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てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

歴史とは何か(三章)

歴史関係の話

歴史とは何か (岩波新書)/岩波書店

歴史とは何か(一章)

歴史とは何か(二章)

―の続きです。

 歴史は科学といえるのか?自然科学の研究方法が人文社会にも応用される時代になる。1851年ハーバード・スペンサーの『社会静学』の流れに連なるバートランド・ラッセルは「機械の数学のように人間行動の数学」が生まれるといった。またダーウィンの科学的革命により、生物学の手法が取り入れられた。

 社会を一つ有機体とみなす方法だ。だがダーウィンの本当の重要性は別にある。ライエルが地質学で始めつつあった静的・無時間のものを取り扱うのではなく、変化・発展の過程を扱うこと。これが歴史学にも導入された。科学の進化が歴史の進歩を補った。しかし事実の蒐集・解釈という機能的手法は変わらず。(研究において動的・時間が入って変化しているということを考慮しないものはかなり無理がありますね)

 ライエルが地質学のために、ダーウィンが生物学のために行ったことが天文学でも起こり、今では天文学は宇宙発達の次第を扱う学問になった。物理学者は自分達が研究するのは事実ではなく、事件であるという。この観念によって歴史学も随分と科学性が保証されるようになり、歴史家に住み良い世界となった。

 法則の観念 18・19世紀なると法則の観念が主流となり、ニュートンの運動法則、引力の法則、ボイルの法則、進化の法則。それらが証明されたと信じていた。科学者はこういう法則を発見することが仕事だと皆思っていた。ガリレイニュートンの流れから社会研究者も影響を受け「法則」を追求する事に。

 グレシャムの法則、アダム・スミスの市場の法則に始まり、バークは「自然の法則であり、したがって『神の法則』である商業の法則」を唱え、マルサスは人口の法則、ラッサールの賃銀の法則、マルクスは『資本論』の序文において「近代社会の経済的運動法則」を発見したと称した。

  『文明史』でバックルは人間現象に例外ない普遍性を見出した。自然科学だけではなく社会科学も同じような法則の観念を抱いていた。しかし仏数学者アンリ・ポアンカレが『科学と仮説』で全ては仮説でしかないことを述べると状況が一変する。ニュートンの「我、仮説を作らず」という言葉も過去の物になる。(学者・学問は普遍的真理・法則を見つけるものだという流れとその終焉)

 我々の作る法則は仮説でしかない。また事実から法則を見出し、その法則からまた事実を解釈する。科学の研究はこの相互的作用、相互関係の中にある。ポイントは法則、この新しい仮説によってどんな新しいことがわかるようになるかということ。新しい知見をもたらしてくれるかということである。

 道具としての仮説 ウェーバーの資本主義とプロテスタンティズムの論にしてもそう。それがいかに我々の知見を深めてくれるかということが肝要。またマルクスの「挽臼が封建領主の社会を、蒸気機械が産業社会を作る」というのも有効な仮説である。我々はこのような仮説なくして思想をすることは不可能。

 ゾンバルトマルクス主義を捨てた人の不安な気持ちを告白したのも、拠点となる仮説なくして思想が出来ないことを裏付けている。時代区分論も地域区分論も、新しい光を与えるということで有益な仮説に過ぎない。他の研究者にとってその区分がむしろ有害になることももちろんある。(現代では~~理論は新しい理解を進める上での仮説モデルでしかないこと、ポイントはそれを通じてどういうことが言えるかということ)

 【メモ】 であるからこそ、~論・~主義は我々の研究の成果を無視するものだ!けしからん!なんていうスタンスはそもそも「有益性」の違いということを軽視し過ぎといえる。それはそれとしてこのような見方もまた有益なんだが、どうでしょう?とライトに言わないと説得性がなくなってしまいますね

 ジョルジュ・ソレルは蓋然的で部分的な仮説を徹底検査して、今後の訂正の余地を残すような暫定値・近似値で満足しなくてはならないと述べている。

 このような時代になると最早史料の蒐集で事実の解釈をすれば良いという事にならなくなったのは言うまでもない。科学と歴史学の歩みは驚くほど似ている。

 科学と歴史との間 歴史が科学ではないという批判は次の五点に要約できる。①歴史は特殊であり、科学は一般である。特殊な事象を扱う歴史は科学足り得ない②歴史は教訓を与えない③歴史は予見が不可能④人間が自己を観察するから主観的になる⑤科学と違い歴史は宗教及び道徳の問題を含む

