てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

体罰一考 本質は徒弟制&武道に体罰の発想はない

内部告発者は実名を公表すべきという暴論】

 橋本聖子議員はJOCの理事で選手強化部門の役職に2つついていますね。それで告発者の実名公表を要求していると…。うーんこの…。夫警視庁だからこの問題がこじれているというのも見ましたが夫は結婚当時は巡査みたいですから、そんな大物というわけでもないですし、警察関連はないんじゃないでしょうか?

 橋本聖子への評価がストップ安ですね。実名公表して正々堂々なんて主張していいのは中立にあるものだけですよ。しかも日本の風土を考えれば内部告発は基本的に正しいとワンステップおかなくちゃだめでしょうに。

 なんというかオリンピックのメダルを増やす責任者ですから、こういう不祥事があると自身の監督責任、能力に疑問符がついて自身の進退にまで発展してしまうのでごまかしたかったという気がしますけどね。んで、結局、反発食らっていや実名公表しろとはいってないと、ごまかしたという感じですか。

 学校・アスリート界と内部告発が続いて、労働界にもそろそろ来ますかね、内部告発?そろそろ内部告発ブームくるんじゃないっすかね?

武田邦彦氏の筋違いな武道感、体罰感】

 武田邦彦さんが「お金のためにスポーツをする」という外国なら体罰はいらないが、柔道剣道などは道を究めるのが目的で体罰的なものは必要なのではないか?なんでもかんでも外国流が正しい、海外に右へならえでいいのか?という話をしていましたが、明らかに筋違いだと思いますね。

 マジレスすると道を求めるから「武道」、道を極めるならそもそもオリンピックに出る必要性なんかどこにもないですし、だとしたらそもそも日本社会で格闘技系、武道の流れを組んでいないスポーツ領域にまで体罰がはびこっている理由説明がつかないでしょうに。

 理で捉えられない非合理性をも視野に入れるなら、スポーツという感覚では絶対むりな領域。現代でも少数ではありますが、武道家は居ますし一般常識とは違う生き方・修行をしています。その武道家のようにやりたい人だけ、その世界に入りたいという人だけでやればよろしいことであって、それがさも常識であるかのように考えるのは決してあってはならない。個人で納得して「自分はそういう世界に入りたい」という人はどうぞです、勝手に入ってどうぞ。勝手にやってどうぞ

 そういう厳しい世界に入って、そこで問題が起ころうが知ったことではないですが、現在問題になっているのは明らかに違いますからね。一般社会レベルで、過剰なレベルの要求をされて、それについていけない普通の人間が巻き込まれている、犠牲になっているというのが問題の本質なのですからね。

 繰り返すとプロフェッショナルにプロ並みの厳しい練習を要求するのは至極当然の発想。しかし一般人、アマチュア・技量の未熟なものに過度な要求、無茶な修練を強要することに本質があるわけです。

体罰問題のもう一つの本質、徒弟制

 また厳しい世界と言えども、相撲の弟子暴行死のように明らかにやりすぎ、必要以上に厳しくする=体罰(?)に歯止めがかからないことはあってはならないわけです。今回の事件は相撲部屋暴行事件の延長、形を少し変えた再発ですね。まあ、全く過去の失敗から学ばないのが日本社会です。

 結局体罰問題の本質というのは上に上げたプロ・アマチュア領域を理解していない、誤認にあるということなのですが、それだけでは説明がつかない要素があります。普通、そういったことをやろう・やらせよう!なんて発想今の人間からは出て来ませんからね。ここには悪しき慣習に基づく要因があると見ています。では体罰問題のもう一つの本質・悪しき慣習とは何か?

 それは徒弟制度であると言えましょう。上で相撲の事件を上げたのはちょうどこのことを上手く説明できるから取り上げたわけです。普通、己が教師だった場合、教え子犯罪でもしたならともかく、スポーツとか(武術でもいいですが)教えている内容のあれこれができないという理由で殴るという発想はどうしても出てこない。「やらない」ではなく、「やれない」、出来ない子を殴ってどうする?どうやって、この子を出来るようにするか!出来るようにするにはどういう練習方法や訓練が必要なのか?そういうことで頭がいっぱいになるはずです。

 やらないからと言ったって殴るなんてことしません。どうしてやらないのか?何か理由があるのか?むしろどうやったらやってくれるのかを考えるでしょう。悪意があったとしても、じゃあいてもしょうがないから他でなにか違うことやったほうがいいよ、時間もったいないよと諭すぐらいです。暴力という発想はどこを切っても出てこない。(※あるとしたら年下の学生をそもそも人間とは思っていない昔の奴隷のような感覚で人種差別意識があるからでしょうか?見下しているから殴って当たり前だと考えているというケースでしょうかね?)

