てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

砂川事件の機密文章公開

 日米安保が改定されるまで日本はアメリカの防衛義務・協力義務がありましたが、アメリカにはなかった。いわゆる同盟・条約の非対称性、片務性が問題としてあったわけですが、この砂川事件はその日米安保が改定され、「平等な」義務、相互防衛義務に改定された直前に起こった事件、というか裁判であります。

 事件自体は57年ですが、裁判自体は59年なのでね。一審で「憲法違反」ということで基地拡大に反対して侵入した人は無罪となったが、検察が跳躍上告で一気に最高裁へ持って行って、差し戻して一審が破棄されたという事件です。

 布川玲子・元山梨学院大教授(法哲学)が、マッカーサー駐日大使から米国務長官に送られた秘密書簡を調べたところによると、レンハート駐日首席公使は田中耕太郎最高裁長官に面会し、裁判の日程から、審理結果を漏らしていたことが分かったという。
 リンク<砂川事件>米に公判日程漏らす 最高裁長官が上告審前

 まず、思うのは一審判決で「違憲」判決を下したこと、米軍基地の存在が違憲というのはどういうことか?憲法九条を見ると、日本国は軍隊・戦力を持たないという条項なのであるから、米軍基地がいる・いないというのは憲法の精神から関係がないはず。これを違憲とするのはそもそも無理があるのではないだろうか?

 戦力の不保持=海外勢力、同盟、有志連合・協調勢力化なども認めないんだい!―という風に拡大解釈したのだろうか?これは無理があると思われるというのも、世界中の憲法を見ると、戦力の不保持・交戦権の否定どころか、海外勢力の基地すら認めないというものまである。明確に他国のおよび諸国連合の基地を否定するというのならばそう条文に書いておかねばならないだろう。

 次に思うのは、その続きでもあるのだが、というか日本国憲法というのは善きにしろ悪しきにしろ「属国」憲法、連合国の支配下アメリカ占領下という一定の勢力・国家の影響下において成立した憲法であるのだから、言うまでもなくその性質を帯びている。自主憲法という言葉が重要なワードになっているように、当時の国際状況から否応なく国際力学を反映させた結果になっている。ジョンダワー氏の『敗北を抱きしめて 上 増補版下 増補版 』が有名なものだが、日本の戦後は敗北した不都合な条件を受け入れる、甘受することから始まったのであるから、憲法は「属国」、この言葉が不都合であるならあるいは「西側協調」を前提としたものであるに決まっている。

 そうである以上、憲法九条というのは成立して、国際状況が変化し、冷戦が激化した時点ですでに死んでいる。それができた理由はアメリカに対する抗戦を防ぐという意図から始まっていたのだから、そもそも憲法九条というのは冷戦がはじまった時点で死んでいるんです。それを持ってあーだ、こーだ言ってもしょうがない。憲法の前文諸国家の公平と正義も大戦が終わった後の夢想的平和、国際協調がなされるという前提ですから、とっくに環境・状況が変わって死んでいますからね。

 まあ、それはさておき、その憲法九条が今度は対米への同盟協力拒否条項として作動しだすという性質があるのですが、それをさしおいても、米軍基地の存在を以って憲法違反とまですることにはやはり無理があるでしょう。


 ―という以上二点を持って、一審の判決のおかしさと最高裁のジャッジの内容自体がまっとうだというのは間違いないのですが、問題は最高裁長官がそれを駐日大使にもらしていたということ。いくら当時の国際状況、また憲法がそうであったとしても、最高裁のトップがそんなことをしていいわけがない。裁判所の独立は属国化にあっても、対宗主国に対しても守られなくてはならないに決まっている。いったいどういうセンスをしているのだろうか?(あれですかね?また反共防波堤のうんたらかんたらなんでしょうか?反共より民主主義を守れ!という意識のかけらもなかった時代なんでしょうかね…)

 当時の反米意識の高まりという背景や、それが日米間の国防・安保の重要なテーマであったとしても、直接これこれこういう判決を出すなど事前通告していいわけがない。するなら第三者を介して、「はっきり明言は受けていませんが、最高裁メンツの思想からするとこのような判決が出て間違いないと思われます」といった忖度のレベルでとどまらなくてはいけないに決まっている。こんな人間が最高裁の長官だったのか…。

 帝大の学長であり、貴族院の人間ではこういうセンスになるのは致し方ないのか…。司法の独立、裁判所は独立して判断を下さなくてはならないのに、もうぐっちゃぐちゃですな。いち早く、最高裁の人間を行政のトップが任命できるようにしないとダメですね。国民審査の形骸化も一票の格差と並んで放置できない事態ですね。だって次の最高裁長官は悪名だかきあの横田喜三郎ですもんね…。あほな奴ほど出世するの典型でしょうか…。


 最高裁のセンスがこのようなものであるところから、きっと件のロッキード事件につながっていくのでしょうね。アメリカ様とタッグを組んでるんですもの…。 


※分割していたのを転載と同時にくっつけました。『岸信介と同じ過ちを繰り返す安倍晋三』で書いたものをおまけに追記です。

 安保改定では条約改定に反対した安保闘争が起こって岸信介は退陣に追い込まれました。その要因は安保の改定ではありませんでした(むろんそういう人もいたでしょうけどね)。片務性を対等に改めるのだから、反対する者はさほど多くなかった。ところが、当時の総理大臣岸信介はそのような重大事項を決定するならば議会を解散して、国民の信を問え!という世論を無視した。その暴挙が国民の逆鱗に触れ、退陣に追い込まれたことになりました。ここに注意。

 もし、彼が議会を解散しても間違いなく勝ったでしょうし、それ以後も政権を担っていたのは間違いないと言われています。彼の立憲政治のセンスの欠如がこのような結果を招いたわけです。同じように立憲政治のセンスのない孫が今憲法改正を唱えていますが、今の政党状況・政治勢力を見ると、対自民同盟が野党の間で結成されていない。選挙を行えば100%勝つ状況にあります。

 もし、憲法改正(創憲でも同じ)をするのならば、一票の格差問題を2倍以内どころか、1.0に近い数字になる新制度を制定したうえで、衆議院も解散して行わなくてはなりません。それでこそ本当の意味での「自主憲法」になるのですから。

 孫が同じ轍を踏まないか心配してみています。まあ、参議院選挙で負けて、直ちに辞任しなかったところを見ると&現在の一票の格差の比率をゼロに近づけるべきだ!と考えていないところを見ると、同じ過ちを犯しそうなんですけどね…。

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