 一般化の意味 言葉を使う時点で歴史家は、無論科学者も、一般化の道を免れえない。ペロポネソス戦役と第二次世界大戦は非常に違っていても、どちらかが戦争ではないという人はいない。ギボンがコンスタンチヌス大帝によるキリスト教の公認と回教の勃興を共に革命として論じた。

 これは、二つの独自な出来事を一般化したから。英革命・仏革命・露革命・中国革命と並列に論じることで革命についての一般化を行なっている。歴史家の関心は特殊な事象の、一般化にこそある。歴史を読む人間は無意識に一般化を行なっている。(歴史化をするということは一般化をするということ)

 よってカーライルの『フランス革命』を読む際、無意識のうちにロシア革命に対する自身の特殊な関心をそのままこれに応用していた。例えば「テロは公平な裁 きがあった国では恐ろしいことだが、そうでない国ではさほど不自然なことではなかった」「この時代の歴史が一般にヒステリックな調子で書かれているのは、 甚だ自然なこととはいえ、不幸なことである。誇張、呪詛、悲嘆がいたるところに満ち、全体として暗いものである。」など。

 もう一つ近代国家の発達を論じたブルクハルトの言葉をあげる。「新興国であればあるほど、静止していることが出来ないものである―というのは第一に、この国を創立した人達は急速な前進という癖がついてしまっているため、また、本来、この人達は現在も将来も改革者であるためであり、第二に、この人達が呼び起こしたり征服したりした諸力は、新しい暴力行為を通じてのみ発揮され得るからである。」

 このように、特殊な事象に対する指摘からでもロシア革命との共通点が見いだせる。一般化がかのうなのである。歴史に一般化がないというのはナンセンス。むしろ一般化の上にこそ歴史は育つ。

 エルトンが『ケンブリッジ近代史』で言うように歴史家を蒐集家から区別するのはこの一般化によるのだ。これは自然科学者を博物学者や標本蒐集家から区別するといっても良い。マルクスは何でもかんでも否応なく当てはまるような歴史の枠を組み立てたと時に批判されるが、ここではその彼の章句を引用したい 。

  「驚くほど似た事件が異なった歴史的環境のうちに起こる場合、そこから全く似ても似つかぬ結果が生まれてくる。一つ一つの事件の発展を別々に研究し、その上でこれらを比較すれば、この現象を理解する鍵が容易に見出される。しかし歴史の上に超然と立つのが最大の得意であるような歴史哲学の理論を合鍵に用いたのでは、消してこの理解に達することは出来ない」(ボッパー教授は歴史の教訓は普遍的法則から導き出せるという信仰をマルクスを上げて批判したが、マルクス自身もはっきりとこれを否定していた。)

 事実と解釈を引き離すことが出来ないように、特殊的なものと一般的なものを分かつことは出来ない。また、一方を他方の上に置くことも出来ない。(さながら、歴史の研究とは事実と解釈の相互関係であり、特殊な事件と一般化の相互関係でもあるといったところだろう

 歴史と社会学の関係 ―について論じる。今日の社会学は相反する二つの危険に直面している。超理論的になることと、超経験的になること。一つは無意味な一般化に熱中することであり、もう一つは細かい技術的諸問題に熱中してしまうこと。

 前者では、歴史が記録する特殊的事件の一般化という仕事だけを社会学に認める人達がいるせいで、「法則」を持つ点で社会学は歴史から区別されるということまで言われる始末にまでなっている。後者にはカール・マンハイムが予見したとおり、細かい研究だけをして一般化や解釈を避けるもの。

 社会学が豊かな研究領域たろうとするならば、歴史学同様一般化と特殊化両方を同時に扱わなければならないだろう。静止した社会など存在しないのだから、社会学もダイナミック(変化及び発展の研究)にならなくてはいけない。

 あとは歴史学社会学に、社会学歴史学がなればなるほどお互いにとって有益であるということ。双方にとって往復ができるように国境は広く開いておかなくてはならない。

 歴史の教訓について 一般化によって歴史を学ぼうとする事は、意識的であれ無意識的であれ、そこから教訓を導き出そううと試みる事である。特殊なものをそのままにして歴史から何をどうやって学ぶというのだろうか?1919のパリ講和会議に出席した時、ウェブスターから教訓を二つ教えてもらった。

