読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

歴史とは何か(二章)

歴史関係の話

 

歴史とは何か (岩波新書)

歴史とは何か (岩波新書)

 

Ⅱ社会と個人 社会を離れた個人はいない。鶏・卵論争のようにどちらが先かと、個人・社会の関係を論じてもわかるわけないのだから、する意味が無い。完全に独立した個人を描いたロビンソン・クルーソー物語の主人公もそれ以前の社会を引きずっていたし、ドストエフスキーの悪霊・キリーロフ物語で彼が自殺をするのは自分の完全な自由を立証するためだった。逆に言うとそれ以外の行為は全て社会への所属抜きにはなしえないということを示している。

 

 未開人のほうが個人として独立性が低いとはよく言われることだが、近代化社会に進むに連れて個人化が進むという比例図式はふさわしくない。個人も社会も発達しあいながら、同時に相互に抑制しあうものであるから。

 

 我々の社会のほうが個人が独立しており、画一性や一様性というものが未開人社会より少ないと考えることは危ういことである。生物的特質による国民性という論は最早否定されたが、社会や教育という背景から国民性というものは存在する(※デュルケムの集合意識に近い話でしょうか)。それぞれの社会の差異の研究こそがその社会の個人理解に役立つ。(社会と個人は相互に関係しあうもの、それぞれ独立した要素として分析してはならない)

 

 個人主義崇拝は現代歴史神話の一つ。ブルクハルトがルネサンスにより集団から個人の自我が芽生え~と云々しているように、「ようやくそういう個人という精神に到達した」ものだった。個人崇拝は資本主義・プロテスタンティズムに結びつき、産業革命で自由放任の学説と結びつき、仏革命へ至った。

 

 個人主義功利主義という19世紀の偉大な哲学の基礎だった(※)。個人化の増大は文明の進歩のノーマルな過程だった。社会革命とは新しい社会集団を権力の座に座らせるものだから、当然その諸個人の発展を通じて行われることになる。個人の創意が社会を替えたことを社会に対する個人の反逆とか、社会的束縛に対する個人の解放とみなすのは正しくない。

 ※個人の富の追求の肯定ですね、個人主義功利主義というセットは。近代化以前の個人の方が富を生みやすいという状況がなければ、発生しえない思想ですね、功利主義は。それ以前は所属する集団に安寧していればいいわけですから。その集団の繁栄・安保を考えればいいというのが近代化以前の特徴ですね。ちなみに功利主義とは目先の儲けを追求すればそれでいい、世の中うまく行くから!という当時のバブルをよく反映した単純な考え方です(超適当)。

 

 つまり集団・個人の対立図式があって、そこから解放されてこそ進歩!という通念があるからこそ、こういう発想になるのでしょうね。仏革命以来の思想的流れなんでしょうか?社会VS個人という思考のベースは

 

 個人と社会の間の闘争と考えるより、社会の中にある集団と集団のそれぞれ好ましい政策を実行しようとする争いと捉えるべき。社会の外に立つ抽象的個人という設定をする限り、有効な分析は現在でも過去でも成り立ち得ない。つまり歴史家がどの集団に所属していたかということに留意しなければならないのだ。(社会の中にある特定集団の闘争の結果が歴史であって、社会対個人で歴史をかけるものではない。社会から独立した歴史家などありえないし、そのような歴史もありえない)

 

 前章で現在の歴史家と過去の事実との絶え間ない相互作用の過程、対話が歴史であると述べた。しかし今度はどこまでが社会的要素であり、個人的要素であるのかという視点について論じてみたいと思う。歴史上の事実はどこまでが個人的事実で、どこまでが社会的事実なのか?

