないもんなぁ。

 個人的に司馬遼太郎さんあんまり好きじゃないんで読んでないからよくわかんないですよね結構高校の友達とかよく読んでましたけどね~。なんかチラ見ぐらいはしましたけど興味わかなかったですねぇ。当時は結構いろんな小説あさってたのになぜか敬遠。小説家なのに歴史家もじったペンネームだったからかなぁ?小説じゃなくて歴史分析やれよとか思ったのかしらん?

 まあ、そんな話を一応書き残しておきました、まる

 ※追記、ヤフー知恵袋に詳しく書いてありますね。→リンク先です。参考にどうぞ。一説には史記漢書には忌諱で「邦」のが使われていないとか。へぇ~。