 いわく欧の地図を書き改めるにあたって民族自決の原則を無視するのは危険であること、そして必ずどこかのスパイが買うから、秘密文章を紙くず箱に捨てるのは危険であること。これらは新しくとるに足らないものだが、それより古いものには数多くの偉大な教訓がいくらでもある。

 ローマ人はヘラスの歴史から教訓を引き出して行動し、17・18・19Cの西欧の人々は旧約聖書の歴史から教訓を引き出し、これは英のピューリタン革命も同じ。選民思想ナショナリズムなしには理解できない。古典的教育は刻印として英の19Cの新しい支配階級に押捺されていた。

 アテナイローマ帝国の教訓から大英帝国の建設者がどんな影響を受けたのか研究する価値があり、事実ロシア革命は間違いなくフランス革命、1848年の革命1871年のパリコミューンの教訓に取り憑かれていた。歴史の二重機能(過去と現在の相互影響)がここでも現れている。

 未来に対する予言 歴史の予見は特殊な出来事である以上、大雑把なことであって細かい具体的なそれは出来ない。が、それでも十分に有益である。将来に対する正当かつ有効な一般的な指針を与えてれるのだから。クラスで二、三人麻疹にかかったら伝染病が流行ると見て予防措置をとる。

 しかしこれにかかるのがメアリかチャールズなのかということまではわかりようがない。歴史の予見とはこのようなものである。歴史家の予言とはいつ中央欧の亡国に革命が起こる―というものではなく、亡国の情勢はこのままなら、あるいは誰かが手を加えるなら、近い将来革命が起こりうると言う事。

 歴史の予見は見込み・類推になる。そして個別的事件の発生を通じてのみ実現され得るもの。だからといって価値がない、あるいは自然科学より劣っているなどという事にはならない。人間が複雑な自然的存在なのであるから困難を極めるもの。目的や方法が根本的に自然科学のそれと異なるという事ではない。

 歴史研究の主体と客体 自然と違い、人間が人間を観察するしかない、主体と客体の区別が付けられない。人間が観察するしかない、人間以外の存在が観察することが不可能な以上、必ずその歴史家の主観が入り込む。主観・偏見が入り込むというだけでなく、それまでの観察の手続が観察に影響を与える。

 つまり過去の教訓がいい予言であれ、悪い予言であれ、そこに影響を与える。例えばボリシェヴィキは仏革命がナポレオンのような人物の登場ということを知っていたので、同じようにナポレオンのような人物であるトロツキーを警戒し、最も似ていないスターリンという人物を選んだという結果に繋がった。高名な経済学者の好不況を占う分析自体が、大きな影響力を持ち、結果となって作用してしまうように歴史家が事実に影響を与えてしまうことがある。【言霊の発想はここにあるのか?】

 まさしく現在の歴史家と過去の事実の相互対話の結果である。物理学で観察者が研究に影響を与える状況と少し似ている。が、歴史学の場合は歴史家そのものが研究対象の中に巻き込まれてしまうという点では異なる。哲学者が主観・客観を別々のものではなくある程度相互影響・干渉であることを認めるようになったのも、またむべなるかな。

 歴史学は歴史家自身が歴史の流れにいるために主観・客観を明確に区別しにくい性質があるということを抑えておかなくてはならない。この流れにあって社会学知識社会学というジャンルを作ったのは当然。(研究・学問が世の中を変えるというのはカーが『危機の二十年』で説いていたことですね)

 歴史における神について 歴史に道徳・神を持ち込んではならない。ダーシー神父がいうように現世の事件と人間のドラマを完全に処理をし尽くすまでは、それは神の御業であるという事で済ませてはいけない。神学者カール・バルトは天上の歴史と地上の歴史を完全に分離して後者を俗権に委ねている。

 超歴史的な力、見えざる手であろうと世界精神だろうと、そのような力が歴史の意味や重要性を決定するような思想は歴史学にそぐわない。歴史家はそのようなジョーカーがなんとかしてくれるといった思想を脇において、問題の意味を自分で考えなくてはならない。

 個人の悪行・善行、道徳は歴史的業績の判断にあまり役に立たない。スターリンが二番目の妻に道徳的でなかったとしても、それがあまりソヴィエト研究に大きな意味を与えることはない。諸個人の私生活について道徳的判断を下すことより重要な仕事が歴史家にはある。

 歴史家は裁判官ではない 19Cの英以上に歴史家は道徳的判断を下す義務があるという信仰が強かったことはない。ローズベリいわく、英人にとって興味が有るのはナポレオンが「いい人間であったかどうか」であった。