 要するに暴力を振るうというのは、組織を暴力・力で束ねたい=徒弟制度であるからでしょう。徒弟制度で動く閉鎖的なギルド・組織であるからこそ、そのような行動に出るわけです。職人の世界では親方が絶対であり、親方が神様そのような集合意識をひきっている前近代的組織だからそういうことが起こる。

 当然、現代でギルドの形にして鉄の規律によって動かさなくては世の中で生きていくことが出来ない、生きのこれないなんて条件は存在しないわけです。未だに日本社会はそういった近代的な組織への切り替えが出来ていないわけですね。

 誰のために、なんのために組織があるのか?個人が幸せになるために、そこに生きている個人のために―を起点にして制度が作られていないのでこういうことが起こるわけです。労働環境を見てもそうでしょう?会社がまず先にあって、そこに生きる個人・社員は二の次で制度ができている。だから何時まで経っても個人は社会で生き生きとしていかない。会社ありきで社員は犠牲にされるシステムですね、日本は。どこの組織を見ても硬直性・閉鎖性共通して徒弟制のようになっているのは(さすがに会社は学校や職人のような世界ではありませんが)、こういった残滓があるから。組織有りきで制度設計されているからですね。

【武道は体罰を重んずるか?】

 前記の武田氏のところに戻って、そもそも「お金のためにスポーツをする」ことは「道」のような高い精神性を伴わないかといえば、違いますからね。プロアスリートではなく、「プロ」の人間として高額なギャラを寄付する、社会奉仕に勤しむアスリートは生半可な武道家より境地が高いことはいくらでもありますからね。もちろん言うまでもなく、どっちが上とか下なんて物差しは無意味ですけどね。そもそも目的が違うので比べようがないのですが。

 そして本来武道家の徒弟制度と言えども修行で追い込むというようなことはあっても、弟子をボコボコにする・殺す寸前まで行くというのはあることはありますが、明治以降そういうのは姿を消したと思います。メジャーな武術家、剣術家とかが弟子を殺したってあんまり聞きませんね。

 体罰は日本の伝統ではない これなんか見ると、士族滅んで体罰現るという感じですね。まあ、やっぱりねという感じです。誇り・体面を重んじる武士にそんな発想あるわけ無い。軍隊上がりの庶民、下層軍人の文化でしょうね、体罰は。むしろ不思議なのはそれが日本の全社会に何故広がっていったのかということでしょう。

 軍隊上がりの教師が民主主義を叩きこんでやる!と鉄拳制裁をしていたという珍論をよく聞ききますけど、安易に失業の受け皿として部活動の顧問、教員という形で吸収したことによるのではないか?部活動によくいる暴力指導教員というのは普通に就職できなさそうだし。軍人という職業の穴埋めとして教師があったのではないでしょうか?

 また日本は出身大学によって階層秩序が形成される。大学=身分制度ですから、その身分制度の内部にこの体育会系というというシステムが導入されたのではないでしょうか体育会系という一種独特の社会構造・階級は軍隊上がりの文化・鉄の規律をそのまま導入することによって組織の生き残りを図ったという気がします。

 体育会系=実力はないが体力と忠誠心はある、近代組織で必要な兵隊としての機能がそこで養われる。とうぜんエリート大では司令官・指揮官。上位の身分(大学)と下位の身分(体育会系大学)がその都度のケースで必要に応じて結びつくという理念型が成立するのではないでしょうか?

 スポーツでの勝利こそが組織の繁栄を約束する。そこに指揮官クラスの人材はいない故に歪んだ軍隊文化が引き継がれていったのではないか?今の体罰の系図を考えると原因はこんなトコロにある気がします。

 ※労働環境の話をいつか書くので、その時この内容をまた参照に上げたいと思います。あと日本の会社で、組織を動かす際に体育会系の人間が優遇される、必要とされる理由と結びつけて論じたいと思ってます