 

 歴史家は一人の個人であり、一個の社会現象である。属する社会の産物であり、意識的・無意識的問わずにそのスポークスマンである。この資格において彼は歴史的事実に近づく。進んでいく歴史の行進の一員である以上、歴史家も又歴史の一部となる。故に歴史家が絶対者となって見下ろす誘惑にかられて歴史を書こうとするのはとんでもないこと。

 

 過去は現在を通して理解される。『ギリシア史』を著したクロートは新興英中産階級アテナイの民主政治の理想化された姿に投影し、ペリクレスベンサム主義的改革者の役割を果たし、不覚にも帝国が築かれる―となった。彼がアテナイの奴隷制を無視したのはその労働者階級に対する視座と同じと見て良い。

 

 又モムゼンはドイツ革命に失敗した心情を『ローマ史』に持ち込みシーザーを理想化したのも、ドイツで彼が現れて政治的混乱を収束してくれることを望んだから。彼の著作を通じて、当時の独自由主義に対する独革命を理解しようとしても何らおかしくない。だからといって彼の偉大な歴史的著作が貶められる事にはならない。

 

 ピュリはモムゼンを歴史の編纂によって高く評価しているが、そうではいけない。過去に対する歴史家のビジョンが現在の諸問題に洞察されてこそ偉大な歴史は書かれるから。モムゼンが共和国以後の歴史を書かなかったのは強力なリーダーがまだ現れていなかったから、それ以後を書く必要性がなかった故。

 

 これは現代でも同じ。第一次大戦後最大の歴史家と考えられているネーミア、彼は一皮剥けば75%自由主義者という典型的な英保守主義者ではなく、真正の保守主義者だった。100年以上も英の歴史家に彼のような存在が出なかったのは、彼らにとって変化=良い物という理解以外に歴史が書けなかったから。

 

 20年代に入って変化がより悪いもの、将来への恐怖と結びついて、彼のような保守主義が復活することになった。アクトンのリベラリズムも、ネーミアの保守主義も大陸的背景に根ざしていた。よって同時代のフィッシャーやトインビーのようなリベラリズムの破産というテーマに苦しむこともなかった。

 

 第一次大戦の平和が虚しく崩れ、リベラリズムの理念が壊れたあと、その後の思想として現れえたのは社会主義保守主義しかなかった。ネーミアはジョージ三世時代の進歩というファナティシズムの熱狂的信仰も仏革命もリベラリズムもない時代を選んだ。これで時代の輝かしい肖像を与えるという道を選んだ

 

 そして英仏米露の革命にはさして触れずに1848の革命の失敗を取り上げた。革命の挫折こそを取り上げ、「インテリの革命」と名づけ政治に思想が入り込む危険性を説いた。よって批判者は彼を歴史から精神を抜き去ったと批判した。そして彼はそういうものは歴史に必要がないもので、この態度こそ続いてほしいと考えた。

 

 この考えの是非はともかく、まず歴史家の態度を理解することなしに、歴史家の研究の理解も評価もできないということ。そしてこの態度は社会的歴史的背景によって根ざしているということ。この真理を理解しなくてはならない。歴史家は書く前に歴史の産物なのであることを認識せねばならない。(歴史家という存在も歴史的事実の一部、歴史家の思想・背景が歴史には反映される。歴史家は現在を通じて過去を理解するものだから、書かれる歴史にも必ず当時の状況が反映されている事に注意しなくてはならない。現在の課題、問題をどうやって解決するかということを念頭に歴史は書かれるものだから、その問題意識抜きには優れた歴史書というものは書かれることはない)

 

 当然歴史の産物である以上、ダイナミックに変化すれば著作の思想背景が変わっていくことがある。一番いい例が独の大歴史家マイネッケ。グロテスクなヴィルヘルム時代にビスマルク時代の独帝国を理想とし、民族主義を普遍のものとし、ヴァイマル共和政ナチス・敗戦とどんどん色彩が暗くなっていく。歴史家にとって興味が有るのは、3つ4つの時期が対照も鮮やかに現れていること。それを歴史的過去のうちにマイネッケが反映させていることである。

 

 英では30年代自由党が崩壊する時代にバターフィールド教授が『ホイッグ的な歴史解釈』を出してホイッグ的な解釈を否定する。その非難の一つは「現在との関係から過去を研究すること」にあった。こういったことは非歴史的であると断じたが、後にこのホイッグ的解釈こそ正しいと態度を真逆に替えた。もちろんこの転向を以って彼を叩こうなどというのではない。環境の変化で思想が以前と矛盾する、変わる事は歴史家にとって当然だということ。

