てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

従軍慰安婦問題とは何か

さて、そろそろ書かないと怒られそうなので、手を付けます。今日中に終わるのか?


【前提】

 従軍慰安婦問題とはもう、10年?20年くらい前?に話題になった話ですが、今の論じられ方を見ると当時の基本的潮流とあまり変わっていない気がします。拙TL見ていると、否定派・肯定派の論理が変わらない。というか自分たちの主義主張のために反対側、相手側を詰りたいだけという人が多い。

 本当、最近良く思うのですが、~~事件、なんかの話題になるような出来事がおこった時、それの当否を論じるよりも、自分の政治的主張に適うものを肯定的評価、逆は否定的評価というのが非常に多いという気がします。

 常々、橋下に何かあったらとにかく叩くという傾向にそれは違う、おかしいだろうと書いている己ですが、昔は7:3で期待。今はそれが逆転して3:7か4:6くらいに逆転して懸念、大丈夫かこの人?という立場になってきていますが、それでも良い時は「それはいい案だ」。ダメなときは「いやそれはおかしい、何言ってるんだ?おかしいやろ!」と論じるようにしています。決して誰々だから。なんでも賛成!そして同じくなんでも反対!というのはダメだと書いて来ました。

 良い時は「良し下」で悪い時は「悪し下」と橋下を論じなきゃ公平性・公正性が保てなくなる、そんな言説は信じられないし説得力がないと書いて来ました。

 そしてこの問題に近い話ですが、以前、南京事件の論争で本当にまだこんなこと未だにやってるのかと呆れたことを書きました。そこで、どうして論と理を示して自分のポイントはどこで、ここが崩れたら自分の論は誤りです。あなたのポイントはどこですか?と正々堂々と議論ができないのか?と嘆いたことがありました。もう、お互いのスタンスを超えてよりよい未来は何なのか考えようというディベートの基礎もクソもないんですよね。ただ相手を攻撃したいだけ、なじりたいだけ。

 だからこういう話は意図的に書く機会があっても書かないようにして来ました。何の生産性もないから、うんざりするし、時に頭の悪いアホが、自分の意見と違う=敵だ!ということで攻撃してくるから。「敵」と「攻撃」という時点でそれはもはや政争なんですよね。政争であるということはつまり、正しい正しくないではなく自分の利益の最大化のため相手の主張を貶めることになる。無論、どんな状況でも政治における闘争というものは起こりうるものですが、全体主義社会のように相手の政治主張を根絶してしまえ!みたいなのは自由主義諸国の言論のマナーとして絶対やってはいけないタブー。そういう基本をわきまえない輩が本当に呆れるほど多い。


従軍慰安婦とは?】

 何回呆れるって書いたかな?(^ ^;)。それはともかく、別に己はこの問題の専門家でもないし、もちろん中に誤りも含まれている可能性もありますが、この問題の本質を語ってみたいと思います。そもそも従軍慰安婦制度とはどういったものなんでしょうか?

 軍隊が公式に娼婦を整備する。「軍隊と性の問題」は昔から根深い話であり、特に珍しい話でもない。それをもってして、軍隊が娼婦を雇うとは何事だ!といった論理展開がなされています。果たしてこれは正しいものなのでしょうか?

 この論理が正しいといえるならば、まず、考えられるものとしてそういうことを行なっていたのが日本だけということですね。日本だけが突出して悪い制度を行なっていたという例。しかし言うまでもなくそのような制度を整備するのはどこでも見られたことであり、慣習として当然に成立していたということ。無論、グレーゾーンの領域であるといえることですし、道徳的に許されないことであるとも言えるでしょう。しかしそれを以ってしても、慣習的に成立していたことである以上、過去の出来事にあるものを裁くことは事後法の原則からいって出来ません。言うまでもなく民主主義の原則ですね。時の権力者によって恣意的に裁くことは許されないことですから。


【貧しい日本社会】

 次に買売春の実態についてですね。当時、女性が娼婦として売られるということがどういう意味を持つものだったか?言うまでもなく娼婦になるということは女性にとって好ましい訳ありません、今でこそプロの娼婦というものも珍しくないでしょうが、当時の価値基準からして娼婦は汚れた存在でありました。好き好んでプロ野球選手やサッカー選手のように憧れのなりたい職業ではありません。そのような職業にさせられるなんて!許されないことだ!と怒りを抱くのは当然のことでしょう。

 そして、当時の日本とは今では考えつかないくらい貧しい時代でありました。昭和恐慌の際には、「娘を売る相談は役場まで」という張り紙が役所にあったくらい人身売買は常識でした。しかも重要なことは、一時的に娼婦になるだけならともかく、一生そこから抜け出せないことです。今でも貧しさのあまりに娼婦になるという話があるでしょうが、だからといって金銭面の問題がなくなれば廃業をするのは自由です。