 アクトンは不動の道徳的規範によって、物事の当否は判断される故に歴史の権威・品位・効用の本質があるとした。聖俗両権力が低下させようとする道徳の品位を保つことこそ歴史であると。これは彼の歴史的事実の客観性と優越性を示すほとんど神秘的に近い信仰といって良い態度であった。

 今日でもこのような態度は見られる。トインビーはムッソリーニのアビシニア侵入のことを「個人的犯罪」と称し、アイザイア・バーリンは「カール大帝、ナポレオン、ジンギスカンヒトラームッソリーニの行った殺戮によって裁く」事が歴史家の義務とした。

 クローチェいわく、最早過去の世界に住む人間たちの有罪・無罪を騒ぎまわって、歴史の使命と考える人は歴史の感覚がない人である。【まあ、まさしくこの19世紀の歴史感覚=道徳史観が中国人の歴史観念ですね。というか中国人の歴史感覚は古来そういうものでずーっと来たんですけども。】

 ヒトラースターリンなどの多く犠牲者が存命中であるが故に歴史的評価を下すのは難しい。また歴史家は同時代の存在だからその点でも困難となる。しかしナポレオンやカール大帝にとってそうした問題は最早起こる事もない。

 道徳的判断の基準 であるから歴史家は裁判官として個人の道徳に注目するのではなく過去の事件・制度・政策に判断を下すべきなのである。ナポレオン・ヒトラーチェンバレンなど、個人の罪・道徳問題として糾弾してそれで満足して、歴史の研究を終わらせるべきではない。

 個人の道徳を賛美することが歴史を間違った方向に導くことは往々にしてよくある話。奴隷制の肯定に奴隷の主人が道徳的・倫理的であったことが用いられ、それで奴隷制度が肯定されていたのはいい例。

  ウェーバーが「資本主義を労働者や債務者を巻き込んでいく主人不在の奴隷制」と言い、制度の道徳的判断をすべきであり、それを作った個人の道徳的判断をすべきでないといったのは的を得ている。

 勝者が歴史を作り、制度を作っていく。その制度が善かどうか価値判断はまた別に問われることになる。より小さな悪を、あるいは将来は善になる悪を選ばなくてはならないということは日常でもあること。それをどう評価するか?「進歩の代償」とか「革命の犠牲」とよく言われるもの。

 革命によってこれまで支配者だった人間の地位が地に落ちるように、既存の価値判断も地に落ちる、真逆の価値判断になることもある。こういう時にどうするか?当然歴史家はこの問題に直面することになり、歴史家の態度に最もよく現れてくる。革命はこの問題を研究するのに最も都合のいい時期と言える。(革命、既存の価値体系がひっくり返される。また戦争などで負けて新しい支配者の価値観が正しいものに変わるようなことを繰り返したことで絶対的な正義・価値観はありえないという教訓を導き出せたのが西欧の成長に大きく貢献したのだろう)

 産業革命が強制や搾取といった負の側面をいかに持っているとしても、それで産業革命など起こらねばよかったという人間はいない。植民地化も与えた発展ということでそれの価値を許容する。しかし代償とその見返りが同じ世代で一致することは少ない。

 エンゲルスの歴史の女神の比喩は見事。歴史の女神は真に残酷であり、戦争でも平和な経済発展でも、死骸の山を超えて勝利の戦車を引いていく。カラマーゾフの有名な無関心という態度は誤り。我々は入退場自由なチケットを持っているわけではなく、生まれた時点で世界に否応なく巻き込まれている。歴史家はより小さな悪、大きな善という考え方で見るしかないのだ。

 超歴史的な価値が有るか 我々の道徳的価値観は歴史的創造物であるゆえに絶対的な歴史価値観・規準など存在しない。「経済的合理性」というものを歴史の尺度にしようという試みがあったがもちろんすぐに失敗した。そもそも計画というものは、合理的な経済過程に対して非合理的な侵入をすることだから。

 いずれにせよ絶対的な歴史観・尺度という時は必ず何らかの条件・環境、そこの歴史に結び付けられている。そしてそれに反する価値観に対してレッテルを貼り付け口汚く罵るのが常となる。それではダメ。

 英では科学の側から歴史は科学ではないと否定されるのではなく、むしろ支配階級の哲学・人文研究をそれに仕えていた技術者系統の科学から区分したいという欲求から出ている。そもそも「人文」ということばからして英の伝統的な偏見に基づいている。科学者も歴史家も何故と問い続ける動物なのである。