 

 実際、過去五十年の驚天動地の事件を経て根本的変化がない歴史家がいたとしてそう羨ましいとは思わない。現在の目的は今研究していることで現状を正確に映し出しているかということだから。事件だけでなく、歴史家もまた流れの中にいる。時に歴史的著作は著者よりも執筆年代の方が重要になるのである。

 

 二度同じ川に足を踏み入れることは出来ないというように、歴史家もまた二度同じ本を書くことは出来ないといって良い。歴史は絶えず流れ動いて変化しているのだから。(歴史家が流れる時を生きる存在である以上、事件・状況に応じてそのスタンスも変わっていくのが当然)。まあいくらなんでも二度同じ本を書くことはないってことはないと思うけどね。時期によって基本思想が変化していくということを言いたいのであって、その時期次第では、考え方に影響を与える大きな事件がなければ、同じ思想・テーマで本を書くだろうし

 

 【メモ】 稗史的なものや優れていない著述が存在することに激おこになることがよくあったが、むしろそういったものは「歴史年代を通じて読むべきもの」なのか。なるほど。書評などの評価として著書としてはともかく、年代としては価値ある書みたいな婉曲なダメ出しって今でもあったりするのかしらん?

 

 19世紀歴史が我々の進路と一致している間は歴史の意味・進歩・真理というものが信じられていた。しかし歴史が都合の悪い方に進むと歴史の意味を信じるのは異端説になった。トインビーの循環型史観は失敗し、歴史に意味も型もないと宣言することになった。むしろこのような変化、社会の性格の根本的変化こそ一つの社会現象として捉えるべき。社会がどういう歴史を書く、また書かないことこそ社会の性質を表す。 (歴史に意味がある、真理が存在する!というのが常識だった時代があり、20世紀にはそれが死んだ時代となった。社会変化に応じてどういう視点で歴史が書かれるようになったか、またかかれなくなったのかという変化にこそ注目すべき)

 

 蘭歴史家ガイルの『ナポレオンの功罪』には歴史家が現実の政治及び思想の変化と闘争の姿を反映してナポレオンの評価を記したことを明らかにしている。歴史家もまた環境・時代的制約により限界がある。その制約、社会に巻き込まれていることを認識せずして超越することや客観性というのはありえない。

 

 前述、歴史を研究する前に歴史家を研究せよ―は「歴史家を研究する前に、歴史家の歴史的及び社会的環境を研究せよ」という条件が付加される。歴史家は個人であると同時に歴史的社会的産物なのである。歴史を学ぶものはこういう意味で歴史家を重く見る道を知らなくてはならない。

 

 歴史家の研究対象は諸個人か?それとも社会諸力の作用か?バーリンが『歴史的不可避性』という論文でエリオットの著作から「巨大な非個人的な力」という言葉を以って、歴史を決めるのは個人であって、「巨大な非個人的な力」ではないと主張をする。個人の性格や行動であるとする見方の系譜は長い。

 

 こういう見方を悪王ジョン学説と名付けているが、歴史が個人の才能・英雄を要請するという思考は原始的段階での特徴。ギリシア人は過去の業績にホメロス・リクルゴス・ソロンといった代表的人物に帰するのが好き。ルネサンスでは歴史家より伝記作家兼モラリストプルタルコスのほうが人気があった。

 

 社会がもっと単純で政治が少数の人物で動かされる時代ならこういう見方も説得力を持ったが、今ではそうではない。社会学が生まれた背景も増大する複雑性への一つの反応であった。古い伝統はなかなか滅びないもので「歴史は偉人の伝記である」というのが未だに金言となっている。

 

 悪王ジョン・善王エリザベス学説は最近特に発達している。共産主義を「マルクスの脳髄が生んだ子供」とするほうが共産主義の起源や性格を分析するより容易だし、ボリシェビキ革命をニコライ二世の愚鈍やドイツの金に帰する方が革命の社会的原因を研究するより容易であるし、二つの世界大戦をヴィルヘルム二世やヒトラーの悪意の結果とするほうが国際関係のシステムにおけるある根本的な崩壊と考えるより容易なのである。