 しかし当時はそうではなく、一度娼婦として売られるということは最早人間として扱われなくなるということ。吉原にでも売られれば一生そこから抜け出せない。交番に駆け込んでも警察も見て見ぬふりで助けない。家族・生地から引き離された当時の人間がどうなるか?言うまでもないでしょう。人身売買といえば外国になんていうのがお決まりですが、当時は日本国内間でもそれが成立し得たのですね。

 だからこそ特に貧しい東北の地域出身者が主体となって2・26というクーデターが起こされました。彼らの姉・妹・娘が売り飛ばされる、奴隷にされる、もう二度と会えない存在になるわけですから。己がもし軍人だったらクーデターに参加したと思います。自分の大事な女性を護るためなら命をかけるというのは当然の発想。だからこそ彼らも自分の命をかけて立ち上がったわけですし、このクーデターが鎮圧された時の世論は圧倒的に彼らに同情的でした(※)。

 (※注だからといってクーデターというものが政治上許されるはずがありません。それを断固として処罰しなかったため結果、軍部が台頭し政治は機能停止状態に陥り、軍部の強硬路線にズルズル引きずられる事になりました。この事件の首謀者を断固として処刑しなかったことが戦争の道につながったとはよく史家に評されるところです。無論断固処刑したとしても、戦争にはなったと思いますけどね)。


【「強制連行」には動機がない】

 さて、当時の日本でもそういう状況・背景があったわけです。この従軍慰安婦という制度は韓国の女性(当時は日本人扱いされたという例もあるでしょう)だけでなく、日本の女性もおりました。わざわざ危険な戦地に本土から遠征していったのは何故でしょうか?それは言うまでもなく軍人の給料が命をかける職業であるから給与が高いのと同様、娼婦にもその分の高給が約束されるからです。

 高給がもらえる=身売りされた分稼いだ場合、そこから解放される可能性がある。よって喜んでかどうかはともかく、望んで従軍慰安婦になる女性の存在は当然考えられるわけです。当時は貧しい、賤業だが高給の職業がある、当然なり手としての女性がいて、応募することは至極当然の現象として考えられるわけです。

 よって成り手・供給というのは希少ではない。十分確保されていたわけです。果たしてそういう状況で「強制連行」する必要性があるのか?という疑問が出てくることになります。

 近代刑事裁判では、動機・凶器・物的証拠・アリバイなど重要なポイントがいくつかありますが、まずこの点動機という点では確実に否定されるのです。必然的背景・環境が存在しないのですから、国家がわざわざ計画的に違法行為・犯罪行為の指示を出す必要性がないわけです。合理的理由・動機をそこに見出すことができなくなります。

 いや、動機といっても時に偶発的犯罪、衝動的な動機というものがありうるじゃないかと、考えられるかもしれません。ついむしゃくしゃしてやった、かっとしてやった~のフレーズで日本では統一された用語ですが、では果たしてそれが考えられるのでしょうか。この点については重要なポイント2点をあげておきたいと思います。まずは「人種差別」についての話。もう一つは近代国家・官僚制の観点から法治国家の構造上の話ですね。というよりかは、「強制連行」という意味の本質の話になりますか。


【日本人には「人種差別」という発想がない】

 まず「人種差別」ですが、当時の人種差別の観念は今の人からは考えられない驚くべきものでしょうが、当時の欧米の白人は黄色人種や黒色人種を人間とはみなしていませんでした。当時の学問を見れば人文科学・社会科学の領域において「遺伝的観念」という一言・一節が必ず文章に入っていることに気づかれることかと思います。デュルケームを読んでいる時でもEHカーを読んでいる時でもなんでも、歴史学社会学政治学、優れた古典であればあるほど必ずそこに遺伝的要因で物事を論じること、遺伝的要素で決定されるものだという見方を否定しています。これはダーウィンの遺伝の観念から、人種・民族も優秀なそれがある。我こそが優秀な民族であり!他の劣等民族は我々に従うべきだ!という今から見ればトチ狂った理論も当時はそれほど常識はずれの発想ではなかったのです。

 ヒトラーだけが狂っていて、その妄想に傷ついたドイツ人が乗っかってしまったというわけではないのです(無論傷ついた心の隙間に入り込んだという側面はあるでしょうが)。日本との戦争の時、アメリカでは日本人がなぜ劣等人種なのか?この国際政治を安定させるために、白人と黄色人種の合成を進め、より進んだ知能の高い人種を作ることで統治せねばならないなどといったことが真剣に論じられていたくらいです。