 

 個人を所属する階級・集団から切り離して分析することは無理があるし、個人としての意識的動機から考えることも無理がある。個人や社会の一員ということよりも、社会と個人に一線を画して見ることに無理がある。ある人は個人の科学として心理学、社会の科学として社会学と分けているようだが、そういう区分をすると良い結果を産まない。伝記が全く歴史に貢献しないことはないが、時に文学になっている。「歴史」という言葉は社会における人間の過去を研究する手続という意味だけに用いる事ができる。(歴史を偉大な個人に焦点を当てて分析することには無理がある。社会の制度こそ分析しなくてはならない。そして社会と個人の相関性相互影響を分析してこそ社会も個人もよく理解することが出来る)

 

 また個人の行動の動機から分析すると思いもよらずに説教(また逆に崇拝)をするという奇妙な歴史になる。無意識の動機を否定しては大枠を見失う。そして善悪から論じることこそ歴史家の役割と主張する人がいる。

 

 神の摂理のような万能の諸力で導かれるのならともかく、そんなものは存在しない。※善悪の道徳で歴史を描いて、歴史・社会が上手く動くことなどありえない。善い動機のものがすべからく成功するものなのかどうか、歴史を観察すれば明らかなのだから

 

  「歴史は何も行わず、莫大な富も所有せず、戦闘もしない。すべてを行うもの、所有するもの、戦うもの、それは人間、現実の生きた人間である」―というマルクスの次の言葉を無条件で認めたい。こう考えるのは抽象的歴史観に基づく見方ではなく、個人的な経験的な観察に基づくもの。

 

 

 歴史における数の重要性、歴史は相当程度まで数の問題である。歴史は偉人の伝記であるという困った言葉を残したカーライルも仏革命の原動力は哲学ではなく大衆の飢えと寒さだとした。

 

 またレーニンは政治は大衆がいる所で始まるとした。名もない大衆の数こそが社会を動かすことになる。いちいち個人を知る必要はないが、何百万という数になると社会現象として歴史家は無視できなくなる。有力な運動には指導者だけでなくそれに追従する大衆が必要。歴史では数が大事なのである。(顔のない個人が数をなして社会運動を起こすとき歴史は記される)

 

 人間の行為は必ずしも予測した結果を生むとは限らない。いやむしろ意図した真逆の結果をもたらすことがあるからこそ、個人の動機を元に歴史を解釈するのは好ましくない。キリスト教徒は自己の行為に神の意志を感じていたし、マンデヴィルの「個人の悪徳は社会の福祉」はこれを反語的に表現したもの。

 

 アダム・スミスの「見えざる手」、ヘーゲルの「理性の奸計」は個人の欲望を満たすことが、自己の意図に適うことを表現した言葉である。またマルクスは『経済学批判』で個人は生産手段の社会に自己の意志と独立した集団・関係に入るとしたし、トルストイは『戦争と平和』で人間は意識的には自分のために生きながら、無意識的に人類の普遍的を目的を達成する道具だとした。このように個人の意志を超えた力学が存在する。である以上、個人に注目して歴史を解くのは陥穽にはまることになる。(善悪が必ずしも同じ結果を招くとは限らない、むしろ逆の結果を招くことがあること、個人の意志を超越した力学が存在する以上、善悪及び個人に注目する歴史は誤りである)

 

 バターフィールド教授いわく「歴史的事件には誰ひとり望んでいなかった方向へ歴史のコースを捻じ曲げるような性質がある」。二度の世界大戦は戦争を欲するものが多く、平和を希求するものが少なかったという説明はあまり説得力を持たない。ロッドがウィルソンについて彼は参戦するつもりはないが事件に流されてしまうと思うと書いているのがまさに適切な例。

 

 歴史的事実には、諸個人の行為・意図通りの結果にならない社会的諸力が働く以上、個人の意図が大きく働くものだという見方ではいけない。前述コリングウッド史観の誤謬は行為の背後にある思想を明らかにするという点では正しいのだが、それを個人の思想に仮定した事にある。