 初めてこれを見たときはいくらなんでもそんな狂ったことを言わないだろう?この書き手はアメリカを貶めるつもりで捏造しているんじゃないか?と己もびっくりしましたが、当時の公式資料や大統領・高官の発言記録、回顧録的なものを見ればいくらでも書いてあります。当時の人種差別の常識がよくわかります。だからこそ、「日本人なんて言う黄色人種に優れた飛行機が作れるわけがない」と、当時の日本の戦闘機の優秀さの報告をミスとして無視したので、真珠湾で日本が奇襲に成功したのですから。日本人なんて言うサル、人間ではなく畜生にそんな高度な事ができるはずがない―まあ、これを論じることはいくらでも出来ますが、このへんで終わりたいと思いますキリがないので。

 ここで論じたいことは、当時は「人種差別」という観念が支配的であり、その中で日本人は劣位に当たる黄色人種であったこと。その日本が世界的に人種差別というものを廃止することを第一次世界大戦後の講和会議で提唱したことが有名な出来事であるように、日本人は人種差別というものがないほうが良いという立場でした。別に日本人が聖人君子!ということを言いたいわけではなく、それこそが日本の利益につながることでありますから、当然の発想ですね。


 そしてそういう日本人には、無論当時の中国人・半島人に対する優越感、蔑視はあれど、白人・キリスト教に基づく民族蔑視・人種差別感は到底持っていなかったということです。土地は我ら選民に与えられたものであり、先住民なんか殺して当然―なんていうヨシュア記の発想は日本人にはないわけです。欧州、特に英が世界各地でいかに残虐非道行為をし尽くしてきたか言うまでもありません。スペインもそうですが、先住民を殺し、家畜として扱いプランテーションを経営してきたまさに語るも地獄のようなことを日本人の発想には根本的にないわけです。そしていくら危機的状況にあったあの戦争の当時とはいえ日本人がそれをして計り知れない利益を受けるわけでもなく、当然そんなことをするわけがない。いなむしろ真逆の方針を取っていたわけです。

 当時の戦争の大義名分は「植民地からの開放」でありますが、日本は経済上、中国に植民地を作らざるを得なかったわけです。かといってこの「植民地」は欧米的な発想の植民地とはまるで違うことは言うまでもないわけです(まあアメリカも本当はちょっと違いますが、とりあえずは触れないでおきます)。中国人にとっては奴隷にされ虐殺されはしないというものの、好き好んで異国人の為政者を担ぎたいわけではありませんから、反発します(※)。そこで日本人としては何としてでも上手く統治したい。そういう背景があります。そういう時に好き好んで反発を招くような態度、中国の女性を「強制連行」して、まあ今では我々の言う「拉致」に値しますね。軍隊が統治対象地の女性をさらって連れまわすでしょうか?

 (※各軍閥の絶え間ない闘争によって安定的な政権を望む、なんでもいいから暮らしやすい政治を執れる統治が欲されていたという背景はありましたが、かと言って異国人の支配が望ましい!というのとはまたちょっと別でしょうね。無論日本人でも暮らしやすければという声は満洲でもありましたけど、なるべくなら同じ国民の支配が良かったでしょう)

 当然そういうことになれば、暴動・治安の悪化に繋がり、平和的に経営したいという戦略に反することになる。当然そういったことはしたくないわけです。故に、動機という点から考えて、まずそういうことをしないようにする、防ごうとする努力・力学が働いていたと考えるのが自然であって、「強制連行」してしまえという方針であったと考えるのは難しいわけです。なにか特別な事情・背景が急遽出てきて、その方針を転換しなくてはならなくなったと類推するに値するものが出てこない限り、国家方針としては軍の規律を維持するために「慰安婦制度」を適切に機能させようとしていたと考えるのが基本だと思えます。特に、日本は過去の戦争で規律の高いことで有名な軍隊でしたから、過去の延長で考えてもそれが当てはまると考えてよいでしょう。


 あ、やっぱり時間切れだ。間に合わなかった。しょうがない3分の1も多分書いていませんけど、続きは明日書きます。多分中にはこの見解に疑問、否定的な考えの方もおられると思いますが、コメの際には続きを待っていただけるとありがたいです。全部読まないと、これについてはどうなんですか?って疑問に思っても、それ次に書く話なんで、次で書きますでちゃんとした返信できないと思うので。まあ、それでいいなら
コメントされても構いませんが、書くつもりもないことかもしれませんし。でもその場合次で書きますのそっけない返信でもご容赦を。