 

 

 ここで歴史における反逆者・異端者をどう見るかという事に触れなくてはならない。全ての社会は社会的闘争の舞台であって、権威もそれに逆らう者も社会的産物である。よって社会に反抗する個人ではなく、その背後にあるものを見なくてはいけない。ワット・タイラーもプガチョフも大衆が支持をしている。

 

 大衆が付き従う社会背景、社会現象となるから意味がある。個人的性質が歴史に影響を与えているわけではない。もっとややこしい反逆者・個人主義者であるニーチェにしても、欧州・独社会の産物であって他地域では生まれえない存在。彼が表現したものが社会的力であるからこそ後世も彼の思想が重視された。

 

 偉人というのは卓越した個人であると同時に、社会現象であるから双方の関係性を見落としてはならない。ギボンは時代がその桁外れの人物に適合していなければならず、今ならクロムェルもレス(仏政治家)も暗闇に消えるとした。マルクスは『ブリュメール十八日』で逆の事例を説明をしている。

 

 仏階級闘争はつまらぬ連中が英雄づらできる環境と関係を作ったーと。ビスマルクがもし十八世紀に生まれていたら同じような偉業は達成できず、彼は偉人になりえなかったろう。だからといって偉人とは「事件に名前をつけるラベルにすぎない」と非難することもない。

 

 偉人は個人崇拝という危険性を持つが、偉人の偉大さについてケチを付けるのが目的ではない。「偉人は例外なく悪人である」とも思わないし、問題は偉人が突如どこからか現れて歴史を動かすという見方である。ヘーゲルが言うように偉人とはその時代の意思を表現・体現した存在であって、時代と切り離すことは出来ないのである。(反逆者も偉人も社会的存在、社会に適応して初めてそれを代表する個人となっていることに注意すること、偉大な英雄も時代を違えて存在していたならば英雄になりえないこと)

 

 リーヴィス博士が偉大な著述家は、「彼が人間の自覚を進めるという点で重要なのである」というのと同じ事。偉人は現存の諸力の代表者であるか、権威に挑戦してその創造を助けようとしている諸力の代表者のどちらか。しかしナポレオンやビスマルクのように既存のそれから出た人と比べ、クロムウェルやレーニンのように自分たちを偉大にさせた諸力そのものを作り上げていった偉人の方にいっそう高い創造性を感じやすい。また、時代に先んじていたため後代になって評価された偉人も忘れてはならない。大事なのは偉人が歴史的過程の産物であると同時に生産者であること。

 

 また、既存権威であれ挑戦者であれ、それら社会的諸力の代表者として、世界の姿と思想を変える卓越した個人であると認めること 故に歴史というのは、歴史家が研究するという意味でも、歴史家が研究する過去の事実という意味でも、ひとつの社会過程であり、個人は社会的存在としてこの過程の中にいる。

 

 社会と個人の架空の対立は思考を混乱させる罠。歴史家と事実(現在と過去)の相互過程は抽象的な個人と個人の対話ではなく、今日の社会と昨日の社会との対話。ブルクハルトいわく「歴史とはある時代が他の時代の内で注目に値すると考えた記録」―その時代の意識がそこに仮託・反映される。(歴史とは時間が流れて過去となったものを振り返った時代意識の反映)。

 

 当然時間が経って時代が代われば変わるほど、反映されるものが変わっていくということ。歴史とは絶え間なく反映し続けた記録の連鎖と言っていい。無論ながければ長いほどそれがある時代は不完全であったり、特定の時代特に栄光ある時代に過度に注目・焦点が集まったりするものなのだろう

 

 過去は現在の光で、現在も過去の光に照らして初めてよく分かる。人間に過去の社会を理解させ、現在の社会に対する人間の支配力を増大させるのは、こうした歴史の二重機能にほかならないのである。(過去も現在もお互いを通じてのみ解釈され理解されるもの、歴史は二重機能を持つ事に留意) ここまで二章 了